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catch and eat

日記の本番 2024/03

Self-Confidence: An Interview with Jasmin Paris About Her 2024 Barkley Marathons Finish – iRunFargyazo.com

3月の終わり、世界最恐と呼ばれるバークレーマラソンが開催されていた。twitter で #BM100 という Tag をずっと追いかけていた。1986年から開催されているこのレース*1ではこれまで、たった15人しか完走したことがない。これはまさに失敗するためだけに開催されるレースだ。

1周32km、5周で160km、つまり100マイル、そして累積標高は20,000m? 30,000m? もうよくわからない*2。1周は12時間のタイムリミットがあって最後の制限時間は60時間*3。そんなバークレーマラソンの様子をずっとタイムラインで追っていた。

1周おきに人数が減っていき、最後の5ループまで残ったのは7名だった*4。これは過去最多だった。完走の期待が膨らむ。その中にジャスミン・パリスがいた。今回、唯一の女性だった。これまで女性の完走者は一人もいなかった。

このレースでは周回コースを時計回り、反時計回りと交互に繰り返していく。そして最後の5ループは、先にスタート地点に立ったランナーに、時計回りか反時計回りを選ぶ権利があって、それ以降のランナーはその反対回りを選ぶ。ジャスミン・パリスは6番目に4ループを終えていたが、どうしても時計回りを選びたくて、休憩もそこそこにスタート地点に立った*5。5番目に4ループを終えていたジャレド・キャンベルは完走に有利な時計回りをジャスミン・パリスに譲った。二人はレース中、パックを組んでいた。

このレースはたぶん競争ではない。そもそも競っていたら完走できないんだろう。だって生還する可能性は数パーセントしかないんだから。だれも完走出来ない事が約束されたレース。倒さなければならない敵は『誰か』ではなくてこの茨の道*6*7*8とそして自分自身。だからランナーはパックを形成してコースを踏破する。チャンスもピンチもリスクもお互いに共有する。そして最後の1ループはそれぞれが自分自身の力だけで生きて帰って来なければならない。

そして最後の5ループを5人のランナーが完走した*9

ジャスミン・パリスはその一番最後、制限時間まであと90秒というタイミングでゲートに戻って来た。まさに世紀の一瞬だった*10

ジャスミン・パリス、バークレーマラソンの挑戦は3回目だった。その最初から全く同じ一足のシューズを使っていた。シューズには何箇所も修繕した痕がある。

ジャスミン・パリスがスポンサードが切れていて、しかも穴の空いているこの inov-8 にパッチを当ててバークレーマラソンを走ったのは、こういう理由だった。

https://www.runnersworld.com/uk/news/a40744146/the-green-runners-paris/

ジャスミン パリス、ダミアン ホール、ダン ローソンを含む数人のウルトラランナーによって設立されたこの団体は、世界中のランナーに環境を助けるために個人的な変化を起こすよう促すことを目的としています。これらは、動き方、身支度、食事、声の出し方という 4 つの柱に基づいています。

もっと地元のレベルで言えば、公共交通機関を使ってレースに行くことはできますか?これを支援するために、グリーン ランナーズは、公共交通機関でアクセスしやすくするために、特定のレースの開始時刻を変更することを検討するようレース主催者に奨励したいと考えています

「ハードロック 100 には応募しませんでした。バークレーに旅行したことがあり、1 年に 2 回米国に飛ぶことが正当化できるとは思えなかったからです」

「私はあらゆる企業のアンバサダーから離れたので、今はグリーン・ランナーズに立候補しています」と、以前は Inov-8 のスポンサードを受けていたパリスは言う。 「8月末にグリーンランナーとしてUTMBに出場します。私にとって、それが独立性を維持する方法になります。スポンサー付きのアスリートとしてその真っ只中にいて、その誠実さを維持するのは難しいことです。したがって、私にとっては、そこから離れることが重要でした。」

*1:レースと呼ぶのも、大会と呼ぶのも、たぶん全然正しくない。その文化に近しい人達であればもう少し正確に言い表すことが出来るだろう

*2:実際にはコースがあるのかないのかよくわからないのでたぶんそれ以上なんだろう。 GPS の使用は許されずマップとコンパスだけが頼り。ランナーには主催者から適当に選ばれたリストウオッチが渡される。ちゃんと動くかどうかは運次第らしい。あるんだかないんだかわからないそのコースを踏破したことの証明は、中間点の『タワー(火の見やぐら)』通過と、ルートのあちこちに何冊か隠されたペーパーバックから自分のゼッケンナンバーと同じ番号のページを破いてくるというルール

*3:過去、ほんの数秒を残して完走を逃したランナーがいた。ジョン・ケリーが初完走した年だから2017年だったか

*4:井原サンは3ループをビックリするくらいのタイムで帰ってきてファンランを達成していよいよ4ループに突入したけども、残念ながらこのループでドロップアウトした。早朝のことだった

*5:ライスプディングが喉を通らず吐きながら次のループの準備をしていた

*6:これは例えでもあり、事実でもある。レッドブルのサイトにあるバークレーマラソンについての記事のヘッダー画像を参照

*7:完走者ほぼゼロ… 悪魔のウルトラトレイルラン “バークレイ・マラソン” | 耐久レース | レッドブル https://www.redbull.com/jp-ja/the-barkley-marathon-guide-nicky-spinks

*8:https://gyazo.com/ad5c634ba63d39285b95f2c1bd2017e9

*9:2024 バークレーマラソン ラップタイム https://docs.google.com/spreadsheets/d/1PuBNALExIHWnjDkbur0qVWG5Mldoj6umQRXiFTaZaao/edit?usp=sharing

*10:ゲート横で声援を送っているのが先にゴールした彼らだ

日記の本番 2024/02

これは2024年2月の日記の本番です。

2月、いつも通りのタイミングで花粉症が始まった。

2月、デカいバックパックを使うようになった。たくさんの本を持ち歩くようになった。積読山脈は移動するようになった。

2月、アクティビティ・トラッカーを Amazon のカートに入れたり出したりしていたが、ハッと我に返って返す刀で大量の本を積読山脈を積み増した*1

2月、月への着陸に成功した小さな探査機*2は、過酷な月の夜を乗り越えて再起動に成功した。月の一日は地球の4週間だった。


2月、僕らの ACL 冒険の旅が終わった*3。喪失感はあった。そして昨年末に書いた文章(心の中では「エッセルスーパーカップの話」と呼んでいる*4 )を読み返してみたりなんかした。センチメンタルというかなんというか、この気持ちをなんと呼べばいいのだろう。

この旅について今、決定的ななにかを書くことも出来るだろうし、いま書かないと忘れてしまうこともあるだろう、とは思うけど、それがこのタイミングだとは思えない。いまは終わったことを思うよりこれから始まることを考えたい。そんな気分。

勝っても負けても引き分けても、いつだって次の試合が一番大事。ということで2024年のシーズンが始まった。J2 開幕。予感がする。今度の旅もきっとすごいよ。

この強度、この記憶、この感情、全部このまま持っていくぞ*5


そんなわけで、いつもより全然早く、昨年12月に書いた文章を読み返したりなんかしたんだけど、思ったわけです。「こんな文章もう書けない」。たった3ヶ月しか経っていないのに。そう思う理由はいろいろあるけれど、決定的な感想は「この文章はウィトゲンシュタイン以前の文章だ」。

ウィトゲンシュタインを原点にとると世界の見方は、ウィトゲンシュタイン以前、ウィトゲンシュタイン自身、ウィトゲンシュタイン以降の三つに区分される。


2月、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を発見してからこっち、もう世界は全然違う形になっている*6

クラシカル・ミュージックを掘るようになったときにも世界が開けるような経験をしていて、まず最初がグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲、その次が Mode Records のジョン・ケージを全部聴く、っていうのをやったとき。

ジョン・ケージを原点にとると世界の音楽は、ジョン・ケージ以前、ジョン・ケージ自身、ジョン・ケージ以降の三つに区分される*7


この旅は、読書を取り戻すために右往左往していた2023年から始まっていて、まず最初がアルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』*8。その次が、全然違う用事で東京に出かけたのになぜか握りしめて帰ってきた、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』*9

ここには、これまで自分がこだわってきた「もの」*10に関わる「ぶっとい何か」*11が埋まっているような気がする、という感覚と、

まだ全然理解が追いついていないんだけど、これまで自分が追ってきた歴史の流れがなぜかこの辺りに流れ込んでいることだったり*12、ここからの連なりが数学や統計や文学や言葉やそれどころか果てはコンピュータやインターネットや AI にまで流れ込んでいることだったりする*13


ここまで書いてみて「これは絶対に誤解を招く書き方だな」と思うんだけどここで言いたいのは、「ウィトゲンシュタインを崇め奉っている」というよりも「これはいかようにでも切り刻んで好きに遊べる楽しい何かだ」という感覚に近い。そういう感じ。そう思わされたのは実は『論理哲学論考』のその文章のスタイルだったりする。短い文章を畳み掛けるように積み重ねていくそのやり方。

1 世界は成立していることがらの総体である。
1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。

1 Die Welt ist alles, was der Fall ist.
1.1 Die Welt ist die Gesamtheit der Tatsachen, nicht der Dinge.

https://people.umass.edu/klement/tlp/tlp-hyperlinked.html#p1GER

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Dive Into Philosophy*14

見つけたからには掘るんだろうな。私からは以上です。

*1:Wishlist じゃなくて物理的な積読山脈

*2:SLIM

*3:これは終わりの話でもあり、そしてまた始まりの話でもある - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/02/22/092245

*4:FUJIFILM SUPER CUP とエッセル スーパーカップ https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/12/01/000000#FUJIFILM-SUPER-CUP-%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB-%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97

*5:https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/02/29/094914

*6:少し、いやかなり誇張しています

*7:https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/12/01/000000#14

*8:アリストテレス, 生物学の創造 の検索結果 - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/search?q=%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9+%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%89%B5%E9%80%A0

*9:今週末の良かったこと(ヘトヘトからの東京観光、雨を避けて走る) - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/02/05/131811

*10:哲学的には事物とか実体とか事実とかいいたくなる

*11:音楽的にはドープとかファットとかシットとかいいたくなる

*12:それは20世紀初頭、二つの大戦の狭間というのはそういう時代だったのだ、ということと、ウィトゲンシュタイン自身もそういう流れを乗りこなしていたビッグウェーバーの一人だったのだ、ということなんだと思う

*13:それはプラトン、アリストテレスから連なっていて、アクィナス、ちょっと端折って、フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、そして現在へと、分析哲学、言語哲学、科学、論理学、数学と姿を変えて、巨大な濁流となって僕らを轟轟と絡め取っていく

*14:Dive Into Greasemonkey

日記の本番 2024/01

これは2024年1月の日記の本番です。1月なので、話は元旦から始めます。

元旦、地元の J2 クラブの大卒1年目の選手が日本代表選出された*1。その日本代表とタイの親善試合の中継が終わってすぐに緊急地震速報が立て続けに鳴った。能登半島で大きな地震が起きた。海岸線が何メートルも隆起するほどの地震だった。翌日、羽田空港で航空機同士の大きな事故が起きた。

正月明けて最初の週末、インフルエンザに罹った。熱が下がらず一週間休んだ*2。その後、Jリーグ開幕前のキャンプか?ってくらいの勢いで身体を作ってランニングを復活させた。そして入った最初の裏山、最後の最後に右足首を捻った*3。ちょうどその日は確定申告の医療費控除を集計していた。一年前の尾骨骨折*4の診察を記入していた。右足首は大事には至らなかった。ラッキーだった。

1月の終わり、日本の小さな探査機*5が月面へのピンポイント着陸に成功した。2本あるメインジェットのうちの1本が消失して*6逆さまに着地した。太陽光パネルに光が当たらなかった。数日後、月面の夕日が太陽光パネルを照らして探査機は再起動した。タカラトミーが作った超小型ロボット*7が着地寸前に切り離されて、探査機の写真を撮影していた。まさに逆さまだった。画面の中央に一列、横方向のグリッチが走っていて、僕はそこにリアルを見出した*8*9


読書は完全に復活した。2017年、2021年以来のビッグウェーブといっても過言ではない*10

アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』読了した。とっくの昔に読み終わる感じだったけど、ループして延々と終わらないテリー・ライリー "You'er Nogood" みたいに*11読了を先送りしていた*12

アルマン・マリー・ルロワがこの本を書くきっかけになったのはダーシー・トンプソンが翻訳したアリストテレス『動物誌』(1910)だった*13。そして寺田寅彦がルクレティウス『物の本質』を読むきっかけになったのもダーシー・トンプソンの書評(1928)だった*14。そして『生物のかたち』(初版 1917)もダーシー・トンプソンだった*15

この本から始まった二つの脱線のうち、最初の「科学哲学」は止まってしまった*16。もう一方の「言語哲学」には見事に嵌った*17。文脈原理、命題関数、事実、対象、分節化*18、そして、フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン。どうやら論理・数学・言語は隣同士に並んでいるらしい。

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1922年、ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を出版した。ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』も1922年だった*19。1922年はエポックメイキングな年だった*20*21。なんだよ、また20世紀かよ*22*23

アルマン・マリー・ルロワの『アリストテレス 生物学の創造』も、寺田寅彦の『ルクレチウスと科学』も、僕が「20世紀」に絡め取られているのも、古典を現在の視点から捉え直すという意味で、古楽復興(ピリオド奏法の探求)と近しいんじゃないか*24

なんて適当なこと言って、今度はニコラウス・アーノンクールを掘り始めようとしている*25


いよいよ次に来る季節のことを考える*26

冬なのに何回も雨が降った。次々とやって来る南岸低気圧の危機。天気予報を見るたびに、明治 エッセル スーパーカップが思い出される*27。2月を先取りしておくと、いよいよ ACL ノックアウトステージ、そして Jリーグ開幕。

*1:大卒1年目で J1 クラブに移籍して、ヴァンフォーレ甲府所属で日本代表に選ばれるという、伊東純也のキャリアをさらに早回しするかのようなその選手の名は三浦颯太という

*2:今週末の良かったこと(インフルエンザから復帰) - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/15/111354

*3:今週末の良かったこと(読了、医療費控除と裏山と右足首、そして「買ったからには読むんだろうな」) - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/29/101138

*4:今週末の良かったこと(臨機応変に対処する、尾骨骨折、 ChatGPT 、 Natural History ) - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/01/23/175156

*5:小型月着陸実証機 SLIM

*6:予定より横方向の推力が働いて

*7:LEV-2 、愛称「SORA-Q」

*8:https://gyazo.com/e6e489bd77df9797c45c6a6390768f13

*9:JAXA | 変形型月面ロボットによる小型月着陸実証機(SLIM)の撮影およびデータ送信に成功 https://www.jaxa.jp/press/2024/01/20240125-4_j.html

*10:読書についての記録集成 - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2%E9%9B%86%E6%88%90

*11:2021年を探す - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/12/01/000000#70

*12:読了っていうのは、最後のページまでたどり着いたことを言うのか、その本を閉じたことを言うのか、それともまた別の話なのか。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/31/182036

*13:ダーシー・トンプソンは20世紀の初めに、アリストテレス『動物誌』を翻訳した。自身のギリシア語と動物学の知識を総動員して「アリストテレスの博物学の知識に注釈をつけ、説明を施し、批評を加え」た。その注記はときに本文を圧倒するほどだった https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/02/214117

*14:1928年に寺田寅彦が読んだ Nature の書評を買った - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/1928%E5%B9%B4%E3%81%AB%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%AF%85%E5%BD%A6%E3%81%8C%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0_Nature_%E3%81%AE%E6%9B%B8%E8%A9%95%E3%82%92%E8%B2%B7%E3%81%A3%E3%81%9F

*15:https://scrapbox.io/hysysk/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%81%A8%E8%8A%B8%E8%A1%93

*16:読書は科学哲学に関するものを読んでいる。ここまで読んできたものから太くリンクが繋がっているから読んでいるんだけど、そんなに気分が盛り上がっているわけではない。たぶん飽きている。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/15/111354

*17:野矢茂樹『言語哲学がはじまる』読了した。フレーゲ、ラッセルときて一番最後にウィトゲンシュタインで、そこでやっと「分節化」が出てきた*3。すごい遠回りをしている。意図的に遠回りしているわけだが https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/29/101138

*18:なによりもまず、世界が分節化されていなければならない。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/06/093220

*19:「文学史上すばらしい年は数々あれど、1922年は最もすばらしい年だと言えよう。この年がすばらしいのは、その年(そしてその前後の年)に出版されたものによって、文学の未来に対する読者の考えが変わったためである。」 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2022/01/04/191507

*20:エポックだ - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/%E3%82%A8%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%A0

*21:Tumblr 創世記 - hub https://scrapbox.io/hub/Tumblr_%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98#61c115a8b30c0100004f2619

*22:気がついたけど、いま自分がいる場所は「20世紀、科学の世紀の哲学」だった。なんだよ、また20世紀かよ。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/26/094103

*23:100年前のことを考えている。そのままスライドさせると、20世紀から21世紀を生きる自分たちのことになったりする https://scrapbox.io/taizooo/1920_to_2020

*24:https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/18/133701

*25:追悼ニコラウス・アーノンクール ~すべての演奏家の道標となった録音の数々、広く受け継がれていくであろう演奏理念 | Mikiki https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/10815

*26:気象庁の区分によると、冬は12月から1月までを言います

*27:FUJIFILM SUPER CUP とエッセル スーパーカップ https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/12/01/000000#FUJIFILM-SUPER-CUP-%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB-%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97

日記の本番 2023/12

これは2023年12月の日記の本番です。

ちょっと長い前置きから始めます。

2023年、読書は全然で、数ページだけ読んでは止まってしまったり、なんとか巻末までたどり着いても、そこから先へは繋がらなかったりした*1

7月の始め、押し寄せてくる「公」に抗うように、積読山脈の最下層からクロード・フィッシャー『電話するアメリカ』を引っ張り出して読み始めた*2*3。積読山脈の中でもとりわけ昔からずっとそこにあった本で、しかも買った当時、すでにそれは十分、古い本だった。「そういえば読む本は分厚いければ分厚いほど精神が安定するような気がするな」という単純な印象、ただその物理的な分厚さから、という理由で読み始めた。

そんな『電話するアメリカ』がやっと最終章までたどり着いた8月始め、さらに猛烈に押し寄せてくる「公」に抗って、アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』を買った。上下巻で700ページ、8,000円。思いつきで買うにはちょっとしたサイズと金額だった。酔っ払ったその勢いだった*4。書き出しにやられてしまった。『電話するアメリカ』は止まった。やっとたどり着いたのに*5

そんなふうにして読み始めた『アリストテレス 生物学の創造』なのにあっという間に脱線が始まって、レスボス島、アリストテレスの生物学が始まったその場所、を調べ始めてアテンションは散逸した。せっかく読み始めたのに。メチャ面白いのに。元のページには戻れなかった。結局『アリストテレス 生物学の創造』も止まった*6


時は進んで、2023年12月。

「公」も終わって、 2023AC2023 の当番*7も終わった12月の始め、再び『アリストテレス 生物学の創造』を読み始めた*8。それでもなかなか読み続ける感じにはならなくて数ページだけ読んでは止まって、数ページだけ読んでは止まってを繰り返して、やっと第6章《イルカのいびき》までたどり着いた。そこでこんなフレーズを発見する*9

自然の切り取り方には多くの方法がある。そして切り取られたものはそれぞれが異なった相を見せている。

アリストテレスはどこに切れ目を入れたのだろう? どのような科学を作り出したのだろう?

アリストテレスの一番大きな仕事は生物学を作り出したことだ。アリストテレスが成したと言われる論理的な思考も、そのための道具だった。

アリストテレスは生物を540種に分けた。分けることは「分類」と呼ばれる。

アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』上巻
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切り取る、切り出す、境界を引く、分けること、これらは2023年を象徴するモチーフだった。

言葉は境界となって世界を二つに分ける。「Aである/Aではない」。境界が引かれれば現実が立ち上がり事実が生み出される。世界を分けることは人間の認識の根幹に関わる

2023年を探す - copy and destroy

パンチラインがカチリと音を立てて嵌ると、事態は大きく動き出す。

なかなか動き出さない僕の読書はいびつな大きな大きな石の塊みたいなもので、揺すっても揺すってもなかなか動き出さない。ところがなんかの拍子にちょっと重心がズレると、グラっと傾いて一気にゴロゴロと転がり始める。

本屋の新書コーナーで気まぐれに開いた本のページに、こんなパンチラインを発見した。

なによりもまず、世界が分節化されていなければならない。

世界は「事実」の総体である。「事実」は「性質」「対象」「動作」といった要素によって構成されている。

「白い」「犬」「走る」。

これを分節化という。

われわれはすでに分節化された世界に生きている。分節化されていない世界とは、いわば徹底的な抽象画の世界にも喩えられるだろう。そこでは、あらゆる対象の輪郭が失われ、それら対象がもっていた意味も消え去る。そんな世界。

野矢茂樹『語りえぬものを語る』
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転がりだしたらもう止まらない。たった一つのパンチラインが、一冊の本を越えて、時間軸も超えて、次々と繋がり始める。

『アリストテレス 生物学の創造』の中に唐突に「プラグマティズム」という文字を発見したり*10

7月、読書を取り戻そうとして行った本屋で結局なにも買わずに帰って来たんだけど、そのとき気になった本の目次にあった「帰納」「自然の斉一性」「信念」「習慣」といった言葉が12月になって繋がったり*11

1月、参加しないミートアップのために書かれたプレゼンテーションの、パンチラインとの偶然の一致だったり、

現実があって地図があるのではない。地図ができあがれば、そのとおりに現実が立ち上がり、領土が生み出される

ページが切り出されると現実が立ち上がり事実が生み出される - taizooo


これはセレンディピティなのか、それとも "Joshua Tree Principle" なのか、それともただの妄想か。

草花は一度覚えたら、かならず向こうから目に入ってくる

https://taizooo.tumblr.com/post/715102030236106752

一度転がりだしたら始まりです。もう手遅れです。ご愁傷様でした。チーン*12

2023年を探す

これは2023年の日記の本番です。

FUJIFILM SUPER CUP とエッセル スーパーカップ

2月のある金曜日、甲府盆地には雪が舞った。2023年のシーズン開幕を告げる大会、日本のトップリーグである J1 の勝者と、日本中のサッカークラブから日本一を決定する天皇杯の勝者が、雌雄を決する試合のその前日に、である。ひたすらウェザーニュースをリロードし続けた。雨雲レーダーは降雪を表す濃い色で画面を塗り潰し続け、天気予報は「数年ぶりの大雪」「南岸低気圧通過」「雪雲通過が続く」「湿った大雪に警戒」という文字列を表示し続けた。

2023年なんていうのは、人間が社会を成り立たせるために適当に区切られた一つの単位に過ぎない。昨年、愛する地元のサッカークラブは、なにもかもうまくいかなかったその最後に、次々と J1 リーグの強豪をぶっ飛ばして天皇杯をその頭上に掲げた。そんなフワフワしたような、信じられないような幸運を抱えたまま、今年を迎えたのだった。

土曜日、甲府盆地の片隅の駐車場に立っていた。「公」は「私」に優先された。

空は信じられないほどに青く、数時間かけて掻いた雪はひたすら溶け続けてキラキラと眩しかった。

gyazo.com*1

FUJIFILM SUPER CUP は、明治 エッセル スーパーカップになった。

"Enlightenment" と直線

2022年、読書が完全に止まった。

2023年、だからといって手をこまねいているわけにもいかないゾ、と右往左往していた。怒涛の読書期には2日間で読み切ったティム・インゴルド『ラインズ』を積読山脈から掘り返して、ノロノロ、ヨタヨタと読んでいた。

最後の章に啓蒙思想の話が出てくる。 "Enlightenment" と呼ばれる。それは「光」を意味する。「光」は直線的に進む。進歩も直線的に進むと考えられている。それはゴールが存在すること、進むべき正しい方向があること、そして自分はそれを進むのだ、という強い意志を意味する。

そんなことを、青空にキリっと立ち上がるビルを見上げて、思い出していた。

甲府盆地は「空が狭い」とか言われる。視界の中にはいつでも山のフォルムがあって、地面と空の境目は上ったり下ったり曲がりくねったラインだ。そんな風景のなかで、橋や建物や電柱や鉄塔は、全て直線から成り立っている。

進歩が直線的に進むと信じられているのは、過去から未来へ時間が一直線に流れると考えられているからだ。であるならば、青空にキリっと立ち上がるビルが描くこの直線は、きっと空から地面へ重力が一直線に貫いているからに違いない。

ハーフウェイラインと境界

甲府盆地をぐるりと取り囲む、地面と空を切り分けている山々は、その内側と外側に境界を引いている。雪に覆われた山々は、国立競技場の青々と輝くピッチと丸く青空を切り取る屋根を見上げていたはずの僕と、甲府盆地の底で青空に突き出すビルを見上げている僕との間に、明らかな境界を引いた。想像と現実の。

サッカーではいくつもの境界が引かれる。ピッチではハーフウェイラインを挟んで敵と味方に。取り囲むスタンドではその観客がホームとアウェイに。ファン、サポーターはそれぞれのゴール裏で立ち上がり飛び跳ね歌を歌い手を叩き、選手たちを鼓舞する。境界ははっきりと引かれる。それを侵犯することは許されない。輝かしい勝利か、無様な敗戦か。

境界ははっきりと引くべきである。それを越えるにせよ越えないにせよ

https://note.com/dannna_o/n/n6ff89d332db9

境界が引かれれば現実が立ち上がり事実が生み出される。それはわかりやすいフィクションだ。

エッセル スーパーカップになった FUJIFILM SUPER CUP は、ヴァンフォーレ甲府、1点ビハインドで迎える後半ロスタイム4分、迎える最後のコーナーキック、 ハーフウェイラインを越えて相手ゴール前に上がってくる河田晃兵、横浜Fマリノスのクリア、押し返す甲府、ラインを上げる横浜、こぼれるボール、そしてジェトゥリオのシュート、揺れるゴールネット。フラッグを上げる線審、オフサイド。試合終了を告げる笛。

試合終了を告げる笛は、2023年のシーズン開幕を告げる笛でもあった。長い長いシーズンが始まった。

練習と本番

「公」は「私」に優先された。それは3月から始まった。

毎月一度だったそれは7月から週に一度になった。「私」に侵食してくる「公」に余白がどんどん削られていく感覚、千々に乱れ粉々になる毎日に囚われつつあったときに、くどうれいん『日記の練習』を発見する。

うまくいきすぎてあっという間だったりうまくいかなすぎてあっという間だったりして押し流される日々の中で、杭を打つようにせめて書く

https://nhkbook-hiraku.com/n/n834faf81aa22

『日記の練習』と『日記の本番』。この二つには大きな可能性がある。「本番」はやって来ないかもしれない。でも、もしかしたら、いつか「本番」がやって来るもしれない。その可能性が輝いて見えた。そういう希望としての「本番」と、その希望に向けて毎日をつなぎとめるための「練習」。

これは日記の練習です。

冒頭にこの一文が置かれることで、日々の断片は書き残された。

「じゃあまたな」と散り散りに解散した

うまく切り抜け、結果としてそのときに約束を守れた人

私たちは困難を選ぶことはできないが、自分たちの反応を選択する自由がある

9月、「公」は一面を焼け野原にして終了した。そして僕は生き延びることに成功した。

けれどいずれにしたって、その折々に断片を書き残しておくことができたなら、思い返されるたびに勝手に注がれまくって迷惑している意識だって、すこしは楽にしてやれるのではないだろうか。うまくいきゃ深めることだって

https://murashit.hateblo.jp/entry/2023/03/24/140526

すべてが断片化されてバラバラになるならば、束ねること、つなぎ合わせることに価値が生まれる。もしかしたらそれは "Best of the Year" と呼ばれるかもしれない。

「チャンピオンたちの戦い」とユニフォーム

10月、天皇杯で優勝した甲府は、日本を代表するクラブとして、2023/24ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)のグループステージを戦っていた。ACL がなにを意味するのかというとそれは「アジアサッカー連盟のチャンピオンたちの戦い」っていう意味だ。

11月始めの水曜日、会社を半休して国立競技場へ向かった。小瀬のスタジアムは ACL の基準を満たさず、ぐるりと取り囲む山々のはるか彼方の国立競技場で戦っていた。そこは "JAPAN NATIONAL STADIUM" と呼ばれる。

その日、甲府は、中国のトップリーグである超級第3位の浙江FCに前節アウェイでの敗戦の雪辱を果たし、その日、僕は、2月のエッセル スーパーカップの雪辱を果たした。国立競技場の青々と輝くピッチと丸く夜空を切り取る屋根を見上げていた。

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いつもと同じバックスタンドで、右隣は地元を離れてて久しぶりという青赤のユニフォームの学生、左隣は赤色のユニフォームを着た J1 リーグ強豪のサポーター、前にはお年を召した御夫婦と若いカップル、後ろには会社帰りに気まぐれにやってきたスーツ姿のサラリーマン達。そして振り返ると、スタンドのあちこちに J リーグの様々なクラブのサポーターが、思い思いに自分たちの色のユニフォームを着て集まっていた。ここで僕はユニフォームに掲げられた日の丸の意味を知ることとなる。

衣服には自分がいったい「どこ」の「誰」なのかを表す機能がある。

しかし重要なことは、かつて社会学者ゲオルク・ジンメルが指摘した「同調化」と「差異化」という2つのベクトルが、いかなるスタイルの形成においても見られるということであろう。 特定の社会的集団の一員であろうとする同調化の欲求によって、私たちは自分がどこに属するのかを示そうとする。そして、その集団内において自分と他人を差異化することによって、私たちは自分がだれであるかを解き明かそうとする。

https://fashiontechnews.zozo.com/series/series_fashion_technology/ken_kato

サッカーにおいてそのユニフォームを身に着けることは「無償の愛」を意味する。それは「好きとか嫌いの外側」にある。そして、それぞれが異なるユニフォームを身に着けているということは、そこに「敵対関係」が存在することを意味する。同じ空間を占めることは本来、許されない。

しかしその日の国立競技場には、信じられないくらいポジティブな空気が満ちていた。ちょっと信じがたかった。それぞれがそれぞれのユニフォームを着て、自分たちが「どこ」の「誰」なのかを表明しながら、それでも立ち上がり飛び跳ね歌を歌い手を叩き、その姿勢で甲府というクラブに対する大きな共感を示していた。

境界を溶かす。これはフィクションか、それとも現実か。

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リアルとフェイク

長かった J2 のリーグ戦が終わった
遠く山形の空の下で

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/11/14/174714

エッセル スーパーカップの雪辱を果たしたその4日後、僕らの2023年のシーズンが終わった。画面の向こう側でピッチに膝をつく選手たち。試合終了を告げる笛は聞こえなかった。ときに現実は非情だしワックだ。

gyazo.com*2

いまだ読書は戻って来ず、惰性にまかせて『おくのほそ道』を読み返していた。

文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡によこたふ天河

『おくのほそ道』は点と点を繋げていく旅だ。それはかつて西行が詠った場所を辿ることを意味する。その地は、芭蕉たちが訪れたときには、すでに見る影もないほどに変わり果てている。芭蕉は、現実の風景を見たのではない。西行が残した句の向こう側に、彼が見たであろう風景を見ている。ときに虚構は事実よりリアルだ。

この旅は、江戸を立って松島に行きつくまでは、事細かく道中が語られるけども、日本海に至るや否や、時は先へ進み、歩みはスピードを上げる。新潟はたった数行で通り過ぎてしまう。曽良が旅から離れると、さらにスピードを上げる。やっと辿り着いた福井の汐越の松では、とうとう自分の句ではなく、西行の句を引用して通り過ぎてしまう。

夜もすがら 嵐に波を はこばせて 月をたれたる 汐越の松

ドナルド・キーンは「たいていの日記は退屈で全然面白くない」と言った。「面白い日記は後から書き直されている。編み直されている」と。そして『おくのほそ道』について「作り話や事実からの乖離が、永続的な真実感を高めている」「事実は、芸術には不十分だった」と。

真実かどうかなんて別にどうでもいい。そんなのはオレが決める

https://taizooo.tumblr.com/post/700344225

愛と力

公と私、敵と味方、 J1 と J2 、都市と地方、世界と日本、練習と本番、事実と虚構、空想と現実、ワックとドープ。

言葉は境界となって世界を二つに分ける。「Aである/Aではない」。境界が引かれれば現実が立ち上がり事実が生み出される。世界を分けることは人間の認識の根幹に関わる。言葉が与えられると境界が引かれそこに場所が生まれる。そして自分をそのどちらかに置く。ウォーラーステインはそれを「世界システム」と呼んだ。中核、辺境、アウトサイダー。

前衛,辺境,周縁,まあなんと呼んでもいい

https://taizooo.tumblr.com/post/24845803

gyazo.com*3

境界が引かれるとそこにフロンティアが生まれる。それは大航海時代の冒険の原動力となったものでもあるし、アメリカが西部を目指す原動力となったものでもある。そして先住民は征服され、黒船は下田に来航し、極地には国旗が掲げられ、人類は月まで到達した。僕らは自ら境界を引きながらその境界をこじ開け乗り越えようとする。たとえその結果が破壊的、壊滅的なものであっても。

難易度とスピードが強調されます。ハードであること、最高であること、最速であること。 その結果として生じるカメラのカクテル光線、危険、テストステロンはいつだって悲劇的です。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2019/12/01/000000

ゲオルク・ジンメルは『橋と扉』で、こう言っている。

私たちが結びついていると感じられるものは、まずは私たちが何らかの仕方でたがいに分離したものだけだ。事物は、一緒になるためにはまず離れ離れにならなければならない

僕らは生きていくために境界を引いて世界をバラバラに解体する。そして同時に断片を束ねつなぎ合わせ、立ち上がり飛び跳ね歌を歌い手を叩き境界を溶かし、世界を一つにしようとする。僕らは自己の差別化と個別化を望みながら、また一方では全体の均質化と統合化を望んでいる。アダム・カヘンはこれを「力」、そしてもう一つを「愛」と呼んだ。

すべて持つことはできない。 禁じられている。 選ぶことを学べ。

https://taizooo.tumblr.com/post/170040413

だがしかし僕らは「愛」と「力」の両方を選ばなければならない。


この post は 2023 Advent Calendar 2023 第1日目の記事として書かれました。
明日の第2日目は kzys サンです。お楽しみに。

「日記の練習」「日記の本番」

https://nhkbook-hiraku.com/n/n834faf81aa22

あなたの日記はもうはじまっている。「これが自分の日記だ」と胸を張って言うことができるように。わたしといっしょに、「日記の練習」をはじめましょう。

くどうれいんサンによる、毎月の「日記の練習」とそれをまとめた「日記の本番」。このやり方には大きな可能性がある気がする。たぶん「本番」が抜けてもいい。「本番」を書く可能性がある、ということの方が重要。そういう希望としての「本番」と、その希望に向けて毎日を繋ぎ止めるための「練習」。

  • Diary practice
  • Diary production
  • 日記の練習
  • 日記の生産

練習ってやつは、祈りを捧げるようなものだ。一週間に一回とか一か月に一回というわけにはいかない。

https://www.tumblr.com/taizooo/721293612

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