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今週末の良かったこと(日常から論理が離陸する。僕とサッカーとランニングの離陸にはまだ助走が必要そう)

野矢茂樹『入門!論理学』を読んでいる。ノートとシャープペンシルと消しゴムを買った。ノートに書いて読み下している。こんなことするの何百年ぶりかわからない。

入門!論理学 読解 - taizooo
gyazo.com

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/03/28/183759

論理学の本なのに縦書きで、しかも数式を横に倒すなんてことは絶対しない感じなので、全てが文章で表現されている

この本ではごく普通に日常的に使われている文章から論理を立ち上げていく。たとえばこんな感じ。

二郎か三郎が花子のプレゼントをもらうならば、太郎は花子のプレゼントをもらえない。花子からプレゼントをもらえないと、太郎は見るもあわれに意気消沈する。だから、太郎が見るもあわれに意気消沈しているのでないならば、二郎は花子からプレゼントをもらえなかったということだ。

この文章(推論)が正しい演繹か、ド・モルガンの法則と対偶を使って確認(証明?)していきます。というわけでノートとシャープペンシルと消しゴムが必要になったというわけ。この本の中では最後の最後に一言書かれているだけなんだけど、この演繹の仕方は「自然演繹」と呼ばれるものらしい。

それで、このことについてなにか書こうと思っていたんだけど、インターネットを漁っていたら、まんま、まさにスイートスポットにピタリとハマるレビューを発見した。

日常言語から論理学が離陸する瞬間

「〜でない」「かつ」「または」「ならば」というたった4つの接続詞から、命題論理学がいかに生まれるか、その “離陸の瞬間” が丁寧に鮮やかに解説される。

自然演繹法を、日常言語から論理学を立ち上げる平易な説明として用いたことにある。4つの接続詞の意味を考えるために、我々はどういう場合にその接続詞を使いたくなるか(=導入則)、そして、我々はどういう主張をその接続詞からさらに導くのか(=除去則)、という二点のみから考察する。

通常の論理学の教科書では、4つの接続詞の意味を「真理表」によって定義する。つまり、その接続詞で繋がれた各命題の真偽に応じて、全体の真偽がどうなるかを示し、その真偽の対応表が “その接続詞の意味なのだ” と説明される。しかし、我々はそのようにして「〜でない」「かつ」「または」「ならば」の意味を学んだのではないから、日常言語と論理学の分岐点が分からなくなる。

そうではなく、離陸の地点を示すことで、逆に地上に積み残したものも分かる。その接点が排中律*1である。

なんとかして自分の言葉で表現しようと思っていたけれど、今の時点ではこのレビュー以上のものがない。これ以上のものがないのでコピー・アンド・ペーストした。レビュー主を漁ったら勁草書房に自著があるような哲学者だった。和辻哲郎文化賞受賞。植村恒一郎*2*3*4

これ以外のレビューも目を通したけど、ほとんどがスイートスポットを外している*5。もう一つあったのは論理学の初学者だった。ということで見るべきレビューは習熟度の正規曲線でいうと右端の裾野にあたる人と左端の裾野にあたる人のレビューだった。方や、その世界にどっぷり浸かっているコアなギークな人だからこそ書けるレビューと、方や、ファーストインプレッションで核心を掴んでしまう知のナチュラルボーンキラーな人の書くレビュー。


日常言語について、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』ではこう書いてあった。

4.001
命題の総体が言語である。

4.002
日常言語は、人間という有機体の一部であり、他の部分に劣らず複雑である。
日常言語から言語の論理を直接に読みとることは人間には不可能である。

5.5563
われわれの日常言語のすべての命題は、実際、そのあるがままで、論理的に完全に秩序づけられている。
(われわれの問題は抽象的なものではない。むしろ、あらゆる問題の中でも、もっとも具体的な問題であろう。)

この読書の旅は、1月の野矢茂樹『言語哲学がはじまる』から始まっていて、そこからルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』とその解説書『「論理哲学論考」を読む』、そしてこの『入門!論理学』と進んできて、やっと意味がつかめるようになってきた。ここには一本の太い矢印*6が貫かれている*7。日常から論理が離陸する。

周回遅れで理解が追いついてきた感じ。やっと滑走体制に入ってきた。僕の離陸にはまだ少し助走が必要そう。

我が愛するサッカークラブの離陸にもまだ少し助走が必要そう。だがしかし、いつだって次の試合が一番大事。そしてランニングは2週間ぶりに走った。挽回していく。

*1:「全ての事象は、ある属性を持つか持たないかのどちらかである」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%92%E4%B8%AD%E5%BE%8B#%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%80%8E%E6%95%B0%E5%AD%A6%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%80%8F

*2:植村 恒一郎 (Tsuneitirou Uemura) - マイポータル - researchmap https://researchmap.jp/read0187913

*3:群馬県立女子大学学術機関リポジトリ https://gpwu.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&q=&creator=%E6%A4%8D%E6%9D%91,%20%E6%81%92%E4%B8%80%E9%83%8E

*4:インターネットのオールドスクーラーでもあるっぽい / charisの美学日誌 https://charis.hatenadiary.com/

*5:「論理記号を使ったほうガー」とか「真理値表で書いたほうガー」とか「ベン図で示せバー」とか、そういう感想は全部的外れだ

*6:「ならば」、論理学では条件法と呼ばれる

*7:野矢茂樹サンのまんま、「思うツボ」だろう

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