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今週末の良かったこと

メガネ、切りざんしょう、クラブサポーター会員証

視力が変わってきてて右眼の近視が進んでいる。思い切ってフレームも新しくした。実は、眼科で処方箋を出してもらったのが1ヶ月前で、期限が切れる寸前だった。たいていのことはみんな先送りだ。新しいメガネと2019年のクラブサポーター会員証と厄除地蔵尊の切りざんしょう。春の感じ。

楽譜、オープンソース

クラシカル・ミュージックは作者、指揮者、オーケストラ、録音という4層の階層が存在する(インターネット創世記の影響でちょっと OSI レイヤーモデルにかぶれている)。

この楽曲は、バッハのマタイ受難曲を、指揮者:エリオット・ガーディナー、オーケストラ:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、合唱:モンテヴェルディ合唱団が2016年に演奏したもの(1992年のものがまた別の音源になっている)という階層を成している。

こんなふうにクラシカル・ミュージックは作者と演奏者が分離していて、演奏者としては指揮者が代表される。オーケストラの場合個々のメンバーが注目されることはほとんどない。演奏している人たちは後ろ側で透明になる。ポップ・ミュージックでは演奏者が前面に立っていて楽曲と演奏者が一体になる。そしてその実体は録音、波形になる。つまりこれはバイナリだ。それに対してクラシカル・ミュージックの実体は楽譜に存在している。つまりこれはオープンソースなのだ(ちょっと強引に)。

という発見(妄想)があった。

この話の着地点は、いつか、 CD の盤面が融解して、レコードのビニールが風化して、ポップミュージックがこの世から消えてなくなってしまう、という話と、人類が滅亡したあと世界の果てで見つかったマタイ受難曲の楽譜の断片から AI が新たにクラシカル・ミュージックを創造する、という話になります。

「目をつぶって音楽を聴くほどバカげたことはない」


「目をつぶって音楽を聴くほどバカげたことはない」

ストラヴィンスキーの言葉だそうな。オーケストラを理解するには耳だけではなくて「目」が大事とのことで、楽譜が読めなくても、イヤ、読めないからこそ楽譜を見る意味があるのだ、とのこと。勢い余った。ついでにポケット音楽辞典とポケット楽典も買った。音楽之友社、クラシカル・ミュージックのオライリーみたいな存在(たぶん)。おそらく次はなんかの交響曲のオーケストラ・スコアを買うことになると思う。

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