via ファイル:Apollo 15 commander Dave Scott geology training.jpg - Wikipedia
これにより15号の訓練も、いくつかの点で変更が加えられることになった。その中の1つが地質学的探査の訓練であった。地質学の探査はそれ以前にも行われていたが、15号は初めてこの点に最も高い優先度を置く飛行となった。スコットとアーウィンは、カリフォルニア工科大学の地質学者で特に先カンブリア時代の専門家であるレオン・シルバー(Leon Silver)と共に訓練をすることになった。
当初シルバーは、本搭乗員と予備搭乗員たちをアリゾナやニューメキシコの様々な学問的研究用地に連れて行き、普通の地質学の授業のような訓練をするつもりだったが、発射が近づくにつれてその訓練はより現実に近いものになっていった。飛行士たちは船外活動で使用する生命維持装置の模型を背負い、テントにいるCAPCOM(宇宙船連絡員)たちとウォーキートーキーで会話した(CAPCOMは宇宙船との交信を担当する管制官で、同僚の宇宙飛行士が務める。また通常は、飛行士たちとの会話は彼らしかすることができない)。さらにCAPCOMには、飛行士たちの発言を地質学という彼らにとって不案内な分野での表現に翻訳するための補助として、地質学者のグループが伴っていた。
ハドリー山への着陸は1970年9月に決定した。着陸地点の選考委員会は、候補地をハドリー裂溝とマリウス(Marius)クレーターの2つに絞っていた。マリウスの近くには、おそらくは溶岩ドームと思われる低い小丘が数多くあった。スコット船長は最終的な決定権こそなかったものの、候補地の選定には大きな発言権を持っていた。彼にとってはハドリー山を選択した理由は明確で、「探検するには最高の場所」だったからであった。