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Non Places

空港、高速道路、ショッピングセンター・・・世界中どこに行っても同じような風景を形作るこれらの場所を、オジェは、「場所ではない場」という意味で「ノン・リュー」と呼んだ。

場所は、そこに住む人間との有機的な結びつきによって、その場所に特有の記憶が堆積する。記憶はその場所が置かれた環境、気候、そして歴史から影響を受けながら、ある時間的な連続性のなかで変化してゆく。

「ノン・リュー」にはそのような記憶が堆積しない。トランジットラウンジ、サービスエリア、ショッピングモール、チェーン・ホテル・・・画一化された空間は「通過するもの」として作られており、建築の内側と外側では、まったく異なる時間が流れている。

この断絶に気づいた人類学者は、そこに新しい「孤独」の誕生を見たのだった。


21世紀に入ると欧米のメディア研究者の注目を集めるようになった研究に、フランスの文化人類学者マルク・オジェ(Marc Augé)の『Non-Places』★1がある。この論文は、コミュニケーション技術、及び交通手段の飛躍的な発達の過程に現われたポストモダン社会のなかで、ある固有の領域とそこに根を張る民族、そして彼ら独自の文化に基礎を置く近代的な「場所」概念がどれほどの有効性を持ちうるのかという、文化人類学内部での方法論的な懐疑を契機としたものだった。

ここで、オジェは現代においては、「[非]-空間(non-space)」が増加していると指摘する。基本的にオジェの「[非]-空間」という用語は、文化人類学における近代的な「場所」の対概念として、いくつかの[非]-場所的な特性を引き受けていくのだが、その[非]-場所的な感覚は、私たちの生活空間における大小のスクリーンの偏在★2やその空間を繰り返し行き来する身体によって強められると述べている。

(たとえば、コンビニ、ショッピングモール、サービスステーション、大規模量販店などなど)。 こうした都市空間は、しばしば「非場所」とネガティブに形容されてきた。

つまり、非場所とは、コミュニティの集合的記憶が物質的に堆積された「場所」と対比されるものであり、「超近代」の社会関係を特徴づけるものであり、「まったく新たな孤独の経験と試練」(マルク・オジェ)を人びとにもたらすものである。非場所同士を区別するものは何もなく、人びとはすれ違いはするが出会うことはない。

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