読書、「飯田蛇笏全句集」、読んでいる。
餠花や庵どつとゆる山颪
もちばなや/あん/どっと/ゆ(れ)る/やまあらし
餅花は繭玉とも呼ばれる。米の粉でつくった紅白の餅玉で枯れ枝に挿して飾り付ける。紅梅白梅を模している。
夜相撲や眼球とばして土埃り
よずもうや/めだま/とばして/つちぼこり
死骸や秋風かよふ鼻の穴
しかばねや/あきかぜ/かよう/はなのあな
水葬の夜を紫陽花は卓に満つ
すいそうの/よを/あじさいは/たくにみつ
埋葬としての水葬を指す。
帯の上の乳にこだはりて扇さす
おびのうえの/ちちにこだわりて/おおぎさす
俳句、もっと埃っぽい古ぼけた文学だと思っていた。山嵐や相撲の句の躍動感だったり、死骸や水葬といった死についての句なのにカラリとした感じだったり、扇の句のなんともいえない艶っぽさだったり、思っていたのとだいぶ違う感じ。「道徳感情論」はもう全然、塩漬けになっている。あと二章なのでなんとか読み切りたい。来週こそは。
音楽、餅花つながりで、くるりの「アンテナ」を聴いていた。よくわかんないけど、ジャケットの紅白は餅花を模したものだと思う。たぶんプラスチックだけど。
ECD の訃報が届いた。あと、マジアレさんの一周忌が過ぎていた。昨年 は、生死(人だけじゃなくて物や事の生き死に)について、真正面からじゃなくてちょっと誤魔化して斜め方向くらいの角度からなんとなく向き合う感じがあったのだけれど、そのきっかけになったのは昨年始めに読んだヴォネガットの「スローターハウス5」だった。その「スローターハウス5」の最後のセリフは「 プーティーウィッ?」で、その文字列はずーっと前から知っていたんだけども、それが何を意味しているのか全然知らなかった。残念ながらそれに気がついたときには、そのことを告げる相手はもうすでにインターネットの彼方で、だれにも話すことなく宙ぶらりんになった。そんなことを思い出させた。それでも、まあ、生きていくしかないのだ。
コーヒーは泥みたいなインスタントコーヒーだけだった。
洗濯物は畳んだ。あまりの寒さに、ベランダのカメの水槽(というかタライ)には 3cm ばかりの氷が張っていた。
サッカーはキャンプインしていて、山本英臣が10年目のキャプテンに選ばれたり、ジネイが合流していたり、トレーニングマッチの結果が聞こえてきたり、いよいよ始まるな、って感じになってきている。開幕が待ち遠しい。春って感じ。