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今週末の良かったこと

台風24号の話。

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via https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2018/10/01/2270.html

2連勝の勢いに乗って徳島に向かうはずだったサッカーチームは、予定より早く試合の中止が決定して羽田から甲府にトンボ返りした。
訳あって向かった鎌倉は、海は鈍く鉛色で、波は大きくうねっていた。そんななかたくさんのサーファーが海に漂っていた。
来るぞ荒れるぞとさんざんいわれていたものの日曜日の日中、雨は降っていなかった。
軒並み小学校の運動会は月曜日に順延されていた。
夕方あたりから雨に変わって、時間が進むにしたがって雨の量も風の速さも強くなっていった。
いままで経験したことがない音を屋根の上で鳴らせていた。
短い時間で一気に下がった気圧が頭痛を呼んだ。
蛍光灯は何回も何回も小刻みに明滅を繰り返したけども、とうとう停電はなかった。
月曜日出勤の朝、荒川はドウドウと大きく流れていた。外出時に見た塩川は、最近では見たこともないくらい川幅いっぱいに茶色の水を流していた。


ランニングの話。

来るぞ荒れるぞとさんざんいわれていたものの日曜日の日中、雨は降っていなかった。
その隙きを突いて3時間半くらい走った。
夏の間、好き放題に山とか走っていたのと、少しスピードが出るようになったので、結
構走れる気になっていて調子づいていたんだけど、
だんだん体調が崩れてきて、
もしかしたら根本的になにか間違っているかもしれない、と。
で、MAF テストしてみたら全然ダメだった。
マフェトンがいうところの エアロビック(脂質をエネルギーにする)ではなくて
アン・エアロビック(糖をエネルギーにする)な運動ばっかりしていたからということらしい。
そうはいってもあれだけ走っていたんだから、と思うものの、時計と心拍計はウソをつかない。
好き放題走ってて、自由に、感性にまかせてやっていれば、良い方に勝手に進むなんてウソだね。
で、悔しいので平らなところをノロノロ、グルグルと走っている。


読書の話。

キンドル、英文は横向きで読むようになった。文字サイズはこんな感じ。
なにも好き好んで英文を読んでいるわけではなくて、それは翻訳がないから。
英語が得意なわけではないので、本当に雰囲気で読んでいる。こんなもんは勢いだ。

Running Flow: Mental Immersion Techniques for Better Running

Running Flow: Mental Immersion Techniques for Better Running

"Running Flow" 著者にミハイ・チクセントミハイとあるけども、監修っぽくて書いているのは別の人らしい。本文の中で、チクセントミハイのことを "Dr. Mike" と呼んでいる。
チクセントミハイ、「フロー体験入門」(Finding Flow) を読んだ。もともとはスティーヴン・ コトラーの「超人の秘密」(The Rise of Superman : Decoding the Science of Ultimate Human Performance)(これも邦題が最悪だ)からの繋がりで。
チクセントミハイ、フローに最も遠い人達からしか読まれていないと思う(脳科学者とかいう人とか、ライフハッカーという人たちとか、そういうところにいる人たちとか)。
そして残念なことに、フローに最も近い人達は本なんて読まないし(今はなきシェーン・マッコンキーとか、アレックス・オノルドとか、そういうところにいる人たちとか)、
さらに、フローを最も必要としている人達は本なんて読んでる暇がない(オレとか、アナタとか、そういうところにいる人たちとか)。

過剰な肩入れのリスクはリターンでもって報われることもある

私は他人の作ったスタックに過剰に肩入れして、インターネットで我田引水の議論を繰り広げる人々があまり好きではなくて、それを専門性をはっきりさせないことや、仕事で好きな言語を使わないことの、言い訳にしていたきらいがある。「製品の成功こそが重要であって、言語は重要でない」と言ってみせるのはかっこいいし、我田引水をする必要はないけれど、過剰な肩入れのリスクはリターンでもって報われることもある、という認識が薄かった。

えらいもんだな。さすがに、鉈と鎗を使ってものを食う先生だけあって、

「えらいもんだな。さすがに、鉈(なた)と鎗(やす)を使ってものを食う先生だけあって、あのアイヌ語のうまいこと!ただ惜しいことには、北の方のアイヌ語でしゃべったので、何をいったんだかちっとも分らなかった」といったというのです。そのバチラー博士が、今度は北の方の部落に現われ、やはり滔々とアイヌ語で説教しますと、そこのアイヌも、びっくりして、――「えらいもんだな。さすがに、ものを食うにも鉈と槍を使って食う先生だけあって、あのアイヌ語の上手なこと!ただ惜しいことには、南の方のアイヌ語でしゃべったので、何をいったんだか、さっぱり分らなかった……」、といったということであります。

今週末の良かったこと

JAZZMAN の話。

そもそもなぜ JAZZMAN というレーベルにたどり着いたのか。

夏に Mr. Bongo というレーベルの Brazilian Beats というコンピレーションアルバムを聴いていてその流れでドン・サルヴァドールとかケリー・パターソンとかリカルド・マレーロとかにつながって最後 JAZZMAN にたどり着いた。それから少し、星野源や田我流や STUTS 、それから例年通り夏の終わりの TROJAN あたりに寄り道しつつ、JAZZMAN の "Spiritual Jazz" というベタなタイトルのコンピレーションアルバムを聴き始めた。

すごく濃いヤツが何本もぶら下がっていていろいろヤラれている。



Lloyd Miller はなんか不思議な楽器が鳴っている。
それから Ohio Penitentiary 511 Jazz Ensemble はなんと、オハイオ監獄511 のジャズアンサンブルだ。監獄ジャズ!!! Mantra Dance がたまらない。

音楽は広いな、と感じる。


MAF の話。

gyazo.com

夏の間、好き放題に山とか走っていたのと、少しスピードが出るようになったので、結構走れる気になっていて調子づいていたんだけど、なんかだか体調が崩れてきて、もしかしたら根本的になにか間違っているかもしれない、ということで またマフェトンの本を買った。

表紙がダサイ。どれもだいたい同じことの繰り返し。しかしファンクのアルバムでは、全く同じ条件を満たしたものがなかなかの傑作だったりするので、頑張って読む。


サッカーの話。



小瀬、日が暮れていく風景が好きだ。

甲府 vs 岡山、ホーム、2-0 勝利。

走って行かなかった。ママチャリで行った。久々にスタジアムに一体感があった。こればっかりは現地でないとわからない。小瀬劇場まであとちょっと。あとちょっとで小瀬劇場が開幕する。小瀬劇場が開幕すると奇跡だって起きるかもしれない。残りあと8節。

われ、いまだ禁コーヒーには至らず。

今週末の良かったこと

TROJAN あたりの話(音楽の話)。

好き勝手に聞いていると、なんとなく trojan あたりに戻ってきちゃう。だいたい一年くらいで

Mr. Bongo というレーベルの Brazilian Beats というコンピレーションアルバムの、ブラジルというかラテンというかジャズというかサンバというかそういう得体の知れない音楽から始まって、そこから JAZZMAN というレーベルにつながって、ジャズというかアフリカというかそういう得体の知れない音楽になって、で、たどっていくと、なぜか TROJAN に戻ってきてしまった、という話です。なんとなく戻ってきちゃう。だいたい一年くらいで。

たぶん、そういう引力がある。







Niney the Observer の one train load of dub がとてもイイ。
それから Leslie Butler の shaft もイイ。
shaft は、20th century steel band のヤツもイイ。


特筆すべきことはないという話。

秋はだいたいいつも体調を崩すわけです。涼しくなったからといってこっちの都合よく体調も良くなるわけじゃない。そんなに都合よく人間は出来ていない。ということで、特筆すべきことはありませんでした。サッカーについても、述べることがありません(だからといって途方に暮れているわけではありません。あしからず)。

今週末の良かったこと

450mの話。

450mからの眺望はちょっと凄くて、許された滞在時間のほぼ全部を使ってしまった。

  • 隅田川は思っていたより全然短い(実は荒川の支流だった)
  • 東京の街は海にとても近い(甲府盆地が山に近いのと同じくらい)
  • そして川が縦横に何本も流れている(自然の川ではなくて、もともとは運河だろうか)
  • そんなに広くない(それぞれの街はそんなに離れていない。浅草、上野、皇居、新宿、etc。甲府盆地と比べて)

いつも走っている山の標高が550m。上り口の標高が250mなので標高差は300m。第一展望台からはだいたい同じ感じだったけども、450mでしかもほぼ真下が見えるとなると全然違うスケール感になる。ほぼ口が開きっぱなしだった。



浅草寺、浅草神社、三社権現の話

浅草寺の境内になぜか神社がある。浅草神社。奉っているのが檜前浜成・武成兄弟と土師真中知ということで、なるほどもともとは寺も神社も一体だったのか。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/00/Toto_Kinryuzan_Senso-ji_zu_02.jpg/800px-Toto_Kinryuzan_Senso-ji_zu_02.jpg
via
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Toto_Kinryuzan_Senso-ji_zu_02.jpg


みつ豆、七味の話。

お土産は舟和のみつ豆とやげん堀の七味にした。舟とか堀とか、東京の由来が伺い知れる感じがするなあ、と思った。


ルヴァンカップの話。

ルヴァンカップ準々決勝。ホーム&アウェイ。水曜日の小瀬、17歳、中山陸の輝き。クリスの手痛い恩返し弾。

そして日曜日の日立台。素晴らしい展開からの小出のミドルシュート。そして、フェフージンのラッキー。そして再びセットプレーからクリス、そのこぼれ球を押し込まれての失点。そしてロスタイム、小塚のシビレるスルーパスからバホスの独走、シュート、そして無情にもポストを叩きこぼれるボール、タッチライン際をスライディングで拾うエデル・リマ。タイムアップ。

ラッキーはあった。そしてラッキーはなかった。うまくいかないリーグ戦に希望を灯し続けたルヴァンカップの冒険は終わった。2018年のルヴァンカップ、絶対忘れない。


裏山を走る話。

甲府駅北口方面から成田山不動へ。脱帽、一礼のあと境内を横切って愛宕山こどもの国への遊歩道入り口へ。アスレチック遊具を横目に坂道を上ってオリエンテーリングコースから大笠山山頂へ。

成田山不動堂の参道入口から大笠山の標高看板まで、過去最高記録を更新。21分49秒。

調子づいて二本目、最初から突っ込んで途中でオールアウト。そこから這うようにして山頂まで。山道でオッサンが一人、膝に手をやって息も絶え絶えしている図、滑稽だし愉快。こどもの国から先、今まで、人とすれ違ったりしたのは二回だけ。巷では山を走ることが流行っているらしいけど全然信じられない。山を走ることの良いところは他人の目を気にする必要が全然ないこと。ウェアは適当、シューズはカーゴに並んでいるセール品。

いまでは、大笠山山頂までは日常。そこから先は異界への入り口。

ズルをしない

第7級の話。

なぜラインホルト・メスナーの「第7級」にたどり着いたのかというと、"think fast" を読んで、古い、もう忘れられてしまったような本に、大事なことが隠されているのを感じたというのが一つ。「2017年を探す」の「ズルをしない」という姿勢が一番最初に現れたのが、アルピニズムだったらしいというのが一つ。そして「第7級」はメスナーがまだ何者でもなかった頃の話である、というのが一つ。

メスナー「第七級」で、「ズルをしない」という姿勢のことを「フェアプレイ」、「世界で最初」を競うことを「征服アルピニズム」、そしてそれに対峙する姿勢のことを「スポーツ登山」と読んでいる。

「スポーツ登山の目標は、技術のおかげで手に入れた優位を人間が自らの意志で断念しながら、より大きな困難な登攀を目指し努力することにあると思う」

「目的観念や目標設定というものは、結末がどうなるかはっきりしない領域で生まれる」

「もし、人間の技術的優位を自発的に放棄する気持が続く限り、そして、上に向って開かれた難易度がさらに一つ導入されるならば、」

「そうなれば、やがて、初めて永続的な進歩が、原則的には無限の進歩が約束されるのである」


シンプリシティの話。

10年前、 reblog を介してインターネットを再発見したときに思い浮かべたのは1990年代にサーフィンやスキー(スノーボード)の世界起きたパラダイムシフトのことだった。それは端的に言うと、テクノロジーが新しい価値観を生み出した瞬間だった。

その象徴の一つだったトゥーイン・サーフィンは、2010年代始めには時代遅れになっていた。

テクノロジー(動力、ジェットスキーやエンジン付きゴムボートとストラップ付きの特殊なシェイプのサーフボード)は、生身の人間(パドリングとドルフィンスルーで大波をくぐり抜けて、動力に頼らずに自力で波にテイクオフすること)に置き換えられていた。


イヴォン・シュイナードは、

それこそ私たちが向かうべき方向だ。テクノロジーにではなく

シンプリシティだ。

人生はつねに複雑な方向ではなく、よりシンプルな方向へと向かうべきだ

と言っていた。



無補給の話。

tjar 、400km以上を8日間以内で完走するというこのレースで、過去4連覇の望月サンは水以外の全てを担いで完全無補給に挑戦した。

コンペティションにはルールがある。競技者の目的は順位や時間であって、そのためにはルールは最大限に利用されるのが普通である。だがここで望月サンは、ルールでは認められている商店や山小屋での食料や食事の調達を行わない選択をした。

なぜこのような選択をしたのかは、まず tjar というレースが特別であること、

6.TJAR実行委員会
②役割
d.緊急時の一次対応(怪我・事故・遭難等が発生した場合、可能な範囲で一次的な応急処置は行うがそれ以降の対応は一切おこなわない。

◇選手の責任 ◆このレ-スは、参加者自らが自立した登山者として起こり得る全ての悪条件を理解し、レース中に怪我や事故および遭難等のアクシデントが発生しても自らで対処すること。

それから、望月サンがどのような人物であるのか、に関わるようだ。

「逆にレースのようにライバルや大会スタッフが近くいると、あまり余分なことを考えないですむからね。選択肢が限られていて、極端に言えば、「進む」か「止める」かだけ」


ズルをしない話。

ズルをしない、というのは、人間の本質に依る話なのではないか

これを一番最初に考えていたとき、「道徳感情論」を読んでいた。「中立な観察者」「共感」。

ズルをしない、という話はあらゆる場所に立ち上がっていて、

LDR がインターネットになにをもたらしたのかというと、Jaws のビッグウェーブを乗りこなすためにジェットスキーがあったように、莫大な量のフィードを読むための機動力をもたらした。LDR 以降、もっとその先へ、先鋭的な方向に進むかとおもった。つまりインターネットの普通の人たちがみな莫大な量のフィードを読んで、炎上とは程遠い、全てがフラットに見渡せる世界

実際には違った。だれもが twitter のタイムラインに流れる URL に依存するようになった

アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う。

「とにかくすべてを見なければならない」「見るからには取捨選択は許されない」ということ,

今週末の良かったこと

土曜日の話。

10時起床。もう少し早かったか。天気はイマイチ。調子もイマイチ。朝から頭が重かった。調子がイマイチでも、サッカーには走っていくと決めていると、走るしか無い。過去最高記録で現地へ。目的地があるということの強さ。

甲府 vs 町田 ホーム戦 小瀬。0対2 敗戦。

前半早々、得点機会阻止の判定で一発退場、PK、失点。そして納得のいかないファールからのフリーキック、不運なオウンゴール。戦う相手は町田であって、審判ではなかったはずだった。サッカーが観たかった。

走って行くことの良さは、とにかく走らないと帰って来られないところにある。落ち込んでいる暇がない。右足の次には左足を出さなければならない。走って帰って来ると、後片付けもしないとならないし、シャワーも浴びないといけない。だらだらインターネッツに接続して、見ないくてもよい言葉、つぶやかなくてもよい言葉を発する暇がないこと。


日曜日の話。

10時起床。もう少し遅かったか。ダラダラとしていて1時ころから走る。舞鶴城公園。休日はほとんど誰もいない。ほとんど誰もいないのでハアハア走ったところで全然見苦しくない。心置きなく走れる。3周くらいスピードを上げて走るつもりだったが、きっかけがなくそのままダラダラと走る。2時間くらい。

夜、外食。湯村のオギノは閉店していた。暗闇の中に真っ暗な塊が建っていた。

走ると読書が進まない。

読書、2つ追っかけていて、一つは山梨の歴史。古代から中世にかけて。そこを追いかけると山梨だけにとどまらなくて日本や東アジアくらいまで広がる。もう一つはコンペティションとかアルピニズムとかフェアプレイ(ズルをしない)とかそういったところ。なにを理解したいのか全然わかっていない。

今週末の良かったこと

「アースダイバー」の話(もしくは、愛宕山、夢見山、大笠山の話)。

いつも走っている愛宕山、夢見山、大笠山に連なる山塊の中腹に小さな円墳がある。二ツ塚古墳。5世紀頃、古墳時代中期のものらしい。

中沢新一は「アースダイバー」で、平地に突き出た丘陵地帯には寺社や神社や墓地がよく見られるが、それはそういう場所はもともと特別な場所で、あの世とこの世を結びつけるような意味があったと言っている。

愛宕山、夢見山、大笠山は秩父山塊の南の端から甲府盆地に突き出した半島のようになっている。その山裾にはいくつもの寺社や墓地が連なっている。


「甲斐の歴史をよみ直す」の話(もしくは積石塚の話)。

網野善彦は「甲斐の歴史をよみ直す」の最初の章で、八人山、大蔵経寺山にかけて存在する膨大な数の積石塚について触れている。

八人山、大蔵経寺山は愛宕山の東側にあたる。積石塚の由来には朝鮮半島、高麗とのつながりがあると考えられていて、相当数の高麗人の移住、永住があったとしている。彼らが大陸からもたらした最先端技術の一つが「馬」だった。

なぜ彼らがこんな辺境の地にやってきたのか。


時間軸を遡る話(もしくは、ネットワークの話)。

遡ること縄文時代、八ヶ岳南西麓は日本有数の集落群があったことで知られている。尖石遺跡は青森、北海道との交易があったことがわかっている。その交易のネットワークとなったのが河川だった。日本海から信濃川という経路と、太平洋から天竜川という経路があった。

網野善彦は朝鮮から北陸、日本海から信濃川を経由して高麗人が甲府盆地にやってきたと考えている。川や海は人々を分かつ障壁ではなくて、交流するためのネットワークだった、としている。

そして甲府盆地は、陸路は東山道と東海道の連結点になっていて、河川は太平洋から連なる富士川に流れ込むたくさんの川が連結して膨大なネットワークを構成していた。


スケールを拡大する話(もしくは、交流とフローの話)。

ここで少しスケールを大きくする。もともと日本列島は東アジアの北と南をつなげる陸橋だった。そこは北と南の文化が交流する場所だった。人々が出会う場所には交易が生まれる。交易がある場所には情報が集まる。情報が集まる場所には人が集まる。ここに正帰還ループが発生する。日本国という形が出来上がるずっと前からそういう場所だったわけだ。

ミハイ・チクセントミハイは「フロー体験入門」で、人は他者との交流でフローを体験すると言っていた。フローは「チャレンジ」と「スキル」のバランスの中で発現するからだ。未知の文化との交流はとてつもなく大きく刺激的なフローを生んだに違いない。


コンペティションの話(もしくは、「進む」か「止める」かだけの話)。

tjar の選考会に合格したが抽選で落選となった人が tjar から3日遅れのスタートから7日間19時間07分でゴールしたそうだ。興味深かったのはその方の目的の一つに「 tjar に参加した選手たちが「感動した」と発言し、大会に魅了されているが、自分は感動するのか、魅力を感じるのか?」というのがあって、そして「感動はなかった」と言っていたことだ。

ジョー・ヘンダーソンは "think fast" の初めの章の一つで、「友をつくる」といって、他者との関係について述べている。 "Competition" という語はラテン語に起源があって "com-" 共に、 "petere" 求める、追い求める、という意味がある。自分と他者との関係において初めてコンペティションは成立する。そしてコンペティションにおいては順位が1番になった人だけではなくて、全ての人が勝者となりうると。

望月将悟サンは田中陽希サンとの対談のなかで「「追われる」という感覚が強かったんですよ。でもだんだんそういう気持ちも弱くなってきて、一緒に戦う人がいるから自分も頑張れるし、抜かれないように一歩一歩前に進むんだと思えるようになってきた」、「逆にレースのようにライバルや大会スタッフが近くいると、あまり余分なことを考えないですむからね。選択肢が限られていて、極端に言えば、「進む」か「止める」かだけ」と言っている。


サッカーの話(もしくは、同じ方向を向いている話)。

甲府 vs 京都戦。アウェイ。1-1 ドロー。DAZN 観戦。

またしてもセットプレーからの痛恨の失点。そして後半ロスタイム、PK からの得点。そして命をつなげるドロー、勝ち点1。

京都には堀米が完全移籍で1年間お世話になっていた。そしてあの2005年、奇跡の J1 昇格、J2 最終戦の杉山新のシーン。2012年、ホーム戦での手痛い敗戦と最終戦での24戦無敗をかけた一戦。いろいろな因縁がある。

対戦相手、勝負は時の運で、戦うときは「ぶっ飛ばす」という気持ち満々だけども、だからといって憎むべき相手というわけではなくて、共に立つ、同じ方向を向いている、という感じがある。

コンペティションからは縁遠い場所にいるんだけども、コンペティションにあるものって、そういうものかな? と思ったりする。

GPSトラッキングと「おくのほそ道」について(そして、枯山水とロガーの血についての断片集)

GPS情報はたとえ断片的であっても「人の心を強く揺さぶる」ことができるし「それを辿って追体験できる」という意味で 能因や西行の辿った道を追体験した「おくのほそ道」とおなじ機能をもっている



日本海から太平洋まで日本アルプスを縦走するレースがあった。なんとはなしに GPS トラッキングをリロード、リロードして眺めていた。

Facebook に公式にアップされる切れぎれの写真と、 twitter を流れるノイズだらけのハッシュタグと、GPS トラッキングで地図の上を移動し続ける点々を、交互に眺めていただけなんだけど、8/19深夜の制限時間にはアクセスが溢れて GPS トラッキングはエラーを吐いて止まった。

人というのはたったこれだけの断片的な情報であっても、強く心が揺さぶられるんだなあ、と思った。

息を飲むような雄大な眺め、漆黒の闇に浮かぶ仲間の灯、 烈風に晒され追いつめられる自分、悲鳴をあげる身体、 絶望的な距離感、何度も折れそうになる自分の心、 目指すのはあの雲の彼方。 日本海/富山湾から太平洋/駿河湾までその距離およそ415Km。 北アルプスから中央アルプス、そして南アルプスを、 自身の足のみで8日間以内に踏破する Trans Japan Alps Race 日本の大きさを感じ、アルプスの高さを感じ、自分の可能性を感じよう。

先日発売された写真集『TJAR』の巻末に、トランスジャパンアルプスレース(TJAR)とはなんたるかという文章を書きました。 その最後のほうに、こんなことを書いています。

だれもがレースの主役であり、その証として、ゴールを果たしたときに、優勝者よりも周囲の感動を呼ぶ人も少なくない。

これだけ読むとなんだかきれいごとのようにも聞こえますが、ここを書いたときには、あるふたりの人物を頭に浮かべていました。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ca/Basho_by_Morikawa_Kyoriku_%281656-1715%29.jpg/359px-Basho_by_Morikawa_Kyoriku_%281656-1715%29.jpg
via https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89

角川文庫「新版 おくのほそ道 現代語訳/曾良随行日記付き」、ゴールデンウィーク(なんと、沖縄旅行!!!)に「本文」を読んで(実際には文庫本で50ページくらいしかない)、それから「本文評釈」「解説」「発句評釈」の順で読んだ。そしていま「曾良随行日記」を読んでいる。

「曾良随行日記」、味も素っ気もなくて、まるで自分が書いている三年日記を読んでいるみたい。何月何日、何時に出発した、何処から何里進んで、何処其処から何丁進んで、どこそこに寄って、とある家に宿をとった、みたいなことが書かれている。それと比べると「おくのほそ道」は本当に文学的。

毎日のことを真面目に日記に書こうとすると「曾良随行日記」みたいに、ただひたすら愚直に起きた事柄を並べ立てるしか出来ない。そうでなければ、ちょっとした小さな引っかかりを増幅して、さも大きなドラマとして書くかしかない。前者は全然面白くないし、後者は疲れるし、だいたいにおいて間違った認識だったりする。

ドナルド・キーンは「百代の過客」で、たいていの日記は退屈で全然面白くない、と言っていた。面白い日記はだいたい、後から書き直されている。脚色されている、と言っている。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e1/Back_View_of_Fuji_from_Dream_Mtn_in_Kai_Province_%28Hiroshige%2C_1852%29.jpg
via https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E5%B1%B1_(%E7%94%B2%E5%BA%9C%E5%B8%82)#%E6%AD%8C%E6%9E%95%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A4%A2%E5%B1%B1%E3%80%8D

「おくのほそ道」本文は実際にはそんなに長くない。ページ数でいうと文庫本で50ページくらい。じゃあ、スっと読めるか、というと残念ながらそんなことはなくて、

それは、芭蕉のこの旅の目的が「歌枕」の巡礼だったこと。まず歌枕というものを知らなかったから。それで古典の引用がとても多い。李白、杜甫、西行、和歌集とか、あと論語も。

もともと地名の歌枕は実際の風景をもとに親しまれてきたというよりは、その言葉の持つイメージが利用されて和歌に詠まれていた面がある。例えば上で触れた「あふさかやま」は古くより逢坂の関と呼ばれる関所でもあったが、この地名はたいていが男女が逢えぬ嘆きをあらわす恋の歌に詠まれた。「坂」・「山」・「関」は人を阻むものであり、思う相手に心のままに「あふ」ことができないものの象徴として、「あふさかやま」(あふさかのせき)が詠まれているのである。

地名の歌枕は歌や物語で場面として繰り返し登場する中で、実際の風景から離れたところでイメージが形成されてきたものともいえる。たとえば「桜」なら「吉野山」、「龍田川」なら「紅葉」と、その場所ならこの景物を詠むというように組み合わせがある程度決まっていた。

本歌取りが行われるようになると、そういった古歌にある組み合わせが受け継がれ、歌枕が持つイメージとして使われるようになった。

「夢山」は甲斐の歌枕として、古くから幾つかの和歌に詠まれた[3]。元禄5年(1692年)に有賀長伯が各地の歌枕を集めた『歌枕秋の寝覚』では、例歌として『夫木和歌抄』に収録されるよみ人しらずの歌「都人おほつかなしや夢山をみるかひありて行かへるらん」を挙げており、「かひ(甲斐)」を掛詞として用いていることから甲斐の歌枕と認識していたと考えられている

彼らは甲斐を訪れておらず実景を詠んではいないが、中院通躬(なかのいん みちみ)が「夢山春曙」として「きのふまでめなれし雪は夢の山ゆめとそ霞む春の曙」と詠んだ。



via https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%AE%89%E5%AF%BA

第七級の中で一番記憶に残っている部分はメスナーが竜安寺の石庭を見て「ガッシャーブルムI峰で感じた境地を感じた。」と言ってる部分。

幅 25 メートル、奥行 10 メートルほどの空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置する。これらの石は3種類に大別できる。各所にある比較的大きな4石はチャートと呼ばれる龍安寺裏山から西山一帯に多い山石の地石。塀ぎわの細長い石他2石は京都府丹波あたりの山石。その他の9石は三波川変成帯で見られる緑色片岩である。

この庭は石の配置から「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」の別称がある。

「虎の子渡し」とは、虎は、3匹の子供がいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る、という中国の説話(虎、彪を引いて水を渡る)に基づくものである。

例えば白砂や小石を敷いて水面に見立てることが多く、橋が架かっていればその下は水である。

様式の登場後は必ずしも水を使わなくとも造園が可能になった。



via http://web.archive.org/web/20100216210907/http://www.sony.co.jp/Products/SC-HP/cx_pal/vol70/pdf/angle70.pdf

ロガーの血

twitterは、自分にはロギングツールとして映りました。 世の中には、勝手にロガーと呼んでいる、とにかくなんでもかんでもログを残しておきたいひとがいます。

後で見返したりはしないけれど、記録が残っていれば後で見返すことができる、という安心感、"すべて"が記録されている、という満足感があります。 twitterがロガー向けツールかどうかは別として、ロガーが自分のログを手でとるのに便利なツールなので、非ロガーが使わなくなってもロガーはロギングツールとして使い続けるだろうと思います。ブックマークしたとか、ウェブ見てるとか、いまこれ聞いてるとか、いろいろツールができちゃったのでますますロギングツールとして優秀になっていっています。

そしてロガーはインテリでフェティッシュなひとたちよりかは数が多そうです。

逆に10年前のWebを振り返ると、数十万円のキカイを買って、高い電話代を払ってインターネットに繋いで見られるものは、テレビと比べると絶望的に汚い画像とテキストだけの音も出ない世界で、それこそインテリでフェティッシュな趣味のひとたちのおもちゃだったと思います。

時間は有限なのだ。

だからもうユーザには1分単位の時間ですら残っていない。 でも、必要な時間がゼロ、という世界には、文字通り無限の可能性が残されている。

今週末の良かったこと

お盆休みだった。一週間分飛ばしてしまった。特に予定もなく、読書するか、走るか、寝るか、食べるか、みたいな感じだった。

"Think Fast" の話

「ランナーのメンタルタフネス」というちょっと古い本を買った。邦題は全然イケてないが原題は "Think Fast" でちょっとそそる。原書が1991年、翻訳が1994年ということでちょっとオールドスクール。

まず最初の章で「ランナー」という人について定義する。ここで「ランナー」とは健康のためではなくてコンペティションのために走っている人を指す。

次の章では「勝つこと」が意味することを定義する。「ランニング革命」という言葉を使っていて、それはレースで1番になった人だけではなくて、全ての人が勝者となりうる、というパラダイムシフトがあったことを指している。

その次の章では「友をつくる」といって、他者との関係について述べている。ここでの他者とは仲間であったりコーチであったり同じレースの競争相手だったりする。"Competition" という語はラテン語に起源があって "com-" 共に、 "petere" 求める、追い求める、という意味。

TJAR ( trans japan alps race )の話

日本海から太平洋まで日本アルプスを縦走するレースがあった。なんとはなしに GPS トラッキングをリロード、リロードして眺めていた。

二年に一度、厳しい選考をくぐり抜けた30名が、400km以上の距離を、8日間という制限内で走破するというレースにおいて "Competition" というのはどういう意味があるのだろう、と思って眺めていた。

Facebook に公式にアップされる切れぎれの写真と、 twitter を流れるノイズだらけのハッシュタグと、GPS トラッキングで地図の上を移動し続ける点々を、交互に眺めていただけなんだけど、8/19深夜の制限時間にはアクセスが溢れて GPS トラッキングはエラーを吐いて止まった。自分も含めて、人というのはたったこれだけの断片的な情報であっても、強く心が揺さぶられるんだなあ、と思った。

"Finding Flow" の話

チクセントミハイの「フロー体験入門」読了した。

フローは「チャレンジ」と「スキル」のバランスの中で発現する。人は他者との交流でもフローを体験するそうだ。それはどこかのだれかと他愛もない挨拶や天気の話をする際にも、「チャレンジ」と「スキル」を必要とするから。

そうであるなら、 "Competition" にて他者との間で体験するフローは途方も無いものになるのかもしれない。ましてやそれが日本海から太平洋まで向かうというわけのわからないレースであるならば。

そして TJAR というわけのわからないレースを思うとき、RAC (reblog advent calend*e*r) というわけのわからないアドベントカレンダーのことを思っていた。

サッカーの話

アウェイ金沢戦で希望をつなげる勝ちを拾い、ホーム愛媛戦で手痛い敗戦を喫した。ホーム小瀬には走っていくのが定番になっている。それは願掛けのつもりで。だんだん速く、楽に到着するようになってきたけども、手痛い敗戦のあと暗い路地を走る気分は、どう表現していいいかわからない。

だがしかし、この程度の敗戦で絶望するほどヤワではないので。

今週末の良かったこと


via マーズ・パスファインダー - Wikipedia

オデッセイの話(もしくは、「火星の人」の話)。

読書、滞ってきたので気分転換に火星の人買って来て、明日からやっと始まる休みにでも読もうと思ってそれで寝る前にカバーを外したその勢いで読み始めてしまって気がついたら150ページ先にたどり着いていた深夜一時半。パスファインダーまであと少し

金曜の夜、テレビでオデッセイをやっていた。火星に置き去りにされた彼が地球との繋がりを取り戻すために、前世紀に火星に送り込まれた今は動かない探査機を見つけ出すのは大きな山場の一つ。

小説は読んでいたが映画は初めて観た。2016年のゴールデンウィークに読んでいた。キンドルだと思っていたら本だったらしく本棚やら積読やらを漁ったが見つけられなかった。残念。

小説の方は「ログエントリー: ソル97」というふうに火星での日付を記した日記になっている。映画ではちょっとドラマチックな感じになっていたけども、小説の方は主人公が置かれている環境、状況は非常に特殊なんだけども、そこで営まれている日常は至極、淡々と進んでいく。

ということで、今度のお盆休み、何を読もうか。

グルグル回っている話(もしくは、悪魔的スイングバイの話)。

オデッセイでは主人公を置き去りにした仲間は、主人公を迎えにいくためにせっかく戻った地球の周りを回って、ふたたび火星に向かう。

NASAのスイングバイ魔術ないしは悪魔的スイングバイ技術といわれた5回に及ぶ月スイングバイ

サブスクリプションは片っ端から終わったり始まったりしながらヴァイナルの周りを衛星みたいにぐるぐるしている

グルグル回っているというのはそこから全然動かないことになるんだけども、加速に備えておなじところをグルグル回ることはあるわけだ。遠心力。

流れを読む話(もしくは、お盆休みに備える話)。

自分のペースが保てないときには、流れに逆らうんじゃなくて、流れに上手いこと乗るようにするべき。

なぜか? それは自分がやりたいことがあったから。何かしたいことがあるという、ちょっとした気持ち、「我」が、それを邪魔した。「我」を出したり引いたり、自在に操れるようにならないとダメ。

したたかさとか邪気のなさとかそういう強さ。

悪いときは悪いなりに、良いときは良いなりに、そこになにかの流れを見出していくことが surfing の意味するところだと思う。みんな大好き dashboarding や tumblelogging にもそれと同じ意味が含まれている。

あれをしたい、これをしたいという「我」を張らないようにした。正月は神様のためのものなので。ここで簡単に「神様」と言っているけども、ようは「自分ではない何か」全般を指して「神様」と言っている。

出来ることなら年末年始という特別な時だけではなくて毎日をそういうふうに過ごしたい。

お盆休みが近いので、自戒の念を込めて引用しておく。お盆さんは自分のためのものではない。そういうもんだ。

違う空の下にいた話(もしくは、サッカーの話)。

違う空の下にいる

なかなかスタジアムにたどり着けない。念を送るのも忘れてしまった。チームの成績が振るわないことよりも、チームの勝ち負けに関与できていないことが心苦しい。もうちょっと待っとけ。じきに行くから。

サブスクリプションは片っ端から終わったり始まったりしながらヴァイナルの周りを衛星みたいにぐるぐるしている

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via https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%98%9F

音楽のサブスクリプションは片っ端から終わってしまうし、CD はプレーヤーが見当たらないし、いよいよ Vinyl にいくしかなくなった


ヴァイナルは、2017年に史上最高の売上を記録し、Loveless | My Bloody Valentineが発売された時代よりも存在感を強くしている。そのフォーマットは文化的な識別子になった。それは千年に1つの勲章であり、コレクターにとっては「だから言っただろう?」の瞬間であり、特定のリウマチ治療の星である。


apple musicでは聴けるし、多分その他のサブスクでも聴けるんだろうが、それは副次的・補助的要素であって、メイン媒体はレコードなんだろうなあ。cdの発売は今のところなさそう。音楽のパッケージはヴァイナルに集約されて、サブスクリプションは片っ端から終わったり始まったりしながらLPの周りを衛星みたいにぐるぐるしているような。

リンクを辿る旅 (歩くことについての断片集)

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via https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89

月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。

The months and days are the travellers of eternity.

歩くことは読むことであり、読むことは誰かの思考を辿ることです 歩くことで私たちは世界と出会うことができるのです

本を読むことは、自分が実際に過ごしている時間とは別の時間軸を持つことになる。そして、そのスピードを上げたり下げたり、ページを飛ばしたり戻ったりすることで、時間を伸ばしたり縮めたり早送りしたり巻き戻したり出来る。

時間を伸ばしたり縮めたりする例として「歩くこと」を上げている。

ここでいう、時間が伸びたり縮んだりすることの例は、楽しい時間はあっという間にに過ぎて、つらい時間はなかなか進まない、というようなもののことだ。なぜ時間が伸びたり縮んだりするように感じるのか、というのは、自分の意識の向き、方向と関係があるらしい。

なにが違うのか? 歩くとき、僕の意識のほとんどは外の世界に向かっている。でも走るときは、外の世界と同じくらい身体の内面の世界とも向き合うのだ。

ファンク探訪、年初にスティービー・ワンダーを聴いていたんだけども、気がついたらなぜか停滞した感じになっていた。なんというかもう掘り尽くした感じになっていた。でも実は、それは音楽の問題じゃなくて、オレの感受性の問題だったらしい。 そういうわけで、聴く音楽が一気に21世紀になったのと、音楽は綿々と繋がっているのだなあ、ということを実感している。

つい最近まで走るというのは「走る」ために走っている感じだったんだけど、スタジアムまで走って行くようになってから「移動する」ということを考えるようになった。地図の上のある地点からある地点まで移動するということ。その違いは、刹那に生きるのかそれともラインを長く長く繋ぐのか、という生き方にも繋がる(おおげさ)。

今も続いているこの読書の旅はリンクを辿る旅で、その始まりはこの "CODE" の序文から始まったのだった

芭蕉、「おくのほそ道」でリンクをたどるように旅をしている。 芭蕉の旅が古典(歌枕)のリンクをたどる旅だったように、インターネットでリンクをたどることは歩くことに似ていると思う。

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