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インスタントの世紀( The Instant Era )

Low-Tech, Lo-Fi, Instant|ARTICLES|The Graphic Design Review

テリーはなぜ「i」を「インスタント」としたのか。まずは誌面の作り方だろう。タイプライターがそうだし、ダイモ、スタンプ、ステンシル、コピーマシンなどなど、要するにすぐに生成できるタイポグラフィと画像を使って「インスタント」に冊子をつくったのだ。それは「ストリート」というコンセプトと結びつき、ロンドンの若者にすぐに浸透していった。

同じころ、日本にも「インスタント」の波が押し寄せてきていた。例えば、トナー式のカラーコピー機。まだ拡大縮小の機能は付いておらずモノクロ機もオフィスにあるかないかのころだった。撮ってすぐに見ることができるポラロイドカメラや、やはり現像の手間なくすぐに見ることができる電磁式のビデオテープを用いたVTRシステムもインスタントな道具だった。そういうヴィジュアルにかかわる機材が一挙に民生化されたのがこのころだ。まだ高価ではあったがワードプロセッサ(ワープロ)の普及期であり、転写式のインスタントレタリングなど簡易タイポグラフィのツールも出揃っていた。

コピー機の代名詞であったゼロックスでは売り出し中のカラーコピー機を開放しており、申請すれば自由にコピーをとることができた。VTRはポーターパックの愛称で知られたSONYの小型ベータマックス機が先行し、あとを追うビクターはVHSシステムの編集室をこちらも無料で開放していた。ポラロイドカメラではフィルム写真を撮る前の確認用だけでなく、インスタントフィルムの代表機種としてSX-70が人気を博し、写真家やアーティストが好んで使っていた。

インスタントメディアは、プロフェッショナルな技術へのアンチテーゼだった。写真や映像といったこれまで業者に頼んで仕上げていた表現が、自分たちの手のうちに入ってきた。まさにゲームチェンジだった。今から考えれば、ぼくたちはそれらインスタントメディアを使うことで、パーソナルコンピュータの出現を待ち構えていたのだ。

アップルコンピュータのMacintoshシリーズは、マザーコンピュータから離れて個々に存在することを誇るように「stand-alone」の合図で始まった。1986年に発売された MacintoshPlus は、ハイテクノロジーでありながらビットマップフォントとディザパターンの画像を描くローファイの機材として、デザイナーたちの心をつかむのにさほど時間はかからなかった。72dpiで打ち出された自身の全身写真を一面に配した、エイプリル・グレイマンの長さ2mに及ぶ一枚刷りの出版物は、ハイテク─ローファイ時代のファンファーレとなった。

時間をおかずグラフィックデザイナーの机の上に鎮座することになるMacintoshもまた、インスタントメディアのひとつだったのだ。今でもそれは変わりない(とぼくは思っている)。

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