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日記の本番 2024/05

これは2024年5月の日記の本番です。

「熱量持ってやらないとダメなんですよ」 by 武富孝介*1

https://x.com/vfk_official/status/1788164965725348326
gyazo.com

毎年5月は「公」の行事が多くてかなり圧迫される感じなんだけど、やっと一段落ついた感じになっている。こういう圧迫されている気分のときにはどうしても「日記の練習」が滞りがちになる。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/05/24/090400

5月、例年通り、寄せては返し寄せて返す「公」の波にもみくちゃにされながらなんとか生き延びた。

mochilon サンの日記には「良かったやつ」*1っていうタグが貼ってあって、mochilon サンの場合、それはだいたい音楽で、しかも最近はクラシカル・ミュージックであることが多いんだけど、こういう日々の記録の中に一つそういう「良かったやつ」が入っているというのはイイなー、などと思った。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/05/24/090400

というわけで、5月の「良かったやつ」を書いておく。

論理学をやっている

金子洋之『記号論理入門』をやっている。「やっている」というのはノートに書き下しながら進めているという意味で、つまり教科書を予習復習するようにやっているということを指す。

本を「読む」というのは正直な話、ちょっと手が空いた瞬間とかそういうちょっとした間に少しだけサボるように、サッと読み進めることができるのだけれど、論理学を「やる」のは、そういうスキマではできない。そして家に帰ってしまうともうそんなことする気力もなくなってしまう。というわけで帰り道、ちょっと寄り道してだいたい1時間くらい論理学を「やる」ようになった。希望は毎日なんだけど、それはちょっと無理で、だいたい週に3回くらい「やっている」。

場所はバーガーショップかファミレスか公衆浴場の無料休憩所だったりする。ノートに書き下しているので照明が重要で、左肩の上から照明が当たるような席を選んでいる。コーヒー一杯(もしくは牛乳一本)で一時間。

「やっている」のは自然演繹法というやり方で、これは4つの接続詞(論理記号)「〜でない」(否定: ¬ )、「かつ」(連言: ∧ )、「または」(選言: ∨ )、「ならば」(条件式: ⇒ )について、どういう場合にこれらの接続詞(論理記号)を使いたくなるか【導入則】、どういう主張*2をこれらの接続詞(論理記号)から導くのか【除去則】、という二点から論理を解ほぐす、というものだ*3。例題や問題を一つ一つ解いている。

論理学、ノートに書いて証明するの、メチャメチャ、フィジカルな行為っぽい*4。手で書くとなぜか解ける*5。そして楽しい*6

写経のように読む

論理学を「やって」いて、これは読書ではないのではないか、と、はたと気がついたんだけど、だからといってまたいつもみたいに、適当によその本に寄り道してしまうと、せっかくやりかけた論理学を途中でおっぽり出してしまうのではないか、というのとまた一方では、このままだと、ふつうに本を「読む」のを忘れてしまうのでは、などと行ったり来たりしていた。

ということで、エイヤッと勢いでイアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』を読み始めた。もともとは、この目次に「ウィトゲンシュタインの分節化」という章があったのが理由で、積読山脈に積み上がっていたのだった。「分節化」という言葉はマジックワードで、アリストテレスの生物学と、この「分節化」という言葉から「言語の哲学」を掘り始めたのだった*7

この本は3つのパートから成っていて、最初の「パート A」は観念説、観念論、観念主義についてで、17世紀から18世紀のトマス・ホッブズ、アントワーヌ・アルノーとピエール・ニコル(ポール・ロワイヤル)、ジョージ・バークリーから始まる(脇役にジョン・ロック、ルネ・デカルト、ジョン・スチュアート・ミル、エリザベス・アンスコムという豪華布陣)。

これを乗り越えると、進むべき「パート B 意味の全盛期」「パート C 文の全盛期」へとたどり着けるのだけれど、

いきなり全然理解できなかった。イアン・ハッキングは博覧強記でしられていて、この17世紀の話に、現代から過去の哲学者、注釈家の引用があちこちに散りばめられて、行ったり来たり、話の本筋が辿れない。まるで鬱蒼としたジャングルをたどるよう。ということで、ルール違反ギリギリ、かぎりなくグレーな姿勢で、まるで写経のようにして読み始めたのだった。

ちょっと気を抜くと違う方向に心を持っていかれる。脇道の方が本筋の様に見える。しかもそっちの方が面白そう。なんていう感じ。そもそもの始まりが言語の哲学だったのに、いまではこの見たこともない、聞いたこともない「思考のエキゾチックなシステム」*8にすっかり魅了されている。

積読山脈、再始動

「写経のように読んで」いて、これも読書ではないのではないか、と、はたと気がついたんだけど、だからといってこれ以上、違うなにかを積んだらもう取り返しがつかないのではないか。ぜんぶ中途半端かよ、というのとまた一方では、このままだと、本当に、ふつうに本を「読む」のを忘れてしまうのでは、などと行ったり来たりしていた。

ある週末 LINE にオワンクラゲの写真が送られてきた。ノーベル化学賞。「緑色発光タンパク質」(GFP)。これが積読山脈に積んであった一冊と接続した。あっという間だった。タガが外れた。また積読山脈の泥沼にはまりつつある。もうどうにでもなれの心である。なるようになる。ならないならならない。

国立国会図書館サーチと国立国会図書館デジタルコレクション

Cosense ( aka Scrapbox )に infobox という機能が追加されたことをきっかけに、貯めに貯めまくっていた書籍のページを整理し始めた。 infobox の LLM の力を借りて、それぞれのページに、国立国会図書館サーチのリンクが表示されるようにした。

これまでは、リファレンスとして Amazon の書籍ページを貼っていた。この URL には ISBN (ASIN) の情報が含まれていて、ページタイトルには著者や訳者の名前が入っていて、形式として便利だったから。 ただまあ、これは便利だけど、特定の企業に大事な情報の首根っこを抑えられている感じで、気持ち悪さをずーっと持っていた。

そんなこともあってリファレンスを国立国会図書館サーチに変えた。古い書籍のいくつかは国立国会図書館サーチから国立国会図書館デジタルコレクションにリンクされていて、アカウントをつくると Web で読むことができる。

最近気がついたのだけれど、国立国会図書館デジタルコレクションと同じように Internet Arhive にも古い書籍のデジタルアーカイブが存在する。その気さえあればあらゆる書籍にリーチできる世界を生きている。その気さえあれば。熱量があれば。

*1:https://x.com/taizooo/status/1788179394575695961

*2:「命題」は「主張」される

*3:入門!論理学 - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/%E5%85%A5%E9%96%80%EF%BC%81%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6#66137bb1b30c010000d0e308

*4:https://x.com/taizooo/status/1798335395522048402

*5:https://x.com/taizooo/status/1798335489273143405

*6:https://x.com/taizooo/status/1798336520052707625

*7:自然の切り取り方には多くの方法がある。そして切り取られたものはそれぞれが異なった相を見せている。 アリストテレスはどこに切れ目を入れたのだろう? どのような科学を作り出したのだろう? https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/06/093220

*8:言語はなぜ哲学の問題になるのか 読解 - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B_%E8%AA%AD%E8%A7%A3#665441f5b30c010000577871

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