日記の練習です。
〈略〉
というわけで、服部正明 上山春平『認識と超越〈唯識〉』(仏教の思想 4 )である。
文庫版 序 上山春平
九世紀に入ると、空海と最澄が登場して、はじめて日本仏教の個性を発揮しはじめるのだが、空海は顕教に対する密教、最澄は三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)に対する一乗(仏乗)という形で、自説の密教もしくは一乗思想が、顕教もしくは三乗思想としての「唯識」思想よりも優位に立つことを論証しようとした。
このようにして、インドでは、仏教思想の到達点としてあらわれた「唯識」思想が、日本では、きわめて大まかな省略画法を許していただけるならば、ほぼ出発点としてあらわれたと言うこともできるのではあるまいか。この出発点は、まず、密教色を共有する真言と天台によって乗りこえられ、真言と天台は浄土と禅によって乗りこえられる。
たしかに、日本仏教は浄土と禅に煮つまったかっこうになっているのだが、煮つまる過程で失われた豊かな可能性が、真言や天台、華厳や唯識などに見いだされるのではあるまいか。
