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linklog 2025-04-04

直感的なインターフェース

https://scrapbox.io/glisp/直感的なインターフェース

直感的なインターフェース。そんなものないって先生(増井)が言ってた。“可逆的” かつ “連続的”な操作が重要。「操作ミス」が起こらなくなるので、学習効率が高い

「我々を遠く彼方へ運ぶ表現」

https://wirelesswire.jp/2025/04/88283/

メタファーはベクトルとして捉える必要がある。宮澤賢治の翻訳者でもあるユダヤ人作家ロジャー・パルバースは、かつて賢治の詩文の独自性は豊穣なメタファーにあると言い、メタファーとは「我々を遠く彼方へ運ぶ表現」とした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9

ロジャー・パルバース(Roger Pulvers、1944年 - )は、アメリカ合衆国出身のオーストラリアの作家、翻訳家、劇作家、演出家、映画監督。東京工業大学名誉教授。

1983年製作の映画『戦場のメリークリスマス』で大島渚の助監督を務めた後、再び来日し、演劇活動を行う。1991年京都府美山町へ移住[1]。1992年離日、オーストラリアへ戻る[1]

京都造形芸術大学教授となる[1]。のち東京工業大学外国語研究教育センター教授を経て2013年まで、東京工業大学教授、世界文明センター長。

宇宙技芸

https://scrapbox.io/hysysk/小林茂『テクノロジーの〈解釈学〉』#67104d428f1f5c0000a00d94

これはいまあるテクノロジーの概念 —— 特にハイデガーが設け、普及していったテクネーと近代テクノロジーの区別 —— をさらに広げようという試みである。私たちは、プロメテウスの神話にはじまり、現代のデジタルテクノロジーに帰結する単一のテクノロジーではなく、多様な宇宙技芸について考えるべきなのだ。もしテクノロジーの概念がこれほどにも偏狭なままであれば、そのありうる未来への想像力は非常に限られたものになってしまうだろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A6%E3%82%B9

プロメーテウス(古代ギリシア語: Προμηθεύς [pro.mɛː.tʰeú̯s]、古代ギリシア語ラテン翻字: Promētheús)は、ギリシア神話に登場する男神で、ティーターンの一柱である。イーアペトスの子で、アトラース、メノイティオス、エピメーテウスと兄弟[1][2]、デウカリオーンの父[3]。ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えた存在として知られる。また人間を創造したとも言われる[4]。

https://researchmap.jp/mayfair/published_works

『テクノロジーの〈解釈学〉』草稿第4版
Bergsonの生命論にして技術論を再起動しつつポスト現象学と基礎情報学を捉え返し、AIなど先端的で影響力の大きな現在のテクノロジーと対峙できる新しい技術論へと再編成しよう、という取り組みに関する試論の草稿です。

https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/download/417636/97e95d1cd83b6edf45e2dedc881422c4/37299?col_no=2&frame_id=886297

私がこの概念を宇宙技芸と呼んでいるのは、「宇宙」(コスモス)は宇宙空間(アウタースペース)ではなく地域性(ローカリティ)を示すと確信しているからだ。すべての文化はそれぞれの宇宙論をもっている。それは各地域の地理や人々の想像力の産物である。宇宙論は、天体物理学のような、宇宙空間に対する純粋に科学的な理論にとどまらない。むしろ日々の生活のなかに、つまり私たち自身がほかの人間や非人間、あるいは天然資源や環境全体と関係をもつ方法のなかに埋め込まれている。だが植民地化をつうじた天体物理学の普遍化が、地域に根ざした伝統的な宇宙論や、それらと結びついたすべての神話に急激な変化をもたらしたのだ。

「遺体の無目的な枚挙こそ、博物館の本質であろう」

東大総合研究博物館

https://lowreal.net/2025/03/29/2

とにかく標本が大量にある。実物の図鑑みたいな印象。細かい説明はない。とにかく物量が多い。

剥製がむきだしで置かれていたりして迫力がある。「遺体の無目的な枚挙こそ、博物館の本質であろう」この博物館のスタンスがハマっていた。

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そしてそこに理を与えるのは、 学者の好奇心である。

https://x.com/rhenin/status/292291286436818944

鉱物探しを趣味としている大学時代の友達になんでそんなものを趣味にするのか聞いたら、ここには何億年もの死が堆積しているからだと

縄文

國學院大學博物館

https://lowreal.net/2025/03/26/1

縄文土器の模様の標本が大量にある。これがすごすぎて笑ってしまった。引き出しに入ってる。編んだ縄・模様をつけた粘土・出土資料のセットがとにかくたくさんある。縄文にこんなに種類あったのか

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プリペアド

https://www.audio-technica.co.jp/always-listening/articles/azumi-yamano/

箏は曲ごとに「琴柱(ことじ)」と呼ばれる可動式の駒を移動させることで調弦を変えていく必要があります。コンサートで多くの曲を演奏する場合、都度調弦を変えるのは大変なこともありますが、調弦を変える自由があるのは箏ならではの面白さです。作曲家が調弦を考える場合もあれば、演奏者が自分で考える場合もあります。琴柱をどこに配置しても良いので、色々な音が鳴るのが面白いんです。ピアノの音の並びは世界中同じだけれど、箏は音の並びが変わることで、少し掻き鳴らすだけでまったく違う世界が生まれます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E

プリペアド・ピアノ または プリペアード・ピアノ(英: prepared piano、文字通りには「準備されたピアノ」の意)は、グランドピアノの弦に、ゴム、金属、木などを挟んだり乗せたりして(これを「プリペアする」「プリパレーションを施す」などという)音色を打楽器的な響きに変えたものをいう。こうすることで、ピアノ本来の音色が失われ、金属的な音や雑音の多い独特な音が得られるほか、多くはその音の高さも幾分不明瞭になったり、元の高さとは異なる音高となったりする。

ジョン・ケージが1940年に「発明」したものである。 舞踊家のSyvilla Fortにダンスの付随音楽を委嘱され初め打楽器アンサンブルの使用を考えたが、公演場所のスペース上の制約から打楽器を大量に使用することができなかったためピアノで代替せざるを得ず、その作曲を進める中でこの楽器を考案するに至った。この時の作品は「バッカスの祭」(bacchanale)である。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/12/01/000000#15

そのなかに、マイク・クーパーの "Bad Tempered Unprepared Guitar" という曲があった。

https://www.hmv.co.jp/artist_%E6%B2%A2%E4%BA%95%E4%B8%80%E6%81%B5_000000000060129/item_%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8-3%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9-%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%89%E7%AE%8F%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3_3760665

ピアノと同じやり方でプリピアドできる楽器は限られていると思うが、琴は数少ないそうした楽器。だからといってわざわざプリピアド琴などやらなくてもよさそうなものだが、それを言い出したらピアノだってざわざわプリピアドしなくていい筈。ケージが最初にプリピアド・ピアノをやった時の理不尽さが蘇ってくる

https://japo.murket.jp/item/36187

ジョン・ケージの『3つのダンス』(1945)は二台のプリペアド・ピアノのための作品で、初期のケージの傑作のひとつです。プリペアド・ピアノとは弦の間にボルトや木などさまざまな物体を挟んで、ピアノを打楽器のような音色に変えたものですが、沢井一恵は「ケージが豊かで美しいピアノという楽器の響きを否定して、その上でさらに別の豊饒な響きをつくり出したことに刺激を受けた」と語っています。ここでは、一台のピアノを、主に、右・左手のパートに分けて2面の十七絃にあて、音域をずらして設定し、4面の十七絃によるヴァージョンとしています。

etc

https://en.wikipedia.org/wiki/Yellow_Palace

黄宮(ᠰᠢᠷ᠎ᠠ ᠣᠷᠳᠣᠨ Shar ordon )は、モンゴルの統治者ボグド・ハーンの宮殿であった。現在のウランバートル市ウルガの中心部に位置していた。[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ]デチンガラフ寺院としても知られていた。この建造物は1739年に建設された。

金箔を施したマイダル寺院と、右側にあるアブタイ・ハーンゲル寺院の小さな屋根

https://sizu.me/xkxaxkx/posts/uvx5ss923co0

この試合、阪神の試合と二窓で見ていたんだけれど、阪神が同点に追いつかれた瞬間に神戸も同点に追いつかれた(VARでゴール取り消しだったけど)ので、文字通りの乾いた笑いが出てしまった。

https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000061567&page=ref_view

『翻訳図書目録 明治・大正・昭和戦前期Ⅰ』(日外アソシエーツ)から調べたところ、明治27年には『歴史研究法』(博文館)という題によるヘーゲルの著作があり、その序文において「『歴史哲学』又、『史学哲学講義』」を訳述したるもの」と説明が加えられている。

https://allreviews.jp/review/7303/

「すれ違う人には挨拶する」「ゴミが落ちていたら拾う」「リュックにはヘッドライトと行動食、エマージェンシーシートを必携」「一番ゆっくり走る仲間を先頭に行かせる」など、どれも山で楽しく安全に過ごすための彼らの知恵だったのでしょう。子どもたちが実体験をベースにして話し合い、文化を作っていく様子に感心しました。いかにも楽しそうに、かつ軽やかに走る姿には、憧れの気持ちさえ抱くようにもなりました。

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