copy and destroy

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チャールズ・ブコウスキーのマッキントッシュ

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On Christmas Day, 1990, Charles Bukowski received a Macintosh IIsi computer and a laser printer from his wife, Linda. The computer utilized the 6.0.7 operating system and was installed with the MacWrite II word processing program.

読書のペースも随分落ちている。女の尻を揉むほうが僕は楽しいのだ。

アメリカ文学最大の詩人の日記。

辞書によると日記とは「自分の出会った出来事や感想などを一日ごとに書いたもの」であるそうだ。ブコウスキーのそれはちょっと趣が違っていて、だいたい競馬場に行くところからはじまって、その日だけのことにとどまらずに自分の考えていることを綴っていっている。

タイプライターをマッキントッシュに持ち替えてからとにかくすごいという。文章を作る最適な道具と思う。最近は仕事上紙の契約書ばっかりにサインやらハンコやら押しているので、なおさらそう思う。この文章もマッキントッシュで書いている。とにかく自分の思っているポイントに文字が出てくるというのは素晴らしいことだ。何度も読み返して、ここが違うなといってすぐに書きなおすこともデキる。紙だとこうはいかない。小学生の頃の読書感想文の課題で何が難儀だったかというと、原稿用紙がずれるのが嫌で消しゴムを浸かった後の空間に無理矢理知っている言葉を継ぎ足していたことだ。

「人生の中で五冊だけ本を選べ」と言われたら、そのうちの一つを占めるかもしれない本。それがこの『死をポケットに入れて』(原題"THE CAPTAIN IS OUT TO LUNCH AND THE SAILORS HAVE TAKEN OVER THE SHIP"=船長は昼食に出かけ、船乗りたちが船を乗っ取ってしまった)だ。晩年のブコウスキーがタイプライターをMacintoshに換え、次の一行、次の一行と進んでいく文章の嵐。そう、七十を超えてMacを手に入れる。

タイプライターで書くのは、泥の中を歩いてるようなものだ。コンピューターは、アイス・スケートだ。猛烈な突風だ。

そして、爆弾マークや猫のおしっこに悩まされながらも、毎晩コンピュータの前に座る。

同じブコウスキー関連の映画でも、封切中の『酔いどれ詩人になるまえに』を見ずに、『酔いどれ・・・』の最終上映のあとに上映されるレイトショーのほうを見に行った。
以前見逃して悔しい思いをしていたブコウスキーのドキュメンタリー映画

『ブコウスキー:オールドパンク』
    原題「Bukowski: Born into This」2003年製作。
    監督ジョン・ダラガン


以前から、とにかく生(なま)のブコウスキーが動いてる映像を見たかった。

晩年ブコウスキーが「わが友」と呼んでたのがアップルのコンピューター「Macintosh IIsi」。
この映画でやっとブコウスキーがこのマシーンに触っている画像を見ることが出来た。
とてもご機嫌そうで、微笑ましく、穏やかな、晩年の一コマであった。

1994年に白血病で73年の生涯を閉じたチャールズ・ブコウスキー。アメリカ文学界にツバを吐き、自分の信じる道を貫いた詩人/作家であり、社会の様々な規範に「くそったれ!」と罵声を浴びせる彼の作品群は、世界数十カ国で翻訳されている。“短編の神様”と呼ばれながら、その詩や短編・長編は無数の雑誌に掲載され、40冊以上の書籍で出版されている。代表作に『町でいちばんの美女』『くそったれ! 少年時代』などがあり、社会的には“負け犬”でありながら、そこから外れた価値観を持つ者たちには、たちまち“英雄”となる。ブコウスキーが描くのは、辛らつで露悪的、攻撃的で酒呑みの“負け犬”たちが生息する世界である。一般的には男根至上主義の好色老人、というイメージでとられがちだが、実際のブコウスキーはとてもナイーブで複雑な人物だ。生前の彼の貴重なインタビュー映像に加え、ショーン・ペン、トム・ウェイツ、U2のボノなど、親交を持ち、ブコウスキーを愛した様々な人々が、彼との時間をいとおしげに語る。そして、世間に流れているのんだくれだの、女好きだのという負のイメージが、あくまで彼を取り囲む“逸話”に過ぎないことが分かってくる。本当に、“書く”ためだけに生きた男の人生を目の当たりにし、ブコウスキーのナイーヴな素顔が炙り出されてくる。かつて愛されず、心の居場所を求めて彷徨った、生きることにはいつも懸命だった男。「郵便局で働けば、生きるということが分かる」と劇中で語るように、長年の厳しい労働生活で魂をすり減らしながらも、酒を呑み、女を愛し、そして常に書き続けた男。パンクでクールな73年の人生の断片をとらえた、ブコウスキーにまつわるドキュメンタリー。.

画面の中のソフトは claris macwrite 2 だ。

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This page is about the history of ClarisWorks (now called AppleWorks). ClarisWorks was one of the most popular Macintosh programs of all time, with over 20 million active users at one point. If you haven't heard of it, you will likely not find this page particularly interesting! A lot of the material here is rapidly becoming ancient history; I thought I had better set down as many recollections as I could, before everybody forgets ClarisWorks completely.

Wiki について tsukamoto サンに聞く

(WikiName を軸に、 tsukamoto サンに Wiki の歴史とか教えてもらう)

全然新機能じゃないですけど jottit みたいに WikiName が書けるといいなあ、と思います
[[RAC]][RAC](https://sandbox.wikihub.io/wiki/RAC)
みたいな感じです

https://i.gyazo.com/ffec44257c70a4136b462069942773fd.png




https://i.gyazo.com/b97490791be1ff49dcab9d92eb729395.png
Linux Conference 抄録集 第 4 巻 (2006 年)

https://i.gyazo.com/58cdf69f0e861f8468a76c28ad005e51.png

Wiki は,1995 年にWard Cunningham が開発した

この時に作られたシステムはWikiBase と呼ばれている.このWikiBase は,Perl による普通のCGI スクリプトであり,現在もそのコードは入手可能である.ソースコードは331 行と非常に短い.

WikiBase の簡単な利用方法を述べる.

ページからページへリンクを貼ることも容易である.ページ名は一般にWikiName と呼ばれ,2 語以上のフレーズを,それぞれの単語の先頭を大文字にして連結した語である.例えば「test page」にあたるページを作る時は,「TestPage」というWikiName をページに埋め込むと,自動的に対応するページへのリンクとなる.

新しいページを作成するには,まず作りたいページのページ名を考える.例えば任意のページに「TestPage」と記入する.もし「TestPage」というページが存在していればそのページへのリンクとなるが,もし存在していなかった場合には「TestPage」という文字列の右側に「?」という文字でリンクが張られ,「TestPage」というページを作成するための編集画面に移動する.そこに何かテキストを記入して保存すると,新しいページが作成される.元のページに戻ってみると,今度はページが存在しているので,「TestPage」という文字列は今作成された新しいページへのリンクとなっている.

つまり,すでに存在しているページへリンクを貼るという操作と,これから作ろうとする未来のページへリンクを貼る操作がまったく同一の操作となっている.このように,ページの作成は,まず未来のページ,つまりこれから作ろうとするページへリンクを貼ってから作成するので,作成されたページには必ず元のページからリンクが貼られていることになる.このようにして,ページからページへリンクで接続されるようにして新しいページを作っていく.これが,大きな特徴となっている.







レディメイド、オーダーメイド

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2007/7/3(リブログ紀、元年) インターネットのいけないプログラマーこと ku サンはかく語り。

自分自身が作り出すものこそが自分自身だと考えるのなら、大量生産技術の発達でもう自分の手では何も作ることができなくなっている我々にはもはや自分自身なんて存在しないことになる。けれど、実際のところ我々はその大量生産されたもののうち、なにを自分のものとして手に入れて、何を自分のものとして手に入れないかによって自分自身をかたちづくっている。何十年も前から。

昭和52年 寺山修司はかく語り。

オーダーメイドの洋服が商品として通用する時代だもの。オーダーメイドの思想が通用していけない訳はない。

使いものにならなくなった哲学なんてないさ、

神様の出現は、文化のどこの領域に於ても、科学的には有害な性質を持っている。







違う、違う、違う、違う、ひとつもない、そうだ、使いものにならなくなった哲学なんてないさ、違う、違う、絶対違う、あいつにはそれがわかっているんだ、ありがとう、そんなことありえないよ、ブラボー

広告はなくなりました、という未来

良いプラットフォームに良い広告が集まり、悪いプラットフォームに悪い広告が集まる

「迷惑かもしれないけど名前は覚えていってね!」とばかりに広告を配信して、ユーザの不満はさておき、それは概ね成功しているのである。

広告はなくなりました、ステマばかりになりました、というのは笑えないが十分に有り得る未来である。

ユーザが本当に広告を利用しないのであれば広告主もプラットフォームも今すぐ破綻するわけで、逆にこれだけ広告業界が巨大なのは、好むと好まざるとに関わらず、人が広告の影響を受けていることの証拠とも言えるだろう。

イデオロギーによる対立ではなく、動画広告の強制視聴から戦争が始まる。

世界の果て

http://dlwr.tumblr.com/post/145304309192/リブログしてれば世界の果てに辿り着けるんじゃないか
dlwr.tumblr.com

この引用、その元は、下の tweet で、

ただ末尾の何文字かを切り離しただけだけなんだけど、そこに見える印象はほとんど違うものになっていて。それがどれくらい違うのかって上手く言えないんだけども、この文字列は明らかに重力から自由になっていてそこには希望みたいなものさえ垣間見える。なんてことも言えなくもないんじゃないかっていう。

引用っていうのは、必ずしも元の文章の方が素晴らしいとか元あった場所の方が、つまりオリジナルのあった場所、コピー元、の方が良い、優れている、健全、健康、衛生ってことはなくて、ペースト先の方が優れていることがよくあると思う。だからってわけではないけども引用元のことって正直どうでもよいと思っている。最低限の敬意は持っているつもりだけど。

http://taizooo.tumblr.com/post/145305188975
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