日記の練習です。
花粉症の話はさておき、
僕は文章を読むときに2つの異なるモードがあるみたいで、1つはパンチラインを探すという読み方、もう1つは理解しようとする読み方。
で、どちらが良いか悪いかはさておき、この2つはスピードが大きく異なってて、パンチラインを探す読み方は、メチャメチャ速い。ページの「地」の中から視界に引っかかる「なにか」を掬う(すくう)っていうのはすごく反射神経的。
理解しようとする読み方は、「地」に書かれている「なにか」を他のページに書かれていた「なにか」、過去に読んだ「なにか」、これまでに頭の中に築き上げた「なにか」と少しづつ繋ぎ合わせていくので、すっごく時間がかかる。
で、理想としてはカントの『道徳形而上学の基礎づけ』みたいな本も「パンチライン」を探すように読みたいんだけど、「本はこういうふうに読むものだ(つまり理解しようとして読むものだ)」っていう固定観念はあまりにも強よくて、なかなかうまくいかない。
という気付きを書いておく。たぶん suyhnc とかはそうやって読んでいるんだと思うんだ。勘だけど。たぶん。