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その人と為りや、発憤して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ

葉公、孔子を子路に問う。子路、対えず。子曰く、女(汝)奚ぞ曰わざる、その人と為りや、発憤して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみと。(述而、一八)

この章の核心は子路が答えなかったという所にある。なぜ答えなかったか。率直で、一本気で、気の強い、そうしてきわめて良心的な子路は、相手をそらさずに婉曲に答えるなどということができなかったのである。ではなぜ婉曲に答える必要があったか。子路風に率直に答えたのでは葉公が孔子を理解し得ないということがあまりに明白だったからである。つまり葉公は賢者を尊敬することを知らない横柄な俗物であった。そこで孔子は、その事を聞いた時に、そういう人物に対する答え方を教えたのである。孔子が子路に物いう時には、半ばはなだめるような、半ばはからかうような態度を取るのであるが、この時の言葉にもその趣が感ぜられる。孔子が教えて言うには、お前はこう言えばよかった、あの人物は世の中のことで何か憤ることがあると食事さえ忘れてしまう。また愉快に感ずることがあるとケロリと憂いを忘れてしまう。そういう他愛のないことで年が寄るのさえも気づかないでいる。そういう人物に過ぎないのだ、と。これは道のために熱中する至純な心を裏から言ったものであるが、それによって横柄な俗物を高い所から見下したことにもなる。が同時に子路の率直で一本気な気質を、愛撫しつつからかっているのである。子路はもちろん孔子を心から尊敬しているから、孔子をこんなふうに言い貶すことには不服である。が、ちょうど自分の気質に当てつけたような言葉でこう言われると、笑って引っ込むほかはない。葉公に逢ったあとで「発憤して食を忘れ」るようになっていた子路は、ここで急に笑い出して「楽しみて以て憂いを忘れ」てしまう。まことに滋味津々たる師弟の描写である。が、それとともに葉公が描き貶されていることもまた著しい。

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