copy and destroy

catch and eat

2019年を探す


via https://ja.wikipedia.org/wiki/天照大神

三身の綱打ち掛けて引き縫い付けたネットワークは

via 国引き神話

1989

(aria)

物事には始まりがある。宇宙の誕生。原始地球からの自己複製子の登場。生命の誕生。自分の誕生。自我の目覚め。ハレルヤ。

dashboard には底があります。一つは世界の始まりとしての底です。それは、David Karp によるファースト・ポストがそれにあたります。 そして、もう一つの底は、われわれの世界の始まりとしての底です。つまりわれわれの世紀の起源、紀元0年にあたる地点のことです。それは我々の仲間達が初めて tumblr を発見したその瞬間であると言えるでしょう。

2019年はあらゆる物事に「平成最後の」という枕詞が踊る、ちょっと浮かれた気分の中で幕を開けた。平成という文字列になにか意味を見出すとするならば、その始まりは1989年にあるだろう。



via https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca1963/27/2/27_2_33/_pdf


1989年、日本とアメリカを結ぶ1万キロメートルに及ぶ太平洋横断ケーブル TPC-3 は完成した。ハレルヤ。

光ケーブルによるデジタル回線は、それまでの同軸ケーブルによるアナログ回線と比べて何倍もの容量、回線を実現した。

1989年8月、 日本はまさにその TPC-3 によって正真正銘のインターネットとの接続を果たす。ハレルヤ。

歴史にはいろいろな事象が折りたたまれている。たくさんの必然や偶然が重なり合って歴史を作っている。

AutoPagerize の誕生(2007/3月)と tumblr のスタート(2007/4月)の関係と同じくらいの奇跡が、太平洋海底ケーブルTPC-3(1989/4月)と WIDE インターネット(ハワイとの64kbps接続 1989/8月)の間で起きてたように見える

1975

2019年の初めに heisei-internet-hisotry という Wiki を見つけた。平成の話なのに一番最初に書かれているのが World Wide Web の誕生だったのが気に入らなかった。日本じゃないじゃん。じゃあオレが書いてやる、と思った。

「こんなの JUNET と WIDE でチャッチャッとお終い」

しかし、あっという間に泥沼にはまり込む。あまりに果てしなく、あまりに広大すぎた。調べれば調べるほど知らないことが増えた。歴史にはいろいろな事象が折りたたまれている。たくさんの必然や偶然が重なり合って歴史を作っている。さて、インターネットの始まりはどこにあるのだろうか。

1969年、ベル研究所にて Unix の開発が始まった 。ハレルヤ。

1970年1月1日。UNIX 時間におけるゼロ。この世界の始まり。ハレルヤ。

1974年、ケン・トンプソンとデニス・リッチーが CACM にて Unix を発表する。世界は Unix を発見する。ハレルヤ。



via File:Papertape.jpg - Wikimedia Commons


1975年、石田晴久が ベル研究所より帰国する。東京大学大型計算機センター助教授だった石田は客員研究員としてベル研究所へ招かれていた。帰国する際に持ち帰ったテープは UNIX 6th Edition のコピーだった。しかし東大でそのテープを読みこむことができず、筑波大学の板野肯三のところへ行き、そこで PDP-11 のディスクにインストールされた。

1975年、日本初の Unix は起動した。ハレルヤ。

その後、石田は東大だけではなく、筑波大学の板野肯三の周辺、ちょうどそのころ筑波大学から慶應義塾大学に移る斎藤信男、その指導を受けていた村井純らを、というようにあらゆる人々を巻き込んでいった。 Unix は日本中に広がり始めた。日本のインターネットはこのようにして始まった。ハレルヤ。

1985

「はじめにバケツリレーありき」

われわれが「これがインターネットだ」と思っているこの「場」はどこで始まったのだろうか。

それは ARPAnet の外側で起こった。そもそも ARPAnet はアメリカの国防省の管理下にあって誰もが接続出来るわけではなかった。その頃、ARPAnet に接続可能であった人たちは特定の分野に属するわずか200人、300人の人たちに過ぎなかった。そしてその高価なネットワークを流れるトラフィックはスカスカだった。彼らはそれをどう使えばいいのか全くわからなかった。

1979年に Usenet は登場した。 ハレルヤ。

それはデューク大学の学生のちょっとした Hack から始まった。 最初それは uucp (Unix-to-Unix Copy) を使ったシェルスクリプトだった。uucp は Unix 7th Edition と共に登場した。 uucp は話を端折るとただの copy コマンドにすぎない。低速なシリアルラインで接続されたマシン間での非同期的なデータコピーだ。

uucp(1): uucp [ options ] source-file destination-file

system1, system2, ...snip... を経由して systemN にあるファイルに対しアクセスする場合には以下のような形式で指定される。

system1!system2!...snip...!system(N-1)!systemN!path

つまり、コピーを介した「バケツリレー」だった。

貧相な電話線によって接続された2台のコンピュータから始まった Usenet はまたたく間にその規模を拡大していく。ARPAnet は、そのころ次々と接続された小さなネットワークの一つに過ぎなかった。ハレルヤ。



via https://personalpages.manchester.ac.uk/staff/m.dodge/cybergeography/atlas/historical.html


それはまさに蜘蛛の巣のように世界に広がった。 世界中に生まれつつあった小さなネットワークを次々と巻き込みながら。

1985年、我らが Junet が太平洋を越えて Usenet に接続する。ハレルヤ。

Usenet こそが、われわれが「これがインターネットだ」と思っている「場」の始まりである。 ソーシャルネットワーク。よくわからない他者の存在。コミュニケーション。その本質はコピーにある。つまり

インターネットへようこそ。すべての行為はコピーだ。

1955

インターネットは何事でもありません。インターネットとは基本的に一連の合意のことであり、彼らはそれをプロトコルと呼びます。

TCP/IP プロトコルは以下のような階層構造を持っている。

ハードウェア→ネットワークインタフェース→インターネット→トランスポート→アプリケーション

音楽は作曲者、演奏者、聴衆という階層構造を持っている。現代においてクラシカル・ミュージック、特にオーケストラの場合にはこのようになる。

作曲者→指揮者→オーケストラ→録音→リスナー

この楽曲は、バッハのマタイ受難曲を、指揮者:エリオット・ガーディナー、オーケストラ:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、合唱:モンテヴェルディ合唱団が2016年に録音したものを2019年に聴いている、という階層を成している。

こんなふうにクラシカル・ミュージックは作曲者と演奏者が分離していて、演奏者としては指揮者が代表される。オーケストラの場合個々のメンバーが注目されることはほとんどない。演奏している人たちは後ろ側で透明になる。ポップ・ミュージックでは演奏者が前面に立っていて楽曲と演奏者が一体になる。そしてその実体は録音、波形になる。つまりこれはバイナリだ。それに対してクラシカル・ミュージックの実体は楽譜に存在している。これはコードである。つまりオープンソースなのだ。クラシカル・ミュージックはたとえ失われても何回も再生を繰り返してきた。忘却と再生というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。



via https://www.classicfm.com/discover-music/instruments/piano/glenn-gould-bach-ai-yamaha/


1955年、グレン・グールドはゴルトベルク変奏曲を演奏した。ハレルヤ。

ホコリをかぶった博物館の置物だと思われていたバッハは、現代に生き生きと蘇った。忘却と再生というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。クラシカル・ミュージックはそれが作曲された当時、最先端のポップ・ミュージックだった。クラシックの中にポップは埋もれている。

2014年にファンク、ジェームス・ブラウンから始まった音楽をめぐる旅は2018年、グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲をきっかけにクラシカル・ミュージックに突入した。

ゴルトベルク変奏曲は、次のような構造を持っている。

アリア→バリエーション1→バリエーション2→...snip...→バリエーション30→アリア

32小節から成るアリアから始まり、その後に30の変奏が続き、その最後に再びアリアが戻ってくる。ダ・カーポ。32小節と32曲。3の倍数と繰り返し。数字遊び。誰もがこの曲に隠されている秘密を知りたがった。

そうしてまた朝日は昇る。話はこのバースの頭に戻る。

1964年、グレン・グールドは全ての演奏活動を停止する。彼はスタジオに籠もった。ハレルヤ。

ライブよりレコーディング好きで、アナログ録音も切り貼りしてたようです。

カットアンドペースト。

カットアンドペースト。コピー、エディット。ハレルヤ。

ライブとレコーディングは全く異なる運動だ。ホールの彼方のにいる聴衆に届ける演奏とピアノの傍らにおかれたマイクに聴かせる演奏が同じはずはない。彼はスタジオに籠もってピアノを弾いた。そしてどうしたのか。ひたすらプレイバックを聴いた。短い断片を弾く。プレイバックを聴く。戻る。短い断片を弾く。プレイバックを聴く。戻る。何回も何回も。そのループは加速していった。ブロンクスがブレイクビーツを発見する遥か昔の話だった。

1969

2019年の BBC Proms では Short Ride in a Fast Machine が演奏されまくっていた。ちょうど50年前、1969年、人類は初めて月面に降り立った。ハレルヤ。人類は月に星条旗を立てた。



via https://www.nasa.gov/feature/flag-day-flying-high-the-stars-and-stripes-in-space


地球上の極地という極地にはあらゆる国の旗が立てられていた。最後に残ったフロンティアが月だった。この当時、冒険というものは個人の手から遥か遠くに離れて国家の威信とイデオロギーを掛けて争われる別の形の戦争となっていた。これは大航海時代から延々と連なる最後の到達点だった。あの日以来、人類はまだだれも月に立っていない。

同じ頃、ラインホルト・メスナーはアルプスの麓、南チロルにいた。まだ何者でもなかった時代である。アルプスのスタイル、ライト&ファーストなスタイルで、8000メートル峰に立ち向かうことになるメスナーはただ命知らずの冒険者ではなかった。アルプスの登山の歴史やスポーツ生理学の進歩や世界の変化が重なり合っているその上にいた。歴史にはいろいろな事象が折りたたまれている。

メスナーは「第七級」で継続的、科学的トレーニングの話、アルパインスタイルの哲学などについて書いている。その冒頭にかかれているのは「フェアプレイ」の話。そこで彼は「世界で最初」を競うことを「征服」、そしてそれに対峙する姿勢のことを「スポーツ」と呼んだ。

スポーツ登山の目的は、技術のおかげで手に入れた優位を人間が自らの意志で断念しながら、より大きな困難な登攀を目指し努力することにあると思う

目的観念や目標設定というものは、結末がどうなるかはっきりしない領域で生まれる

もし、人間の技術的優位を自発的に放棄する気持が続く限り、そして、上に向って開かれた難易度がさらに一つ導入されるならば、やがて、初めて永続的な進歩が、原則的には無限の進歩が約束されるのである

フェアプレイ、それは冒険を自分たちの手に取り戻すことでもあった。

1980年、メスナーがエレベストの頂上に立った。ハレルヤ。彼は国旗を立てなかった。

「私はイタリアのためでもなく、南チロルのためでもなく、 自分のために登ったのだ」

ハレルヤ。

2007年に reblog を介してインターネットを再発見したときに思い浮かべたのは1990年代にサーフィンの世界起きたパラダイムシフトのことだった。それは、テクノロジーが新しい価値観を生み出した瞬間だった。ハレルヤ。その象徴だったトゥーイン・サーフィンはすでに時代遅れになった。 人間はジェットバイクではなくその腕を掻いて巨大な波に乗るようになっていた。これがフェアプレイの形。これが進化の方向だ。それはゆっくりと世界を変えてきた。アルピニズムからサーフィンへ、スポーツからビジネスへ。個人から街へ。街から国家へ。そしてそれは今、世界に溢れ出している。

私たちは皆、ズルをしたい。

サーフィンではズルをする方法は少ない。トウインはそのひとつだが、いまは時代遅れになっている。

トウインサーフィンからはじまり、いまは同じ波へパドリングするようになった。それこそ私たちが向かうべき方向だ。

2017年、アレックス・オノルドがヨセミテのエル・キャピタンを1人登りきったとき、彼は国旗を立てなかった。彼は素手とシューズとチョークバッグしか持っていなかった。ハレルヤ。



via https://eiga.com/news/20190712/7/

1954

Training for the New Alpinism 邦訳はない。英文。キンドル。その冒頭、ワーズワースの詩から、アルプスでのアルピニズムの目覚め(アルプス銀の時代)、アルバート・ママリーのヒマラヤへの挑戦と死とロマンの時代の終焉、20世紀のアルピニズム発展、世界大戦以降の8000m峰14座での国威を掛けた征服戦争、そしてメスナーの登場。超高速で登山と世界の歴史が描かれる。

情報化時代(the information age)では、すべてを測定する必要があります。 クライミングでは、難易度とスピードが強調されます。 ハードであること、最高高度であること、最速であること。

ソーシャルメディアの時代(the age of social media)には、すべてを共有する必要があります。 その結果として生じるカメラのカクテル光線、危険、テストステロンはいつだって悲劇的です。 優雅であることはまれです。

アーサナをするふりをごまかすことができないのと同じように、1マイル4分切りをごまかすことはできません。

これはソーシャルネットワークの時代であると呼ばれる現代のことを言っているのではない。まさにメスナーがアルピニズムの発展を体現していたその時代のことを指している。そこはすでにインフォーメーションの時代であり、ソーシャルメディアの時代であった。



via https://en.wikipedia.org/wiki/Mile_run_world_record_progression


人類が1マイル4分の壁を破るチャンスは2回あった。発展と停滞というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。

1942年から1945年にかけて、スウェーデンのグンダー・ヘッグとアルネ・アンデルソンは合計6回、世界記録を更新した。1945年、グンダー・ヘッグは1マイルを4分01秒4で走った。ハレルヤ。しかしその後、その記録が更新されることはなかった。

1952年、ヘルシンキ・オリンピックが終わって、再びその兆しが現れる。1953年、イギリスのロジャー・バニスター、オーストラリアのジョン・ランディ、アメリカのウェス・サンティーの3人はヘッグとアンデルソンの記録に肉薄していた。それぞれにチャンスはあった。そして、

1954年、ロジャー・バニスターは1マイルを3分59秒4で走った。世界で初めて4分の壁を破った。ハレルヤ。

その後わずか10数年で記録は10秒更新される。

1940年代にスウェーデンにだけ現れたその兆しは、1950年代にはイギリス、オーストラリア、アメリカという広がりを見せた。世界はすでに十分小さくなっていた。ビクトリア朝の時代、初めて電信によって結ばれた世界は、すでに網の目のように覆われていた。それぞれの場所で起きていた熱狂は瞬く間に世界中に広がりあらゆる人たちの心を揺さぶった。

1985

2019年、エリウド・キプチョゲは何人ものペーサーを従えて、42.195km を1時間59分40秒で走った。世界で初めて2時間の壁を破った。ハレルヤ。その映像はインターネットを介してリアルタイムで世界中に広がった。その影響は世界に溢れ出していく。

1988年、ソニーは VHS ビデオデッキの販売に踏み切る。このとき VHS は完全に勝利した。ハレルヤ。

1975年に始まった VHS とベータマックスの戦い "Videotape format war" は、1980年、 VHS が北米市場を60%押さえて雌雄は決した。最終的にその普及台数は全世界で9億台以上となった。

1980年代、スケートボードは何回目かの死を迎えていた。忘却と再生というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。ブームの終焉とともにスケートパークを失った彼らはその場をストリートに求める。新しい兆しはいつでも、ぶっ壊れている中から生まれる。当時、スケート・シーンはアメリカの各地に分断されていた。それをかろうじて繋ぎ合わせていたのはスケート雑誌の写真と記事。動かない写真からトリックやムーブを想像する。想像力だけがものをいった。

1985年、バック・トゥ・ザ・フューチャーが公開される。ハレルヤ。マーティ・マクフライはキックスクーターのハンドルを取っ払って街を駆け抜ける。



via https://www.youtube.com/watch?v=UIH7RBsfhbw


ほどなくしてスケート・ムービーの時代がやって来る。

VHS時代の到来

いくつものスケート・ムービーが VHS に乗って流通を始める。正規、ブートレッグを問わず、その影響は世界に溢れ出していく。

まだだれもがビデオ・デッキを持っていたわけではなかったから少年たちはスケート・ショップのテレビに何時間も何時間もくぎづけだった。映像によって情報は密度を高めた。世界中に散らばったスケート・シーンは繋ぎ合わされ、瞬く間に高く広くなっていく。トリックはさらに難易度を増し、その伝播はスピードを上げる。想像力の限界は上に向かって大きく開かれた。このループは留まることを知らない。

2016年、VHSビデオ・デッキは生産を終了する。ハレルヤ。

しかし、このループは止まらない。少年たちはスマートフォンの Youtube に何時間も何時間もくぎづけだ。発展と停滞というループは唸りを上げてスピードを高めている。世界は転がり続ける。

2019

(aria da capo e fine)

物事には始まりがある。宇宙の誕生。原始地球からの自己複製子の登場。生命の誕生。自分の誕生。自我の目覚め。ハレルヤ。

dashboard には底があります。一つは世界の始まりとしての底です。それは、David Karp によるファースト・ポストがそれにあたります。 そして、もう一つの底は、われわれの世界の始まりとしての底です。つまりわれわれの世紀の起源、紀元0年にあたる地点のことです。それは我々の仲間達が初めて tumblr を発見したその瞬間であると言えるでしょう。

2019年はあらゆる物事に「令和最初の」という枕詞が踊る、ちょっと浮かれた気分の中で幕を閉じる。令和という文字列になにか意味を見出すとするならば、その始まりは2019年にあるだろう。


この post は 2019 Advent Calendar 2019 第1日目の記事として書かれました。
明日の第2日目は hirok1n サンです。お楽しみに。

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