copy and destroy

catch and eat

スカートの丈。ネクタイピン。紋付袴の柄。ちょっとした違いの中にこそ私の姿がある

これは日記の練習ではない。繰り返す、練習ではない。

From the Archives, 1983: Cliff Young "shuffles" from Sydney to Melbourne
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このまえ pbn100 のポッドキャスト*1で話していたクリフ・ヤング(シドニー・メルボルン・ウルトラマラソンと半袖長ズボンの話)から、オーストラリアの Sun Smart Program (国家的な紫外線対策の話)と1960年代の女性たちのボストン・マラソンへの挑戦に繋がった。


クリフ・ヤングが半袖長ズボンで走っていたのは、この1980年代、南半球でのオゾン層の破壊やオゾンホールの出現、オーストラリアでの皮膚ガンの増加の問題から『スリップ・スロップ・スラップ・ラップ』というスローガンで紫外線から身体を守るキャンペーンが行われていたのがその理由だったぽい

シドニー・メルボルン・ウルトラマラソン、インターネットで探すと、クリフ・ヤングが半袖長ズボンで走っている写真が見つかる。なぜシャツは半袖なのか。これは暑かったからかもしれないし、写真だとTシャツにシドニー・メルボルン・ウルトラマラソンのロゴが見えるので、大会主催者か新聞社がそういう格好をするように指示したのかもしれない。夜の写真とか見ると長袖シャツ?コート?のときもあるし、ウインドブレーカーと短パンで歩きながら食事をしているシーンもある。

pbn100 では、いまのランニング界隈でのトレンド(それを長袖短パンと呼んでいる)へのアンチテーゼとして、クリフ・ヤング(それを半袖長ズボンと呼んでいる)を取り上げていた。クリフ・ヤング本人はただたんに紫外線対策のために長ズボンで走っていただけかもしれないけど、いまの自分たちはそのスタイルを、現代のメインストリームへのカウンター、として捉えているというのを可笑しく感じた。


さて、クリフ・ヤングの普段着で走るスタイルですぐに思い浮かべたのは、1967年、キャサリン・スウィッツァーが性別をごまかして女性で初めてボストン・マラソンにエントリーしたときの写真だった。信じられないことに女性はマラソンにエントリーすることが出来なかった*2。このときに、彼女をガードしているランナーたちのスタイルを思い浮かべた。

ここでキャサリン・スウィッツァーはスウェットシャツとパンツにゼッケンを着けて、他の選手と見分けがつかなく走っているように見える。

Kathrine Switzer: First woman to officially run Boston Marathon on the iconic moment she was attacked by the race organiser | Athletics News | Sky Sports
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そんなふうにボストン・マラソンの歴史を追っていたらボビー・ギブを発見した。キャサリン・スウィッツァーがボストン・マラソンに(性別をごまかして)正式にエントリーした初めての女性なら、ボビー・ギブはエントリーしないで、つまりゼッケン番号なしでボストン・マラソンを走った最初の女性だった。彼女はレースが始まるまでスタート地点近くの茂みの中に隠れていた。

First Lady of Boston | Runner's World
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1966年のボビー・ギブはブラトップ(スイムウェア?)に短パン(チノーズをひざ丈でカットオフ?)というスタイルでゴールに向かっている。ボビー・ギブはキャサリン・スウィッツァーとは対照的に、女性であることを隠していないように見える。ゼッケンがないけど。

1967年のボビー・ギブは、ペイズリー柄のブラウス(長袖)にニットキャップ(ベレー帽?)とニット手袋とタイツというスタイルで走っている。エレガントといっても差し支えない。ボストン・マラソンは毎年4月の第3月曜日『愛国者の日』に開催される。川内優輝が優勝した2018年のレースを思い起こすと、ただたんに寒かったからかもしれない。

この当時は当たり前だけど、女性がマラソンを走るために着るウェアは存在しなかった。どこにも売っていなかった。使えるものは手当り次第に使おうとしただろう。その結果であるスタイルを、巡り巡った2023年の自分が見ると「凄く格好イイ!」と感じるのが面白いと思った。

文化的・地理的・経済的・時間的な制約によって生まれる解釈のずれ(それは時に「誤解」とも呼ばれる)がしばしば新しい創造の源となっていることも、文化研究者としては見逃せない点だ。

https://fashiontechnews.zozo.com/series/series_fashion_technology/ken_kato

紫外線対策の長ズボンにメインストリームへのカウンターを見出したり、存在しないから使えるものは手当り次第に使おうとしたスタイルが格好良く見えたり、という誤解や誤読が新しい何かを生み出すことがある、というのを目の当たりにした。


ここで興味は、半袖長ズボンから、リバイバル*3 *4、ファッション、「流行」という現象のこと、そして社会科学へと移っていく。

この記事の作者はポピュラー音楽の研究者だ。この記事では衣服の機能として宗教と衣服の関係を、そして音楽とファションの関係から社会と自分の関係(「私たちはどこのだれなのか?」)へと繋いでいく*5 *6

重要なことは、かつて社会学者ゲオルク・ジンメルが指摘した「同調化」と「差異化」という2つのベクトルが、いかなるスタイルの形成においても見られるということであろう

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特定の社会的集団の一員であろうとする同調化の欲求によって、私たちたちは自分がどこに属するのかを示そうとする。そして、その集団内において自分と他人を差異化することによって、私たちは自分がだれであるかを解き明かそうとする。なんでもいい。スカートの丈。ネクタイピン。紋付袴の柄。ちょっとした違いの中にこそ私の姿がある。

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半袖長ズボンがゲオルク・ジンメルに繋がった。

流行現象は一般に社会科学の分野においては,その特性から広義の集合行動の中に含まれる。緊急時や突発時のパニックや暴動,熱狂的ブームといった既成の社会制度の秩序や規範から逸脱した行動は,集合行動と呼ばれ,「制度的秩序の概念に容易にあてはまらない種々雑多な現象を入れる合切袋である」と定義される。集合行動の概念は1920 年代のシカゴ学派社会学により構築されたものであるが,これは群集行動,未組織の大衆運動,組織的な社会運動などをも包含する上位概念でもあり,何らかの形で社会変動志向的な要素をもつものとされる。そして共通な特性として持続期間の短い,制度化されていない集団行動であるとも言えよう。このような集合行動の枠組みの中で流行現象を捉える際の起点として,ターナーの集合行動の類型が有効な手がかりを与えてくれる。

ル・ボン,タルド,ジンメルにみる流行理論の系譜

*1:第44回 最も服装の悪いスポーツマン - peanut-butter-noodles https://scrapbox.io/peanut-butter-noodles/%E7%AC%AC44%E5%9B%9E%E3%80%80%E6%9C%80%E3%82%82%E6%9C%8D%E8%A3%85%E3%81%AE%E6%82%AA%E3%81%84%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%B3

*2:オリンピックで女性のマラソンが最初に行われたのだってもっと最近だ。1984年のロサンゼルス五輪

*3:「再び(re-)生き(vivo)返らせること」がこの単語のコアの語源 https://gogen-ejd.info/revive/

*4: "Revival" これも "Re-" の系譜

*5:【リレーコラム】私はだれとして踊るのか:ポピュラー音楽とファッションの (ごく)一側面について(加藤賢) | Fashion Tech News https://fashiontechnews.zozo.com/series/series_fashion_technology/ken_kato

*6:面白いから是非読んで!

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