外交や経済は基本的にはすべて交換の原理で動く。自分が持っているこれを、相手のところにあるそれと交換する交渉を重ねて成就させ、どちらも得をするという原理だ。戦後の日本の主題は経済だった。だから経済の領域での交換には、多少とも慣れているはずだ。ところが外交は存在しなかったのだから素人同然なのではないか。不慣れな人たちによって、あるときふと、とんでもない交換がなされる恐れ、という仮定法から目をそらしてはいけない。
国家は人々を守る。それが国家だ。守り守られる契約。日本人であることは、この契約の片方の当事者になることだ。その契約は税金を収める行為でまっとうされる。
税金を収める契約を人々はきわめて忠実に履行している。だから彼らは、国家から手厚く守られていい。と言うよりも、そのように守られるべきだ、守られなければそれはおかしい。税金を賢明に使って人々を守る側の人たちは、契約をきちんと履行しているだろうか。