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今週末の良かったこと

東北とブロンクスの話(もしくは、遠野物語とヒップホップの話)。

金曜日の深夜の再放送を観た。

東北(遠野物語)とブロンクス(ヒップホップ)

宇多丸サンが「無時間性」って言っててそれは、ヒップホップで過去の音楽が歴史の文脈から切り離されてブレイクビーツとしてイマに蘇ることであったり、遠野物語にみられるこの世とあの世、日常と異界が隣り合って存在することだったり

ポップミュージックが過去から直線的に進化?してきたことに対して、ヒップホップは過去の楽曲のビートを切り刻んで音そのものを楽曲から切り離すだけじゃなくて、その歴史での文脈も切り離して今に位置づけることだったり、今現在の音楽と過去の音楽が同列に並んで置かれていることだったり。そういう意味での「無時間性」。

遠野物語に見られるなんともいえない感じ、この世とあの世とか、現在と過去とか、現世と異界が、なんというか無秩序に螺旋状に繋がっている感じとかそういう直線的な流れではないこと(進歩とか進化とかそういう意味での直線)。

遠野物語のなんともいえないあの感触、違和感についてその感じを、現在、2011年から7年経った今、になぞらえて見せたこと

遠野物語にはなんともいえない腑に落ちないような不条理のような話というか断片がたくさんならんでいるんだけども、そういうのは人智の及ばないなにがしかの出来事(災害とか)にたいしてそれを受け入れていくためのやり方みたいなものが含まれているという話と、2011年のあのあとすぐに表現出来たことと2014年に表現出来たことは全然違ってて、さらには2018年であるとまた違った表現になるっていうことで、なにがしかの出来事が起きたときにそのことに対する姿勢みたいなものは時間の経過によって変わってくるという話(これについては無時間性についてと対の話になっている)。


アースダイバーの話(もしくは、場所の話)。

畑中サンが先の番組の中で、遠野のある集落について「あの山から向こうはあの世、ここは人里、反対のあの山は姥捨て山」と言っていた。風景の中にその社会の形とか歴史とかが刻まれているという話だった。積読の中からアースダイバーを取り出した。

英語、アメリカに渡ってイギリスで使われていた形から変化するんだけど、それはもともとそこにいたインディアンの言葉の影響を受けたという。

江戸はもともとは東北の入り口として存在していて東の文化を色濃く持っていて、その文化の上に江戸城が築かれた。明治維新以降は江戸城の上に皇居が移された。天皇制は中国を手本に形式的に整えられたものとして日本に持ち込まれ整えられたが京都から江戸に移ったことでもともと持っていた土着的な部分が、目に見える形として色濃く現れるようになった。

NHKで北海道と松浦武四郎の番組があった。北海道の地名にはアイヌ語がたくさん残されている。アイヌは文字を持たなかったので歴史や知恵がその風景や地形に名前として残された。

マクニールはその著作の中で、国というのはイデオロギーが変わっても政治が変わっても、その国の根本的な部分は変わらないと言っていて、ロシアはソビエトの時代も帝政ロシアの時代もなにも変わっていなくて、中国も孔子の時代からも全然変わっていないと言っていた。つまりそこに住んでいる人たちは変わらないということ。

大航海時代にも、電信が発展した時代(ビクトリア朝のインターネット)にも、航空機が発展した時代(ジェットセット)にも、そしてインターネットが発展した現代でも、世界共和国が夢見られたけども、そんなものは実現されなかった。人間というのはその在る場所(風景、地形)、在った場所(風景、地形)によって大きく規定されているらしい。

インターネットにも場所(風景、地形)というものがあるなら、自分はやっぱり tumblr, もしくは reblog に大きく規定されているに違いないと思う。


走って帰る話(もしくは、薄い月の話)。


薄い月が出てた。鳴り止まないチャントを背中越しに聴きながら

恒例になりつつあって、スタジアムには走って行った。甲府はこの夏最高の暑さを記録していた。走って行くということは走って帰ることを意味する。勝ち試合以外は、速攻でスタジアムを脱出する気軽なバックスタンド住人なんだけど、今回は重い足取りになった。サッカーについては省略したい。

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