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『読んでいない本について堂々と語る方法』、再読(予定は未定)

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ということで、

さも、えらそうに『読んでいない本について堂々と語る方法』から引用したけど、読んだことなどすっかり忘れてしまっていて「読んでいない『読んでいない本について堂々と語る方法』について堂々と引用する人」になってしまった。カッコ悪い。

カッコ悪いので、ちょっと欠片を拾いに行ってくる。

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「選ぶ」ことは原始的な批評だ、という話

今週末のプレイリスト、1曲目を1年前のプレイリストから選ぶっていうルールで、

そして、プレイリストを作ったときはすごい気に入ってて、その週末、金曜日の夜から月曜日の通勤の行き帰りまでひたすら聴き続けるんだけど、

で、1年後、その1年前のプレイリストを聴き返したときに(朝の通勤からずっと聴くわけです)、はたしてどう感じるのかというと、まあまあイイけどちょっとなー、という感想だったりします。

reblog してる人はわかると思うけど、「選ぶ」というのは、すごく原始的な、シンプルな批評で、残酷な行為だったりします。だから一曲選ぶというのは1年前の自分自身に、非常に冷徹な目で対峙する、みたいなものがあります。

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それを体験したのは全地球でわずかに自分一人だけなのだ

読書についてなにか書くこと、その本を読んだときに(積んだときに)、自分の応援しているサッカーチームが勝ったとか(負けたとか)、なにを食べたとか、尾骨骨折したとか、 Covid-19 に感染したとかそんなふうに、その本と全然関係ないことであってもそれを体験したのは全地球でわずかに自分一人だけなのだ、だからそれを書き残すことには意味があるのだ、と言い聞かす感じがある。

本という「もの」、読書という「おこない」

最近は読書も全然なのでえらそうになにか言うことも出来ないけど、本という「もの」についてなにか書くということは、日々行われる読書という「おこない」についてなにか書くということでもあるので、それは広義における「日記」とも言える。言える?

そして読むという「おこない」の対象は、本という「もの」には限らないわけなので、ますますそれは日記で扱われる日々の「おこない」についてなので、

そういう意味では「読書についてなにか書く」ということはすでに日々、実践されているとも言えるんじゃないか? (拡大解釈)

読んだ先から、書いた先から、どんどん忘れていく

今週末の良かったこと - copy and destroy

ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」によると、「読んでいない本」には「読んだことはあるが忘れてしまった本」が含まれるそうだ。正直な話、たった今、読んでいる本であっても読んだ先からどんどん忘れていっているに違いない

https://taizooo.tumblr.com/post/168982204080

なにか書いて、気持ちとかそういうよくわからないものもそこに封じ込めて、そして忘れて、先に進む。 書くっていうのには、そういう効果があると思う。おそらく日記とかの役割もそういう部分の方が大きい。あとから見返すというよりも。

いつかは書いてみたいぜ、読んでいない本について堂々と語る読書ブログ

読書ブログ - んっき

それについて何か書きたいなという気持ちがありつつ、全く書ける気がしないでいる。自分が理解しきれていないからというのが大きな理由だと思うんだけど、本一冊の情報の中からどこを抜き出して何を書けばいいのかてんでわからないし、全章を通してまとめを書くなんてことは到底無理に思える。

File89.少しばかり規範から自由になりたいときに読む本|昨日、なに読んだ?|楊 駿驍|webちくま

ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』(ちくま学芸文庫、2016年)はそれを提供してくれる。

「本を読んでいる状態」と「本を読んでいない状態」の間に多くの中間状態がある。流し読む、ページを飛ばしながら読む、前書きと後書きだけを読む、中の一章だけを読む、ページを千切りとりながらその断片を組み合わせて読むなどとほとんど無限のグラデーションがある。

それでも私たちは本について語れるし、まともな意見を述べることができる。本を規定するのはその内容ではなく、それが身を置くコンテクストだからだ。

そもそも「本を読んでいる状態」とはどのような状態なのか。作者の意図、本の論述とコンテクストをあまねく理解している状態というのが一般的な理解だろう。でも、それはただの幻想だ。私たちは読んでいる最中でも 、片っ端から忘れていくし、読んでいる時に自分のフィルターをかけて内容を歪めながら「理解」していく。その意味で、本を読むことや本について語ることは対象への没入ではなく、常に自己に関わるある種の批評的な行為である。書物は私たちの自己の中で新たに生まれ直すといってもいい。

人間界の事象が人間の思考による想定を超え続けるという事態がエスカレートしている現実が意味することについて

wellwellwell.hatenablog.com

注目したいのは、スポーツの世界においても「現実がフィクションを凌駕するという現象が近年ますます顕著になって来ている」ということだ。

大谷翔平は野球漫画の主人公を超えるくらいの活躍を見せているし、将棋界でも藤井聡太というフィクションの世界でも無理がありそうな記録を更新し続ける棋士が出てきている。

この、人間界の事象が人間の思考による想定を超え続けるという事態がエスカレートしている現実が意味することについて、さまざまな側面から(半ば妄想めいた)考察を加えてみたいと思いながらひとまず今日の優勝の余韻に浸る。

copyanddestroy.hatenablog.com

テクノロジー(動力、ジェットスキーやエンジン付きゴムボートとストラップ付きの特殊なシェイプのサーフボード)は、生身の人間(パドリングとドルフィンスルーで大波をくぐり抜けて、動力に頼らずに自力で波にテイクオフすること)に置き換えられていた、

テクノロジーが人間の能力を置き換えてハイ、お終い、ではなく、テクノロジーが切り開いたスペースをそのあと、人間の能力が埋めていった、

これが進化の方向だ。

これらの話はつながっているかも、いないかも。テクノロジーやサイエンスと人間の関係。関係?

Wikipedia に寄付した話

20日でクレジットカードが締まって明細みたら予定より出費が多くて、アレ? と思ったけど思い出すと、日曜日の晩にちょっと酔ってて(ほとんど飲めないんだけど)なにかを検索した勢いで Wikipedia に寄付したんだった。甲府勝利バンザイ。

COOKUP A/B TEST

A/B TEST

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COOKUP | Sam Gendel

https://meditations.jp/products/sam-gendel-cookup-lp

1992年から2004年にかけてリリースされたR&Bとソウルのヒット曲の解釈からなるニューアルバム『COOKUP』が〈Nonesuch Records〉からリリース。2020年の〈Nonesuch〉デビュー作『Satin Doll』と同様、Gendelは友人でありコラボレーターでもあるGabe NoelとPhilippe Melansonと共に『COOKUP』を故郷カリフォルニアで録音。Ginuwine、112、Aaliyah、All-4-One、Soul 4 Real、Beyoncé、Joe、Erykah Badu、Mario、SWV、Boyz II Menの楽曲などのアルバム音源の同時同期による音の構成/解体のアプローチで挑んだ大変意欲的なアルバム!

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Hungarian folk tunes and their arrangements in works by Bartók & Kodály

バルトーク・ベーラとコダーイ・ゾルターンの二人が、自ら収集したハンガリーの民族音楽の音源(フィールドレコーディング!)と、それをアレンジして作曲した楽曲を順番に並べたアルバムがあって、それを真似した。これ。

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Item Details | Research Catalog | NYPL

  • Note
    • Field recordings of Hungarian folk songs interspersed with studio recordings of folk song arrangements by Bartók and Kodály for voice and piano, voice and orchestra, chorus and orchestra, chorus, unacc., violin and piano, violin duo, and piano solo.
    • バルトークとコダーイによる、声とピアノ、声とオーケストラ、合唱とオーケストラ、合唱、unacc.、ヴァイオリンとピアノ、ヴァイオリン デュオ、ピアノ ソロのための民謡編曲のスタジオ レコーディングが点在する、ハンガリー民謡のフィールド レコーディング。
  • Event (note)
    • Field recordings made 1906-1907, 1910, 1912, 1914, 1916, 1934, 1936-1937, and 1968-1969; studio recordings of folk song arrangements by Bartók and Kodály made May 14, 2002, Budapest Hungaroton Studio.
    • 1906年から1907年、1910年、1912年、1914年、1916年、1934年、1936年から1937年、1968年から1969年に行われたフィールドレコーディング。 2002 年 5 月 14 日、ブダペストのハンガロトン スタジオで行われた、バルトークとコダーイによる民謡編曲のスタジオ録音。
  • Performer
    • Field recordings made by Bartók and Kodály and performed by native singers; settings by Bartók and Kodály performed by various soloists and ensembles.
    • バルトークとコダーイによるフィールド・レコーディングとネイティブ・シンガーによる演奏。 様々なソリストやアンサンブルによって演奏されたバルトークとコダーイの設定。

( ChatGPT / GPT-4 で騒がしいインターネットの片隅で、過去の記事を切り貼りして、いまの気分を書き残しておくものである)

2007年が自分にとってのインターネットの始まりなんだけど、そのときに思ったモチーフがある。

https://taizooo.tumblr.com/post/11270200

ハワイのジョーズで世界一速いスーパービッグウェーブを乗りこなすために、ジェットスキーとストラップで足を固定するイカレたシェイプのサーフボードの組み合わせが発明されたのと、

Tumblrのすげぇークールなdashboardを乗りこなすために、FirefoxとAutoPagerizeとLDRiseとminibufferと未だ見ぬ何かの組み合わせが発明された話をいつか書く.

そのモチーフが、トゥーイン・サーフィンなんだけど。うんと端折ると、ハワイ・ジョーズに真冬に立つような、パドルアウトではテイクオフできない、ドデカくてバカっ速い波に乗るために、細くシェイプされた専用のサーフボードにストラップで足をくくりつけて、ジェットバイクやヘリ(!)に引っ張ってもらってテイクオフしてサーフィンする、っていうヤツ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Tow-in_surfing
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2007年当時の Firefox と AutoPagerize と LDRize と Minibuffer と ReblogCommand と tombloo といった七色に輝くツールで武装して Tumblr の Dashboard に潜る感じをそれになぞらえていた。新しいテクノロジーが新しい価値観を生み出した瞬間だった。それは世界が変わることも意味する。

https://taizooo.tumblr.com/post/31360675

ゴツイ4WDであるFirefoxにAutopagerizeやLDRizeやTomblooやらでビッグフットにして根こそぎWebを焼け野原にできるくらいに武装してあるのに、お出かけはいっつもソコの角のコンビニまで。 コンビニの名は"tumblr.“。24時間営業。どんな時間に寄ってもなんか変な人ばっかしたむろってる。

そんな夢のような生活もいつか終わる。いつでも穴だらけだったインターネットはちょっとずつ大人になって付け入る隙はだんだんと狭まっていく。いつか夢見た未来は、過去の物語になっていった。

2017年を探す - copy and destroy

とうとう tombfix は空から降ってこなくなった。

そして、トゥーイン・サーフィンも時代遅れになっていた。 こちらではテクノロジーが切り開いたスペースを、人間がさらに切り広げていた。

2017年を探す - copy and destroy

テクノロジー(動力、ジェットスキーやエンジン付きゴムボートとストラップ付きの特殊なシェイプのサーフボード)は、生身の人間(パドリングとドルフィンスルーで大波をくぐり抜けて、動力に頼らずに自力で波にテイクオフすること)に置き換えられていた、

テクノロジーが人間の能力を置き換えてハイ、お終い、ではなく、テクノロジーが切り開いたスペースをそのあと、人間の能力が埋めていった、

これが進化の方向だ。

トップガン(レイアード・ハミルトン)がジェットスキーに引っ張ってもらってジョーズの波に乗っていた様子
http://03633610.tumblr.com/post/35391679239/soulsurfer3-laird-hamilton-at-jaws
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鈴なりのサーファーがパドリングでテイクオフしてジョーズの波にのっている様子
https://www.redbull.com/nz-en/a-day-at-jaws-in-january
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このときに切り刻んで引用したイヴォン・シュイナードの言葉をまるまる貼っておく。

ダートバッグのドン:イヴォン・シュイナードのインタビュー - Patagonia Stories

私が真に信じていることのひとつはシンプリシティだ。人生はつねに複雑な方向ではなく、よりシンプルな方向へと向かうべきだということ。だから誰かがフィンのないサーフボードで99%のサーファーよりも上手に波に乗っているのを見たりすると、「素晴らしい。まさにこれだ」と思う。トウインサーフィンからはじまり、いまは同じ波へパドリングするようになった。それこそ私たちが向かうべき方向だ。テクノロジーにではなく。

エル・キャピタンとヨセミテでは6本くらいのルートをやったが、そのうちいくつかは10日もかけてやった。いまはジム・ショーツを履いた男がフリーソロで登り、昼飯前に下山したりする。最高に素晴らしいことだと思う。私の子供でなくてよかったけどね。それこそが私たちが向かうべき方向だ。

私たちは皆、ズルをしたい。クライミングでズルをする方法はたくさんある。50回も登られたルートをやるのだったら、チョークマークをたどり、手足をどこに置けばいいかが分かる。私はそんなルートは耐えられない。人に指図されるのが我慢できないから。自分で判断して行きたい。エベレストを登る人を見るとき、オーストラリアから毎日天気を報告して、ゴーかどうかを指図し、何百もの梯子と何千フィートもの固定ロープを使って、シェルパが前でロープを引き、背後ではもう1人のシェルパが押してくれる。

サーフィンではズルをする方法は少ない。トウインはそのひとつだが、いまは時代遅れになっている。だからそれは最も純粋なスポーツだと思う。サーフィンよりもむずかしいスポーツを私は知らない。

テクノロジーによって世界が変わる。それは有史以来、いやそれ以前から、人類が繰り返し経験してきたことでもある。最高到達点はそれによって引き上げられたりする。ある人は誰かを出し抜いて一番最初にその場所に国旗を立てようとするだろう。またある人は絶望してそんなことにはこれっぽっちも興味がないふりをするだろう。

だれもがトゥーインなしでジョーズの大波を乗りこなせるようになるわけじゃないけども、自分は、トゥーインなしでドデカくてバカっ速い波に挑んで撃沈するような人でいたい、と思っている。Web サーフィンじゃそう簡単には死なないしね。

( ChatGPT / GPT-4 で騒がしいインターネットの片隅で、過去の記事を切り貼りして、いまの気分を書き残しておくものである)


https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/01/23/223003

ChatGPT これがなんなのか全くわかってないけど、イメージしてるのはトゥーイン・サーフィンのジェットバイク。ヤツは間違った方向だろうとなんだろうととにかくオレを凄いスピードで引っ張るだけで、正しい方向にテイクオフ出来るかどうかは、ただたんにオレ自身の問題

2月の終わりから花粉症始まって、いつもよりだいぶ重くて、とにかく目がダメダメだったんだけど、今週末あたりから目の具合の悪さは治まってきた。朝、まぶたが張り付いていてバリバリッと目を開くような感じではなくなった。まだまだ、気は抜けないけど

今週末の良かったこと(雨、レインウェア購入、ハンズボトル二刀流、蛍光灯が切れた)

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/03/18/092703

雨が降るたびに「今度こそシェル(レインウェア、オールウェザー、もしくは雨合羽)を買うぞ」と心に誓うんだけど、晴れれば忘れて、そして今日、雨。

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土曜日、雨だった。ウェザーニューズの雨雲レーダーを何回もリロードして様子を探っていた。13時過ぎたら上がりそうな気配だったので急いで準備して走り始めた。川沿いのフラットを90分走って30分歩いて合計120分。結局ずっとパラパラと降り続いていた。びっしょりと濡れた。いつもはウォークブレイクで5分走ったら1分歩きっていうのをやっているんだけどあまりにも寒くてウォークブレイクなしにした。ずっと走り続ける方が流れがイイのを発見したけど、裏山に上がることを考えると、走ったり歩いたりをこまめに切り替えながらになるので、これをスムーズにこなすにはやっぱりウォークブレイクを使った方が良いような気がする。

びしょ濡れで戻ってきて、とうとうシェルを購入した。モンベルのエントリーグレードのをネットから。高い山に登るわけでもないのでゴアテックスでもないし、競技志向でもないので超軽量でもないし、ポケットは無いよりあった方が便利。これで雨の日も思う存分走れる、はず。家人に手間を掛けさせまいと「日曜祝日受取」にしたんだけど、明日が祝日なのを忘れてて作戦失敗した。ちなみに明日は通常出勤日だったりする。

裏山

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/03/13/183713

裏山に上がってみると、スタート地点と折り返し地点の水飲み場が閉鎖されていて、いきなりノックアウトを食らいそうになった。

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ということで、日曜日、今回はハンズボトル二刀流で裏山へ上がった。500ml が2本で1L。両手がふさがるとなにかと不便。結局、3時間30分走って、最後まで水はもった。

先週と同じコースに同じようにスローに入って、あわよくば3往復するぞ、みたいに臨んだんだけど2往復だった。雨上がりで濡れてて片斜面の下りで何回も滑って転んだ。足の着き方を間違えるとイチコロだった。ちょっとでも色をつけようと思って、最後にオマケで1本だけ大笠山の頂上まで上がって戻ってきた。だから2.25往復くらい。オマケの1本の下り、オリエンテーリングのコースで落ちている枝を避けて大きく踏み出した右足が滑って、ちょっと捻って転んだ。捻挫にはならなかった。尾骨も問題なし。ラッキーだったかもしれない。先週よりは身体が動くようになった。適応している。

それではここで、金手からのワイルドなぶどう園脇をご覧いただきます。尾根筋を直登する。

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今週末のプレイリストと Nikki Hub

1曲目は1年前のプレイリストからアン・アイザーマンズ「4台のディーゼル機関車とハープのための前奏曲」。今週末のプレイリストが生活をつなぎ止めている話をここに書いた。 これは Nikki Hub がバラバラになる寸前の自分自身をつなぎ止めてくれている話でもある。また改めて書く(予定は未定)。

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それから、

日曜日、夜、部屋の蛍光灯が切れた。

それから、それから、

甲府 vs 岡山 アウェイ 3対2 勝利。品田愛斗の2ゴール1アシスト、井上詩音の初ゴール(ナイスヒップ)。強敵、岡山にアウェイで、チームが形を整えつつあるこのタイミングで勝ったのは大きいと思う。この時期、順位は気にしなくてもイイけどやっぱり気分がイイ。

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雨が降るたびに「今度こそシェル(レインウェア、オールウェザー、もしくは雨合羽)を買うぞ」と心に誓うんだけど、晴れれば忘れて、そして今日、雨。

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