copy and destroy

catch and eat

今週末の良かったこと

花粉の春到来


2019/2/23 土曜日、いよいよ、本格的に花粉が飛び始めた。花粉レーダーで見ると、スギは早起きらしく、午前中の方が多く飛んでいる。気休めに午後になってから走った。3時間くらい。ちょっと鼻がグズグズしてきたが大丈夫だった。

点鼻薬と目薬と


昨年は本当に花粉症がひどくて、にもかかわらず、耳鼻科にかからなかった。今年は、医学の進歩に手持ちのコインを全て掛ける。

  • 初期(予防時)から、鼻噴霧用ステロイド薬(点鼻薬)を使う
  • 症状によって、点眼用抗ヒスタミン薬(目薬)を使う
  • 症状が出たら、鼻噴霧用ステロイド薬とあわせて第2世代抗ヒスタミン薬を使う

サッカーの春到来


いよいよ始まった。今年は最後、カンピオーネを歌いたい。



ドナルド・キーン

2016

2017

2018

作者とは死を越えて対話することが出来るのだ。「おくのほそ道」対訳版、いつか読む。

今週末の良かったこと

メガネ、切りざんしょう、クラブサポーター会員証

視力が変わってきてて右眼の近視が進んでいる。思い切ってフレームも新しくした。実は、眼科で処方箋を出してもらったのが1ヶ月前で、期限が切れる寸前だった。たいていのことはみんな先送りだ。新しいメガネと2019年のクラブサポーター会員証と厄除地蔵尊の切りざんしょう。春の感じ。

楽譜、オープンソース

クラシカル・ミュージックは作者、指揮者、オーケストラ、録音という4層の階層が存在する(インターネット創世記の影響でちょっと OSI レイヤーモデルにかぶれている)。

この楽曲は、バッハのマタイ受難曲を、指揮者:エリオット・ガーディナー、オーケストラ:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、合唱:モンテヴェルディ合唱団が2016年に演奏したもの(1992年のものがまた別の音源になっている)という階層を成している。

こんなふうにクラシカル・ミュージックは作者と演奏者が分離していて、演奏者としては指揮者が代表される。オーケストラの場合個々のメンバーが注目されることはほとんどない。演奏している人たちは後ろ側で透明になる。ポップ・ミュージックでは演奏者が前面に立っていて楽曲と演奏者が一体になる。そしてその実体は録音、波形になる。つまりこれはバイナリだ。それに対してクラシカル・ミュージックの実体は楽譜に存在している。つまりこれはオープンソースなのだ(ちょっと強引に)。

という発見(妄想)があった。

この話の着地点は、いつか、 CD の盤面が融解して、レコードのビニールが風化して、ポップミュージックがこの世から消えてなくなってしまう、という話と、人類が滅亡したあと世界の果てで見つかったマタイ受難曲の楽譜の断片から AI が新たにクラシカル・ミュージックを創造する、という話になります。

「目をつぶって音楽を聴くほどバカげたことはない」


「目をつぶって音楽を聴くほどバカげたことはない」

ストラヴィンスキーの言葉だそうな。オーケストラを理解するには耳だけではなくて「目」が大事とのことで、楽譜が読めなくても、イヤ、読めないからこそ楽譜を見る意味があるのだ、とのこと。勢い余った。ついでにポケット音楽辞典とポケット楽典も買った。音楽之友社、クラシカル・ミュージックのオライリーみたいな存在(たぶん)。おそらく次はなんかの交響曲のオーケストラ・スコアを買うことになると思う。

拳で深めるコミュニケーション

gyazo.com














http://taizooo.tumblr.com/post/182755997130
taizooo.tumblr.com

b.hatena.ne.jp

今週末の良かったこと

リゲティ・ジェルジュ

いよいよ Google はクラシカル・ミュージックをおすすめするようになってきた。アレックス・ロスの「これを聴け」"Listen to This"、まだ、第二章「チャッコーナ、ラメント、ウォーキング・ブルース」にいる。その理由は文章に上がっている曲を片っ端から聴いているから。第二章の主役は、リゲティ・ジェルジュ。全部聞く。

Poème Symphonique for 100 metronomes

リゲティ・ジェルジュ、100台のメトロノームによる曲がある。

www.youtube.com

スコアでは、以下に述べる操作方法が指定されている。この作品には2人の「演奏者」が必要であるが、実際には聴衆の存在しない場での作業となる。100台のメトロノームの演奏台の上に設置した後、全てのメトロノームをバラバラの速度に設定し、可能な限り同時にメトロノームを最大振幅で開始させる。この時点で演奏者は演奏台から去る。代わりに聴衆は入場が認められ、全てのメトロノームがグシャグシャと鳴っている様相を聴取する。弱まったメトロノームが次々に停止を始めると、打音の周期性は次第に明確になり、それぞれメトロノームの音が認識可能になる。通常、最後に一つだけ残ったメトロノームが数回音を鳴らして停止し、演奏が終了する。

ハッキリ言って全然わからない。わからないけど、ふと朝、起きたときに部屋にある壁掛け時計と目覚まし時計の秒針の音が重なって、あ、と思った。

インターネット・ヒストリー

ニール・ランダールの「インターネット・ヒストリー」 "The Soul of the Internet | Neil Randall" 読んでいる。廃番。中古で入手。ARPA からの歴史が、それぞれキーになる人物のインタビューによって語られる。知りたかった歴史のほとんどが書かれている。まだ全部は進んでいない。登場人物が多すぎて全然頭に入ってこない。とても時間がかかる。で、気になったこと。

気をつけないと、読んで満足してしまうというのが一つ。読むことでわかったような気になってしまうこと。

もう一つは、1997年に書かれていて(日本版は1999年、オープンソース・ブーム真っ盛り)、その当時のことがまだハッキリと記憶(記録)されている段階に書かれているので起こった事象については実に正確である(と思われる)のだけれど、当たり前だけどそのあとのインターネットがどうなったのか、という視点がないので本当に重要なことが書かれているのか注意が必要、ということ。

インターネット創世記の話は続く。

腰痛からの帰還

先週末、土曜日に走った後、次の日にリバウンドが出た。 で、一日休んだ。というわけで一週間かけてちょっとずつ強度を上げてきた。ということでまた再び、今週末走った。土曜日走った後、リバウンド出なかった。日曜日、同じだけ走った。リバウンド出なかった。月曜日、さすがに脚は筋肉痛だけど腰は大丈夫だった。

足の裏はメンテナンスがちゃんと出来るようになって今年は状態がイイ。

周回遅れ(一週遅れ)

今周末の良かったこと、本当のことをいうとその週に始まったことは書いてない。初見については見解を保留する、という態度。本質的にはラガードなのだ。

今週末の良かったこと


積読の話(インターネット創世記の話はつづく)

カートに突っ込んだインターネット創世記についての本を、入れたり出したりして悩んでいる https://gyazo.com/02a5cb441d287b9d92925dfbbf6158f1 

最終的にこんな感じです。 https://gyazo.com/ac141ea1bac385c93c58e34b13edafc2 …

インターネット創世記のヤツ届いた。この序章が読みたくて買った。1983年

今周末、入手の三冊です

届いたのは石田晴久「UNIX」、ニール・ランダール「インターネット・ヒストリー」、スティーブン・レビー「ハッカーズ」の三冊。

まずは石田晴久「UNIX」から。とにかくこの「UNIX」の最初の文章が読みたかった(Unix の略歴とか自分自身が東京大学でどのように Unixを導入したのかが書かれている)。初版1983年、4.1BSDをベースに書かれていて、つまり TCP/IP 以前。だから書かれている内容もすごくシンプル。読んで驚いたのは、

  • ed や Emacs は Unix より前の環境(TTS: タイムシェアリングシステム)で作られた
  • 対話的インターフェースの方が特殊だった(バッチ処理だった)
  • 対話的インターフェースっていってもそれはラインプリンター(1行)だったり

石田さん、1976年にベル研究所から戻ってきて次の年の学会誌で Unix を紹介するんだけど、その半年後には「オモチャとしてのコンピュータ」という記事を同じ学会誌に載せていて、

本稿では、コンピュータの世界の奥の院で、まじめなコンピュータ応用の仕事ばかりしていて、しもじものコンピュータの世情にうとい人々を対象にオモチャ的に使われているコンピュータを紹介したい

と煽っている。この記事ではいわゆる「マイクロコンピュータの革命」について書いていて APPLE II も載っている。家庭に、個人にコンピュータが行き渡るとソフトウェアを大量に流通させる必要があると言う。そして最後にはこれらのマイクロコンピュータがネットワークで繋がる姿を予想している。1978年に、である。"Visionary"

ギックリした話

二週間ほど前、軽くギックリとなった。腰痛持ちなのでお約束な感じだったのだけれど軽かったので二日で痛みが取れて、三日目からそれまで同じように適当に身体動かしていた。そしたらその次の週末に再びギックリとなった。再発。

フィリップ・マフェトンは、「人というのは簡単にオーバーワークする生き物だ(だから管理しないとならない)。」と言っていた。ランニング、自分は全然競技志向がないので本当にファンランなんだけど結局、ギックリしてしまった。振り返ると完全にオーバーワークだった。稼働時間でいうとその直前の二週間が16時間/週、週末はどちらも合計6時間くらい走ってた。正真正銘のバカだった。一回目のギックリになった週末もその直前まで同じくらい走るつもりでいた。バカだ。

腰痛との付き合いは長くて、アンチパターンもパターンも両方知っているのに、それでもやってしまう。もともとは「ノーペイン・ノーゲイン」文化圏の人間なので気を抜くとオーバーワーク一直線。

ということで、トボトボとメンテナンスしている。

今週末の良かったこと


リングネームみたいなもの

先週はただひたすらキーワードがズラズラと横並びにならんでいただけだったけど、今週は少しだけそれぞれのキーワードがつながりを見せ始めた。それぞれのキーワードはただ文字の並びじゃなくてちゃんとした背景を帯びている。それがわかるようになってきた。でもその先では、わかることはわからないことを意味したりする。進んだり停滞したり。

ちょっとだけ姿を表した気がするけど、まだ文章にはならない。文章にはならないけどそれぞれの事象についてタイトルだけ考えた。ここでいうタイトルとはつまりリングネームみたいなもの。

創世記だからということで一番最初の Unix の話のタイトルは「はじめに Unix ありき」とした。

  • 「はじめに Unix ありき」
  • 「三身の綱打ち掛けて引き縫い付けたネットワークは、北は北海道、南は九州まで」
  • 「我々のネットワークを繋げよう。イーサネットが地を覆い尽くすほどの。あらゆる地に散って消え去ることのないように」
  • 「あなたはつえを上げ手を海の上にさし伸べてそれを分け、インターネットを海の中の深い底を行かせなさい」

それぞれは何かの古典の、いわゆるいつもの書き換えだ。

気を抜くとわかったような気になってこれで満足してしまう。満足してしまうと終わってしまう。気をつけたい。ちょっとずつ調べて、ちょっとずつ書く。

リチャード・ストールマン、ビル・ジョイ、そして、みんなの敵ビル・ゲイツとみんな大好きスティーブ・ジョブズ

今、一つの大きな塊だと思っているインターネットの文化はいくつかの文化が融合したものだとエリック・S・レイモンドが言っていた。

一つは ARPANET と LISP と TCP/IP の文化、もう一つは UNIX と C と NetNews(UUCP) の文化。さらにもう一つがマイクロコンピュータとパソコン通信の文化。それぞれのヒーローでいうと、リチャード・ストールマン、ビル・ジョイ、そして、皆の敵ビル・ゲイツと皆大好きスティーブ・ジョブズ。なるほどと思う。

Web で調べると、インターネットの歴史っていうと、すぐに ARPAnet ってことになるけど、そんなに単純じゃない。いろいろな偶然や稚拙さや怠慢や情熱や政治やいろいろが重なり合って現在になっている。

サッカーの話

2019年の体制発表があって、一次キャンプが始まった。西の J1 クラブからのオファーを断って残留した3年目の小出がキャプテンになった。われわれにとって特別の意味がある背番号7番は、昨シーズンのルヴァンカップで高校生ながら目が醒めるような活躍をした中山陸が背負う。時代は変わりつつある。ちょっとずつシーズンが近づきつつある。

今週末の良かったこと

TPC-3


日本とグアム,ハワイを結ぶ第3太平洋横断ケーブル(TPC-3)である。ケーブルの総長は約9,100kmで,ハワイからさらにHAW-4と称する光ケーブルでアメリカ本土まで延びている。

TPC-3は最新の光ファイバー技術を採用したデジタル方式で,従来の同軸ケーブルの数倍~10数倍の7560回線(64kbps電話換算)もの容量を持っている。

さらに幸運なことに,高額な日米専用線も米ハワイ大学が進めていたPACCOM(パッコム)プロジェクトとの共同研究予算で賄えることになった。こうして1989年9月,WIDEインターネットは日米間のIP接続を開始する。

日本のインターネット創世記の話

1989年、平成の始まりは日本のインターネット創世記と呼べる。ちょっと訳あって調べ始めた。

平成ネット史(仮)という NHK の番組に呼応して出来たと思われる Wiki がある。番組は見ていない。

その Wiki にかつて書いた tumblr 創世記の記事が引用されていて、

そんな感じだったので、ちょっとスクオッティング気味にインターネットの歴史を扱うときの問題点を書き始めた。

で、書きたかったのはインターネットの歴史を扱うときに「深さ」と「幅」について注意しないといけないということだった。で、「幅が変わると深さがこのように変わります」というのを示そうと、せっかくなら一番深いところを掘ってみようと思った。で、「日本のインターネットの始まり」を追記することにした。

そもそも平成ネット史なのに、その一番最初に書かれているのが World Wide Web の誕生だったのが気に入らなかった、というものある。日本じゃないじゃん。という。

「こんなの JUNET と WIDE でチャッチャッとお終い」

しかし、あっという間に泥沼にはまり込む。



自分自身で、インターネットの歴史を扱うときには注意が必要だ、と言っておきながら、自分自身で地雷を踏んだみたいになった。

「日本のインターネットの始まり」を考えるのにまずは JUNET 、 WIDE プロジェクト、そして 村井純 氏というのが定説だと思っていた。それはまあ間違いではないんだけど、それだけだとわからないことが多くて、その出来事に織り込まれている事柄があまりにも広大だった。

  • 海底ケーブル、光ケーブル
  • 通信自由化、電気通信事業法、NTT(日本電信電話公社)
  • VAX/PDP-11
  • UNIX Version 6 / BSD(Berkeley Software Distribution)
  • UUCP
  • ARPAnet / CSnet / NSFnet
  • USENET / NetNews
  • TCP/IP
  • JUNET / WIDE / TISN / JAIN
  • AT&T / カリフォルニア大学バークレー校 / サン・マイクロシステムズ
  • 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) / 東京大学 / 東京工業大学
  • 村井純 / 砂原秀樹 / 石田晴久 / 釜江常好
  • ケン・トンプソン / デニス・リッチー / ボブ・ファブリー / ビル・ジョイ / チャック・ヘイリー
  • etc…

1989年のインターネット


via https://tech.nikkeibp.co.jp/it/members/NNW/NETPOINT/20050608/162375/

遠回りする話

「本質に近づきつつある」なんて言ったけどそんなのウソで、完全に遠ざかってる。面白いけど。

今週末の良かったこと


チャッコーナ・シャコンヌ

「生身の人間でその音の魅力に抵抗できる者はいないので、これらが引き起こすどんな災いも、法は無視しなくてはならない」

アレックス・ロスの「これを聴け」( Listen to This ) の第二章が「チャッコーナ、ラメント、ウォーキング・ブルース」。

チャッコーナというのは17世紀初頭、スペインで流行した音楽とのこと。そのころのスペインは世界を席巻していたわけで、そんなスペインの植民地のどこかで生まれた音楽らしい。アレックス・ロスはこの音楽が姿、形を変えて現代にまで繋がっていることを超高速、超圧縮して書いている。

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 シャコンヌ BWV1004

というところまで、諳んじることが出来るようになりました

ジョルディ・サヴァールとエスペリオンXXI、端折って、バッハの無伴奏ヴァイオリンのパルティータとロ短調ミサ曲、ジェルジ・リゲティの「ハンガリアン・ロック」。この章に出てくる音楽を片っ端から聴いていくともう全然先に進まない。この先はデルタ・ブルース、ガーシュイン、フランク・シナトラ、ボブ・ディラン、ザ・ビートルズ、イーグルス、レッド・ツェッペリンへと繋がっている。

退屈の話と深く掘る話

ぼくは「退屈」が怖い。

この文章から「退屈」について考えていた。

scrapbox.io

日記とか書くようになって、自分は感情に大きく影響受けているなあ、と、思っていたけども、退屈というのが感情、情動によるものということになると、いよいよ人間というのはなんとも感情的な生き物であるなあと思う。

深掘りだ

たまたま今回は深く掘れたわけですが(今回は scrapbox のおかげ、というのも、たぶん、ある)。

自分は、結局のところ最後は暇な人が勝つと思っていて。ここでいう勝ちというのは誰かに勝つという意味じゃなくて、成果を手に入れるみたいな意味なんですけど。で、暇っていうのは本当に暇という意味ではなくて、先の「退屈」に繋がっていて、なんか面白いものが無いかと常に思っている状態のことを指します。

で、そうすると例えば、「退屈」について辞書を引いてみたり、Wikipedia の note ページを覗いてみたり、そんなふうに可能な限り遠回りしていこうとするわけです。結局それで真実にたどり着けるかというとそんな保証は全然ないんですけど、そんなことはどうでも良くて、とにかく暇なわけですから、とにかくなにか面白いものに出会う可能性が、とんでもない何かにつまづく可能性が増えるんじゃなかと。そういう感じです。

どんどんつまづいていこうと思う。

2019年の甲府

www.ventforet.jp

ルヴァンカップ準々決勝。ホーム&アウェイ。水曜日の小瀬、17歳、中山陸の輝き。

昨季は「39」で出場したが、同じ新加入の内田がつけると決まっていた。そこで「10番か14番がいいです」とリクエストしたという。10も14も埋まっており、クラブから提示されたのが「7」だった。

中山には、新しい7番の歴史を作ってもらいたい。いよいよ大嫌いなストーブリーグもお終い。早く、春来い。

クルマ、運転を覚えたのがキャブの1.0Lのミニでスピードメーターと水温計と燃料計しか付いてなかった。だいたいクルマからの情報はエンジン音かハンドルからの反力か視界からのスピード感でダッシュボードなんてろくに見やしなかった











今週末の良かったこと


三年日記

三年分が終わって、新しい三年日記になった。三日で終わる予想は大きく期待を裏切って三週間、三ヶ月、三年と大幅に記録を更新した。三年日記、まっさらなページに何かを書くことが出来るのは一年目だけなので、めくるページ、めくるページが真っ白で新鮮。

流れを読む話

今年も正月休みを生き延びた。そのための心構えについて貼っておく。何回でも貼る。自戒の念を込めて。

自分のペースが保てないときには、流れに逆らうんじゃなくて、流れに上手いこと乗るようにする

したたかさとか邪気のなさとかそういう強さ。

悪いときは悪いなりに、良いときは良いなりに、そこになにかの流れを見出していくこと

流れを読むというのは、なにも見えないところから何かを見出すことで、

あれをしたい、これをしたいという「我」を張らないようにした。正月は神様のためのものなので。ここで簡単に「神様」と言っているけども、ようは「自分ではない何か」全般を指して「神様」と言っている。

出来ることなら年末年始という特別な時だけではなくて毎日をそういうふうに過ごしたい。

床屋の話

髪ボサボサだけど、寒すぎて床屋には行きたくなかった。なにかと理由をつけて、いろいろなものを先送りしている。あるものは翌日へ、あるものは来週へ、そしてまたあるものは来月へ。

毎年、年末は忙しくて髪切りに行けない。もうホントに毎年毎年。で、今年は訳あって年明けてすぐに床屋へ行った。明けると床屋も空いている。年末のクソ忙しさをどうやって切り抜けたのかという、床屋のおかみさんの何割増しか盛っている話を、聞くとはなしに聞きながら髪を切ってもらった。ほとんど味のしないホットコーヒーをごちそうになって帰ってきた。

積読について

この積読の山の中にある大物は、アダム・スミス「国富論」とチャールズ・ダーウィン「人間の由来」。そろそろいきたいとは思っている(いくとは言っていない)。

ということで、

2019年はあっけなく始まったが、例年通り、新年の誓いとか抱負とか目的とか目標はない。週末まで生き延びて月曜日が来たら書くだけ。繰り返し、繰り返すこと。

今週末の良かったこと

BBC Radio 3

BBC Radio 3 は英国放送協会のラジオで、クラシカル・ミュージックやジャズのチャンネル。インターネットで聴ける。日本の片田舎で地球の反対側の音楽がリアルタイムで聴ける。未来。

Musical Phenomenon

Jacob Collier is a musical phenomenon.

The breadth of Jacob’s musical imagination leads him to some of the classical greats including Bach, Debussy and Schumann, as well as folk song from Bulgaria and jazz pianist Brad Mehldau’s take on a Lennon and McCartney classic.

Inside Music という番組でジェイコブ・コリアーが出てた。意外なことにクラシカル・ミュージックがベースにあるらしい。祖父がヴァイオリン奏者だったとのこと。

Jacob delves into the archives of the British Library to reveal his Must Listen piece performed by his grandfather, the violinist Derek Collier.

Peter Warlock


ジェイコブ・コリアーが選んだ中に Peter Warlock の Capriol Suite があった。 Capriol Suite イイ。

Big Bangs

ハワード・グッドール「音楽史を変えた五つの発明」( Big Bangs: The Story of Five Discoveries that Changed Musical History ) 読了した。五つの発明には、記譜法、オペラ、平均律、ピアノ、録音技術を上げている。

平均律とピアノの話は一体で、科学と工学の関係みたいになっている。平均律の理想を実現するためには旋盤の発明を待つ必要があった。宗教、政治、美術、科学、工学、経済は渾然一体となっていると思う。音楽を通して世界を知ろうとすることは、そんなに見当違いではないかもしれない。

Listen to This

音楽を聴くとき、脳みそを音楽で埋める前に、知識でいっぱいにしないように、注意が必要なんだけど、クラシカル・ミュージックという全く知らない大地に踏み出すためには、そのための地図が必要。勇気を持って奥深くに分け入るためには。怖いから。ビビるから。

ギャレス・マローン「クラシック音楽の力」( Music for the People: The Pleasures and Pitfalls of Classical Music )、ハワード・グッドール「音楽史を変えた五つの発明」と来て次は、アレックス・ロス「これを聴け」( Listen to this ) 行く。

アレックス・ロス、すごく良くて、書き出しの数行で持っていかれた。

私は「クラシック音楽」が嫌いだ。音楽のことではなくて、この名称が嫌いなのだ。

ジャズ愛好家のなかには、彼らの芸術を「アメリカのクラシック」と呼ぶ人もいる。取り引きしてもいい。彼らが「クラシック」と言うなら、私は「音楽」の方をとる、と。

運動日記



ということで、

ということで、実はもう2019年なんだけど、火曜日なんだけど、いつものスタイルで2018年最終週の「今週末の良かったこと」を post する。

今週末の良かったこと

呪いを解く話。

毎年12月は、習慣になっていることが止まる。止まる理由はいろいろあるんだけど、まあ、そのうちの一つにはアレとかが含まれる。

で、習慣になっていることが止まることが悪いことなのかというと、必ずしもそうとも言えなくて、これを自分は「呪いを解く」と呼んでいる。「呪い」はノロイと読んでもいいしマジナイと読んでもいい。

今年は読書が止まった。リブログも止まった。ランニングは止まらなかった。音楽も止まらなかった。

ここ数年は、ケ(気)の11ヶ月(1~11月)と、ケガレ(気枯れ)の1ヶ月(12月)みたいな感じになっている。12月まるまる一ヶ月で中身が空っぽになって、そしてハレの日(新しい年)を迎える。そんな感じ。


口寄せの話。

アレを行うようになってからこのかた毎年12月は、誰かの一年間をとおして自分の一年間を振り返るような感じになっている。なんとなく誰かの体験を自分の体験として写し取っている感じ。これについてはうまくいえないけど、莫大なエネルギーをかけていると思う。

インプットとアウトプットみたいなそんな軽々しい話ではなくて、こう、自分の中を何かが通り抜けていく感じ。通り抜けていくというよりは、無理やり、押し込んでいるというか。なにもかもがスーっと通り抜けていくわけじゃなくて、ものによっては、ガッタンゴットンいいながら、つっかえつっかえ、通り抜けていく。


フレッシュさの話。

ベスト・オブ・ザ・イヤーとか言って今年を振り返るみたいなことやって思うのは、これくらいのフレッシュさを右手に掲げて、毎月、毎週、毎日、立ち向かうべきなんだろうな、みたいなこと。

こういう、フレッシュさを意識するようになったのが、ここ数年の一番大きな変化だと思う。新年を迎えるフレッシュさを持って毎日と向かい合うということ。難しいけど

「平成最後の」という言葉が安っぽく垂れ流されているけど、自分に立ち返って、はたして、
新年を迎えるのと同じフレッシュさで、2018年の年末を迎えることが出来たか?

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