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日記の本番 2025/12

それは 2025AC2025 と呼ばれます

2025年のベスト・オブ・ザ・イヤーが終わってからひと月がたちました。もう2026年も十二分の一を経過しました。なんてことだ。あんなに熱に絆されていたのにもう何光年も彼方のできごとのようです。

今回のベスト・オブ・ザ・イヤーは

毎年もう本当に集中して、みんなの post を読むんだけど、今回はたくさんコピー・アンド・ペーストした。それは引用であったり、関係するなにがしかの事柄であったり、私見であったり。いままではあまり私情というか私心を持ち込まないようにしていたんだけど、タガが外れた。

2025AC2025 - taizooo
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四方八方に飛び交うリンク

自分自身のベストは、というと、ちょっと、というか、けっこう、というか、かなり苦戦して、結局はその年の終わりになって読んだたった一冊の本、『鉄鼠の檻』を膨大に引用して終わった。

牛と鼠について。簡単にまとめると身も蓋もないけど、禅宗と怪異の話。切羽詰まっていたので自分自身でもなにに心が囚われていたのか全然わかっていなくて、いつもだと書いたらもう二度と読まないって思うんだけど、今回は、結構、何回も読み直していた。それからもうずっと、それこそ正月休みが終わるまでずっと、そのことばっかり考えていたんだけれど、このままじゃダメだ。なにも手につかなくなってしまう、いったん忘れよう、なんてことで捨て置いて結局、そのままひと月たってしまった。もう色々なことを忘れてしまっているけれど、

「宿題」ということで、いろいろ書き溜めていた。

トンカチを持っているとあらゆるものがクギに見えるように、なにかに気づいていしまうとすべてがリンクして見えてくるというけれど、はたしてどんなリンクが四方八方に飛び交っていたのか。

taizooo の2025年のベストから 「宿題」 - taizooo
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西域探検紀行全集とか井筒俊彦とかプラナカンとか

ここで話をうんと端折る。

今年の『2025年を探す』でそのようにしか書けなかったそれが、 hysysk サンのベストを見た辺りで「アレ?」と思い、 nagata サンのベストで芯に喰らって、そして一苦労して復元した youpy のネットプリントの中にも驚いたことにそれはあった。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/12/10/215441

hysysk サンのバンコクへのロングステイと「アジア美術アーカイブ」、nagata サンの「存在が花す」と井筒俊彦の「東洋」の話、youpy サンの『西域探検紀行全集』(ここでの「西域」とは中国にとっての西の地域を指す)の話、quoposk サンの『岬の兄妹』と境界と間(あわい、あはひ)の話、suyhnc サンの大江健三郎という本を読む話、 yomoyomo サンのジョー・チャット・ロードのトムとジェリーとプラナカンの話、tomoyayazaki サンの呪いと祈りと信仰の話、

そして僕の牛と鼠の話。

正月とか節分とか丙午とか

ここで話をちょっと巻き戻す。

ジョン・ロールズ『道徳哲学史講義』で、ロールズはその序文で、近代道徳哲学(それは17世紀から18世紀に成立して、現代に地続きになっているもの)は、16世紀の宗教改革が契機になっている、と言っていて、そのキーになる著述家はすべてプロテスタントだったと述べている。そしてさも当然のように道徳や倫理という概念と、宗教(ここでいう宗教は一神教であるキリスト教やユダヤ教のこと)や信仰を結びつけている。

が、残念ながら、そのことは僕らにとってはまったく、さも当然なことではないのだった。言っていることはわかる。わかるのだが言っていることそのままでは、僕らにはまったく共感できないのだ。


またここでちょっと話を端折る。

だいぶ昔、全然関係ないちょっとしたことがきっかけで、なぜか孔子『論語』を読んだ。漢語と現代語訳が併記されていて、当然、漢語の方は全然なんだけど、書かれている内容はスーっと理解できた。

ここ最近、Folkways Records や Nonesuch Records 、そしてたまたま発見した Death Is Not The End というレーベルの民族音楽に嵌っていて、そしてひょんなきっかけで金沢明子が歌う津軽民謡をプレイリストにコンパイルした。全然違和感がない。耳にスーっと入ってくる。

ベスト・オブ・ザ・イヤーが終わって正月がやってきて、うかうかしていたら節分が昨日終わったとか、今年は60年に一度の丙午(ひのえうま)、だとか、そんなニュースもスーっと理解できる

ユーラシア大陸の東の端に住む僕ら

百種のアルファベットを持ち、数万の漢字を持ち、七十二の季節を持ち、八百万の神を持ち、歳月が十二年と十年の二重周期をもって六十年で循環するという国、

https://taizooo.tumblr.com/post/98962961465


リチャード・ホロウェイ『若い読者のための宗教史』で、死者を弔うことから始まって、突如啓示に打たれたモーセ、因縁と輪廻のヒンドゥー、王子から仏陀、プラグマティックな孔子、陰と陽、バランスと相補性の老子、そしてその先の東アジアの端っこの八百万の神が棲まう、という日本列島の話につなげる。

網野善彦は、日本列島はアジアの東の端で、北の民と南の民が交流する架橋だった、と言っていた。

僕らは西洋が積み上げてきた道徳や正義や科学や思想や資本主義や民主主義や自由主義をさも当たり前のように受け入れてきているけれど、そんな僕たちの無意識の基底にはこういった玉石混交、なにもかもがミクスチャーになっている文化や風習みたいなものが流れている。

泥土かき上げる

四方八方に飛び交ったリンクをうまいこと言い表す言葉を僕は持たないけれど、

こんなミソクソみたいな、なんともいいようのない雰囲気を、リチャード・ホロウェイは(あえていうなら)神が、「泥土かき上げ」てそれは生まれた、と言った。

日記の本番 2025/11

書かれなかった『日記の本番 2025/10』は、

ひと月分、飛ばしてしまったんだけれど、書かれなかった『日記の本番 2025/10』は、たぶん2025年のベストとして書かれたコレだと思う。

copyanddestroy.hatenablog.com

『鉄鼠の檻』を買ったのが 2025/10/17 金曜日の夜*1、読了(がいったいなにを意味するのかわからないけれど)したのが 2025/11/06 木曜日*2

まあ得てしてこんなふうに、こういう圧倒的な出来事っていうのは、なんの前触れもなく起きるんだな、という感じです。交通事故みたいなもんじゃん。こんなの。

『ベスト・オブ・ザ・イヤーの作り方』

ということで、例年通りの11月でした。例年通りですがその例年通りというのが記録されていなかったので、今回は書いてみたいと思います。

題して『ベスト・オブ・ザ・イヤーの作り方』

血の掟は次の三点

  1. 25枠を埋めること
  2. 最初の post をすること
  3. そして25日間完走させること

11月第1週「身も心も」

11月になると今年の Adventar の扉が開かれます。まだ2025年を2ヶ月も残してそれは始まります。その名はアドベントカレンダー。インターネットのアドベントカレンダーの説明は端折ります*3

そんなわけで11月の第1週はまずやる気を高めるフェーズになります。これは僕自身の意気というか諦観というかそういうフェーズになります。

毎年、このベスト・オブ・ザ・イヤーを開催するにあたって、自分自身のやる気を高めるために、1) スローガンになるような引用を見つける、 2) タイトルになるような画像を作る(パッチワークで)、という二つをとりおこないます。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/01/23/174342

今年は先ずこの引用が見当たりませんでした。すでにこの時点で暗雲が垂れ込め始めていたということでしょうか?それが見当たらないことも含めてこのような引用を貼り付けました。

「なんでもいいから、とにかく書けばいい」

そして画像を探します。チョサッケン的にアウトですから詳細は省きますが、今回使用した "B" は、かつてインターネットを席巻したフィードリーダー "Bloglines" の "B" でした。

そんなふうにして一に引用、二に画像、三、四がなくて、五にやる気、みたいなフェーズが第1週です。

11月第2週「一人ずつ刺しに行く」

そして第2週です。まあ例年だいたいこの辺りで参加者募集を開始します。誰もが「え、まだ2ヶ月もあるのにこのタイミングなの?」と驚きます。ハイ、このタイミングです。ここでやらないと間に合わないのです。

まずこのフェーズが一番大変です。なぜなら、ただ Adventar にページを準備しただけでは25個の枠が埋まらないから。曲がりなりにも10年継続しているんですが、自動的に全ての枠が埋まることはありません。これは絶対です。だったらどうするのか。

「一人ずつ刺しに行く」

これです。例えば twitter で開催通知をツイートしたとします。お約束で fav がついたりしますが、これは断言しておきますが、まったくなんの役にも立ちません。こんな感じです。

fav とか retweet とかっていうのは、目配せとかウインクとか相づちといったただの仕草、ポーズ。そうすることによって自分になにかが返ってくるわけではないから、遠くから安全圏に引きこもっている、というか、安全なリビングでソファにふんぞり返っているみたいなものなのだ。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/11/13/231551

いまやインターネットは大きく分散してしまいました。それぞれの人達がそれぞれの場所に散らばっています。

今年は Twitter, Tumblr, Fediverse, Instagram, Cosense, Hatena Blog, E-mail といったふうに、ありとあらゆる回線を使って募集を繰り広げています。インターネットはずいぶん分散・分断されました。それについてはそんなに悲観的な感想はもっていなくて、実にインターネット的だなあと思っています

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/11/14/094032

そんなわけで「一人ずつ刺しに行く」のもなかなか骨が折れることになりつつあります。

11月第3週「なにを書いたって、いま、このタイミングで書けば20XX」

で、まあラッキーなことに25枠を埋めることに成功しました。皆様のご愛顧に感謝します。

一息付く間もなく今度は自分の post を書かなければなりません。書きたいことがあってこんなことをしているわけではないので、毎年、毎回、まったくのノープランです。真っ白。もう本当に捻り出す感じです。

『ベスト・オブ・ザ・イヤー』と謳っていますし、一番最初はそういう響きに憧れがあったのは間違いないのですが、

今年こそはきっと私もカッコイイ幕引きが待っているに違いない。

https://adventar.org/calendars/844

これを始めて早々に自分がそういう人間ではないこと、ベストというか、そういうポップさからはるか彼方の人間であることを思い知ります。もう「ベスト」とか言いながら全然「ベスト」ではない謎な文章を残すようになりました。「書きたいのに、なにを書けばいいかわからない」。もうずっと前からまさにそんな感じだったわけですね。

なにを書いたって、いま、このタイミングで書けば、このタイミングでしか書けないものが書けるだろう。つまりそれが20XX年だ、みたいな感じです。

まあだいたい延々と、書いては消して、書いては捨ててを繰り返します。

11月最終週「まあだいたい間に合うよね」

今年はラッキーなことに2025/11/29、2025/11/30は土日でした。本当にラッキーです。それっぽいものが出来てもずっと読んでは直すを繰り返します。こういうものは締切があるからリリースできるんですよね。たぶん。そんな感じです。最後にはもうしばらく自分の文章は読みたくありません。気持ち悪くなります。

はてなブログを使っているので URL を見ればそれが予約投稿したかどうかわかるんですが、だいたいは予約投稿で post しています。つまり、結局は間に合うのだ、ということです。

ただ一回だけそれが出来なかった年がありました。2018年です。この年が一番ヤバかったですが、このときは本当にビックリするくらい短時間で書きました。最後の最後まで書けなかったくせに、なぜか金曜ロードショーを最後まで観てから書きました。

そしていよいよ11/30金曜日、そろそろやるかと PC と向き合うもののテキストエリアに書かれたのはただの三行。ちょうどいい具合に金曜夜の映画で「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」をやっていてゲラゲラ笑いながら見ていたらあっという間に深夜0時。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/12/03/174253

10年もやっていると色々なことがあります。

12月第1週「小さな一歩、そして完走への遥かな旅路」

本日は2025/12/01です。無事に自分の post を投稿することが出来ました。ハレルヤ。

残すは「25日間完走させること」です。もう僕に出来ることはほとんどありません。祈るのみです。どうか無事に完走しますように。

これはインターネットから見れば小さな一歩だが #2025AC2025 にとっては偉大な一歩である。 "That's one small step for The Internet, one giant leap for #2025AC2025 "

https://x.com/taizooo/status/1995372817966322123

2025 Advent Calendar 2025 - Adventar
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*1:京極夏彦『鉄鼠の檻』 - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/10/18/085435

*2:『鉄鼠の檻』読了 - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/11/06/233642

*3:Advent Calendar Advent Calendar 2015 - Adventar https://adventar.org/calendars/1001

日記の本番 2025/09

これは2025年9月の日記の本番です。

1

インターネットで見かけるたびに、ストリートスナップや、無印良品スタッフスナップや、世界陸上やメジャーリーグのアスリートたちの足元を Google で画像検索している。なんのシューズを履いているのか調べるのは、いまやライフワークだ。

ちょっとした臨時収入的な何かがあって、それがいわゆる「宵越しの金はナントカ」的なものだったので、「カワイイが過ぎて買えなかったシューズ」は結局のところ、購入した。

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ついこの前まで「走る用のシューズしか買いたくない」とか言っていたのに、である。ムーンスターの 810s というラインナップが気に入っていて、いまは大げさなベルクロテープのついたワークシューズ的なスニーカーが気になっている。

2

当初、「カワイイが過ぎるシューズ」を断念して買ったのは、岩波書店のカント全集10『たんなる理性の限界内の宗教』(『宗教論』)だった。ロールズ『道徳哲学史講義』、「カント講義」(後半)のキーワードの一つが「自由」で、『宗教論』第1編がそれに関係する。

「自由は行為の偶然性(行為が根拠によってまったく決定されていないこと)に、すなわち非決定論にあるのではなく、絶対的自発性にこそある」 ロールズ『道徳哲学史講義』カント Ⅷ 「自由の法則としての道徳法則」(宗教論 6:49)

https://x.com/taizooo/status/1963410349518156139

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もう一つの重要なキーワードが「信仰」で、カントはこの語を用いずに「要請」を使っているんだけど、3つあって、「神」「不死」「自由」への「要請」。なぜカントが「宗教」「信仰」について考える必要があったのかというと2つの見方があって、一つは「最高善」、もう一つが「諸目的の国」。ロールズはどちらも重要な概念だとしているけれど、現代の視点から破綻しない方に軸を置こうとしていて(つまりそっちの方がロールズの『正義論』に近づくんだと思うんだけど)それが「諸目的の国」。

「諸目的の国」、僕らが元来もっている理性に基づいて道徳的に生きることができるとすれば、自ずから理想的な完全なる世界に達する、みたいな意味だと思うんだけど。ロールズはこれらの考え方が『道徳形而上学の基礎づけ』と、カントが批判期以降に書いた「政治的論考」群の中にある、と言っている。

そういうわけで、「宵越しの金はナントカ」的なちょっとした臨時収入で、カント全集14『歴史哲学論集』も購入した。これには『普遍史の理念』『理論と実践」『永遠平和のために』が載っている。

ここに書くにはちょっと理解が不十分なのでまた改めて書きたい(予定は未定です)。

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3

で、今後の積読山脈について。

『道徳哲学史講義』まだ終わっていないし、終わっていないどころか最後にデカい「ヘーゲル講義」が残っているので、あまりにも気が早すぎて鬼が笑うんだけど。

この積読山脈は、そもそもはロールズの『正義論』を読もうと思ったことが始まりで(本当はさらにその前の始まりがあるんだけど、それは置いておく)、地ならしのつもりで読み始めたのがきっかけだった。

(もう忘れていたけど、きっかけは「カントの構成主義」についてだった)

『道徳哲学史講義』、そのほとんどがカントについてで、まったくカントを知らないところから始めたこと、それから、へこたれずにやっと手にしたこの視点はあくまでもロールズの肩ごしに見たカントであること、というわけで、もう少しちゃんとカントを読んでみたい、という気持ちがまず一つ。

ロールズの講義集、じつはもう一つあって、それは『政治哲学史講義』と呼ばれていて、こちらでは「功利主義」とか「社会契約論」が扱われている。こちらはダイレクトに『正義論』につながっているので、さっさとこっちに進んで早いところ元いた場所、『正義論』に戻りたい、という気持ちがもう一つ。

と、揺れ動いている。いっぺんに両方とも、が無理なのは明白。で、迷っている。

すべて持つことはできない。 禁じられている。 選ぶことを学べ。

https://taizooo.tumblr.com/post/170040413

4

数学はダラダラと細く長く続いていて、二つ取り組んでいた片方、中学数学の練習問題を解きまくる方は止まってしまった。もう片方の、小島寛之『数学入門』は、まだ微分も終わっていない。あんなに意気込んでいたのに。いま、導関数の代数法則あたりにいる。和の微分法則、積の微分法則、合成の微分法則。

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全然進んでいないのに、「宵越しの金はナントカ」的なちょっとした臨時収入の残りすべては、微分積分の本と線型代数の本になった。ただひたすら積読山脈が積み上がっている。

あれ?なんのために数学なんて始めたんだっけ、とか思ったけどきっかけは、タネンバウム『コンピュータネットワーク』だった。目的はとうの昔に忘れ去られている。

『コンピュータの構成と設計』( COD )は、こちらも細々と続いている。 C 言語のコードでソートのアルゴリズムが出てきて、一瞬、そっちに心を持っていかれそうになったけれど、すんでのところで踏みとどまった。無事に MIPS プロセッサの心にたどり着けたら、そのあと、クヌースの "The Art of Computer Programming" ( TAOCP )に行ってみたい。行けるのか?

https://www.codereading.com/algo_and_ds/algo/insertion_sort.html
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MIPS プロセッサの心にたどり着くこと、これってよく考えると AI が目指していることの反対向きの矢印だな。

5

いまこの「日記の本番」を書いているのは、すでに10月もだいぶ通り過ぎていて、今年も残すところ3ヶ月を切ったし、なんなら 2025AC2025 まで2ヶ月を切っている。えーーー、って感じである。

サッカーは残り試合が片手に余るくらい、ホームにいたっては残り2試合になってしまった。自他ともになにも手にすることができていない。えーーー、って感じである。

なにかを手に入れることができるのか、実はすでに手に入れているのか、まったくわからない。気持ちばかりが先走る感じ。だがしかし、毎日を進めていくしかない。

日記の本番 2025/08

これは2025年8月の日記の本番です。

なにか大きな変化があるとすると、それはこの長い盆休みの間に起きたことではなくて、これから起きることなんじゃないか、みたいなことを書いておく。

今週末の良かったこと(盆休み編) - copy and destroy

いろいろなことがあったけど、そのどれもが決定打にはなってなくて、だがしかしそこに変化はあった。

1

きまぐれに teva のサンダルを買って、暑かったからこればっかり履いていて、最終的にはこれで会社へ出勤するようになった。無印良品スタッフスナップの定点観測はあいかわらず続いてて、ずっとスナップショットの足元を見続けていた。ムーンスターの可愛いがすぎるシューズが欲しくてたまらなくなったが、あまりに可愛いが過ぎて手が出ず、結局その予算は、別の積読山脈の一冊になった。インフレ気味のランニングシューズは、サードパーティのインソールにハマって、いろいろなインソールを取っ替え引っ替えしている。

2

7月にギックリ腰をやってから定期的に鍼灸に通うようになった。夏休みの課題図書のうちの1冊は痛みについての本だった。痛みは感情、情動、そして記憶に関わる。この長いお盆休み、走るのをお休みした。休み明け、大風邪を引いて大苦戦。慢性疼痛について理解したこととか、鍼灸の先生の治療と身体の動かし方(回旋運動連鎖)のヒントとか、全国衛生週間のセミナーで聞いた理学療法士の身体の動かし方(脱力の仕方)の話とか、いちどフィジカルがリセットされてイチからやり直す感じとか、そういった色々なことがあった。

3

ちょっとしたきっかけで積まれたタネンバウム『コンピュータネットワーク』、目的は ALOHA ネットワークだったんだけど、そこでいきなりポアソン分布が出てきた。全然わからん。そのまま読み進めているうちに出てきたのが、誤り検出と、誤り訂正で、符号化理論の話だった。全然わからん。そして積読山脈から中学数学の入門書が掘り起こされ、そして夏休みの課題図書のうちの一冊は数学の入門書になった。長い長い助走になっている。どこに向かっているのか全然わからない。

4

ずっと続いているロールズ『道徳哲学史講義』はライプニッツ講義、ヒューム講義を経て6月にカント講義の後半に戻ってきたけれど、戻ってきたころにはすっかり忘れてしまっていてずっと低空飛行を続けていた。8月の終わりになってやっとエンジンかかってきた。軸はカント『実践理性批判』から『たんなる理性の限界内の宗教』に移った。なぜカントは三批判書のあと宗教について書いたのか。そういう基本的なことがわからなくて結局、一番たよりになったのは岩波ジュニア新書の『自分で考える勇気』(カント哲学入門) だった。

5

『コンピュータの概念と設計』は続いていて、たった1章(第3章「命令:マシンの言葉」)にもうかれこれ3ヶ月以上かかっている。そしてまだ続いている(9月現在)。そもそもは、C言語のポインタについて、なるほど変数はそういうふうに扱われるのか。あれ? じゃあ、定数は? プログラム本体は? そもそもプログラムが動くとは? というところから始まっていて、振り返るとこの章は、自分自身が MIPS プロセッサのアセンブラになるという活動で、COD を全部やるとたぶん自分自身が MIPS プロセッサになるんだと思う。長い長い助走になっている。どこに向かっているのか全然わからない。

6

夏休みの課題図書は、ほぼ食べかけのままになっている。積読山脈がひどいのと、そのすべてが写経するみたいな読み方になっていて、ふつうの読書がどこかに行ってしまった。完全に、ふつうに本を読む方法がわからなくなってる。

それではここで、

積読山脈の様子をご覧いただきます( 2025/08/08 の断片)。

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すべてはいまだ、変化の途上にある。

日記の本番 2025/07

これは2025年7月の日記の本番です。

ギックリ腰、新しいスマートフォン、参議院選挙、積み増される積読山脈、シューズのランナップ入れ替え、

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/08/05/104613

ギックリ腰

ちょっとした拍子に「ひょっとして免疫が落ちているのでは?」「もしかして疲労がたまっているのでは?」みたいなことがいくつかあった

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/07/07/090833

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ギックリ腰から回復、先週末の3連休で裏山に復帰したものの、火曜日にリバウンドが出て休養、水曜日に予定通り3回目の鍼灸受診。

( ... snip ... )

次回の治療の予約をした。1ヶ月後。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/07/28/094640

新しいスマートフォン

もういい加減スマートフォンを引っ張りすぎたので( Galaxy S10 、もう6年?)、ウーン、ウーンと頭をひねらせて( iPhone にする?とか、通信キャリアは?とか)、最終的には SIM フリーの Pixel 9a (一括支払)にした。したんだオレは

https://x.com/taizooo/status/1940635985026679060

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スマートフォンを新しくして一番良かったことは、ふと見たときに、バッテリーが「残りあと1日と1時間」*1とか表示されてて、充電の心配をしなくなったことです。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/08/02/152944

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参議院選挙

参議院選挙は与党過半数割れ、立憲民主党は維持、国民民主党と参政党が躍進。選挙区は戦略的投票?で落選、比例区は個人推しで山田太郎氏が当選。

今週末の良かったこと(選挙、そして夏の課題図書) - copy and destroy

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少女は社会主義の下で育ち、共産主義を理想として生きてきたが、それらは統治体制としてだけではなく、理想として消え、そもそも思考のカテゴリーとしても消滅した。残ったのは「自由(freedom)」だけだった。しかし、「自由選挙」が始まって、彼女の家族は戸惑う。望んでいた自由とは抽象的な可能性としてであり、具体的に手が届くようになった瞬間、むしろ彼女の家族は「状況が手に負えなくなることを恐れていた」。ミルトン・フリードマンとフリードリヒ・フォン・ハイエクが一夜にしてカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスに取って代わったことを将来の政治学者は目撃する。その意味を、彼女は考え続けた。

Book Review『FREE――歴史の終わりで大人になる』 – けいそうビブリオフィル

シューズのランナップ入れ替え

スタジアムへ向かう人たちを見ても、街を歩いている人を見ても、「無印良品スタッフスナップ」を見ても*1、ずっと足元ばっかり凝視している変なヒトになっている。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/06/29/085005

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ということで、シューズのラインナップ入れ替え。

足のサイズが変わってしまったので( 25.5cm → 27.0cm )、「公」の場で履ける靴が1つしかなくなってしまったので*6、リーガルのプレーントゥ JJ23 を買った*7*8*9。近くにショップがないので、オンラインショップから購入した。思った通り最初に購入したサイズは大きすぎて*10これを返品してハーフサイズ小さいものを購入した*11。

今週末の良かったこと(フローレン・ジーズ、ノエル・アクショテ、シューズばっかり見ている) - copy and destroy

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ムーンスター、近所には取扱店がないのでオンラインショップで注文した。インターネットでサイズ感を調べると「ワイズが広めなのでハーフサイズダウンが最適」とのことだったので 26.5cm を注文したけど、履いてみると横幅がキチキチだった。日常使いにはちょっとキツイ。というわけで、27.0cmに交換してもらう。

今週末の良かったこと(走って洗って寝て食べて、それと靴の話) - copy and destroy

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箱は小さかったけど、出してみたら思ってたよりだいぶデカくてびびった。やらかしたと思った。履いてみても思ってたより一回り大きくて、絶対やらかしたと思った。そうは言っても、まあ試しに、と、そこら辺を歩いてみたら、とてつもなく快適だった。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/07/30/222319

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起床成功。ホームセンターへ。頼まれた肥料と殺虫剤、それからシュークリームを買う。戻ってきて新しいプレーントゥと古いローファーを磨く

今週末の良かったこと(目まぐるしく動き回った土曜日と一瞬で終わった日曜日) - copy and destroy

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日記の本番 2026/06

これは2025年6月の日記の本番です。

なぜイーサネットはエーテルなのか

イーサネットはなぜ「エーテル」という単語を使ったのかとか、

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/06/07/005942

The Computer as a Communication Device – Creatures of Thought
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ロバート・メトカーフは、秋季合同コンピュータ会議の議事録を閲覧していた際に、ノーマン・エイブラムソンの ALOHAnet に関する論文に出会いました。

メトカーフは当初、パケット・ブロードキャストを PARC に導入する計画を “ALTO ALOHA network” と呼んでいました。その後、1973年5月のメモで、19世紀の物理学者があらゆる電磁波を運ぶと考えた光伝導体エーテルにちなんで、この計画を「イーサネット」と改名しました。「これにより、物事は汎用的になります」と彼は記しています。

The Computer as a Communication Device – Creatures of Thought

ニュートンは1675年の『光の仮説』で、粒子間の力を伝達するエーテルの存在を仮定した。1704年にニュートンは『光学』を出版し、光の粒子理論を詳しく説明した。彼は光が極めて微細な粒子から成り、通常の物質はより粗大な粒子から成り立っていると考え、ある種の錬金術的変換を通じて「粗大な物体と光は相互に変換可能ではないか。そして物体は、その構成に入る光の粒子からその活動の多くを受け取るのではないだろうか」と推測した。

17世紀の光学革命 - taizooo

あるきっかけ

ちょっとした tweet を見かけて、そこからネットワーキングの歴史を追いかけていた。まとめようと思っていたけど途中で飽きて(途中でイラっとくることがあって)、開いていたタブを全部閉じてしまった。もったいなかったかもしれない。

今週末の良かったこと(サッカーがない、テクい道、エーテル) - copy and destroy

ことの発端は Windows 95 に TCP/IP スタックが実装されていたのかどうか、という tweet だった。

大昔、暇にまかせて、打ち捨てられていたかなり古い Compaq のモニタ一体型のカワイイ PC に、フロッピーディスクを何枚も何枚も差し替えて Windows 95 をインストールしたことがある。拾ってきた ISA バスのイーサネットを挿して、ドライバーをフロッピーディスクからインストールして、インターネットに接続した。

ということで、「最初から実装されていました。デフォルトでは有効になっていませんでした」とお知らせした、というものだったのだけれど。

イラっとしたことが2つ。

1つは質問した本人がこの一番最後にした tweet が、礼に失したものだった、というもの。もう1つはいくつもリプライがついてきて、それらがどれもインターネットで拾ってきたものをそのまま、わかったような口をきくものだった、というもの。

File:Compaq Presario 425 (31404884663).jpg - Wikimedia Commons
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というようなことは、まあどうでも良くって、

これをきっかけに記憶と記録を漁っていた。 Windows 95 と漢字 Talk 7.5 には最初から TCP/IP スタックが実装されていた。 Windows も Macintosh もネットワーク対応していたけれど、軸足は TCP/IP にはなかった。Microsoft のそれは NetBEUI 、Macintosh にとってそれは AppleTalk だった。

AppleTalk ( LocalTalk )が、その実現のために選んだ技術は注目に値するもので、それについてはまた改めて書きたい(予定は未定です)。

Apple Talk は Macintosh にビルトインだった Mini DIN8-pin のシリアルポート( RS422 )を使っていた。RS422 は送受信2チャンネルの全2重化なので高等で高価。これをデイジーチェーンに繋いでネットワークを構成した。送受信を接続されたマシン同士がバケツリレーしていた。

今週末の良かったこと(サッカーがない、テクい道、エーテル) - copy and destroy

http://www.marushin-web.com/oldmac_12.html
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タネンバウム『コンピュータネットワーク』

そんなわけで(どんなわけで?)、アンドリュー・タネンバウム『コンピュータネットワーク』を購入した。中古、2002年、第4版(最新版は2020年、第6版)。まだ、パターソン&ヘネシー『コンピュータの構成と設計』も途中なのに。積み上がる積読山脈。

メトカーフが ALOHA Net から採用したプロトコルは、 OSI 参照モデルでいうと下層から2つ目のデータリンク層の一部(副層)、メディア・アクセス制御副層と呼ばれる階層のものだった。

IEEE 802で規定されているサービスとプロトコルは、7層からなるオープンシステム相互接続(OSI)ネットワーク参照モデルの下位2層(データリンク層と物理層)にマッピングされます。IEEE 802は、OSIデータリンク層を論理リンク制御(LLC)とメディアアクセス制御(MAC)の2つのサブ層に分割し、以下のように定義しています。

  • データリンク層
    • LLCサブレイヤー
    • MACサブレイヤー
  • 物理層
https://en.wikipedia.org/wiki/IEEE_802

アンドリュー・タネンバウム『コンピュータネットワーク』第4章より
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ひとこと TCP/IP と言ってもそこには様々な技術が折り重なっている。

まだうまいことなにか書けるだけの理解はない。数式が出てきて全然理解できないけど、ちょっとずつ読んでいる。

コンピュータネットワーク - taizooo
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もう1つのきっかけ

baku89 サンの Cosense で発見した、永原康史サンの『ワールドワイドウェブのこと』。

今週末の良かったこと(永原康史サンの文章から繋がるシェアと正義、ゼロックスとバック・トゥ・ザ・フューチャーの話) - copy and destroy

そのままスルっと読み流してしまうところだったけど、ちょっとしたきっかけで踏みとどまる。

結構長大だったから、これはすごい面白い文章に違いない、とは思ったもののちゃんとは読んでいなくて、そしたら後で nagayama サンが引用していて、ここで初めてなんとなく書かれていることの一端を掴んだ感じだった。

今週末の良かったこと(永原康史サンの文章から繋がるシェアと正義、ゼロックスとバック・トゥ・ザ・フューチャーの話) - copy and destroy

そんなふうにして、もう1つのきっかけと出会うことになる。

永原康史の他の文章を探してみました。同じサイトにこんな面白いものがありました。

今週末の良かったこと(永原康史サンの文章から繋がるシェアと正義、ゼロックスとバック・トゥ・ザ・フューチャーの話) - copy and destroy

ローテク、ローファイ、インスタント

gdr.jagda.or.jp

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理想工学のリソグラフ(と、プリントゴッコ)、ハイファイへのカウンターとしてのローファイ、グリッチ、ノイズ、エラー、

i-D マガジン、タイプライターの文字を切り貼りしたホチキス止めの Zine 、ダイモ、スタンプ、ステンシル、コピーマシン、ゼロックス、ソニー・ポーターパック、そして Macintosh 、

インスタントの時代。 DIY の精神。

これについても、まだうまいことなにか書けるだけの理解はない。部分だけの話をすると、これ。

DTP の3要素とは、第1は WYSIWIG のプラットフォームで、 Mac などがあてはまる。

第2はPDL( page description language )である PostScript で、これはその時点でハイエンドでも取組みが始まっていた。

第3がパソコン上のシュリンクラップされたレイアウトソフトである

DTPの衝撃と定義 1986-1987

最初の PostScript プリンタは Apple の LaserWriter だった。

https://en.wikipedia.org/wiki/LaserWriter
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PostScript は完全なプログラミング言語であり、適切なインタープリタで実行され、その後ソフトウェアラスタライザプログラムに送られます。これらはすべてプリンタ内部で実行されます。これをサポートするため、 LaserWriter は 12MHz で動作する Motorola 68000 CPU 、 512KB の作業領域 RAM 、 1MB のフレームバッファを搭載していました。発表当時、 LaserWriter は Apple 製品ラインの中で最も処理能力が高く、 8MHz の Macintosh を上回っていました。その結果、 LaserWriter は Apple の製品の中でも最も高価なものの 1 つでもありました。

https://en.wikipedia.org/wiki/LaserWriter#Hardware

LaserWriter のコストはドットマトリックス インパクト プリンタの数倍であったため、プリンタを複数の Macintosh で共有する手段が求められていました。LAN は複雑で高価であったため、Apple 社は独自のネットワーク スキームである LocalTalk を開発した。 AppleTalk プロトコルスタックをベースにした LocalTalk は、 RS-422 シリアルポートを介して LaserWriter を Macintosh に接続しました。

https://en.wikipedia.org/wiki/LaserWriter#Networking

DTP の衝撃、PostScript 、 LaserWriter 、 LocalTalk 、AppleTalk 、ネットワーク。

ここで話が振り出しに戻る。思いもしないところで思いもしないものが繋がる。

歴史にはいろいろな事象が折りたたまれている。たくさんの必然や偶然が重なり合って歴史を作っている。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2019/12/01/000000#1989

なにが僕をつかんで離さないのか

インターネットの始まりの話は、ずっと僕の心を掴んで離さない。

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インターネットの始まりは、というと1つは ARPANET 、もう1つはバークレーと呼ばれるけれど、実はもう1つある。

結局、1980 年頃には、3つの文化が存在し、それぞれはその周辺の部分で重なりあっていたが、非常に違ったテクノロジーによってまとめられた。 ARPANET と PDP-10 文化は LISP 、MACRO、 TOPS-10 そして ITS によってまとめられ、UNIX と C は PDP-11 と VAX と貧弱な電話回線(USENET)によって結びつけられた。そして、初期の熱狂的なマイクロコンピュータファンたちのアナーキーな群れは、コンピュータの能力を一般の人々に向けて解放した。

https://web.archive.org/web/20230709114640/http://linuxjf.osdn.jp/JFdocs/history-4.html

「熱狂的なマイクロコンピュータファンたちのアナーキーな群れ」。このことはなんとなくは理解していたんだけどまったく腑に落ちていなかった。ずっとそれがなんなのか探していた。それが急に空から降ってきた。この第3の文化こそが永原康史サンの言っていた「インスタントの時代」であり「 DIY の精神」なのであった。

いうなればこれは、ほかの何者でもない、僕らのことなのだ。

というわけで、

そんなふうにしてだいぶ脱線、散逸していて、ジョン・ロールズ『道徳哲学史講義』「カント講義」(後半)は完全に停滞している。マズイ。このままだと、どれも、なにも、手にすることができない。なんとかを追うものなんとかを得ず。マズイ。

日記の本番 2025/05

これは2025年5月の日記の本番です。

スチャダラパー、デビュー35周年

というわけで、「今週末のプレイリスト」、ルールを破ってスチャダラパー特集。

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muxtape 245 / pointless 5 - playlist by twwp | Spotify
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積読山脈

ロールズ『道徳哲学史講義』ヒューム講義から、大きく脱線してシュナイウンド『自律の創成』へ。そもそも一番最初にこの本の存在を知ったのは3月だった。最初はなんかのついでに図書館の書庫から出してもらったら1000ページを超える一品でたじろぐ。ほとんどページを捲らないまま、なぜか延長して(4週間)、そのまま返却するというヒトデナシ。そして5月、ヒューム講義に出てきたサミュエル・クラークを知るために再び借り出した、という流れ。まるまる一ヶ月堪能した。泣く泣く返却。中古市場にも出回っていない。希少種。絶滅危惧種。

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CODEstudy

C言語、入門書を一通りやって最後に「複合体」が出てきたけど説明があまりに抽象的で、C言語のやり始めに勢いにまかせて積んでいた K&R をちょっと眺めると(理解できていないけど)素晴らしい説明が載っていた。

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その流れで積読山脈にあった石田晴久『 UNIX 』を読んで目からウロコが落ちる。気分は完全に K&R !!! (ブライアン・カーニハン&デニス・リッチー 『プログラミング言語C』) やるぜ! C言語!

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と見せかけてじつはそこで脱線。 COD (デイビッド・パターソン&ジョン・ヘネシー『コンピュータの構成と設計』のなぜか2版、最新版は6版)を開いたり綴じたりしている。

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linklog / tumblelog

rururu.app の <input> (最寄りのテキストエリア)から唐突に始まった linklog への回帰は、あっという間に軌道を外れて、いまでは tumblelog の様相を呈しています。

そこかしこで見かけた URL を手当たりしだい好き勝手に、 Android の intent を介して hatenablog.app に post する、という流れ。基本パターンは(はてな記法で)、

タイトル
"パンチライン"
本文
[url:embed:cite]
[url:title]
>>
"引用1"
<<
>>
"引用2"
<<

このやり方はスケールする。

結果、恐ろしいほどの投稿量になっていて、5月の post 数は 71 個で月間単独2位となった。5月の link からいくつか。

継続する信念。連載(継続)が導く広がり。自由(自律)と共有(所有)と公正(正義)、ゼロックスとポーターパックとパーソナルコンピュータ。

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サッカー

甲府、5月は3勝1分2敗 。第18節までで6勝5分7敗、得点17失点17得失点0、11位。もう一歩、あとちょっとは、来月に持ち越し。だがしかし、「状況変わるぞ」。

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日記の本番 2025/04

これは2025年4月の日記の本番です。

花粉症

僕にとって、毎年1月の終わりくらいから4月いっぱい(場合によっては5月の始めまで)が花粉症の季節です。

スギ花粉とヒノキ花粉の花粉症があって、特にその症状の出始めの頃が一番反応が強く出ます。2種類の花粉症が連続していますから2回それが起きるわけです。1月の終わりのスギ花粉の始まりはたいてい胃腸の不調から始まります。4月のヒノキ花粉の始まりは目の不調です。

今年は、花粉症の始まりが早くて1月の中頃から胃腸の不調が始まりました。これはゆるやかに起きるのでその始まりはそれが花粉症かどうかの判断がなかなかつきません。そういうわけで今年は耳鼻科の受診がちょっと遅れてしまいました。処方されるのはステロイド点鼻薬と抗ヒスタミン薬の内服薬です。

ステロイド点鼻薬(血管収縮薬点鼻薬とは別のもの)は花粉症予防のゲームチェンジャーになっていて、その効果は絶大です*1。ステロイド点鼻薬と鼻腔へのワセリン塗布だけである程度乗り越えられたりします。

抗ヒスタミン薬は、まだ第一世代抗ヒスタミン薬のイメージを持っている人もいるかもしれませんが、僕の処方されている第二世代抗ヒスタミン薬は1日1回の服薬で、眠気も催しません。特に副作用も出ていません。なかなか優秀です。

ということで順調に経過していたのですが、3月中旬、いつもより一ヶ月くらい早く次のヒノキ花粉の花粉症が始まってしまいました。病院で処方された点眼薬は第二世代抗ヒスタミン薬の点眼薬なのですが、これが全然効きません。さてどうしたことかというときにこの本を発見します。薬剤師の方が書いた OTC 医薬品*2*3*4についてのガイドブックです。

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結局、ドラッグストアの点眼薬がズラーっと並んでいる棚から、ガイドブックの指示の通り、ポピュラーで枯れた技術であるところの第一世代抗ヒスタミン薬(クロルフェニラミン)だけが含まれた一番シンプルなものを選びました。500円。

点眼薬は接種する量が少ないので副作用も小さい。単機能のシンプルな薬剤の方が副作用が限定されるので安全安心。必ずしも新しい世代の薬が効くわけではない。だれにでも同じ薬が効くわけではない。個別性の原則。 "individuality" 。

CODEstudy

結局のところC言語のことをまったく知らないことがわかりました。ということで、振り出しに戻る。

日記の本番 2025/03 - copy and destroy

というわけで、ポインタから巻き戻ってC言語入門へ。

ポインタから始めちゃったからだけどC言語は変数をメモリのどこにどういった形で(大きさで)置くのか、どう操作するのか、っていうものに見えてて、これは反対にコンピュータの中に入っていくイメージがする(適当ーーー)。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/04/15/110527

なんて、わかったようなわからないような感じを醸し出していますが、

例題のプログラムを写経しているというよりは vim の置換やコピー&ペーストの操作を訓練している感じだし、 コンパイルしているというよりも bash の履歴展開(イベント指示子、単語指示子、修飾子)の訓練をしている感じ。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/04/15/165508

ただ bash のプロンプトをシンプルにしたいだけなのに、コマンド展開とかブレース展開とかシェルスクリプト(というか関数)とか変数の話になっている。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/04/23/135312

といった感じに、なかなか本題に入れない。けれど、

(外堀を埋めようとすると)そこで泥沼にハマったりする

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/03/25/172440

だから、気をつけないといけない。そういうのは何回も経験している。そして僕は寄り道は大好物。危ない、危ない。

ということで、シェルは bash だし、エディターは vim だし、設定もデフォルトのままだし、 tabstop も number もそのたびに設定しているし、 alias も全然設定していない。


積読山脈

『道徳哲学史講義』の「ヒューム講義」へ。デイヴィッド・ヒューム『人間本性論』は3分冊。最初は図書館で借りて、結局3冊とも購入した。

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ランニングシューズ4足体制

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色が同じでサイズが違う、という組み合わせになっていてペアがわからなくなるから、かかとにサイズを書いてある。

*1:花粉症対策 - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/%E8%8A%B1%E7%B2%89%E7%97%87%E5%AF%BE%E7%AD%96

*2:OTC医薬品とは?/くすりについて/日本OTC医薬品協会 https://www.jsmi.jp/what/

*3:一般用医薬品等(OTC医薬品)の活用術 | 日本調剤(お客さま向け情報) https://www.nicho.co.jp/column/20442/

*4:セルフメディケーション税制(医療費控除の特例)について|厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000124853.html

日記の本番 2025/03

これは2025年3月の日記の本番です。だいぶ遅れた。

傷心のコーヒーチケット

寺崎コーヒーのコーヒーチケットです。サッカーで負けたので買いました。11枚つづりで4,800円。1枚でドリップとそれ以外のドリンク(アメリカーノはワンショットまで)が飲めます。おかげでちょくちょく寄るようになりました。負けた甲斐があった(いや、ない)。

今週末の良かったこと(サイズ違いでドロップされたニューシット、傷心のコーヒーチケット) - copy and destroy
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ニュー・シットをドロップ(ランニングシューズ)

新しいランニングシューズがドロップされました。裏山用です。 Brooks Cascadia 裏山もロードもなんでも来いの万能シューズです。新しいモデルが出ていて Amazon で割安になっていました。27.0cm と 27.5cm のサイズ違いを買いましたが、その後それぞれ買い足して合計4足となりました。これでしばらくの間、グローバルに繰り広げられる貿易戦争からも、トランプショックから狂乱する為替相場からも、僕のランニング生活は安泰です。

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C言語はじめました

この一連の活動は CODEstudy と呼ばれます。

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この post では2019年のベスト・オブ・ザ・イヤーをその「始まり」と見なしましたが、よくよく思い起こせば、そもそもの始まりは、僕のインターネット元年である tumblr の dashboard に join した2007年であり、もっと言えばその前史である Mac OS X Public Beta に login した2000年でした。それは Darwin であり BSD であり UNIX だったのです。最初「コンピュータ」から始まった "digging" は、「ネットワーク」、「インターネット」、そして「この世界」、という流れになっていると言えそうです(適当)。

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『ふつうの Linux プログラミング』を読み始めました。はじめに対象読者について書かれていました。「C言語の入門書は読んでいて、 構造体とポインタくらいはわかる」。まるまる2月から3月を使い切ったところでこう書かれていた意味を理解します。「で、ポインタって?」。『苦しんで覚えるC言語』を読み始めました。

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いまでは & 演算子も、複雑怪奇な(支離滅裂な) * 記号の意味も理解しましたが、結局のところC言語のことをまったく知らないことがわかりました。ということで、振り出しに戻る。

「述語ハ主語ニ内在スル」(ライプニッツ講義)

積読山脈の様子です。ジョン・ロールズ『道徳哲学史講義』の「カント講義」前半が終わって「ライプニッツ講義」へ。

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バロックの哲学、どころか、哲学の歴史を全然知らないのでまったく歯が立たないところから、面白いもんでわからなければわからないなりに読み続けていると、内容はともかく、全体の流れというかスピノザ、ライプニッツ、ヒューム、そしてカントという全体の流れが見えてきます。しまいにはライプニッツ『形而上学叙説』を読了寸前までいって、すんでのところで放りだしたりしました。あっとちょっとというところでも躊躇なく放り出すのは得意。いつだってそれを辞さない構えで。

日記の本番 2025/02

épinette, km3, saint-nazaire | Mériol Lehmann
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これは2025年2月の日記の本番です。

1月の日記の本番が書けなかったところから始まります。

1

イマヌエル・カント『判断力批判』*1を放り出してしまった話です。こんな話でした。

最後にこんな引用を貼って、すべて放り出しています。

『日記の本番』が書けなかった話(希望としての「本番」と、それを繋ぎ止めるための「練習」) - copy and destroy

誰もが勝手に観たいものを観て、感じたいように感じるのだ。まあ気にするな。

今週末の良かったこと(カントをめぐるアレコレ、「判断力批判の積読山脈」の終焉) - copy and destroy

2

さて、カントは1724年に生誕しました。日本は江戸時代、享保年間、徳川吉宗の時代でした。ちょうどその頃、本居宣長が生誕しています(1730)。

カントの書籍と世界史と日本史をマッピングをしてみました。こんな感じです。

デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ヒューム、カントの生誕と江戸時代の元号をマッピングする - taizooo

  • 明和 1764 - 1772
    • 1772 明和の大火
  • 安永 1772 - 1781
    • 1774 杉田玄白『解体新書』
    • 1775 ~ 1783 アメリカ独立戦争
  • 天明 1781 - 1789
    • 1781 カント『純粋理性批判』第一版
    • 1783 蔦屋重三郎 日本橋進出
    • 1783 カント『プロレゴメナ』
    • 1785 カント『道徳形而上学の基礎づけ』
    • 1786 田沼意次 失脚
    • 1787 ~ 1793 松平定信 寛政の改革
    • 1787 カント『純粋理性批判』第二版
    • 1788 アメリカ合衆国憲法 発効
    • 1788 カント『実践理性批判』
  • 寛政 1789 - 1801
    • 1789 ~ 1795 フランス革命
    • 1790 カント『判断力批判』
    • 1794 東洲斎写楽 登場
    • 1797 カント『人倫の形而上学』
    • 1800 伊能忠敬 蝦夷地測量
  • 享和 1801 - 1804
  • 文化 1804 - 1818
    • 1804 カント 死没

ちょうどいまやっている NHK の大河ドラマは明和九年(めいわくねん)「明和の大火」から始まりました*2。ほぼ同時期です。

イアン・ハッキングは『言語はなぜ哲学の問題になるのか』の「観念の全盛期」*3の中で、ジョン・ロック(17世紀)とゴットロープ・フレーゲ(19世紀)という歴史の間には何人もの哲学者が介在しているので(その中にはイマヌエル・カントも名を連ねています)、たとえ同じ言葉であっても(この場合には「観念」という語)、まったく違う意味を帯びている、と考える方が適切であろう、と言っています。

カントを読むというのは、カントの生きた18世紀と、僕らが生きる21世紀の間に横たわる200年という隔たりを、透かし見ることでもあります。

3

日本では明治維新*4で、文化、社会、政治の大きな変化、断絶があったと考えられています*5

そのため、江戸時代に書かれた文章が地続きに現在と直接繋がっているという感覚はあまり無いのではないかと思います*6

例えば平賀源内や本居宣長の書いた文章や、蔦屋重三郎の出版した本が、21世紀の現在に、つまりいまインターネットにあふれているテキストや出版されている書籍とダイレクトに繋がっている、まったく同質、同等である、というのは考えづらいことです。

不思議なことにカントの書籍は、哲学や思想の世界では、まるでそういう地続きなものとして扱われているように見えます。自分たちと肩を並べるものとして対等、またはそれ以上のものとして批判、批評が行われています。そうやって新しい価値を導き出そうとする、現在進行形のなにかに見えるのです。

まるで僕らがサブスクリプションをグルグル回して、21世紀のポップソングと、バロックのクラシカルミュージックと、20世紀の現代音楽と、60年代のファンクやジャズを、全部混ぜ合わせて隣り合わせに聴いているようにです。

そのことに僕は気がついてしまったのです。そしてこのように書き残して放り出してしまいました。

巨人の肩に乗る。それぞれの人たちが自分の考えを乗っけているとも言える。どんなルートを辿っても、少なからずそれぞれの人たちにとってのカントを読むことになると思う。

今週末の良かったこと(カントをめぐるアレコレ、「判断力批判の積読山脈」の終焉) - copy and destroy

ジョン・ロールズが、ミシェル・フーコーが、小田部胤久が、ハンナ・アーレントが、まったく同じカントという人物の残した文章から、それぞれの見たいものを見たいように読み取っている。

であるならば、僕はどの視点を選ぶのか。

4

さて、ヨーロッパの文化の奥底には復古から革新へという一見、不思議な流れがあります。ルネサンスがまさにそれでした。もともとは復古を意味していたその活動が、変革や革新、そして破壊的な革命に繋がったという歴史の流れです。それはここにあるように「アメリカ独立戦争」「アメリカ合衆国憲法 発効」「フランス革命」という出来事に繋がっていきます。カントは「歴史の底が抜けた混沌」を生きていました*7

5

下村寅太郎は、『世界の名著 25』で『スピノザとライプニッツ、「天才の世紀」の哲学と社会』という概説を書いています。

この二人の哲学者の生きた十七世紀は、「天才の世紀」である。フランスではデカルト、マルブランシュ、イギリスではロック、ホッブズのごとく、いずれも個性の豊かな体系的思想家の輩出した近世哲学史中、もっとも絢爛たる時代である。 十五、 十六世紀が「学芸復興の世紀」 十八世紀が「理性の世紀」と呼ばれ、それぞれの世紀の性格を示す名称があったが、 十七世紀は長くこのような名称を欠いていた。 ホワイトヘッドがはじめて 「天才の世紀」と命名した。

スピノザとライプニッツ、「天才の世紀」の哲学と社会 - taizooo

「学芸復興の世紀」(ルネサンスの時代)、「天才の世紀」(バロックの時代)、そして「理性の世紀」(啓蒙の時代)です。

全ヨーロッパが「一人の教皇と一人の皇帝」によって宗教的ならびに政治的に組織され支配されて、一つの統一的なヨーロッパ的世界を形成したことが、中世ヨーロッパの特色であった。これが全面的に解体、崩壊したのは十七世紀である。

スピノザとライプニッツ、「天才の世紀」の哲学と社会 - taizooo

宗教革命によって「神聖ローマ帝国」はバラバラに砕け散りました。それから長い長い時間を掛けて本当の変革が起きたのが18世紀でした。

まるで2025年の僕らが、

19世紀末から世界大戦を経て形づくられた世界の構造(冷戦構造)が、資本主義が生み出した巨大企業コングロマリットが世界中に張り巡らせたサプライチェーンが、そして無邪気なテクノロジーが世界中を繋ぎ合わせたインターネットが、

長い長い時間を掛けて少しずつ、本当にバラバラに砕け散りつつあることに直面しているのと同じようにです。

6

なんてわかったようなふりをしつつ、僕が選んだのはジョン・ロールズの視点でした。

カントと同じように「歴史の底が抜けた混沌」を生きる僕(僕ら)が、

ロールズが見出そうとした『正義論』の目線を通して、

カントが信じた(信じようとした)ように、特別ではない誰もが(僕らが)ごく普通に、当たり前に「正義」や「善」を実現する能力を備えているのだ、ということを、再び(三度)発見する、

というのは、なんか運命みたいなものがあるんじゃないか、なんて大胆なことを考えていたりなんかします。

7

カントは、まるでその先にいくつもの稜線や谷筋を抱えている裏山に見えます。玄関からトレイルヘッドまでは歩いてたどり着けるような場所にありますが*8、気まぐれにルートを選ぶと命懸けになるくらいスリリングな山脈が連なっています。そう、これがあの「積読山脈」なのです。

*1:今週末の良かったこと(積み増された積読山脈、判断力批判の積読山脈の始まり) - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/12/30/121200

*2:明和の大火 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%81%AB

*3:言語はなぜ哲学の問題になるのか パート A 読解 - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B_%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88_A_%E8%AA%AD%E8%A7%A3

*4:1868 大政奉還、王政復古から、1889 大日本帝国憲法発布までと考えられています

*5:さらには、 1945 ポツダム宣言受諾による敗戦という、もう一つの大きな断絶を経ていると考えられます

*6:実際にはもっと、さらに昔から地続きであったのだ、という話が、西田知己『「新しさ」の日本思想史 — 進歩志向の系譜を探る』にありますが、その話はまたいつか

*7:カントは存在の根拠が喪失しつつある時代というか、旧来の秩序の「底が抜けた」時代に思考していた人物だったので、今のように再び底が抜けつつある時代に読むのは、良くも悪くもやはり合っているのかもしれません。 https://x.com/adamtakahashi/status/1863957942430748971

*8:書店の文庫コーナーに、まるでなんでもないような顔をして並んでいますが、

日記の本番 2024/12 補遺

書き忘れた大事なことが一つ。なので簡単に。

書き出しが一つでも、そこから分岐すると全然違う結論が導き出されたりします。ということで、書かれなかったもう一つの話。

僕はインターネット辺境の匿名アカウントですから、実際に面識があったり、リアルになにがしかの繋がりがあったり、そういう人はほとんどいません。それでも25個の枠が埋まって、25日間を完走できているのは、奇跡以外のなにものでもありません。

日記の本番 2024/12 - copy and destroy

25個のヘイルメリーパスをもっとも享受したのはたぶんおそらく、ほかならぬ僕だった、という話をしました。そうしてどうなったのか。

僕は、会ったことも話をしたこともない彼らに(君に)、確固たる友情を感じていたりします。いったいこれはなんなのでしょうか。会ったことも話をしたこともないのに。

それは一方的なもの、片思いみたいなものなのだと思うのです。それでもこれが確実なもの(少なくとも僕にとって確実なもの)であるという自負があります。なぜならば、かつて tumblr の dashboard で夜な夜な繰り広げられていた、あの場にも、まったく同じものが存在していたからなのです。

もしかしたら虚構かもしれません。でもそれはこれ以上ないほどの強くて固い共感です。この感情はいったいなんなのでしょうか。

おしまい(リプリーズ)。

日記の本番 2024/12

これは2024年12月の日記の本番です。

それは "2024AC2024" と呼ばれます

毎年12月といえばベスト・オブ・ザ・イヤー・アドベントカレンダーです。今回のそれは "2024AC2024" と呼ばれます。すでに自分のベストを書いてから2ヶ月、2024AC2024 が無事に完走してから1ヶ月経ちます。そろそろほとぼりも冷めてきた頃合いなのでソレについて書きます。

僕は主催者なので、個別の post への言及や、自分自身の感想をできるだけ表明しないようにしていますし、ひたすら公正、フェアであろうとしています*1。本来の僕はかなり邪悪ですし、陰陽でいえば陰の者ですし、実体を隠した匿名アカウントでスクウォッターであからさまに厚顔無恥なのですが、この期間だけは本当に聖人になったような心持ちになります。1年で1ヶ月だけの聖人。

準備から数えれば2ヶ月くらいそういうインターネットでの振る舞いをしていると、もとに戻るのにも時間が掛かります。そういう意味での「ほとぼりが冷めてきた頃合い」です。

未来へのヘイルメリーパス

2024 Advent Calendar 2024 - Adventar
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毎年、この 2024AC2024 を開催するにあたって、自分自身のやる気を高めるために、1) スローガンになるような引用を見つける、 2) タイトルになるような画像を作る(パッチワークで)、という二つをとりおこないます。今年の引用はこんなものでした。

今に続く支離滅裂な瞬間は、前の瞬間に続き、今に続く波のように、真実、虚偽、その中間のあらゆる録音や写真、証言や説明の波が、司書や記録保管担当者によって集められ、未来へのヘイルメリーパスのように投げ込まれます。

2024 Advent Calendar 2024 - Adventar

めずらしく長い引用です。これはインターネット・アーカイブの記事のものです。文脈は以下のようなものでした。これはインターネット・アーカイブの理念についてのものです。2025年、すでに僕らはインターネットが永遠ではないことを知っています。

私たちが歴史と呼ぶものは、できるだけ記録・保存され、後から再考された、過去の「今」に過ぎません。過去のいかなる部分についても、完全で認識可能な記録は存在しません。魔法のように永久に正確な「歴史」もありません。私たちが現在保管している記録は、矛盾、不確実性、誤りに満ちていますが、明日が今日から引き継ぐことができるすべてです。今に続く支離滅裂な瞬間は、前の瞬間に続き、今に続く波のように、真実、虚偽、その中間のあらゆる録音や写真、証言や説明の波が、司書や記録保管担当者によって集められ、未来へのヘイルメリーパスのように投げ込まれます。

Vanishing Culture: Keeping the Receipts | Internet Archive Blogs


ヘイルメリーパスはアメリカンフットボールに由来します。クォーターバックが放る、リスキーな、見返りの見込まれない、破れかぶれの、試合最後に一発逆転を狙う、レシーバへのロングパスを指します。

ヘイルメリーパスはアメリカンフットボールにおける非常に長い前方パスであり、通常は絶望的な状況で行われ、成功する可能性は非常に低い。このパスで成功させるのが難しいことから、力と助けを求めるカトリックの「ヘイルメリー」の祈りに由来している。

Hail Mary pass - Wikipedia


ヘイルメリーは「アヴェ・マリア」、聖母マリアをたたえる祈りです。それは降誕祭、クリスマス・ページェントでもよく見られるものです。

天使ガブリエルがナザレという町に神から遣わされます。そしてヨセフの許嫁であるマリアのところに来て告げます。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアは、天使からの祝福の言葉を聞いて戸惑い、考え込みます。
天使は言います。「恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名づけなさい。」
マリアは驚きます。「どうしてそのようなことがありえましょう。」
天使は答えます。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。神にできないことは何一つない。」
彼女は答えます。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」

https://www.nskk.org/kyoto/message/111218.html


クリスマスに向けて投げ込まれる25人のヘイルメリーパス。リスキーな、見返りの見込まれない、破れかぶれの、試合最後に一発逆転を狙う、未来へのロングパス。神への祝福として捧げられ、締切に追いかけられた、破れかぶれの post たち。このロングパスをキャッチするのはいったい誰なのか。

「これ以上、ピッタリな引用があるだろうか!(否、ない!)」って一人、ほくそ笑んでいました。たとえ誰にも伝わっていないとしても :)

ただ来ては帰る人に過ぎない

私たちは知られなくても、忘れられても構わない。ただ来ては帰る人に過ぎない

https://www.afpbb.com/articles/-/3506678

この活動には毎年かかさず25人の方が参加します。なぜなら12/1から12/25まで毎日一人ずつ post するからです。そう、それがアドベントカレンダーなのです。すでに10年近い活動になっていますから、述べで数えればびっくりするくらいの人たちが参加してくれています。

そもそもこの 2024AC2024 には主旨がまったくありません。「 a) あなたの ベスト・オブ・2024 教えてください、 b) ルールは簡単!そこに url があるならば、それを貼るだけ」。この二つだけです。「いったいこれはなんなのか」。そう、いい質問です。じつは僕にもわかりません。こんないい加減なアドベントカレンダーにも関わらず、なのです。

毎年参加してくれている人、久しぶりに復帰した人、初めて参加してくれた人、熱心に読んでくれている人、ああまた今年もやっているなと一瞥くれていく人、全然興味なさそうな人、チャンスがあったら参加してみたいと思っている人、間に合わなくて参加しそこなった人、間に合わなくてちょっと安堵している人、それぞれの人たちが、さまざまな関わり方をしています(それぞれがそれぞれのスタイルで)。

本はつねに流れの中にあり、すべての本はこの机に一時滞在するにすぎず、何らかの痕跡を残して、必ず去ってゆく

2024年を探す - copy and destroy

毎年12月になると、僕はインターネットのいつもと同じ十字路に立って、来る人、去る人、通り過ぎる人を眺めている、そんな気持ちになります。ある人は現れて、またある人は去っていく、そしてまたある人は再び帰ってくる。その繰り返しです。Out & Back 。観察者、傍観者。

「価値はあとから見出されるの。それは参加者の役割なの」

僕はインターネット辺境の匿名アカウントですから、実際に面識があったり、リアルになにがしかの繋がりがあったり、そういう人はほとんどいません。それでも25個の枠が埋まって、25日間を完走できているのは、奇跡以外のなにものでもありません。

こんないい加減な、理念もへったくれもない、行き当たりばったりの活動であっても、毎年とにかく毎年、ひたすら続けて、ひたすら続けていると、そこには勝手に「意味」とか「意義」とか「価値」といったものが生まれてくるようです。

パンチラインは読み手によって見出される

いとうせいこうによる探究I - I am Electrical machine

価値はあとから見出されるの。それは読者の役割なの

https://x.com/taizooo/status/1604131603331981312

これはリブログにおけるある一つの定理です。「価値」は参加してくれた人たち、読んでくれた人たちによって作られます。主催者ではありません。その「価値」のなかには「信頼」や「信用」があります。

毎年、新しい人たちがこの場所に参加してくれています。今年はなんと7名でした。全体の3割近い人たちが初参加です。すごくないですか?この得体の知れないアドベントカレンダーに、いっちょ参加してみるか、というその根拠はこの継続が生み出した「価値」によるのだと思います。

今年だとまず mkossy サン*2。 まったく面識もなければインターネットでの繋がりもありません。コッシーさんはフリースタイル BMX'er でありまたシクロクロスのトップアスリートでもあります。僕が勝手に「すごい面白い、カッコイイ」と一方的に思っていただけです。ところがもうビックリしたことに join してくれました。

そして 橋本麦サン*3。やっぱり面識もなければインターネットでの繋がりもありません。2024年に公開された Unicode の文字がひたすら手書きでモーフィングされるムービーをみて「超カッコイイ。イカす!」と一方的に思っていただけです。ところがもうビックリしたことに join してくれました。

全員について述べるわけにはいかないので、一番、縁が遠いとおもわれる、お二方に登場いただきました。たぶんなんですが、この恐ろしいなにかへの join をうながしたのは継続が生み出した「価値」、つまり「信頼」や「信用」で、(それはけっして僕に対するものではなくて、)毎年繰り広げられている25個のヘイルメリーパスであったり、参加している人たちの中に見知ったアカウントがある、みたいなことだったと思うのです。これは凄まじい力です。なんたって10年、25人分の価値なわけですから。ここには僕の大好きなテコの原理が働いています*4

ベストとはいったいなんなのか

さきのインターネット・アーカイブの記事の引用は、次のように続きます。

言い換えれば、何も「捨てられるべきもの」ではないのです。何も。人々はいつか、世界のどこかの場所で、その人々の間で、いつ何が起こったのかを調べたいと思うかもしれません。そして、すべての研究者、読者、作家は、何を保存しておく価値があるかについて、私たちには今理解できないかもしれない独自の考えを持つでしょう。

Vanishing Culture: Keeping the Receipts | Internet Archive Blogs

いったいどういった事や物に、保存しておくべき価値があるのか、僕たちは知るすべがありません。

つづいて2018年の post です。

さて、わたしたちは残念ながら毎日の中でその日に起きた事柄や湧き上がった感情や考えたことのどれがその後重要な鍵になるか見極めることは不可能だ。例えるなら真冬から少しだけ春に近づいた日々に木々の色合いがわずかに変化する様子をその日一日だけで見極めることが出来ないということ。数ヶ月の後に見比べたなら明らかに季節の変化は木々の色を変えるけども毎日の中でそれを知るのは困難だ。小学生のころアサガオの絵日記の宿題があった。毎日その様子を絵に描くのだが、毎日にそんなに変化はない。子供心にもそれだと面白くないと思ったのか少しずつデフォルメして描いていた。気がついたときには実際のアサガオより絵日記のアサガオの方が大きく成長した。そういうものだ。

2018年を探す - copy and destroy

わたしたちは、なにがベストとなるのか日々の生活の中でそれを見極めることができません。

つづいて2024年の post です。

そういう自分の見る目のなさというか、いやちょっと違うか、これがベストだと思っていたことを後から見返すとそれほどでもなかったりすること、みたいな。もしかしたらそれは、世界の変化の様子を知ることができないというよりは、自分が変化していくことを知ることができないみたいな話かもしれない。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/12/20/171056

ベストを見極めることができないこと、それは客観的、相対的にその事象が「世界においてそれがベスト」であるかどうかを見定めることができない、ということだけではなくて、主観的、絶対的にその事象が「自分にとってそれがベスト」であるかどうかなんて知るよしもない、ということを意味しています。

もう1ヶ月も(2ヶ月も)経ってしまった僕は、すでにあの「2024年を探す」*5 という文章を二度と生みだすことができないほど変化してしまっています。ベストを感じる主体たる自分は、すでにまったく違う人間になってしまったからです。その変化を生んだのは、実はこの "2024AC2024" そのものだったりします。誰よりも僕自身が一番変化しています。なぜならば、この破れかぶれに投げ込まれた25個のヘイルメリーパスを、もっとも享受したのが、他ならぬ僕だったからです。

すべては移り変わって行きます。世界だけでなく自分もです。だからこそなにもかもあらゆるものが未来へむけて、祈りを込めて投げ込まれる必要があります。

誰かに届けと祈りを込めて、インターネットの彼方に向けて投げ込まれるヘイルメリーパスです。

インターネットの彼方に向けて投げ込まれる25人のヘイルメリーパス。リスキーな、見返りの見込まれない、破れかぶれの、試合最後に一発逆転を狙う、未来へのロングパス。神への祝福として捧げられ、締切に追いかけられた、破れかぶれの post たち。このロングパスをキャッチするのはいったい誰なのか。

おしまい。

*1:ベストにおける公正(フェアネス)の話 - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/12/18/143554

*2:Masahiro Koshiyama(@mkossy)さん / X https://x.com/mkossy

*3:Baku⌇麦(@_baku89)さん / X https://x.com/_baku89

*4:「ミックステープってシェルスクリプトを組むみたいな感じがある。「UNIXという考え方」という本にあった「梃子の原理」(テコの原理)の話。いくつかの曲をパイプで連結して。コピー&ペーストは世界で一番簡単なエディットだ。ちょきんちょきんと一曲、一曲をつなぎ合わせるのはバック・トゥ・バック。標準入力、標準出力、フィルターは自分の耳か脳みそか。フィルターを開いたり閉じたりする。ローパス、ハイパス。なんてね https://scrapbox.io/cd/2020%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88_%7C_taizooo#5fe5b10fb30c0100006b99e0

*5:2024年を探す - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/12/01/000000

2024年を探す

奇想の又兵衛 山中常盤物語絵巻 – MOA美術館 | MOA MUSEUM OF ART
gyazo.com

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絵巻は横移動し続け、三味線はうなり、大夫は語る。

https://taizooo.tumblr.com/post/119925575345

僕の大好きな引用です。〔これは(広義における) Reblog と呼ばれます〕

〔そしてこの post は長大で乱雑で冗長ですので、手引として読み飛ばしガイドを示します。発端: 4から読む、助走: 6から読む、主旨: 9から読む、結論: 11から読む、着地: 12まで飛ぶ

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この引用は2015年5月に『先見日記』から Reblog したものです。2005年、いとうせいこう、羽田澄子の映画『山中常盤』について。

映し出されるのは江戸時代の画家、岩佐又兵衛が描いた全12巻、長大な絵巻物語です。この物語は、若き源義経・牛若を訪ねて奥州へ下った常盤御前がその旅の途中で盗賊に殺され牛若がその仇を討つ、という勧善懲悪のストーリーを持ちます。

いとうせいこうは次のように続けます。

絵巻の中で常盤御前が野盗どもに殺される場面だった。これでもかというしつこさで絵巻は半裸の常盤御前を血まみれにする。あとで牛若丸はこの野盗どもに復讐し、そこでは血どころか、肉片はちぎれ、骨は断たれ、眼球は飛び出し……

近代以前からのエログロ : 先見日記 Insight Diaries

近代化で闇の奥に隠されたはずのエロティシズムとグロテスクは、いまも変わらず人々の中に引き継がれていることを見出します。

青空文庫に『山中常盤物語絵巻』について寺田寅彦が書いた文章があります。1934年、初出の表題は『「山中常盤」の映画的手法』。寺田寅彦はこの絵巻に映画的な構成・構造を見出します。そしてこう続けます。

二つのクライマックスの虐殺の場がかなり分析的にコマ数を多くして描写されている。展覧会場では、この二つの頂点の処の肝心な数コマが白紙で蔽(おお)われて「カット」されていたことからしてみると、相当に深刻な描写があって人間の隠れた本能を呼びさますものがあるものと見える。

寺田寅彦 山中常盤双紙

十字架の基督キリストや矢を受けた聖セバスチアンもそうであるし、また地獄変相図やそれに似た耶蘇教の地獄図、聖アントニオの誘惑の絵の中にも同じようなものが往々見出される。

寺田寅彦 山中常盤双紙

このようなアブノーマルとエロティシズムは万国共通のもので、これは偶然の一致ではなく、深い奥底に隠れた人間の本性に繋がっているのではないか、と。

ここで、12世紀の牛若と常盤御前の物語を介して、17世紀の岩佐又兵衛、20世紀の寺田寅彦、そして21世紀のいとうせいこうが接続されました。

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『先見日記』を2015年1月に再発見しました。〔なぜ再発見なのかというと、一度、インターネットから無くなっていたからです〕

忘却と再生というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2019/12/01/000000

2024年、再びその姿を消しています。『先見日記』は Internet Archive の Wayback Machine の中にだけ存在します。 Reblog されたいくつもの断片は、届かないリンクをぶら下げてインターネットを彷徨っています。

インターネットで永遠の命を得られる

https://taizooo.tumblr.com/post/183261585335

すでに僕たちはインターネットが永遠ではないことを知っています。

『先見日記』は2002年10月から2008年9月まで、 NTT データの Web サイトで運営されました。

書き手の方々は延べ16人。「日記」の数は延べ1830本。

先見日記 Insight Diaries

僕がインターネットにまさに接続したのが2007年7月ですからギリギリ間に合っているように見えますが、その存在を知るのはもっとずっと後になってからです。

いつだってなにかに間に合わない。

https://taizooo.tumblr.com/post/157257779135

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2007年、僕は Tumblr の Dashboard に接続されました。

ハレルヤ。

tumblr 創世記 その二 ( tumblelog の巻 ) - tumblr - たんぶら部 - Tumblove -

そこでは量こそが正義でした。それが唯一の信用・信頼となります。誰よりも深く、速く、長く潜ることが求められます。「一度潜ったら二度と上がってくるな」。

僕らはそう、おはようからおはようまで( "day and day" )、おやすみからおやすみまで( "night and day" )、とにかく Dashboard に潜り続けました。

Dashboard では、時間は垂直方向に一方通行で流れます。潜ることは「過去」へ遡ることを意味します。それは一種のタイムトラベルです。

ジェイムズ・グリック『タイムトラベル』によると、時間は過去から未来へと流れる、と、強く意識されるようになったのは、H.G.ウェルズの『タイムマシン』の影響が大きかったそうだ。この概念の影響はあまりにも強力で、科学も哲学もそれから逃れられなかった。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/02/10/185010

背中から後ろ向きに未来に突っ込んでいく、未来に向かって後ろ向きのジェットコースターに乗って進んでいく

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2015/08/18/172103

Dashboard には底があります。

dashboardの深さが有限であることを、皆様ご存じでしょうか?これはフォローしている古参の種類によりますが通常、2007/3/末〜4/始あたりといったところになります。

tumblr 創世記 その四 (ヤバイ、JavaScriptマジヤバイ の巻) - tumblr - たんぶら部 - Tumblove -

意図的にか、無自覚か、しだいに僕はこの素晴らしい箱庭から外側へと少しずつはみ出していきます。

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2015年1月に「見つけたからには掘るんだろうな」とコメントを残した通り、『先見日記』を掘り始めます。毎日毎日、それは2016年3月まで続きました。

『先見日記』をきっかけにして二つの流れが生まれます。一つは「ポップ」。

「ポップ」に含まれているものって、その時代とともにある、っていう感じかな、と。だから「ポップ中毒者」の場合、共にあるというよりは、もっとこう、時代から箱乗りよろしく上半身を乗り出して、目をカッと見開いて、真っ赤に血走らせて、風をビュンビュン切り裂いて、真正面に対峙してる感じ

ポップ中毒者の精神 - taizooo

かつて真新しい新曲や新刊を楽しむように web サービスを根こそぎ漁っていた kenmat であったり、 かつて code で web を焼け野原にする勢いだった ku サンであったり、かつて programming や reblog で日常に潜む異界の穴を拡げまくっていた to サンであったり、彼らの示していた姿、形もそうであったと思う(順不同です)。

https://taizooo.tumblr.com/post/139387711185

ポップ中毒者の視点を持って、過去を掘り下げること(digging, つまり墓掘りのこと)は可能か否か。

https://taizooo.tumblr.com/post/139349812375

ティム・インゴルドは "Being Alive" でこう言いました。

世界への開放性というコインの裏側が驚嘆である。それは、世界の絶えざる誕生という波頭に乗ることから生じる驚異の念である。

世界の絶えざる誕生という波頭に乗る - taizooo

僕にとっての「ポップ」は「ポップカルチャー」の文脈から外れて「今」「現在」という視点へと移っていきます。

この流れは、いままさにこの「ベスト・オブ・ザ・イヤー」に繋がっています。関わってしまった人たち、参加してくれたみなさん、だけでなくちょっとでも読んだり眺めたりしたことのある人もない人も、この濁流に巻き込まれてしまった被害者、かつ共犯者である、というわけです。もう手遅れです。

〔「ご愁傷さまです。チーン。」 https://taizooo.tumblr.com/post/60669456

ここで、『先見日記』を介して、僕は「ポップ」から「ベスト・オブ・ザ・イヤー」へと接続されました。ハレルヤ。

5

もう一つは「日記」。

先見日記は筆者が毎日代わる代わる交代して日々の事柄を書くんだけども、すでに亡くなっている人もいて、死者と語り合うみたいな感じで、

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2016/12/01/000000

『オン・ザ・ロード』『ボリビアンダイアリー』『イワン・デニーソヴィッチの一日』『ビーグル号航海記』『仰臥漫録』『修善寺大患日記』『火星の人』そして『百代の過客<続>』と続いていて小説もフィクションもその他いろいろも日記とみなしたりしている。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2017/05/19/140505

日記を読むこと。それは、ライフワークだ。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2017/05/19/140505

ドナルド・キーンは『百代の過客』でこう言いました。

日記という形式には、いわば一種の出来合いの構造が備わっている。すわわち時間の推移である。まさに時の推移そのものが、多くの日記文学だけではなく、大方の日本文学の主題になっている。

日記を付けるということは、言ってみれば時間を温存することである。歴史家にとってはなんの重要性もないような日々を、忘却の淵から救い上げることである。プルーストは『失われた時を求めて』の終わりの方で、「時間から身を引いた存在のさまざまな断片」があったことを発見したという。これと同じ発見を、平安時代の女性作家たちもしていたのである。

「日記」への流れは、僕の意識をだんだんと Dashboard から引き剥がし「積読山脈」の地層の底へとズルズルと引きずり込んでいきます。

ここで、『先見日記』を介して、僕は「日記」から「積読山脈」へと接続されました。ハレルヤ。

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ときは移り変わり2022年、これまで続いてきた怒涛の読書期は戦争の始まりと同時に止まりました。

戦争が始まった。100年前と現在はミックスされた。スパニッシュインフルエンザと COVID-19 を、そして、第一次世界大戦とロシアのウクライナ侵攻を。 潜り続けて来た過去と、いま立っているこの場所は、接続されてしまった。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2022/12/01/000000

1年前「1900年に生まれた彼らと、100年後を生きるわれわれは、相似の位置にいる。まるで鏡をはさんで向う側と、こちら側にいるかのようである。」なんて書いていた。ブルース・チャトウィン『黒ヶ丘の上で』を読んでいた。そして「来年には戦争が始まる、みたいな時間軸かどうかはわからないけど、」なんて書いていた。他人事だった。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2022/12/01/000000

2022年、見聞きしてきた「過去」といまこの「現在」は、地続きに接続されてしまいました。そのイメージに僕は身動きがとれずにいました。

そんなこんなで2023年、今度はきわめて個人的な事情で「公」が「私」に優先されました。次々と押し寄せてくる「公」に「私」がどんどん削られていきます。

さらに猛烈に押し寄せてくる「公」に抗って、アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』を買った。上下巻で700ページ、8,000円。思いつきで買うにはちょっとしたサイズと金額だった。酔っ払ったその勢いだった。書き出しにやられてしまった。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/06/093220

そして僕は、迫りくる「公」から、積み上げた「積読山脈」に身を隠し、生き延びることに成功します。

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2024年、僕は、「積読山脈」に埋もれていたアルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』を開いたり閉じたりしていました。

「本を開く」という行為が「未開を拓く」メタファーとなっている可能性だってある。

書くことは人を確かにする。 - Topics | blooper backpacks

ルロワはインペリアル・カレッジ・ロンドンの進化発生生物学教授です。まさに時代の最先端に位置しています。それがなんでアリストテレスが書いた、こんなに古めかしい『動物誌』について書くのか。

この本の始まりは、科学者が書いたとしたならば、あまりにも絵画的な文章です。

アテネの古い地区に一軒の本屋がある。私の知るかぎりではもっともすばらしい本屋だ。

広いよろい窓から入る日の光が、画家のイーゼルに置かれた日本の木版画の上に落ちる。奥の薄暗がりには、木箱に入ったリトグラフや、積み重ねられた地勢図がある。テラコッタのタイルと、古代の哲学者や劇作家の石膏胸像がブックエンドの役目を果たしていた。

その本屋は叙情詩の女神(ムーサ)、エラトーの名を持ちます。数々の骨董品よろしい書物の中から20世紀の初めに出版されたアリストテレス全集を発見します。気まぐれに開いたのが第4巻『動物誌』(ヒストリア・アニマリウム)でした。そこには巻貝を形作っている内部の生体構造について書かれたくだりがありました。

口に続いてすぐあとに胃があるが、巻貝の胃は、鳥の餌袋に似ている。胃の下には乳頭のような白いものが二つある。同じようなものはコウイカでも見られるが、〔巻貝の方が〕ずっと硬い。胃のあとには単純で長い食道がきて、底(殻頂)にある「芥子」(肝臓のようなもの)〔貝類の中腸腺が俗に「芥子」とあだ名されていたと思われる〕の所まで達している。以上のことは、ホネガイやホラガイでも、貝殻のらせん状部分の中を見れば明らかだ。

そしてルロワは天啓を受けます。

単なるノスタルジーではない。それは私が理解したということだ。およそありそうにないことだが、アリストテレスが言おうとしたことを、私が理解したということである。彼は明らかに海岸へと下りて行き、巻貝を拾い上げた。そして「この中には何があるのだろう?」と問いかけた。23世紀のちに、私が演習を繰り返したときに発見したのと同じものを、彼もまた目にして発見した。

ここで、巻貝を介して、紀元前4世紀のアリストテレスと21世紀のルロワが接続されました。そして僕は再び「積読山脈」と接続されます。ハレルヤ。

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アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』、これ、なにかと似てるとずっと思ってたんだけどやっと思い出して、それは寺田寅彦『ルクレチウスと科学』だった。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/01/02/214117

2016年4月『先見日記』が終わって手持ち無沙汰だった僕は掘るべき「日記」を失って青空文庫をウロウロしていました。そこで寺田寅彦『ルクレチウスと科学』と出会います。

ルクレティウスは紀元前1世紀、ローマの詩人。現存するのただ一つの書籍『物の本質』( "The Nature of Things" )。エピクロスの思想を六歩格詩で綴りました。

原子と真空だけ他に何もない。原子と真空だけ他に何もない。原子と真空だけ他に何もない

https://taizooo.tumblr.com/post/144606271785

15世紀、ルクレティウスの詩の再発見は、ルネサンスの始まりと結びついています。忘却と再生というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れます。

教皇特使で熱狂的な本探し人であったポッジョ・ブラッチョリーニは、ドイツの修道院で放置されかけていたローマの詩人ルクレティウスの『物の本質』の最後の写本を救い出した

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Swerve

「彼の詩の再登場は、まさに方向転換であり、詩とその哲学が進んでいるように思われた、この場合は忘却に向かう直接的な軌道からの予期せぬ逸脱であった。」古代のテキストの復活は、その再生、つまり「ルネサンス」と見なされている。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Swerve

ルネサンス "Renaissance" 、それは "Re" の系譜です。〔つまり "Reblog" に繋がります https://scrapbox.io/hub/Re 〕 "renaissance" の語源はフランス語の "naissance" 、 "naître" に由来します。それは「誕生」「発見」「創造」を意味します。

From renaître + -ance or re- + naissance.

https://en.wiktionary.org/wiki/renaissance#French


ここで、ブラッチョリーニを介して、紀元前1世紀の『物の本質』と15世紀のルネサンスが接続されました。ハレルヤ。


『ルクレチウスと科学』、あらためて読み返してみると、ちょっとビックリする発見がありました。

寺田寅彦がルクレティウス『物の本質』に科学を見出したきっかけは、ダーシー・トンプソンが "Nature" に書いていた書評でした。

ことし(一九二八)になって雑誌ネチュアー(四月十四日発行)の巻頭紹介欄に Munro's Lucretius. Fourth Edition, finally revised. に関するダルシー・タムソン(ダーシー・トンプソン)の紹介文が現われた。

寺田寅彦 ルクレチウスと科学

まったく同じ名前が『アリストテレス 生物学の創造』の冒頭にあります。

最初に一つのミステリーがある。アリストテレスはなぜ生物学をしようと思ったのか。それは人が、どのようにして科学を「生み出す」のかということでもある。その物語はダーシー・トンプソン(一八六〇 ~ 一九四八)によってはじめて語られた。あるいは少なくとも物語に年代的、地理的な骨組みを与えたのは彼だった。

トンプソンは自身のキャリア構築に右往左往する中で1910年、アリストテレス『動物誌』を翻訳しました。「優れたギリシャ語、動物学の専門知識、アリストテレスの生物学に関する完全な知識、そして英語の使いこなし」を総動員して。それは「アリストテレスの生物学の知識に注釈をつけ、説明を施し、批評を加え」るものでした。その注記はときに本文を圧倒するほどのものとなりました

〔その後、トンプソンは『生物のかたち』( "On growth and form" https://openlibrary.org/books/OL6604798M/On_growth_and_form. ) という一風変わった1000ページを超える大著を出版します。ここで生物の形・構造・形態を数学と接続することになります〕

トンプソンの書評が、寺田寅彦にルクレティウスの詩から科学を見出させ、トンプソンの翻訳が、ルロワにアリストテレスの膨大な書物から現代に通じる生物学、科学の核心を見出させました。

ここで、トンプソンを介して、寺田寅彦とアルマン・マリー・ルロワが接続されました。ハレルヤ。

9

とはいえ、読書はなかなか戻って来ず、ノロノロと『アリストテレス 生物学の創造』を開いたり閉じたりしていました。弱々しくやっと第6章《イルカのいびき》までたどり着いたとき、こんなフレーズを発見します。

自然の切り取り方には多くの方法がある。そして切り取られたものはそれぞれが異なった相を見せている。

https://x.com/taizooo/status/1736214765415137684

アリストテレスはどこに切れ目を入れたのだろう? どのような科学を作り出したのだろう?

https://x.com/taizooo/status/1736214828044476646

そして僕は天啓を受けます。

言葉は境界となって世界を二つに分ける。「Aである/Aではない」。境界が引かれれば現実が立ち上がり事実が生み出される。世界を分けることは人間の認識の根幹に関わる

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/12/01/000000

切り取る、切り出す、境界を引く、分けること、これは僕の重要なモチーフだったのです。

パンチラインがカチリと音を立てて嵌ると、事態は大きく動き出します。

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時を同じくして、本屋の新書コーナーで気まぐれに開いた本の中に、またもやパンチラインを発見します。野矢茂樹『語りえぬものを語る』。

なによりもまず、世界が分節化されていなければならない。

https://x.com/taizooo/status/1736216322558857536

われわれはすでに分節化された世界に生きている。分節化されていない世界とは、いわば徹底的な抽象画の世界にも喩えられるだろう。そこでは、あらゆる対象の輪郭が失われ、それら対象がもっていた意味も消え去る。そんな世界。

https://x.com/taizooo/status/1736216322558857536

ここでふたたび、僕は天啓を受けます。

この「分節化」という言葉は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の中にあります。『論理哲学論考』は、番号が振られた断章で構成されています。このように始まります。

1
世界は成立していることがらの総体である。

1.1
世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。

世界は事実の総体である。思考は命題において行われる。思考は音声や文字といった命題記号をもって行われる。命題記号は一つの事実を意味する。そして「分節化」が現れます。

3.141
命題は語の寄せ集めではない。—(音楽の主題が音の寄せ集めではないように。)
命題が語へと分節化されるのである。

原文はドイツ語です。

3.141
Der Satz ist kein Wörtergemisch. – (Wie das musikalische Thema kein Gemisch von Tönen.)
Der Satz ist artikuliert.

https://people.umass.edu/klement/tlp/tlp-hyperlinked.html#p3.141GER

英語版( Pears/McGuinness translation )だとこうなります。

3.141
A proposition is not a blend of words.—(Just as a theme in music is not a blend of notes.)
A proposition is articulate.

https://people.umass.edu/klement/tlp/tlp-hyperlinked.html#p3.141PM

"articulate" は通常、「明確な」「明瞭な」と訳されます。 "articulate" の語源は、ラテン語の "articulātus" です。語の成り立ちは次のようになります。

directly from articulus (“joint”) + -ātus (“-ed”).

https://en.wiktionary.org/wiki/articulatus#Etymology

"articulate" には「繋ぐ」「接続する」という意味が含まれています。「分節」という言葉は「分」( "divide" )と「節」( "joint" ) の文字からなります。「分ける。そして、繋げる」。

ゲオルク・ジンメルは『橋と扉』でこういいました。

私たちが結びついていると感じられるものは、まずは私たちが何らかの仕方でたがいに分離したものだけだ。事物は、一緒になるためにはまず離れ離れにならなければならない

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/12/01/000000

ここで、「分節化」を介して、紀元前4世紀のアリストテレスと20世紀のウィトゲンシュタインが、そして、現在を介して、僕の過去と未来が接続されました。ハレルヤ。

11

2024年、『アリストテレス 生物学の創造』から始まったこの流れは、帰納と演繹、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、論理学と真理と真偽、イアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』、観念論と光学と "Enlightenment" 、サラ・ベイクウェル『実存主義者のカフェにて』、朱喜哲『〈公正〉を乗りこなす』、自由と善と正義、ジョン・ロールズ『正義論』、社会契約論と功利主義、そしてミシェル・フーコーとイマニュエル・カントへと、猛烈な濁流となりました。もう手遅れです。

〔「ご愁傷さまです。チーン。」 https://taizooo.tumblr.com/post/60669456


「積読山脈」はその厚み高さだけでなく、積み方や読み方にも大きな変化がありました。Amazon の Wishlist から国立国会図書館サーチへ、Kindle から国立国会図書館デジタルコレクションへ。そしていよいよ本物の図書館へ。

「積読山脈」の繋がりは、平積みの本の山、Cosense の Infobox 、Amaozn の Wishlist 、参考文献や注釈の中、そして図書館の書棚、縦横無尽に張り巡らされて、その全貌を掴むことは出来そうもありません。

管啓次郎は『本は読めないものだから心配するな』の中でこう言います。

本に「冊」という単位はない。あらゆる本はあらゆる本へと、あらゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている。

〔速すぎてよく見えないけど、出会った瞬間に別れている。それを繰り返している。からだの輪郭が高速に振動して、中と外が入れ替わっている。 https://shikakun.com/projects/benri/

本はつねに流れの中にあり、すべての本はこの机に一時滞在するにすぎず、何らかの痕跡を残して、必ず去ってゆく。

〔私たちは知られなくても、忘れられても構わない。ただ来ては帰る人に過ぎない https://taizooo.tumblr.com/post/743455111875084288


ピエール・バイヤールは『読んでいない本について堂々と語る方法』で「本を読まずに本を読め」と言いました。イタロ・カルヴィーノは『なぜ古典を読むのか』で「いいから黙って本を読め」と言いました。

そして、自分のものと他人のものとを区別することもできなくなって、ついには書物と出会うたびに自分自身の狂気と対面する羽目になるのである

『読んでいない本について堂々と語る方法』読解 - taizooo

カート・ヴォネガットは『スローターハウス5』でこう言いました。

「そういうものだ。」

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2017/01/06/091500

12

ルクレティウスは、暗室にさし入る日光の中に舞踊する微塵の混乱状態を例示して、「自然」の根幹が物質元子にあると説明した。

元子によって自然を説明しようとするのに、第一に必要となって来るものは空間である。彼はわれわれの空間を「空虚」(void)と名づけた。

寺田寅彦 ルクレチウスと科学

アリストテレスは、「自然」に切れ目を入れてその相を注視した。そして「自然」を「変化」と「静止」の原理と定義した。「自然」は変化することそのものを意味した。

誰も〔世界という巨大な〕時計仕掛けのクランクを回してなどいないし、誰も小さな機械〔動物〕を正しい方向に導いてはいない —— 自然がそれをしている。

アレクサンダー・フォン・フンボルトは、「自然」を発明した。

ここでいう自然というのは「生命の網」"the Web of Life" のことを言う。 自然は一つ一つバラバラの事象がてんでバラバラに存在いているのではなくて、その全体繋がり広がりに本質がある

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/01/18/183431

youpy は、「自然」を創造した( Flickr に)。

そもそもでかいサーヴィスってなんか大自然っぽい

ICC ONLINE | インターネット・リアリティ | 座談会「インターネット・リアリティとは?」

でも最近は自然じゃなくて国家っぽくなってる

ICC ONLINE | インターネット・リアリティ | 座談会「インターネット・リアリティとは?」


いま読んでいる、重田園江『公共性と倫理への問い — カントを読むフーコー』(岩波書店『岩波講座 政治哲学 5 理性の両義性』)には次のようにあります。

「近代性」という特徴を分け持つすべての思考には「個人を単位として、世界あるいは人間社会を見る」という共通の発想があるのではないか

単位として個人にまで社会を一度ばらし、個人同士の繋がりから政治社会を再構成したトマス・ホッブズ。

誰かと対話するのでも相談するのでもなく、ひたすら内省を続けることによって「考える自分」の確実性へと至ろうとするルネ・デカルト。

個人にまで落とし込まれた先に、人が何かを知ることの限界はどこにあるのか、と考えたイマニュエル・カント。

カントはさらにその先を見据えます。

個人にまでばらされてしまった人間は、なぜどのように他者と関わり、あるいは関わらなければならないのだろうか

バラバラにしてしまったものについて、ではそれをどうやってもう一度くっつけるのかが問われるのは必然だ。人が社会に生き、この世界を生きる以上、他者や世界と相互作用せざるをえない

ここでみたび、僕は天啓を受けます。

ジョン・ロールズが『正義論』で、「公正としての正義」を掲げ「無知のベール」を用いてその「原初状態」に、人と人との繋がりの根本原理を見出そうとしたのは、まさにこのことだったのです。


僕らは世界を理解するために全てをバラバラに分解します。そして同時に断片を束ね繋ぎあわせ世界を一つにしようとします。すべてが断片化されてバラバラになるならば、束ねること繋ぐことに価値が生まれるはず。

〔願わくば、この Reblog だらけの長大な絵巻物語のようなものが、そういうものでありますように〕

その繋がりは Dashbord の底、 RSS Feed の中、 Timeline の隅、Mail Box の奥、向かいのホーム、路地裏の窓、〔こんなところにあるはずもないのに、〕縦横無尽に張り巡らされて、その全貌を掴むことは出来そうもありません。たぶんおそらくそれは "Web" ( "World Wide Web" )と呼ばれます。

われわれの残す全ての URL の繋がりや絡まりが、世界を豊かにしますように。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2019/12/31/003358

ついにここで、「僕ら」と「世界」が接続されました。ハレルヤ。


この post は 2024 Advent Calendar 2024 第1日目の記事として書かれました。
明日の第2日目は yuiseki サンです。お楽しみに。

日記の本番 2024 秋 (2024/08 ~ 2024/10)

これは2024年、秋の日記の本番です。

始まり

始まりは、このブックマークレットである*1*2*3*4

Amazonの本を国会図書館で検索する - Hatena::Let
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気になった本があったら Google で検索する。 Amazon のページがヒットする。というのは定番の流れだと思う。このブックマークレットを使うと Amazon と 国立国会図書館サーチの検索結果を接続することが出来る。国立国会図書館には出版されたすべての本が納入されている*5。だから原理原則的にはこの国立国会図書館サーチにはすべての本が登録されている。

ちょっと気になった本は Amazon の Wishlist 山脈、Cosense の砂場の海、 Twitter のタイムラインの奥底、などなど「最寄りのテキストエリア」に突っ込まれている。突っ込まれているけれども、どの記録にも大抵は、その書籍の出版社のサイトではなくて Amazon の URL が貼られている。それは URL の文字列やタイトルが(ある程度)統一されていて便利だから*6。つまり Amazon を使って書籍情報を正規化しているわけだ。

便利ではあるけれど、ある特定の私企業に、自分の大事な資産である「積読山脈」を牛耳られているっていうのはいったいどうなんだ? と、ちょっと引っかかっているところがあった。

Infobox

次は、 Cosense ( Scrapbox ) に Infobox が追加されたときである。

book_index - taizooo
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Infobox についての説明は端折る*7*8。下の画像の右側の列がそれである。

正義論 - taizooo
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Cosense にはかなりたくさんの本が Amazon の URL と一緒に貼られていた*9ので、この URL *10と Infobox の機能を利用して、国立国会図書館サーチの URL が生成されるようにした。これで大事な資産である「積読山脈」が国立国会図書館サーチと接続した。

正義論 改訂版 | NDLサーチ | 国立国会図書館
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本にはいろいろな情報が付随する。ジョン・ロールズ『正義論』改訂版ではこんな感じ。

  • 国立国会図書館請求記号: A123-J35
  • 国立国会図書館書誌ID: 000011058939
  • 国立国会図書館永続的識別子: info:ndljp/pid/10201596
  • ISBN: 978-4-314-01074-0
  • NDC9版: 321.1 : 法学

国立国会図書館では ISBN ではなく国立国会図書館書誌IDで管理されている。キーが国立国会図書館書誌ID。最初は、なぜ国際的な標準規則の ISBN じゃないのか、ダサイな、とか思っていたけれどちゃんとした理由があって、それは国立国会図書館で管理されているものが本だけではないから。あらゆる資料が管理されているらしい*11。すごい。

インターネットの図書館

その次は、国立国会図書館デジタルコレクションである。

正義論 - 国立国会図書館デジタルコレクション
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国立国会図書館サーチでアカウントを作成すると*12*13*14、電子化されていて公開されている本については、Web で閲覧することができる。とっくの昔に廃番欠品になっていて入手困難で中古価格がびっくりするような値段になっている本をインターネットで読むことが出来る。OCR されていて全文検索まで出来る*15*16

これはあとあと考えてみると、国立国会図書館にジョインした、ってことだった。初めての図書館が国立国会図書館だった、ってことだ*17。国立国会図書館は見たこともなければ入ったこともないし、どこにあるのかさえ知らない。

本物の図書館

そしていよいよ、本物の図書館である。

山梨県立図書館に行って図書館利用カードを作った。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/10/10/223101

本物の図書館にジョインした。

最寄りの図書館は山梨県立図書館*18。これは、「今しかできないことをする」「一刻も早く経験する」という活動の話でもある*19*20。そして一番最初に借りてきたのはこの3冊。

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そして話は冒頭に戻る。NDC の話。図書館の本は日本十進分類表(NDC)区分表に則って分類されていて、書棚も NDC と作者名の順に並んでいる。NDC がわかればだれに頼ることなく自分で探すことが出来る*21

この話は、ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』に出てくる、ローベルト・ムジール『特性のない男』の図書館司書に繋がる*22。読むべきは、本そのものではなく文献目録(書誌)、っていう話。読むべきは本そのものではなく本のネットワーク。

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インターネット、そして Amazon から、ブックマークレットと Cosens を介して、国立国会図書館サーチとデジタルコレクション、そしていよいよ図書館へ。

という感じに、この秋、読書習慣も積読山脈も大きな変化があった*23。じつのところまだ大きな変化の真っ只中にあって、この流れを乗りこなせるかどうかわからない。大波に揉みくちゃにされている。激流に飲み込まれる笹舟みたいなもんである。

返却日に追いかけられているみたい。ひたすら文字列をダーっとなぞっている感じ。なぞっているというか、視線が泳いでいるというか、紙面を泳いでいるというか。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/10/24/175907

*1:いや、実際にはもう少しだけ、その前史がある

*2:最初は nagata クンのこれ / 日本十進分類表(NDC) - nagata https://scrapbox.io/nagata/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8D%81%E9%80%B2%E5%88%86%E9%A1%9E%E8%A1%A8(NDC)

*3:それに関して僕の思ったこと。最初は NDC に否定的だった / NDC と ISBN - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/NDC_%E3%81%A8_ISBN

*4:そして yuta サンのこれ / デューイ十進分類法 - yuta25 https://scrapbox.io/yuta25/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4%E5%8D%81%E9%80%B2%E5%88%86%E9%A1%9E%E6%B3%95

*5:納本制度|国立国会図書館―National Diet Library https://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/deposit.html

*6:ちゃんと書影もあるし

*7:いまだに公式なドキュメントが公開されていない。情報強者のみが使いこなせるとか、運が強いヤツだけが生き残れるとか、そういう弱肉強食な Web サービスには困ったものである

*8:Scrapbox の infobox について - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/Scrapbox_%E3%81%AE_infobox_%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

*9:200冊? "amazon.co.jp" の文字列で検索したけど Cosense の検索は100個までしか表示されないので、全部に Infobox のタグを貼れたかどうかわからない。全体を把握できていない

*10:正確には 、(1)URL に含まれる ISBN 番号か、または、(2)ページタイトルに含まれる書籍名

*11:そのへんは kotoriko の書いたものに詳しい / 国立国会図書館デジタルコレクション の検索結果 - 山下泰平の趣味の方法 https://cocolog-nifty.hatenablog.com/search?q=%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

*12:利用者登録(メールアドレス入力) | NDLサーチ | 国立国会図書館 https://ndlsearch.ndl.go.jp/register/mail

*13:国立国会図書館の利用者登録(個人)について|国立国会図書館―National Diet Library https://www.ndl.go.jp/jp/registration/index.html

*14:国立国会図書館の利用者登録(個人)について:本登録|国立国会図書館―National Diet Library https://www.ndl.go.jp/jp/registration/individuals_official.html

*15:電子化された時期が新しいものについては

*16:国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索、該当箇所にマーカーがつくようになった。便利。URL にも検索文字列が付記されるようになってるから、シェアもできる https://x.com/taizooo/status/1841267592427913325

*17:学生時代の学校図書館を除く

*18:山梨県立図書館 https://www.lib.pref.yamanashi.jp/

*19:「今しかできないことをする」「一刻も早く経験する」 - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/10/10/101318

*20:「一週間に一回、図書館へ行って、本屋へ行って、温泉へ行って、コーヒーを飲みに行きたい」 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/10/22/161633#%E4%BE%A1%E5%80%A4%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%9F%E8%A6%9A

*21:実際にはすべての本が閲覧エリアの書棚に置かれているわけではなくて、書庫に保管されている本の方が多いのでどうやって本を探すのかはテクニックと知識が必要そう

*22:『読んでいない本について堂々と語る方法』読解 - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/%E3%80%8E%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E5%A0%82%E3%80%85%E3%81%A8%E8%AA%9E%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%80%8F%E8%AA%AD%E8%A7%A3

*23:実際には読書だけではなくて、生活にも大きな変化があったのだが、その話は、運が良ければまた今度

日記の本番 2024/07

これは2024年7月の日記の本番です。

BOREDOM

中央本線を八王子あたりまで行くと視界が開けて「東京は真っ平らだ」と思うけども、二駅戻ると高尾は山の端にあって馴染のある風景になる。『ベスト・オブ・ザ・イヤー』にも参戦してもらっている tomoyayazaki クンのコーヒーショップに立ち寄った。

今週末の良かったこと(雨を避けて、インターネットから高尾、三鷹へ) - copy and destroy
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そのコーヒーショップの名前は "BOREDOM" といいます。 "BOREDOM" とは「退屈」のことです。さて「退屈」とは何なのか?

「川の始まりって?」

スチャダラパーのアルバム "WILD FANCY ALLIANCE" 『彼方からの手紙』で彼らは、誰かがつぶやいた「川って海に繋がってるんでしょ?」という一言で、その先を目指します。3時間ほどしたところで誰かがつぶやきます。「川の始まりって?」。来た道をくるりと反転、その先を目指します。ふたたび3時間ほどたったところで誰かがつぶやきます。「なんかお腹すかない?」。あっさり戻ってたらふく食って川のことなんてすっかり忘れて、そんなふうに一日が終わっていきます。これは Out & Back と呼ばれます。行けるところまで行く、来た道を戻る、無事に家まで戻って来る。 Out & Back は冒険の最小単位です。

スポットライト、ドーパミン、テストステロン

現代において人類が冒険に挑む理由はだいたい100個くらいあると考えられています。名誉、称賛、承認、バズ、ロックスター、嬌声、歓声、 etc 。情報化社会ではすべてが測定、計測、評価されます。ソーシャルネットワークの時代にはすべてが公開、共有されます。難しく、高く、より速く、照らすスポットライト、アドレナリン、ドーパミン、テストステロン、リブログ、イイネ、リツイート、これらは人類を魅了する眩しい危険なミックス・カクテルです。この魅惑的なパワーは人類を月面にまで導きました。

しかし冒険にはもっと必須で純粋で原始的な理由が存在します。根源的な核、コア、原子的、始原的、まあなんと呼んでもいい、それが「退屈」です。『彼方からの手紙』の中に、それを発見することができます。

視床下部、下垂体、扁桃体

「退屈」とは心理的・認知的な過程に関連する情動的経験のことを言います。情動、つまり感情です。怒り、恐れ、喜び、悲しみ、これらの感情は本能に依っていると考えられています。それは視床下部、下垂体、扁桃体といった生物の進化的に古い脳の領域に関係しています。情動は脊椎動物が自然淘汰を生き抜くために進化させてきたメカニズムです。僕らが抱く欲求の正体は、それに繋がる快情動、不快情動に依ると考えられています。僕たちは「退屈」を本能的に恐れています。「退屈は悪だ!」「退屈から脱出せよ!」

宇宙の秩序、人間の限界

あるスポーツの中で人類は、限界の天井を大きく突き破りつつあります。それは一見、僕らの知っているスポーツとはまったく無関係に見えたりします。そのスポーツの特徴は、宇宙の秩序である重力と、人間の限界である理性を弄んでいる点にあります。スカイダイビング、ベースジャンプ、フリークライミング、スノーボード、フリースキー、サーフィン、フリーダイビング、ウルトラランニング。これらのスポーツの発展は生物の進化スピードを大きく上回っています。その進化を担っているメカニズムは「フロー」と呼ばれてます。

"4%" のスイートスポット

ミハイ・チクセントミハイによると「フロー」は生活のあらゆる場面で発現する可能性があります。その発現はチャレンジとスキルの、あるバランスによって起こります。それは「退屈」と「不安」という感情の中間にあると考えられています。マジックナンバーは "4%" 、挑戦するべき課題が持っているスキルを4パーセント上回るときに初めて出現します。それ以上ならば不安からの恐怖、または失敗からの死を、それ以下ならば退屈からの無関心、または不注意からの敗北を。"4%" 、この僅かな差異が「フロー」のスイートスポットなのです。この僅かな差異が繰り返しという複利によって大きな変化を生み出します。

繰り返される Out & Back

人類は、この「退屈」と「不安」の間を揺れ動く、カラフルな感情のループを回し続けることで、アフリカ大陸に生存する霊長類の一種から脱し、地球上の食物連鎖の頂点に立ちました。人類は何回目かの氷河期に、ごく狭い地域に、わずか数百人という絶滅寸前にまで追い込まれましたが、その後、何回もアフリカ大陸からの脱出を試みています。その冒険は人類をユーラシア大陸を越えアメリカ大陸の南端へ、または台湾から太平洋を越えポリネシアの隅々にまで導きました。これらは繰り返された Out & Back 、つまり無数に繰り返された「退屈」が生み出したのだ、と言っても過言ではありません。

僕らが冒険に出る理由

以上の考察によって一つのことが明確となります。「川って海に繋がってるんでしょ?」「川の始まりって?」「なんかお腹すかない?」、すべては簡単な問いから始まります。「全部を後回しにしちゃいな」「勇気なんていらないぜ」、現代において僕たちは、冒険に挑むための理由を、なに一つ必要としていません。必要なのはただ一つ、「退屈」、ただそれだけです。

そのコーヒーショップの名前は "BOREDOM" といいます。"BOREDOM" とは「退屈」のことです。退屈、情動、不安、フロー、スイートスポット、繰り返される Out & Back 、

「飛び出せハイウェイ」

私からは、以上です。

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