二十空ということも大般若経に説かれているのですが、この空ということほど難しいものはありません。
「現代語訳 大乗仏典1『般若経典』中村元 東京書籍」には「空」について次のように解説されています。
「ところで、この空は実践的にはどういう意味があるのでしょうか。あらゆるものに本体がない、実体がないというのでは、すべてを否定することになります。それは虚無論者(ニヒリスト)になるのではないでしょうか。こういう非難がすでに古代インドにもありました。空論者は虚無論者であると非難されたのです。
これにたいして、中観派の書は次のように答えています。あるいは、大乗仏教一般がいうことです。
「空の教義は虚無論を説くのではない。そうではなくて、空はあらゆるものを成立せしめる原理である。それは究極の境地であるとともに実践を基礎づけるものである。もろもろの倫理的価値を成立させる真の基底である」。
空のなかにはなにもありません。であるからこそ、あらゆるものがそのなかから現れてくるのです。たとえていうなら鏡のようなものです。鏡のなかにはなにものも存在しません。だからこそ、あらゆるものを映し出すことが可能なのです(そこで「大円鏡智」という表現が成立します)。
空は、すべてを包容します。それに対立するものがありません。空というものは、なにもないことであると同時に、存在の充実です。あらゆる現象を成立せしめる基底です。それは生きている空です。あらゆる形がそのなかから出てきます。そこで、空を体得した人は生命と力に満たされて、いっさいの生きとし生けるものにたいする慈悲をいだくことになります。」