copy and destroy

catch and eat

今週末の良かったこと

読書、「道徳感情論」読了した。三ヶ月かかった。三ヶ月くらいかかるとそりゃ、背表紙にコーヒー染みの一つや二つは出来る。そういうものだ。このくらいの物量の本だと一年間で四冊しか読めない計算になる。なんて、そんなふうに考えると次の一冊を選ぶの慎重になっちゃうけど、読む本は適当な気分で選びたい。

「道徳感情論」

「道徳感情論」、ラス・ロバーツの 「スミス先生の道徳の授業」という良いガイドブックがある。ガイドブックっていうか、そもそもその本を読まなかったら「道徳感情論」を読もうとは思わなかった。母国語で原典が読めるのと、良質なガイドブックが簡単に手に入るの、本当に幸運としか言いようがないと思う。この先、どうなるかわからないけど。

「スミス先生の道徳の授業」


花粉症だと思っていたら、ひどく風邪を引いてしまった。気管支炎気味。そんなこんなで丸二日、家に引きこもった。ランニング無し。残念。


オリンピックが終わった


サッカー、Jリーグ開幕した。春が来た。
残念ながら、初戦、黒星スタートとなった。現地で観ていない試合はとやかく言わないことにしているが、まあ、あれだ、また、あの何とも言えない気分を引きずって一週間を過ごしたり、天にも昇る心地で一週間を過ごしたり、そういう生活が帰ってきたわけだ。

僕らは2週間に一度、ミサに行くようなもんだとおもうよ。勝ったとか負けたとか、そんなことより、

これ、毎年、貼ってるけど、本当にそういうもんだとおもうよ。勝っても負けても引き分けても。

今週末の良かったこと

買った本の話。

時空が歪んでいるので、6年遅れて、2011年の日記リレーが届いた(嘘)。

新潮、2017年の日記リレー、手サンが教えてくれたけども、本屋ではすでに手に入らなかった。そのままウカウカしてたら web でも売り切れしまった。見る間にどんどん価格が上昇していった。バカみたいだった。他にも手に入れた人達を横目で見ながら、 web を漁ると日記リレー、2011年版も発行されていたのを知った。

表紙を見るとドナルド・キーンという文字があった。無条件に購入。中古800円(送料別)だった。

2011年といえば「あの日」。

「こうしてあの日が過ぎて行き、ぼくはその後の世界へと入っていくことになった。」

「あの日」の日記は石川直樹サン

そしてこの年、ドナルド・キーンは「日本人」になった。


読書の話。

やっぱり、「道徳感情論」は今週末も読み終われなかった。


音楽の話。

スティービー・ワンダーのアルバムを順番に聴いているんだけど、discogs によると syreeta という女性歌手のアルバムが載っていて聴いた

全然期待していなかったんだけど、とてもイイ。特に "your kiss is sweet" という曲がイイ。ウンナー、ウンナーというフレーズが、スリーワンレングスというグループのあの曲を思い出させる


ランニングの話。

毎月第3週は MAF テストの日。

date lap1 lap2 lap3 lap4 lap5 lap6 lap7 lap8 note
2017/12/17 7'12" 7'15" 7'17" 7'22" 7'26" nop nop nop lap4で心拍バタバタ
2018/01/20 6'40" 6'50" 6'41" 6"48" 6'49" 6'48" 6'56" 6'54" lap7で心拍バタバタ
2018/02/17 6'22" 6'24" 6'12" 6'11" 6'16" 6'16" 6'15" 6'19" 風強い 9m/s

先月から30"くらい速くなった。ビックリ。

lap8 までいってもラップタイムが落ちなくなったし、心拍もバタバタしなかった。 lap4 が一番速いのはたぶんウォーミングアップが足りなかったから。先月と同じウォーミングアップだったけど、風が強かったので温まらなかった。追い風になったり向かい風になったりで、心拍が一定になるように走るにはペースをひたすら調整する必要があった。すごく難しかった。速くなったので来月はもう1周、余計に走りたい。

time is relative (遅読についての断片集)


「道徳感情論」全然読み進められてなくて、そろそろ読み出してから3ヶ月になる。

その中にこんなのがある。

  • 道徳感情論 : 第六部「得の性格について」第三篇「自制について」

節制、慎み、謙虚、中庸はつねに好ましく何か悪い目的に使うことはまず不可能である

「節制、慎み、謙虚、中庸はイイぞー、なぜなら、その程度が極端に大きくても別に悪いことがないから」と。例えば、凄く謙虚な人とか凄く節制している人とかは「押し出しが弱いなー」とか「貧乏くさいなー」とか思うものの、それが悪い面を現すことがほとんどない、という話。

かたや、マフェトンは「歩くこと」について、こんな風に言っている。

  • The Maffetone Method : Part 2 INDIVIDUALIZING YOUR PROGRAM 11. "A New Beginning: Starting Your Program"

Walking is one of the best ways to get started on an exercise program because it’s simple, inexpensive, and provides a low-stress workout that is not easily overdone.

「歩くことはイイぞー、なぜなら、どんなにたくさん歩いても、滅多なことではオーバートレーニングにならないから」と。

で、ここで自分はこんな風に言ってみたい。

「遅読はイイぞー。なぜなら、

  1. どんなにゆっくり読んでも別に誰にも迷惑が掛からない
  2. 積読が酷いので本を買うことをためらう
  3. 読まないくせにいつでも持って歩くのでユーズド感あふれる本が出来上がる
  4. いつも読み残している本のことが頭の片隅にあるので、ちょっとでも似たような言葉とか形とかフォルムを見かけると、それとこれとを結びつけてしまう

と。

一番最後のヤツは、冗談抜きで本当に重要なんじゃないかと思っていて、過去を振り返ると、本を読むスピードについてこんなことを言っていた。

https://taizooo.tumblr.com/post/137136449845

本を読むことは、自分が実際に過ごしている時間とは別の時間軸を持つことになる。そして、そのスピードを上げたり下げたり、ページを飛ばしたり戻ったりすることで、時間を伸ばしたり縮めたり早送りしたり巻き戻したり出来る。

外山滋比古サンは「乱読のセレンディピティ」で喋るスピードで読む、風のように読むことでセレンディピティを生むと言っていた。作者のスピード(書くスピード、考えるスピード)から逸脱することで、作品や作者の引力から脱出することが出来るなら、速いだけではなくて遅くても同じようなことが起きるのではないか。

ダーウィンのビーグル号航海記、読み終わるのに8ヶ月くらい掛かった。8ヶ月かかってもダーウィンが船上で過ごした5年と比べるとはるかに速いスピードだ。

マフェトン、哲学者みたいな物言いをする。

その中に、時間を伸ばしたり縮めたりする話がある。

時間を伸ばしたり縮めたりする方法として「歩くこと」を上げている。ここでいう「歩くこと」とは、競歩とかパワーウォークとか歩荷トレーニング(重い荷物を背負って歩く)ではなくてあくまでもスローにイージーに「歩くこと」を指している。エクササイズとして考えられるような、「ハァハァ」いうような、"No pain, No gain" といわれるような、そういうものではなくて、本当に楽な簡単な気軽な活動のこと。ここでいう、時間が伸びたり縮んだりすることの例は、楽しい時間はあっという間にに過ぎて、つらい時間はなかなか進まない、というようなもののことだ。なぜ時間が伸びたり縮んだりするように感じるのか、というのは、自分の意識の向き、方向と関係があるらしい。

実際に、走っているときには気が付かないことも、歩いていると気がついたりする。「桜の木、つぼみ膨らんで来ているな」とか、「あのオジサン、いつも居るな」とか。ゆっくり歩くことで、受け取るノイズが増える。偶然と出会うチャンスが増える。

ところで、赤瀬川原平サンの「世の中は偶然に満ちている」という本がある。本というか日記、彼がつけていた「偶然日記」についてのもの。亡くなってから出版された。積読に並んでいる。これには彼が遭遇した偶然の出来事が載っているんだけど、


生物進化の駆動力は突然変異で、この突然変異は遺伝子が放射線に晒されること、量子レベルで電子が励起されることで発生するそうだ。

遅読、誤読、日常のノイズがたくさん乗る可能性が高まる。結果、読了の道は長く険しいものになるが、それと引き換えにびっくりするような偶然と出会うことが出来る(かもしれない)。

とか、そんなことをツラツラ考えている間に、読書はどんどん滞り、積読の山が積み上げられていく。

今週末の良かったこと

オリンピックが始まった。なんだかんだ言って、やっぱり見てしまう。


読書、ほとんど進まなかった。「道徳感情論」あと二章なんだけど。この超スローな読書について思うところがあるものの文章に出来ない。そのうちなにか書く。

ランニング、たくさん走った。3日間の休みのうち2日。3時間ずつ。バカみたい。こんなにバカみたいに走ってれば、そりゃ、本も読めないわけだ。ちょっと考えたい。

コーヒー、いつものコーヒーショップへ。

音楽、スティービー・ワンダー、だんだん輝きが増してきた。






最後に、 suyhnc が「スローターハウス5」を読んでいたこと。彼の身にどんな出来事があったのか、わからないんだけど。

「スローターハウス5」カート・ヴォネガット 早川文庫SF

そのきっかけになったのは昨年始めに読んだヴォネガットの「スローターハウス5」だった。

「 プーティーウィッ?」

マジック・ワードについて

世の中は偶然に満ちている | 赤瀬川原平

health の奥にある hell

奥地あるいは奥に引っ込んだ場所という地理的な意味と共に、この旅が俳句の世界の深淵に入っていくという比喩

ここのところのマジック・ワードが「奥」 で、こんなところにも転がっていた

より深く踏み入るにつれ、マジック・リアリズムの世界がはじまる。その「闇の奥」への旅で出会うものはなんなのか、

ファンクラブの奥にあるファンク

韓国にプロ野球が誕生したこの年、12歳の僕と親友は地元、仁川の三美スーパースターズのファンクラブに入会し、開幕を心待ちにしていた

定期的に見てるメディアの話(2018年初頭版)

copyanddestroy.hatenablog.com

レガシーな男

まず前提について言っておくと、自分自身がレガシーな男である、ということ。ラガードともいう。

本屋

あまりに積読が酷いので、本屋に寄りづらくなっている。水曜日はいつものリブロ系列の本屋に寄ることもある。寄らないこともある。

キンドル

積読が酷いのにキンドルでは本が買える。物理的に本が増えないことが心理的な障壁を下げている。

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新聞

ランニングがきっかけになって読書が滞った。そういうわけでしばらく新聞書評を読んでいなかったけども、捻挫とそれに続くギックリ腰がきっかけになって読書が再開してて、また日曜日には毎日新聞と朝日新聞を買いに行く生活が戻った。気になった本は Amazon のウィッシュリストに貯めるようになった。コメントが書けることを知ってからは、書評の日付と評者を記録するようになった。

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月曜日の日本経済新聞は買わなくなってしまった。日本経済新聞、紙面が変わってしまって、いろいろなまとめとか指標とか予定とか載らなくなってしまった。補給線は後退してしまった。

ラジオ

Radiko プレミアムは解除してしまった。ファンクを掘っているので、それを聴くこととラジオを聴くことは両立出来なかった。 23時をまわるとNHK の「ラジオ深夜便」が鳴っている。完全に環境音になっている。土曜日の朝、ピーター・バラカンの「ウィークエンドサンシャイン」、ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」、そして気がつくと「邦楽百番」になっているのはお約束。

TV

「適当に身体を動かす」活動が活発になってきたので、深夜ドラマは眠すぎて見られなくなってしまった。本屋からも遠ざかっているので TV Bros も買ってない。外交ルートは急速に閉じられつつある。とはいうものの気に入っている番組はあって、NHK BS の「奇跡のレッスン」。見ているのは再放送のものだけど、結構、グっとくるものがある。


経済指数

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いまでも継続している。恐怖指数が30を超える世界に突入したのを眺めている。

旅すること、書くこと、撮ることで世界を発見する

「空族」たちはタイを旅しながらイサーンを、モーラムを、ノンカーイを発見する。その土地を訪れ、そこに住む人々と交流し、その生活を知る。それが世界を発見するということなのだ。

口ード・ムーヴィーとは本来そうした発見の映画なのだ。旅すること、書くこと、撮ることで世界を発見する。

バンコクからイサーンの森へ、そしてラオスの山岳地帯へ。より深く踏み入るにつれ、マジック・リアリズムの世界がはじまる。その「闇の奥」への旅で出会うものはなんなのか、

糠床で寝かせるみたいにして

でも僕はもう二十歳じゃない。ピアノを練習しすぎるとアスリートと一緒で弾けなくなるから、冷やして、温めて、電気を通してと、いろんな治療をして指を大切にしながら、自分が少しでも美しいと思うものを作る。 それを弾いて、伝えるために必要なエネルギーを、糠床(ぬかどこ)で寝かせるみたいにして自分で増やす。そうしないとエネルギーが腐って、もう終わっちゃうから。

今週末の良かったこと

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via little life feat. Kan Sano & jjj (MAHBIE Remix) / TOSHIKI HAYASHI (%C)

音楽、%C と MAHBIE 。そして歌詞の中にこんな一言があった。

health の奥にある hell

via 💽 - Scrapbox

読書、「おくのほそ道」(英訳版 訳者:ドナルド・キーン) を手に入れた。積読に並んでいる。キーンは、「おくのほそ道」という題名を、

the narrow road to oku

と訳した。「おくのほそ道」という言葉は本文の中に一度しか現れない。

かの画図(ぐわと)にまかせてたどり行けば、おくの細道の山際に十符(とふ)の菅(すげ)有り。

画図とは地図のこと。十符の菅とは古くからたびたび歌われてきた題材のこと。十符とは「十字に編まれた」という意味のこと。ということらしい。キーンは題名について、

「奥という地方に入る細道」

つまり、芭蕉の目的地は本州の北端にある国であった。

奥地あるいは奥に引っ込んだ場所という地理的な意味と共に、

この旅が俳句の世界の深淵に入っていくという比喩的な

奥へ。深淵に入っていく、ということ。


走れなかった話しと走った話し。左足のかかとのヒビ割れ。


フィリップ・マフェトンが言うには、人はこうやって簡単に、オーバートレーニングに陥ったり、慢性的故障に陥ったりする。そういう生物である。ということ。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」じゃないけども、この話はどこかで根っこが繋がっていて、おそらく人類は、アダムとイヴの頃からそういう病に取り憑かれているんだろうな、という。


その奥底には地獄の釜が口を開けて待っているのかもしれない。


ところで、赤瀬川原平サンの「世の中は偶然に満ちている」という本がある。本というか日記、彼がつけていた「偶然日記」についてのもの。亡くなってから出版された。積読に並んでいる。これには彼が遭遇した偶然の出来事が載っているんだけど、今週末は自分に降り掛かった偶然の賜物についてでした。

pace 乱さず行けるやつに peace

shizukasa ya iwa ni shimiiru semi no koe

「英文収録 おくのほそ道 ドナルド・キーン」

以下、「芭蕉における即興と改作」より引用

閑かさや岩にしみ入る蟬の声

この句に秘められたもう一つの効果を指摘したい。漢字と仮名で表記すると分かりにくいのだが、ローマ字で書くとすぐ分かる。

shizukasa ya iwa ni shimiiru semi no koe

iという母音が七回出る。そして「いー、いー」という七回のiは蟬の声を表しているのだ。

夏草や兵どもが夢の跡

natsukusa ya tsuwamonodomo ga yume no ato

ここで重要な役割を果たすのはoである。どの国の詩歌でもオーというのは悲しみの音なのだ。

俳句の英訳(おくのほそ道 ドナルド・キーン)






英文収録 おくのほそ道 (講談社学術文庫)

英文収録 おくのほそ道 (講談社学術文庫)

The Narrow Road to Oku

The Narrow Road to Oku

対訳 おくのほそ道 (Illustrated Japanese Classics)

対訳 おくのほそ道 (Illustrated Japanese Classics)

  • 作者: 松尾芭蕉,宮田雅之,Donald Keene,ドナルドキーン
  • 出版社/メーカー: 講談社インターナショナル
  • 発売日: 1997/04/15
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テレフォン・セックスの会話だけでできた小説

ニコルソン・ベイカーの『中二階』のすごさは、いままでの文学ではおよそ扱うに値しないと思われてきた、というかあまりにも瑣末なので文学で扱うに値するかどうかさえも考えられてこなかった、きわめて非芸術的な諸問題をめぐる考察だけで、とても面白い小説を作り上げてしまっていることである。日本では、テレフォン・セックスの会話だけでできた、これはこれで十分秀逸な小説『もしもし』が一足先に訳されたベイカーだが、この本国でのデビュー作はもっといい。

「中二階」

「もしもし」

今週末の良かったこと

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読書、「飯田蛇笏全句集」、読んでいる。

餠花や庵どつとゆる山颪

もちばなや/あん/どっと/ゆ(れ)る/やまあらし
餅花は繭玉とも呼ばれる。米の粉でつくった紅白の餅玉で枯れ枝に挿して飾り付ける。紅梅白梅を模している。

夜相撲や眼球とばして土埃り

よずもうや/めだま/とばして/つちぼこり

死骸や秋風かよふ鼻の穴

しかばねや/あきかぜ/かよう/はなのあな

水葬の夜を紫陽花は卓に満つ

すいそうの/よを/あじさいは/たくにみつ
埋葬としての水葬を指す。

帯の上の乳にこだはりて扇さす

おびのうえの/ちちにこだわりて/おおぎさす

俳句、もっと埃っぽい古ぼけた文学だと思っていた。山嵐や相撲の句の躍動感だったり、死骸や水葬といった死についての句なのにカラリとした感じだったり、扇の句のなんともいえない艶っぽさだったり、思っていたのとだいぶ違う感じ。「道徳感情論」はもう全然、塩漬けになっている。あと二章なのでなんとか読み切りたい。来週こそは。


音楽、餅花つながりで、くるりの「アンテナ」を聴いていた。よくわかんないけど、ジャケットの紅白は餅花を模したものだと思う。たぶんプラスチックだけど。

ECD の訃報が届いた。あと、マジアレさんの一周忌が過ぎていた。昨年 は、生死(人だけじゃなくて物や事の生き死に)について、真正面からじゃなくてちょっと誤魔化して斜め方向くらいの角度からなんとなく向き合う感じがあったのだけれど、そのきっかけになったのは昨年始めに読んだヴォネガットの「スローターハウス5」だった。その「スローターハウス5」の最後のセリフは「 プーティーウィッ?」で、その文字列はずーっと前から知っていたんだけども、それが何を意味しているのか全然知らなかった。残念ながらそれに気がついたときには、そのことを告げる相手はもうすでにインターネットの彼方で、だれにも話すことなく宙ぶらりんになった。そんなことを思い出させた。それでも、まあ、生きていくしかないのだ。


コーヒーは泥みたいなインスタントコーヒーだけだった。


洗濯物は畳んだ。あまりの寒さに、ベランダのカメの水槽(というかタライ)には 3cm ばかりの氷が張っていた。


サッカーはキャンプインしていて、山本英臣が10年目のキャプテンに選ばれたり、ジネイが合流していたり、トレーニングマッチの結果が聞こえてきたり、いよいよ始まるな、って感じになってきている。開幕が待ち遠しい。春って感じ。

飯田蛇笏全句集より(俳句の硬さについて)

「飯田蛇笏全句集」

雲ふかく蓬萊かざる山廬かな


冱えかへる山ふかき廬の閾かな







北風やほとけの足のぶうらぶら


雲に鳶富士たかき日の冴返る


「俳句って、写真っぽいな」



頸巻に瞳のにくらしや女の子




何にもかも文ンにゆだねぬ冬籠り

億兆のこゝろ〴〵やお歳玉




餠花や庵どつとゆる山颪







妻激して口蒼し枇杷の花にたつ








ある夜月に富士大形の寒さかな





死病得て爪うつくしき火桶かな



俳句が硬いと感じることについて

引用、ここではリブログに関わるような、狭義における引用(クヲート quote)を指します。

引用って悪意だと思っていて、それは文章の中から作者の意図、言いたいことをズラして、こちらの意図に合うように切り出すことだと思っている。まさに切り刻む。自分はかなり悪意の塊なので、作者にとってはおそらく不本意であるところを切り刻んできたと思う。カロリーが高そうなところを選り分けて。で、たいていの文章は、その文章が短くても、そこから5+7でも7+5でも7+7でも5+7+5でも7+7でも、いかようにでも切り出せると思ってた。そこに作者が言いたいことがあればなにかしら切り出せるもんだと。

ところが俳句っていうのはどうも作者が言いたいことを書いているわけではないようで、物理的にはそこから5+7でも7+5でも切り出せるはずなのに、切り出したとたん何の価値もないものになってしまう。切り出すことに意味がない。そういう感じ。これは自分としてはとても大きな気付きで、ちょっとどうしたもんか、みたいな気分になっている。打ちのめされている。

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