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三年日記

三年日記、この12月でちょうど3年分になる。2016/01/01から2018/12/31まで。1ページに2日分が縦に3年分で横罫の日記を90度回して縦書きにして使っている。なぜ縦書きにしたのかというと、ちょうどその頃、 web の文章、例えば先見日記とかを bookmarklet で縦書きに変換して読むのが気に入っていたから。縦書きの横スクロールというのはこれはこれで素晴らしいインターフェイスだと思う。

最初のうちは箇条書きみたいな感じだったけど、しばらくすると散文になった。横書きだと箇条書き、自然な感じなんだけど縦書きだとしっくりこなかった。あと手書きだと文章を考えるスピードより文字を書くスピードの方が遅いせいなのか「てにをは」で言葉を繋いでいくほうが自然な感じになった。いまでは文章を書くというのは言葉と言葉を「てにをは」でリンクしていく作業なんだ理解するようになった。手書きで書くようになって新鮮だったのは文字の横棒が一本足りなかったり点が一つ少なかったり、一画二画足りなくても全然問題が無いということだった。

手書きで文字を書くようになって辞書を引くようになった。それでも画数の多い漢字はスピードが足りなくて、一画二画省略するのでは足りなく、カタカナを使うことが多くなった。明治の人たちが英語に漢字を当てたことと、万葉の女性たちがひらがなで日記を書いたこと。日記を書くというのは別に狂った女性たちだけの特権ではない。

三年日記、2016年、最初の一年は読み返さなかった。読み直すことは全然期待していなかった。どちらかというと書くことでその日のことを一旦お終いにしてすっかり忘れてしまう、ということの方が大事だった。三年日記が大きく意味を変え始めたのは二年目、2017年に入ってからだった。隣りに一年前の日記が残っている。一年というのは大したもんで大抵のことはすでに忘れている。どんなに楽しかったことやどんなに面倒くさかったことがあってもどれも大した意味がなかったように見える。さて2018年、今年、三年目に入るとまた違う景色が見えてくる。意外なことになぜか同じようなことを同じような時期に繰り返し行い、同じような時期に同じような感情を抱いたりしていることがわかる。人というのは季節、月日に大きく影響を受けていて感情というのはかなり固定的だ。

三年日記に書かれることは毎日毎日だいたい同じことだ。仕事をした。なにを食べた。腰が痛い。何をしたかが書かれる。何を思ったかが書かれることはほとんどない。ただ書かれている出来事の日々の並びからなんとなくその頃の記憶が思い出されて、その頃の感情が蘇ったりする。感情というか雰囲気。気分。

今年の夏、トランス・ジャパン・アルプス・レースが開催された。日本海から太平洋まで400km以上を8日間で縦断するというものだ。盆休みの最後、8日目、制限時間が迫る夜中、選手たちが南アルプスを下って太平洋を目指す姿を追った。スマートフォンの小さな画面の中を移動する小さな点々。twitter を流れるノイズだらけのハッシュタグと Facebook に投稿される断片的な写真と数十分おきに更新される GPS の軌跡。0時が迫る頃トラフィックはあふれ GPS のページは表示されなくなった。自分も含めて人というのはこれだけの限定的な情報でも感動したり共感したり出来るのだなと思った。GPS の点々と日記に繰り返し書かれる代わり映えしない言葉。

三年日記、木曜日には決まってかかれる言葉がある。「木曜日なので、夜、実家で食事」。三年間なので約150回の「木曜日なので」が並んでいる。10年ほど前、オヤジが亡くなってからのことだ。それからオフクロは一人で生活している。10年、500回の「木曜日なので」。木曜日の夜、会社帰りコンビニで食事を買い実家で食べ、別になにを話すわけでもなくテレビを見て、そして帰る。日記にはそれ以外のことは書かれなかった。何を食べたか、何を話したか、何のテレビを見たか、どんな表情だったか。全ては余白に隠れている。今年の11月の木曜日が最後の「木曜日なので」になった。なにも残らなかった。しかし確かにその時間はあった。それだけは確かだ。そういうものだ。

「今週末の良かったこと」

さて、わたしたちは残念ながら毎日の中でその日に起きた事柄や湧き上がった感情や考えたことのどれがその後重要な鍵になるか見極めることは不可能だ。例えるなら真冬から少しだけ春に近づいた日々に木々の色合いがわずかに変化する様子をその日一日だけで見極めることが出来ないということ。数ヶ月の後に見比べたなら明らかに季節の変化は木々の色を変えるけども毎日の中でそれを知るのは困難だ。小学生のころアサガオの絵日記の宿題があった。毎日その様子を絵に描くのだが、毎日にそんなに変化はない。子供心にもそれだと面白くないと思ったのか少しずつデフォルメして描いていた。気がついたときには実際のアサガオより絵日記のアサガオの方が大きく成長した。そういうものだ。

おくのほそ道、松尾芭蕉に同行した曽良の日記が残っている。曽良随行日記と呼ばれている。書かれているのはどこそこの誰々とあった、何を食べた、どこそこの角を曲がりどこそこから何里の進んだ、というものだ。そこにはなにも面白いことはない。普通に日記を書くということはそういうことになるのだろう。自分自身の三年日記を読んでいるように感じた。正岡子規の仰臥漫録や夏目漱石の修善寺日記などというのはごく普通のわれわれには書けない。百代の過客でキーンは大抵の日記は実に退屈で面白い日記はだいたいにおいて書き直されている。脚色されていると言っていた。

「今週末の良かったこと」、2015年6月から始まった。もともとは cut_c サンの「今日の良かったこと」「今日の悪かったこと」の真似だった。大抵のものはみんな誰かから盗んだものだ。毎日は無理だな、というのと、悪かったことは考えたくないな、という単純な理由だった。一番最初は twitter に書いていた。だから箇条書きな感じに三行くらいだった。コーヒーのフレーバーみたいに「甲府勝利」とか「さんぷくのつけそば」とか「寺崎コーヒー」とかただ単純になにかが並んでいた。2016年からは tumblr の text post になった。書かれている内容はそんなに変わらなかった。不思議なもんで書いているうちにただ単語の羅列だったものがだんだん文章になってくる。文章の長さは気まぐれに長くなったり縮んだりを繰り返しながら徐々に散文になっていった。

「今週末の良かったこと」、最初は本当にその週末の出来事、事柄、雰囲気を書いていたけど、だんだんその週のまとめを書くようになる。書かれるのは読書のこと、音楽のこと、サッカーのこと、コーヒーのこと。走ること。だいたいそんな感じ。なんでも書けるわけではない。所詮、文章などというものは文章として書けるようなものしか書かれない。書かれるものよりも書かれないものの方が遥かに多い。

「今週末の良かったこと」が散文形式になっていくところは、たぶん先見日記の影響を受けている。先見日記は世のひとかどと呼ばれるような人たちが2002年から2008年まで交代交代に毎週毎週書き続けたもの。自分が先見日記を発見するのは2015年1月のことで、発見したからには掘るんだろうな、という言葉を残した通り、それから1年と数ヶ月をかけて延々と読み続け延々とリブログし続けた。先見日記はブログ以前の出来事なのでその形、書かれている内容、雰囲気が新鮮だった。先見日記以降、いろいろな日記を読むようになった。

「ベスト・オブ・ザ・イヤー」

「今週末の良かったこと」、本当はポップ中毒者の手記になりたかったのだと思う。でも無理だった。ポップ中毒者の姿勢とかその行動はマジアレさんに教わったことでもあった。でも自分はポップ探求者ではなかった。ポップ中毒者が時代の先っぽで轟々と流れている時間に立ち向かって髪の毛をボッサボサにしながら真っ赤に染まった目をカッと見開いて仁王立ちにしている感じには憧れるけども、自分はどうかんがえても墓掘りであり時間の洞窟を地下深く潜っていく方の人間だった。そのことに気がつかされたのは 「ベスト・オブ・ザ・イヤー」アドベントカレンダーだった。

「ベスト・オブ・ザ・イヤー」、高らかに「今年こそはきっと私もカッコイイ幕引きが待っているに違いない。」と宣言したものの、実際のところカッコよさとは一年をどういう言葉で綴るのかではなく、一年をどういう姿勢で過ごすのか、という話だった。自分の持っている姿勢、フォルムはポップではなかったし、別にポップである必要なんて全然なかった。

「ベスト・オブ・ザ・イヤー」で自分が書いているものは2013年の「 tumblr 創世記」の形が元になっている。その初期衝動は2007年からずっとあった。インターネットを再発見したのが2007年の tumblr だった。そのとき感じたこの世界、インターネット、未来はすでに過去になってしまっている。わたしたちは未来を生きている。この10年はだれかが見たかった未来でもあり、だれかが知りたかった過去でもある。だれでもなくわたしたち一人ひとりが過去と未来をリンクするこの一点に立っている。その両方を繋ぐのは自分だけにしか出来ない。だれも書かないのであれば自分が書くしかない。だから2017年の「ベスト・オブ・ザ・イヤー」が全然2017年のベストについてではなくこの10年のインターネットのアイコンである tombloo について書かれたのは自分にとっては自然なことだった。

2018年、「今週末の良かったこと」をそれまでの tumblr からはてなブログに移した。「ベスト・オブ・ザ・イヤー」と同じ形で毎週毎週、書こうと思った。とにかく必ず月曜日に post すると決めた。書ける範囲で精一杯書く。書けないときはとにかく何かを貼る。とにかく続ける。そういうことを考えていた。結果何が起こったというと今回の「ベスト・オブ・ザ・イヤー」で書くことが無くなった。何回何回もこねくり回したが結局、一度書いたことがあることの再生産になってしまった。全然面白くなかった。一年の変化の中からは認知出来ないことを書こうと思った。

三年日記、「今週末の良かったこと」、「ベスト・オブ・ザ・イヤー」という3つの日記、記録からこぼれ落ちるものってなんだろうか、と考えていた。インターネットの10年間で理解したことの一つは AutoPagerize で、それは時間軸を移動すること。認知の範囲には限界の底( dsbd の底)があって、でも実際にはその底の向こう側にも世界が広がっていること。もう一つは Powers of Ten で空間のスケールを変化させること。いくつもの階層が折り畳まっていることと、その外側には別に龍は住んでいないこと恐れることはないこと。

2018年12月の時点で過去を振り返ったときにその方向から見たときには見えなくなることがある。今、結果的に残ったものしか見ることが出来ない。生き残った、三年日記、「今週末の良かったこと」、「ベスト・オブ・ザ・イヤー」以外のものは消え去っている。それは読書の記録だったり「管制塔ノート」だったり「能率手帳」だったり積読のままの本だったり wishlist に残ったままの CD だったり禁コーヒーの話だったり見に行けなかったサッカーの試合だったり。生物の進化において系統樹は生き残った種の枝しか描かれない。あったかもしれない現在や未来の枝は存在しない。それは余白になる。だから自分自身の視点を過去のある位置まで移動させてそこから未来の方を見ないとならない。あったかもしれない未来を知るにはそれしか方法がない。

自分自身のタイムラインを AutoPagerize することはあまり考えたことがなかった。実際にその過程で見たこと感じたことのうち文章に出来ることはほんのわずかでしかない。そして書かれなかったことはまたきっとあっという間に忘れてしまうだろう。それだけじゃなくて書かれたことも忘れ去られてしまう。書くことにはそういうところがある。書いて忘れる。忘れることで先に進む。わたしたちは毎晩毎晩ゆっくりと死んでいて、毎朝毎朝ゆっくりと生まれ直している。そういうものだ。さあ、そろそろ時間です。

では、ボタンを押して、ハイ、おしまい。


この post は 2018 Advent Calendar 2018 第1日目の記事として書かれました。
明日の第2日目は youkoseki サンです。お楽しみに。

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