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日記の練習です。

なにか一つが定まるとそれが世界全体に一気に伝播して全てが定まり、それがまた一気に自分に戻ってくるような。そういうところ

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/03/18/172130

そういうところについての断片。


野矢茂樹『「論理哲学論考」を読む』第8章「論理はア・プリオリである」p165

分析と構成。

出発点は現実世界と日常言語である。この世界を生き、この言語に熟達している者のみが『論考』の提示する道を辿ることができる。

ゴールは思考可能性の全体を明確に見通すことである。

そのために、日常言語を分析し、再び日常言語を構成するという往復運動を行う。『論理哲学論考』の旅は名と対象から始まるのではないし、また理想言語のような出発点とは別のどこかをめざすものでもない。ここを出発し、ここに帰ってくる。そうして、自分のいる位置を明らかにする。

往路は分析である。現実世界の事実と、さまざまな言語使用がある。そこで、ある命題と事実との対応によって真であったり偽であったりする。またある命題は他の命題を帰結する。こうした命題の検証や推論といった言語実践の中で、有意味と無意味・ナンセンスを弁別するわれわれの言語直感を頼りに分析が為され、その結果、要素命題と論理語とが区別される。これが分析の第一段階である。

要素命題は事実との対応の中で、名と対象の対に分類される。そのさい名は、どのような配列が可能であるかという名の論理形式とともに切り出される。それに呼応して、対象もまたいかなる事態の構成要素となりうるかという、名の論理形式と同型の論理形式とともに切り出される。これが構成の第二段階である。

ここから、復路、構成へと向かう。名の論理形式に従って可能な要素命題のすべてが構成される。そうして作られた要素命題は、すべてな可能な事態を表現するものとなっている。これが構成の第一段階である。

次に事態の集合として状況が作られ、可能な状況の全体として論理空間が張られる。ここで事態は相互独立と仮定されているため、事態の集合から論理空間は機械的に設定される。また命題の側では、論理語によって要素命題から複合命題が作られる。これで構成の第二段階が終了する。

こうして思考可能性の空間として論理空間が姿を現す。かくして、すべての命題が構成可能なものとなり、また、命題の意味が論理空間の分割の仕方として規定される。

以上が『論理哲学論考』の基本構造である。



『論理哲学論考』より

1 世界は成立していることがらの総体である。

1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。

1.11 世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている。

1.13 論理空間の中にある諸事実、それが世界である。

1.2 世界は諸事実へと分解される。

2 事実とは、諸事態の成立である。

2.01 事態とは諸対象の結合である。

2.014 対象はすべての状況を含んでいる。

2.0141 事態のうちに現れる可能性が対象の形式である。

2.02 対象は単純である。

2.021 対象が世界の実体を形づくる。

2.025 実体は形式と内容からなる。

2.04 成立している事態の総体が世界である。

2.06 諸事態の成立・不成立が現実である。

2.063 現実の全体が世界である。


事実は分析に先立って在る。出発点。"Fact"

事態は分析の最後に現れる。到達点。"State of affairs"

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