copy and destroy

catch and eat

皆が定期的に見てるWebサイト・メディア・雑誌って何?

mactkg.hateblo.jp

レガシーな男

まず前提について言っておくと、自分自身がレガシーな男である、ということ。ラガードともいう。

ラガード(Laggards:遅滞者):
最も保守的な人。流行や世の中の動きに関心が薄い。イノベーションが伝統になるまで採用しない。伝統主義者とも訳される。市場全体の16.0%。

本屋を読む

まずは、本屋。一つは、たいていは水曜日に寄り道する見渡せるくらいの大きさの本屋。リブロ系列。もう一つは、休みの日に出かけるシャッター街と揶揄されるアーケードの通りに奇跡的に残っている、まさに地元の本屋。こっちのほうがリブロ系列よりも断然小さい。背中が掻けるくらいの大きさ。

本屋、本を買うのだけが目的じゃなくて、平置きされている新刊とか陳列されている雑誌の下世話な特集とかそういうのを読みにいっている。リブロ系列の本屋の方は「いまどき」を読みにいっている感じで、地元の本屋は店長の選択を読みにいっている。

地元の本屋、そばのデパートにジュンク堂書店があるのであまり寄らなかったんだけど、考え方を改めて、定期的に行くようにしている。だんだん本の位置関係を覚えるようになってきたのでこれからが本番だと思う。帰りに、馴染みのコーヒーショップに寄るのが一番の楽しみだったり。

新聞をザッピングする

次が、新聞。新聞は地元の地方紙を定期購読している。特にどうということもないけど、地元のサッカークラブを応援しているということは、地元の新聞を読むということと等価なのである。地方クラブの情報は中央からはやって来ないから。

それから、書評欄が読みたいので日曜日だけは毎日新聞と朝日新聞を買っている。コンビニで。書評、買うためじゃなくて、買わないために読んでいるとも言える。ショーペンハウエルが「最良なのは読まないことだ」(ちょっと違うかもしれない)、って言っていたのでそのために。

あとは総務課員なので月曜日の日本経済新聞を買う。土日は市場が止まっているからトピックスが無いんだけど、月曜日の日経にはいろいろなまとめとか指標とか予定が載っているので。でも大抵は月曜日の帰りにコンビニで買う。だから一日遅れ。レガシーな男なので問題なし。

音響としてのラジオ

その次は、ラジオ。代表的なのは NHK の「ラジオ深夜便」。これはもう大抵は23時をまわるとラジオのスイッチをオンにする。環境音として聞いている。木曜日は NHK FM の「ザ・ソウルミュージック」。それから土曜日の朝は布団の中、ピーター・バラカンの「ウィークエンドサンシャイン」からスタートしてゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」の中間あたりでようやく布団から這い出る。これも環境音として聞いている。内容は全然覚えていない。

最近 Radiko プレミアムを契約したので、なにか変わるかもしれない。

TV Bros の番組欄はオマケ

定期的に読む雑誌とかマンガは無くなってしまったんだけど、最近 TV Bros を買うようになった。あまりに今に疎いのでそのためのチャンネルを開こうと思った。軽さ的にちょうどよい。物理的にも内容的にも。いまのところキンドルとかそういうディジタルになっていないところがまた良い。一番大きいのは川勝サンのいた場所だったこと。いまさらだけど。

電波をパースしてそのまま深夜ドラマを視る

テレビはあんまり見ないんだけど、 TV Bros 買うようになって、深夜ドラマを見るようになった。金曜日深夜のテレビ東京。「バイプレイヤーズ」と「カンヌ映画祭」、松居大悟と山下敦弘&松江哲明。どっちも映画を撮っている人が監督。特に理由はない。面白いから。あと自由に見られる時間が深夜だけだから。つまりチャンネル権が無いから。それからなんとなく電波をパースしてそのまま画面に表示したい気持ち。ただたんに録画しちゃうと安心して見ないというのもある。

Web?

ウェッブ?

オーディナリーなメディア

ここに並べたそれぞれは、どちらかというと時代遅れな、ありきたりな、そんな感じのこと、もの、なんだけど。

誰かサンが教えてくれた「オーディナリー・ミュージック」っていうラジオの題名だったり、昨年末に誰かサンが教えてくれた「クワイエット・ストーム」という音楽の聴き方? だったり、外山滋比古サンの、作品は著者が作るんだけど、古典は読者が作り出すっていう話(まるでリブログの話みたいな)だったり、そんな風に(どんな風に?)、オーディナリーな、普通な、なんの変哲もない、ありきたりな、レイドバック風味な、好みのアイソレーションがかかった、なんとなく雰囲気があった、そんな何かがさらりと流れる、ちょっと違ったふうに見える、新しい切り口が見つかる、そんなやり方を見つけたい、発見したい、なんてことを考えていたり、いなかったり。

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ご存じのとおり、セキュリティ・安全性の基本原則は「原因の除去」 「耐性の強化」および「被害の局所化」である。 「原因の除去」と「耐性の強化」は当然の帰結として、端的にいえば 2. は 「インターネットがより分断される方向に進む」ということである。 これがより極端になると、いずれは世界のあらゆるところで中華ファイヤーウォールのようなものが 出現することになり、「誰でもサーバ1個動かせば世界中に情報発信できた」時代は 終わりをつげることになるだろう。つまりふたたび情報発信にコストがかかるようになるのだ。 その結果、情報を発信できるのはまたもや権力のある人だけに限定されることになる。 ある意味、この流れはじつは世の中の役人が望んでいることなのかもしれない。

憲法を見ると、 どこにも「人間であるべし」とは書いてない。

クリエイティブに行こうぜ、日本人。

日本人の多くは「クリエイティブ = 芸術に関連したこと」と考えているのに対して、 海外では「クリエイティブ」は日常生活のアイデアすべてに及ぶと考える。

(ちなみに「歳をとると創造的でなくなる」と考えているのも日本人がいちばん多い。)

異教徒達の踊り(暗闇のリブログ)

洗濯物、畳む。

ダメだ、コリャ

画像が出ないのでブラインドでリブログしてる

今、リブログしてる人は、日本じゃないところにいる人か、スペシャルなコネクションを持っている人か、ロボットか、ただのバカか(オレか)、いずれか

汝、不具合を愛せ。

これは、信用という名のゲームだな。

何も表示されない post をリブログするという、信用と呼ばれるゲーム。信用β

アハハ、楽しい。普通に楽しい

画像、表示された! 異教徒の踊り(暗闇のリブログ)が、祈りが通じた。

画像、表示されて、今夜のリブログの素晴らしさに震えている。

ブラインドの方が良かったのでこれからは毎晩、目をつぶってリブログします(ウソ)。

あるリージョンの人たちは画像、つまりある形が表示された。しかし不具合の発生しているあるリージョンの人たち、つまりわれわれのことだ、われわれの前にその形は姿を表さなかった。そんななか、勇気ある者たちは真っ暗闇の中手探りで、つまり目隠ししたまま、果敢にリブログに挑んだ。またある者は無様な姿を晒して dsbd から退散した。叫び声を上げた。またある者はクールに dsbd の外側からファーストポストを捧げた。そしてある者はただ単に bot だった。

真っ暗闇の中で果敢に挑んだ者たちの話をしよう。彼らはそこに現れるはずだったその形ではなく、それを Reblog したのが誰だったのかというその細く弱い関係だけを頼りにリブログした。それは信用と呼ばれるものだった。場所によってそれは信頼とも呼ばれる。どこの馬の骨ともわからない誰かとの間に、毎晩毎晩果敢に挑むそのリブログのはてに、信用などという難解な、場合によってはくだらない、そんな複雑な関係を築いたのか。ただのリブログごときに。われわれは。

AWS で世界旅行と、 tumblr の CDN の話

2017/01/25 tumblr で、画像が表示されないという不具合が発生した。インターネットにリブロガーの叫びが響き渡った。 tumblr の画像は 68.media.tumblr.com という url でホストされている。これの不具合だったらしい。いままでのところ不具合について公式な発表はない。












岩波ジュニア新書を掘り当てる

岩波ジュニア新書、買ったヤツ、どれもかなり良くて金鉱を掘り当てたような気がする。いままで気がつかなかった。振り返ってみると岩波ジュニア新書、川北稔サンの「砂糖の世界史」も読んでた。ウォーラーステインの「近代世界システム」についての入門書なんだけど。これもとても良かった。

世界史読書案内 (岩波ジュニア新書)

世界史読書案内 (岩波ジュニア新書)

キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)

キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)

哲学ってなんだ―自分と社会を知る (岩波ジュニア新書)

哲学ってなんだ―自分と社会を知る (岩波ジュニア新書)

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

今やどんな音楽も純粋無垢ではいられない

意図せず戦争に組み込まれたものたち。一方は音楽で他方は生活。戦地で聞かれる音楽に、戦時下で営まれる生活に、加害性はあるのだろうか。だが、無情にもイエスだろう。音楽も生活も、ただそこに「ある」だけのものゆえ、いとも簡単に戦争と手を結ぶし、時には戦争を潰しもする。メディア化されたものは(としておくが)、今やどんな音楽も純粋無垢ではいられないかも知れない。戦場に溢れる、ただの1ミリも戦争を意図していない音楽。

取っかかりがない、風の吹く広野を一人行くとか

「あ、俺のこと認めてくれる人なんかいないんだ」と気がついたのは、もう三十年以上前のことだけど、気がついて、「認められようとられまいと、自分なりの人生を構築してくしかないな」と思って、「人生ってそんなもんだな」と思った。取っかかりがない、風の吹く広野を一人行くとか。

世界は、「戦争」という選択肢を失っている

世界は、部族社会が好きな「戦争」という選択肢を失っている。だから、ヤクザの鉄砲玉みたいなテロリストがあちこちに出現する。戦争に代わる戦いの手段は「経済」で、それがもう限界に来ている。だから、中国は鉄を作り過ぎて困っている。利益偏重ワンパターンの「部族社会が成功する限界」は、歴然とある。

最初にページ名ありき

「最初にページ名ありき」のWikiでは、先にトピックを発見しておかないといけなくて「なんとなく興味を持った」程度の情報をとりあえず蓄えておくのに困ったのだけど、Tumblr以降はピースが集まってきてから、後からのタギングすればよくなった。また一つのピースを複数のトピックに連結できる。この辺りは、より自然な流れで行えるようになった。

僕が贈る相手はインターネットということになるけど、あなたにはあなたの世界があると思う

僕が贈る相手は(近しい人以外では)インターネットということになるけど、あなたにはあなたの世界があると思う。町内会だったり、職場だったり。そこに何か、すぐには気付かれもしないものを贈ってみるというのはどうだろう。気付かれないから見返りも期待できないけど、お返しの喜びはあなたの中に生まれるかもしれない。

死を予告するアスタリスク(ガラパゴスの箱舟)

カート・ヴォネガット『ガラパゴスの箱舟』|文学どうでしょう

それだけではないんです。物語の登場人物の名前の上に、星印(*)がつけられている人がいるんですよ。たとえば、「*ゼンジ・ヒログチ」という風に書かれます。

名前の頭に星印のついたふたりは、日暮れまでに死ぬことになる。ちなみに、特定の人名の頭に星印をつけるこの手法は、この物語のおしまいまで継続され、登場人物の一部が、まもなく体力と狡知の面で究極のダーウィン的試練にかけられることを、読者に予告することになるだろう。(32ページ)

何故かこの語り手は、その後の展開をどんどん書いていってしまうんです。

同じように、この先起こるほとんどすべての出来事がさらりと書かれていきます。誰と誰が結婚し、どういう子供が生まれ、どんなことが起こるか。

読者はこれから物語で語られるほとんどすべての出来事を、途中でもう知ってしまっていて、なおかつ間もなく誰が死ぬか分かっていながら読むわけです。

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