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「空」とは(中村元 『般若経典』)

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二十空ということも大般若経に説かれているのですが、この空ということほど難しいものはありません。

「現代語訳 大乗仏典1『般若経典』中村元 東京書籍」には「空」について次のように解説されています。

「ところで、この空は実践的にはどういう意味があるのでしょうか。あらゆるものに本体がない、実体がないというのでは、すべてを否定することになります。それは虚無論者(ニヒリスト)になるのではないでしょうか。こういう非難がすでに古代インドにもありました。空論者は虚無論者であると非難されたのです。
これにたいして、中観派の書は次のように答えています。あるいは、大乗仏教一般がいうことです。

「空の教義は虚無論を説くのではない。そうではなくて、空はあらゆるものを成立せしめる原理である。それは究極の境地であるとともに実践を基礎づけるものである。もろもろの倫理的価値を成立させる真の基底である」。

空のなかにはなにもありません。であるからこそ、あらゆるものがそのなかから現れてくるのです。たとえていうなら鏡のようなものです。鏡のなかにはなにものも存在しません。だからこそ、あらゆるものを映し出すことが可能なのです(そこで「大円鏡智」という表現が成立します)。

空は、すべてを包容します。それに対立するものがありません。空というものは、なにもないことであると同時に、存在の充実です。あらゆる現象を成立せしめる基底です。それは生きている空です。あらゆる形がそのなかから出てきます。そこで、空を体得した人は生命と力に満たされて、いっさいの生きとし生けるものにたいする慈悲をいだくことになります。」

祖母の命によって西武新宿線鷺宮–高田馬場-原宿と、東京は人の川に溺れることを覚悟せよと慣らされて、初詣は必ず明治神宮でなければならず、また、参列する夥しい数の人々が犇く悍ましい有様を父の肩の上から眺めては震え、紙幣を細かく折り曲げて、なるべく遠くへ放り投げるように言われていた。

おそらく生まれてから二十歳までは、祖母の命によって西武新宿線鷺宮–高田馬場-原宿と、東京は人の川に溺れることを覚悟せよと慣らされて、初詣は必ず明治神宮でなければならず、また、参列する夥しい(おびただしい)数の人々が犇く(ひしめく)悍ましい(おぞましい)有様を父の肩の上から眺めては震え、紙幣を細かく折り曲げて、なるべく遠くへ放り投げるように言われていた。理由は教わらなかったし聞かなかった。幼少期の正月は不気味な80年代の原宿と結びついていた。かつて2つの西武線の開発が汲み取りを主眼としたものだったと教えられたのは三十歳を過ぎてからだった。

かつて2つの西武線の開発が汲み取りを主眼としたものだったと教えられたのは三十歳を過ぎてからだった。

ja.wikipedia.org

糞尿という極めて特殊かつ異質・不潔な運搬物であったことや、大規模に輸送が行われたのが戦中・戦後の混乱期であったこともあり、鉄道による糞尿輸送に関しての記録は極めて少ない。鉄道愛好家が調査したものや鉄道関連・郷土史関連の書籍に散発的に掲載されているもの以外では、西武鉄道の当時の社長・堤康次郎の著書『苦闘三十年』がまとまった記述を行っている程度である。

鉄道による糞尿輸送がいつ始まったのかは、はっきりとはわかっていない。記録に残る限りでは、大阪電気軌道(大軌、現在の近鉄)が大正時代末から昭和初期頃まで輸送を行ったのが最古になる。またのちに合併して西武池袋線となる武蔵野鉄道や東武東上本線も同じく大正末期から昭和初期に輸送を行っていたことがある。 これらは都市の屎尿の下肥利用という、以前からの習慣を受け継いで行われたもので、貨車や電動貨車に肥桶を積み込んで輸送する程度のものであった。中身が汚物であるだけで、通常の貨物と扱い自体はそう変わるものではなかった。

このようにささやかに行われていた糞尿輸送であったが、太平洋戦争が勃発すると事態が急変した。徴兵で労働力が不足し、さらに戦況の悪化により日本の物資がじり貧になり始めると、東京都区部などの大都市で屎尿汲み取りや運搬、投棄のためのトラックや船の運行が難しくなり、屎尿の処理が滞った。当時の東京都区部では、庭に穴を掘って埋めるという不衛生極まりない処置をとるところまで追い込まれていた。

この事態を打開するために苦肉の策として考案されたのが、郊外へ向かう鉄道への糞尿輸送の委託であった。1944年4月、東京都は運輸通信省(のちの国鉄)と各民営鉄道会社に要請を行った。これに応じたのが合併前の旧西武鉄道・武蔵野鉄道で、専用設備と専用貨車[2]を用意し、東京都の委託を受ける形で大規模な糞尿輸送を開始した。戦後には東武鉄道もこの委託による輸送に参加し、合併した西武鉄道とともに2社で輸送を続けていた。人々はこの糞尿輸送列車をからかい半分に「汚穢電車」[3]、「黄金列車」と称していたが、一方沿線住民からは「汚い」「臭い」などと言われ、顰蹙を買っていた[4]。

ja.wikipedia.org

また1944年には、東京都からの委託によって糞尿輸送が開始された。当時都内の糞尿処理は、トラックで東京湾岸へ運び船で海中に捨てていたが、人手不足とガソリン統制により、処理が追いつかなくなっていた。そこで東京都長官の大達茂雄からの要請で、武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が一体となり、専用貨車と積込所・貯溜施設を造って大規模な糞尿処理にあたることとなったのである。同年9月10日夜から普通貨車による糞尿運搬の臨時運転を開始し、11月21日には専用貨車を用いた本運転に入った。この糞尿輸送列車は、「汚穢電車」[28]「黄金電車」「黄金列車」などと呼ばれた。

この時の輸送力はあまり高いものではなく、積込所も2か所、貯溜槽も7か所しかなかった。社長の堤康次郎はさらに輸送規模を拡大させ、当時都内から排泄されていた1日約38,000石の糞尿全てを処理できるように構想を立てた。専用貨車を115両新造して輸送能力を1日20,000石に上げるとともに、両鉄道沿線の数十箇所に糞尿貯溜槽を置き、約271,000石の糞尿をためられるようにする。そして輸送は主に深夜に行い、その帰りは貨車の上に特設台を設置し、都内向けの野菜を運搬しようというものであった。

しかし衛生面などで問題が続出し、糞尿輸送は次第にその輸送量を減らして行った。書類上は1953年(昭和28年)3月30日までの契約であったが、実際には1951年に輸送が休止して以降、再開されないままの廃止で、堤の輸送拡大構想は結局実行されないまま終わった。

なおこの糞尿輸送が行われている最中に武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が合併しているが、社名に「農業」を付して「西武農業鉄道」とした由来はこのようなことにある。

井山弘幸『コピーは本来、手で写すことを意味する』

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copy は元来「書き写し」を意味した。

木版印刷や活版印刷が普及する以前、書物は筆写されるものであった。学術書や教典の伝統は、すなわち写本の歴史であった。三蔵法師こと玄奘が七世紀に西域から長安に持ち帰ったのは大乗仏教の写本であった。インド各地を遊学しそこで得たサンスクリット写本の一つが『プラジュニャー・パーラミター・フリダヤ』 Prajñā-pāramitā-hṛdayaで、玄奘がこれを漢訳したものが『般若波羅蜜多心経』、一般には「般若心経」と呼ばれるコピーで、弟子が持ち運び日本に伝来した。大陸からもたらされた仏典は写経を通じて伝えられる。

新旧聖書もグーテンベルク聖書として1455年頃から印刷刊行されるまでは、何世紀もの写本制作の長い歴史がある。福音書はイエス復活後に使徒たちが伝承した言行録をもとに、マルコ、マタイ、ルカの共観福音書、そしてヨハネ福音書が一世紀の後半から二世紀にかけて成立した。テキストの比較考量から、未だ発見されていないが、さらに古い言行録Q資料が存在したとも考えられている。

現在読まれているアリストテレス全集は、古代の哲学者本人が書いた著書ではない。大哲学者の著書があったことは知られているが、失われて現存しない。現代に伝えられているのは、アリストテレスが自分の学校リュケイオンで行った講義を、おそらく弟子が書きとったノートである。紀元前一世紀にこの記録が大量に発見され、ローマの政治家スーラがローマに伝え、蔵書家テュラニオンのもとに保管されていたものを、紀元前30年頃ロドスのアンドロニコスが整理して、アリストテレス講義録集成としてまとめあげた。

講義の書き写しは19世紀のヘーゲルの講義など、他にも多く残されているが、これは今でも普通に見られる大学の教室風景だ。

参考文献:

  • 『大唐西域記』玄奘 水谷真成訳(平凡社 1999年)
  • 『人類の知的遺産〈12〉イエス・キリスト』荒井献(講談社 1979年)
  • 『複製芸術論』多田道太郎(講談社 1985年)
  • 『アリストテレス全集』アリストテレス 内山勝利、神崎繁、中畑正志編(岩波書店 2013年)

山下正太郎・若林恵『企業はなぜ「人文知」を求めるのか?』

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企業が人文知に求めることのひとつ目は「発見装置」としての役割です。これは、顧客の潜在ニーズや現場のインサイトを探るために人文学を援用するという回路で、エスノグラフィや心理学がここでは主に援用されます。

ふたつ目は「統治装置」としての役割です。これは、組織の文化をつくる、動機づけをする、あるいは社員やユーザーの行動をある方向に誘導するために人文知を用いる回路です。ここでは組織文化論や「ナッジ」「UX」といった行動経済学などと関わるような分野が企業で援用されます。

3つ目は「正当化装置」としての役割です。企業の社会的責任や倫理的正しさを担保し、社会の許可証(legitimacy)を得るために人文知を用いる回路で、ここでは倫理学や哲学が、「ESG」「CSR」「パーパス」といった領域に紐づくかたちで採用されます。

そして最後の4つ目が「現在地を測定するための装置」としての人文知です。これは企業として自分たちを歴史のなかにどう位置づけるのか、あるいは「自分たちは何者なのか」を把握するために人文知を用いる回路で、歴史学、アーカイブ、生活史のような取り組みがここに入るのではないかと思います。

これはデジタルテクノロジーが浸透したことで激しく進んだ傾向です。「発見」(顧客理解)がそのまま開発に直結し、開発をアジャイルで回すほどに「組織の統治」が問われるようになり、統治が問題になれば、それに合わせて「正当化」「倫理」「ミッション」が求められる。そして、それらがうまくつながらず、会社の全体像があやふやになっていくと、改めて「現在地の測定」の必要が出てくるといったように、すべてが連動してしまいます。

そうとも言えますが、そうとばかり言えないところもあります。これは、ヨコク研究所から2025年に発行した「クリエイティブシフト:未来の仕事とクリエイティビティ」という冊子でも指摘したことですが、それまでのやり方が行き詰まった結果、ワーカーの「クリエイティビティ」を積極的に開発しなければならないといったことがアメリカで言われ始めるようになったのは、1950年代のことでした。ここで参照すべきは、サミュエル・フランクリンが『クリエイティブという神話:私たちはなぜそれを崇拝するのか』のなかで指摘した歴史的背景です。

スプートニク・ショックに動揺した当時のアメリカは、ソ連の画一的な全体主義に打ち勝つために、民主主義的な「個人の自由な発想」を国家戦略として掲げました。その要請に応えるかたちで、心理学者たちが「創造性」を、それまでの「一部の天才による神秘的な才能」から、訓練によって誰もが発揮できる「測定可能なスキル」へと再定義(発明)したのが「クリエイティビティ」という概念の現代的な用法の始まりだとされています。

yokoku.kokuyo.co.jp

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『クリエイティブという神話:私たちはなぜそれを崇拝するのか』

サミュエル・W・フランクリン・著/加藤洋子・訳(河出書房新社、2024 年)
「クリエイティビティ」とは冷戦下のアメリカで意図的につくられ、制度化された人工的な概念であった─。オランダの文化史家である著者が、クリエイティビティの概念の誕生と変遷の歴史を記述。人工的な概念ゆえの「曖昧さ」がむしろ万能なことばとして機能し、特定の歴史的・政治的要請を制度化していくことになったことを明らかにする。自己責任や成果主義を促す装置としてのクリエイティビティを省みるための一冊。

www.kawade.co.jp

ロバート・グラスパー「いつも自分のビートで歩け」

amass.jp

もし若い頃の自分に音楽業界のアドバイスができるなら、いつも自分のビートで歩け、と言うだろう。

特にジャズというジャンルは歴史に大きく依拠していて、ジャズ界の人たちやジャズ警察の人たちは歴史に重きを置いている。彼らは、あなたが自分らしく、現在を生き、未来を切り拓くことよりも、歴史を重視する傾向がある。とにかく歴史がすべてなんだ。まるで、歴史をすべて知らなければ、今この瞬間に音楽を奏でる資格すらない、みたいな感じさえある。僕は若い世代に自分らしくいる許可を与えたいと思っているけど、それと同時に、歴史を尊重し、理解し、それに縛られないようにしている。それがすべての核心なんだ。

最初に始めた頃は、とにかく一番になりたかった。みんなを打ち負かしたかった。自分は君たちより上だって思ってた。若いときって、だいたいそういうものだろう。ほかのミュージシャンを唸らせることが全てだった。

自分の音楽が人々に何をもたらすのか分かった瞬間、視点は大きく変わると思う。“君の音楽があったから自分を傷つけずに済んだ”とか、“君の音楽のおかげで息子が生まれた”とか、“君の影響でピアノを始めた”とか、そんな言葉を数多く受け取ってきた。

そういうの全部が、つまり答えなんだ。僕は誰かの人生のサウンドトラックであり、人々にインスピレーションを与えている。その本質を理解した時、もうそれが音楽をやる理由になるんだよ

linklog 2025-12-24

( rururu.app *1 の pawprints からの転記)*2
時系列は上から下の順

https://www.engakuji.or.jp/blog/39759/

「アメリカ合衆国から自分第一(ファースト)という個人主義が輸入されて恐ろしい勢いで跋扈しはじめた。この思想の勢いは防止することができない。ナニモ個人主義カニモ個人主義といちいち自己を中心にして割り出す。これが高じてくると危険思想にもなるのです。」(釈宗演『禅に学ぶ明るい人生』国書刊行会)

https://scrapbox.io/yuta25/%E6%89%8B%E8%A9%B1%E3%81%8C%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F2025

手話だって言語だから、手話を話すことだって言語化には違いないんだが、ポップミュージックよりも自由度はあって、ジャズとか、そんな感じかも。

https://scrapbox.io/yuta25/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%80%81%E3%81%8A%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%B9%E3%82%8A%EF%BC%81

伝えること、伝わること、その複雑さとプリミティブさ。

https://www.engakuji.or.jp/blog/39768/

「中国禅宗の初祖としてのダルマの史実は、ほとんど確かなことがわからない。

一般には、宋初にまとめられた『伝灯録』(真理の火を伝える書)や、『碧岩録』(碧い岩の寺での集錄)などの公案により、かれが南インドより海路はるばる中国に来て、南海広州の地に上陸したことや、梁の武帝との会見のものがたり、さては、武帝の学間仏教を嫌って華北に去り、嵩山少林寺にひとり坐禅をつづけていたとき、のちに二祖となる惠可が、かれに参じ、片一方の腕をきってその誠意を示したので、ついに無上の心法をつたえたなどという話が知られているが、いずれも中国禅の理想を人格化したもので、他の歷史的な人物の伝記とは、かなり性質を異にする。

まして、かれの語錄とよばれるものは、一個の歴史的人物としてのダルマが自から書いたものでもなければ、かれの説法の言葉を伝えるものでもない。

それらはすべて、かれを祖とする初期禅宗のひとびとの多くの主張をまとめたものであり、ふつうに禅の語錄とよばれるものの中でも、いっそう特殊なものである。」

https://note.com/happano/n/n6748ad5779a0

ロバート・ハミル・ナッソー(Robert Hamill Nassau, 1835 - 1921)は、ギニア、ガボンなど西アフリカの国々で40年間暮らし、訪れた村で、村の語り部が話すエカノ(伝説)を収集した。ムポングウェ語(バントゥ語系)など土地の言葉で語られた話を、ナッソーが英語で語り直し、『Where Animals Talk』と題した民話集にまとめた(1912年)。

採集した民話の多くは、動物と人間が同じ共同体の中で社会的な関係を保ちながら共存していたとされる先史時代を舞台としている。ナッソーは民話集の冒頭でそのように説明している。何百年、何千年と口伝えによって受け継がれてきた物語は、語り手(とその場にいた聞き手によって)様々にアレンジされて伝えられた。

エカノは1日の仕事の終わりや来客のあった夜などにしつらえられる。舞台は村の開けた道、あるいは森の野営地など。キャンプファイヤーを囲んで人々が集い、森の影や月や星を背景に、そしてときに太鼓や歌の伴奏とともに語られた。

https://note.com/happano/n/n62f66e9b3b89

インゲンダ(小猿)は木に登っていく間に、二つの木の実を食べ、木のてっぺん近くまで来た。そしてそこからゴリラに声をかけた。「ほら、こっちを見てみろ、顔を上に向けて」 そう言われて、ゴリラは顔を上に向けた。安全な場所にいると思ったインゲンダがこう認めた。「ほんとにそうだ、間違いない、壊れてる」

https://note.com/happano/n/na0a3fa581888

子どもたちが出かけてしまうと、父親のゾウのところに死神がやって来てこう言った。「到着!」 

https://allreviews.jp/review/7600/

このような日本におけるシンデレラ受容史は定説となっているが、話はそれほど単純ではない。逆説的な言い方であるけれども、日本文化と外国文化の融合は明治時代以降だけに限定されるわけではなく、第3章で検証するが、シンデレラのケースでも、その文化融合は遠く縄文時代や古代の奈良時代からすでに始まっていた。たしかに平安時代には、外国の影響を自家薬籠中のモノに変えて国風化した時代もあったが、その後、安土桃山時代にはシンデレラはヨーロッパからも流入している。

https://wirelesswire.jp/2025/12/92033/

「近代の登場とは、前近代の切り捨てである。それがなければ近代は達成されない――近代とは、そういう矛盾を含んだ時代である。前近代を切り捨てる形で近代というものは登場し、そしてその近代は、ある達成を見る。近代の先にある “現代” は、その達成を踏まえなければならない。切り捨てることによって達成されたもののその先は、切り捨てずに「踏まえる」という逆の方法を必要とする。そしてこの「踏まえる」という方法は、近代が切り捨ててしまった「前近代」の方法だった」(「出版を論ず」)

https://himaginary.hatenablog.com/entry/20251215/AI_as_an_Innovation_in_the_Method_of_Innovation

「These people are saying it is there too. Though I am not quite sure what they (or anyone, for that matter) mean by AI(この人たちは生産性統計にもAIが現れている、と言っている。ただ、彼らが(その点では誰しもが)AIで何を意味しているかが私には良く分からない)」

https://www.irunfar.com/for-our-mountains-john-kelly-film-review

「For Our Mountains」は、ジョン・ケリーが米国ジョージア州からメイン州まで伸びる2,197マイルのアパラチアトレイル(AT)で最速記録(FKT)に挑戦するだけのストーリーではありません。バークレーマラソンを3回完走しているケリーにとって記録更新は目標でしたが、彼の主な動機は、2024年にハリケーン・ヘレンによって壊滅的な被害を受けた愛するアパラチアのコミュニティのために資金を集めることでした。

https://www.engakuji.or.jp/blog/39773/

禅宗では南方の仏教とは大きく異なり、作務という労働をするようになりました。 畑を耕して自給自足に近い暮らしをするようになったのでした。 それで野菜などは自分たちで作っていただいているのです。 それにお米を貯えてもいいという考えになりましたので、朝お粥を炊くことができるのです。 もともとは一切たくわえてはいけなかったのでした。 たくわえると執着になるからです。 そんな次第で全て托鉢でいただいたものを食べて暮らす南方の仏教と、お米を貯えたり畑で野菜を作っている禅宗では異なるようになっています。

https://blog.sushi.money/entry/2025/12/17/062813

この本とはあまり関係ない話で、Human in the Loopという言葉があるけど、人間が入ってればOK、というのも乱暴な議論なのではないか?と思って調べてたら、攻殻機動隊の引用から始まる、癖のある資料が総務省のドメインにアップロードされていた。FAT(Fairness, Accountability, Transparency)の3つが必要とのこと。一発オッケーを志さないというか、ポン出しをしないというか、AIの出力を最終アウトプットにはしない、という前提はしばらくは変わらないと思う。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000899843.pdf

バトー: 「人形使い」の一件以来、変なんだって総合評価のレポートに書いといたでしょうが?読んでねぇのかよ。部長、自分の脳をいじくらせてる電脳医師の人格を疑ったことは?
荒巻: 電脳医師は定期的な精神鑑定を義務付けられとるし、公安関係の医師には身辺調査も入れとるわ。[尤も] それを実行するのも同じ人間だ [がな . . . ]。
バトー: 疑い出せばキリがないか [ . . . ]。

https://www.koubundou.co.jp/book/b10080988.html

gyazo.com

ロボット法 <増補第2版>
AIとヒトの共生にむけて

本書は、「制御不可能性」と「不透明性」を軸に、優れたSF作品の教訓にも触れつつ、「ロボット法」を構想していくことの重要性を伝えます。

https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1708.html

アンドレイ・クルコフ著 『灰色のミツバチ』

マーラヤ・スタログラドフカという村にはもうセルゲーイチとパージャしか残っていなかった。なぜ人が消えたのかというと、ドンバス地方は戦場となっており、この村はウクライナ軍も親ロシア分離主義者もどちらもが支配していない「グレーゾーン」となったからだ。村には砲弾や銃弾が飛び交うことがあれば、静かな日もある。パージャとは子どもの頃からの友だちというか、できればあまり付き合いたくないと思いつつも、腐れ縁のように憎まれ口を叩きあうという日が続いていたが、セルゲーイチはミツバチたちのため、巣箱ごとクリミア半島に住む旧友の養蜂家を訪ねることを決意する。

https://www.irunfar.com/a-carb-load-but-with-books

24時間一人でいるのは、本当に長い時間です。この経験を最も的確に表現するなら、知的カタボリック(異化作用)と言えるでしょう。あらゆることを考える時間があります。アイデアを消化し、統合し、吟味し、紐解く。考えることが十分になければ、女の子は生きながらにして自分を食い尽くしてしまうかもしれません。

https://note.com/happano/n/n101c6a7ca0fc

キュラソーというカリブ海の小さな島国の作家の書いたもので、タイトルは『The House of Six Doors』。自伝的小説と説明にありました。

この作家は当初、回想録を書こうとしていたそうですが、すぐにこの方法では自分が感じたことの真実を書ききれないと気づいた、と本の冒頭(Insroduction)で綴っていました。小説という形式を選んだのはそのためであると。また自分の人生を取り巻く人々の視野、視点も作品に取り入れたいと思った、つまり自分の視点のみから書くのではなく。小説であればそれが可能だからと。

起きたことを率直に書くにしても、ほぼ内容は事実に即していたとしても、回想録や自伝にしないで小説として書く。なるほどと思いました。おそらく自伝と小説の間の境界線とは、それが実際に起きたことかどうか否かではない、文学としての違うレベルの境界線があるのかもしれません。

https://wirelesswire.jp/2025/12/92051/

「科学論争は決着がつくまでに、長い時間がかかる」

「自然科学の論争は、データが整ってくればおのずと決着することが多い」

「データが揃わないうちは、答えがわからないのが科学」

「厳しく論争しながら結論に迫るのが科学研究の本質」

「エビデンスは遅れてやってくる」

https://yuta25.on.bolg.in/p/1wSIfpuG4RBuBTDSETeNih

音がすごい。野生の音楽だろうあれ、15分あっという間に過ぎた。エキサイティング。インダストリアル、ノイズ、ドローン

https://www.irunfar.com/putting-the-pieces-together

トレーニングの途中で、ジェスが私に尋ねました。良いランニングパフォーマンスは、「レース当日の魔法」のような体験によるものか、それともトレーニングで積み重ねてきた成果を結集させるか、どちらが重要だと思いますか? 私は後者だと思うと答えました。

スポーツには魔法のような要素があるという考えは今でも好きですが、それは何もないところから何かを生み出すという意味での魔法ではありません。むしろ、魔法はピースを揃えることにあります。トレーニングとは、閾値、持久力、筋力、ケイデンス、燃料補給、休息といったあらゆる要素を集め、洗練させることです。

https://nhkbook-hiraku.com/n/n0068764ada37

最近の若い人たちは優しくて繊細だ。

東日本大震災が起きたとき、インタビューでマイクを向けられた内陸の避難所の人が、「沿岸部はもっと過酷だから、自分は生きていて屋根があり毛布があってありがたい」と答えていた。その人だって、どうしようもなく日常が損なわれているのに。あるいは、SNSでさまざまな人の境遇が発信され目に見えるようになると、自分の抱えている傷も相対化されるから、「みんな大変なんだしこのくらい頑張らないと」と抱えこんでしまう側面もきっとある。自分だって傷を負っているはずなのに。

https://dragonboss.hatenadiary.com/entry/2025/12/19/230622

そうこうしているうちに、「××(姉)と龍(私)に遺したモノ」というタイトルのWORDデータが出てきた。ははぁ、これが遺言状代わりか、「残した」でなく「遺した」にするあたりが父らしいとクリックして開けたら、何にも書かれていない白紙だった。

https://pitchfork.com/reviews/albums/max-jaffe-you-want-that-too/

ピアノのピリンピリンという音、ギターの脈打つ音、ブリーピーなシンセが、まるでビスマス結晶の多色層のように、ゆっくりと柔らかく盛り上がっていく。丸1分間、静かな連結がゴボゴボと音を立てながら進み、余分な音符や装飾音を積み重ね、やがてコズミッシェの高まりを暗示する。しかし、実際には、各楽器は消え、テンポは半分の速さに落ち、不安なコード構造と無気力なドラムパターンだけが残る。突然、ジェフ・パーカーがため息をつくような6音のギター・ランを弾き出し、肩を落としてソロ・セクションに入り、曲はうっとりするような結末を迎える。

https://shimobayashi.hatenablog.com/entry/2025/12/20/120000

ヴィクトール・フランクル『夜と霧』

「収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。」

https://wheelwhirlpool.com/archives/nr-trek-checkpoint.html

およそ世にある上下優劣松竹梅は全て生命の強弱に依る、と読むならば中々シビアな話でもある。強くならなきゃなあ。

https://nomolk.hatenablog.com/entry/2025/12/21/231907

人々がChatGPTの優しい応答に依存しバージョンアップに伴う性格変更に暴動を起こすようになるはるか以前から、僕はよりクラシックなAIであるところの機械学習によるレコメンドエンジンに支配されているわけです。何ならサブスク音楽配信が始まる前から、Amazonの「これを買った人はこれも買っています」でCD買ってましたからね、俺。AI操られの先駆者なので。

https://wirelesswire.jp/2025/12/92070/

電子複写ならば photocopy だ。冒頭の(本タイトルの)コピペ(コピー・アンド・ペースト)は画面操作の一つであり、手書きの手間のないところは、寧ろフォトコピーに近い。

https://www.engakuji.or.jp/blog/39790/

「仏眼清遠禅師が、五祖法演禅師の下にいた時のこと。圜悟克勤が臨済禅師のことばを取り上げた。

「一句めで悟れば仏祖の師となれる。二句めで悟れば人天の師となれる。三句めで悟るのでは、我が身ひとつも救い得ない」。

「くだんの三句をおぬしに示そう」。言いながら、指を折り、「これが二句め。三句めは、とうに言うた」。

「第一句は機縁の一句だ。第二句は声前の一句である。第三句は応機接物である。

小川先生は「難解だが、第一句は存在以前、第二句は言語以前、第三句はすでに言語化された段階、とひとまず解しておきたい」と解説されました。

言葉にならない世界と言葉になった世界と二つに分けるのでしたらまだ分かりやすいのですが、三つになるとわかりにくいのです。

https://allreviews.jp/column/7619/

正気とは狂気の一つである。

https://www.udiscovermusic.jp/stories/back-to-the-future-the-story-behind-the-classic-movie-soundtrack

「ほかのどの場面よりも、あのシーンに一番力を注いだ。撮影しているとき以外の自由時間は、ほとんどギターを弾いて過ごした」

https://www.ele-king.net/interviews/012073/

アシッド・ジャズね、すごく聴いてましたよ。United Future Organizationとか、Kyoto Jazz Massiveも大好きだったし。若く多感な頃に聴いたので、とても素敵だなと思いました。

*1:Enjoy feeds! - rururu https://rururu.app/

*2:rururu.app の pawprint から linklog を思い出す - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/03/25/174818

<ruby>: ルビ注釈要素

(あわい)

<ruby><rp>(</rp><rt>あわい</rt><rp>)</rp> 
</ruby>


developer.mozilla.org

<ruby> は HTML の要素で、ベーステキストの上、下、隣に描画される小さな注釈であり、よく東アジアの文字の発音を表すのに使われます。

ルビという言葉は写植者が使用した長さの単位に由来しており、読みやすさ保ったままテキストを新聞用紙に印刷できる最小のサイズを表します。

developer.mozilla.org

<rp> は HTML の要素で、<ruby> 要素によるルビの表示に対応していないブラウザー向けの代替表示用の括弧を提供するために使用します。それぞれ 1 つの <rp> 要素で、注釈の文字列を含む 要素を囲む開き括弧と閉じ括弧をそれぞれ囲む必要があります。

developer.mozilla.org

<rt> は HTML の要素で、ルビによる注釈(振り仮名)のルビテキストの部分を指定します。東アジアの組版において発音、翻訳、音写などの情報を提供するために使用します。 <rt> 要素は常に <ruby> 要素の中で使用されます。


en.wikipedia.org

An agate (US) or ruby (UK) is a unit of typographical measure. It is 5.5 typographical points, or about 1⁄13 inch (1.94 mm). It can refer either to the height of a line of type or to a font that is 5.5 points. An agate font is commonly used to display statistical data or legal notices in newspapers. It is considered to be the smallest point size that can be printed on newsprint and remain legible.[citation needed]

アゲート(米国)またはルビー(英国)は、印刷上の単位です。5.5印刷ポイント、つまり約1 ⁄ 13インチ(1.94 mm)に相当します。これは、文字の行の高さ、または5.5ポイントのフォントを指すこともあります。アゲートフォントは、新聞の統計データや法的通知の表示によく使用されます。新聞用紙に印刷しても判読可能な最小のポイントサイズと考えられています。 [要出典]

あわい、あはひ

あわい - ウィクショナリー日本語版

あわい【間】

  1. (あいだ) 、隙間、間隙。
    • 間近に迫った人家の屋根や雨に打れ風に曝された羽目を見、自分の立って居る型ばかりの縁先に眼を移し、その間あわい 、僅か十坪に足りない地面に、延び上るようにして生えて居る数本の樹木を見守った時、私は云いようのない窮屈さを感じた。(宮本百合子 『餌』)*1
    • 迫った落日の赤々とした陽光に照りはえて、伽藍を囲む築地塀は、尼僧の清さそのものを物語るかのごとくに白々と連なり、しかも、伽藍のあわいあわいにおい茂る春の木、初夏の木、常盤木は、まこと文字どおりの青葉ざかりでした。(佐々木味津三『右門捕物帖 京人形大尽』)*2
  2. (古)関係。間柄。
  3. (古)色の調和。


mag.nhk-book.co.jp

「あわい」に似ている言葉に「あいだ(間)」がありますが、このふたつは少し違います。「あいだ」の語源は「空き処(ど)」で、AとBに挟まれた空間を言います。それに対して、「あわい」は「合う」を語源とし、AとBの重なるところ、交わった空間を言います。

あはひ、あひ、あふ、合う

*1:宮本百合子 『餌』 https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/4172_14766.htmlhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/4172_14766.html#:~:text=%E9%96%93%E8%BF%91%E3%81%AB%E8%BF%AB%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%B1%8B%E6%A0%B9%E3%82%84%E9%9B%A8%E3%81%AB%E6%89%93%E3%82%8C%E9%A2%A8%E3%81%AB%E6%9B%9D%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%BE%BD%E7%9B%AE%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%80%81%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E7%AB%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%B1%85%E3%82%8B%E5%9E%8B%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E7%B8%81%E5%85%88%E3%81%AB%E7%9C%BC%E3%82%92%E7%A7%BB%E3%81%97%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%82%E3%82%8F%E3%81%84%E3%80%81%E5%83%85%E3%81%8B%E5%8D%81%E5%9D%AA%E3%81%AB%E8%B6%B3%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%84%E5%9C%B0%E9%9D%A2%E3%81%AB%E3%80%81%E5%BB%B6%E3%81%B3%E4%B8%8A%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E7%94%9F%E3%81%88%E3%81%A6%E5%B1%85%E3%82%8B%E6%95%B0%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A8%B9%E6%9C%A8%E3%82%92%E8%A6%8B%E5%AE%88%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%99%82%E3%80%81%E7%A7%81%E3%81%AF%E4%BA%91%E3%81%84%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E7%AA%AE%E5%B1%88%E3%81%95%E3%82%92%E6%84%9F%E3%81%98%E3%81%9F%E3%80%82

*2:佐々木味津三 『右門捕物帖 京人形大尽』 https://www.aozora.gr.jp/cards/000111/files/576_19440.htmlhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000111/files/576_19440.html#:~:text=%E8%BF%AB%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%90%BD%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%B5%A4%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E9%99%BD%E5%85%89%E3%81%AB%E7%85%A7%E3%82%8A%E3%81%AF%E3%81%88%E3%81%A6%E3%80%81%E4%BC%BD%E8%97%8D%E3%82%92%E5%9B%B2%E3%82%80%E7%AF%89%E5%9C%B0%E5%A1%80%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%98%E3%81%B9%E3%81%84%E3%81%AF%E3%80%81%E5%B0%BC%E5%83%A7%E3%81%AE%E6%B8%85%E3%81%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%92%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%81%AE%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%8F%E3%81%AB%E7%99%BD%E3%80%85%E3%81%A8%E9%80%A3%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%81%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%82%E3%80%81%E4%BC%BD%E8%97%8D%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%82%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E8%8C%82%E3%82%8B%E6%98%A5%E3%81%AE%E6%9C%A8%E3%80%81%E5%88%9D%E5%A4%8F%E3%81%AE%E6%9C%A8%E3%80%81%E5%B8%B8%E7%9B%A4%E6%9C%A8%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%8F%E3%81%8E%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%BE%E3%81%93%E3%81%A8%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%A9%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%81%AE%E9%9D%92%E8%91%89%E3%81%96%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

linklog 2025-12-12

( rururu.app *1 の pawprints からの転記)*2
ひと月も貯めると、ちょっと多すぎ。文字数でいうと9千文字( URL の文字列含む) 。時系列は上から下の順に並んでいます。

https://pitchfork.com/reviews/albums/oneohtrix-point-never-tranquilizer/

今回は、2020年代初頭にロパティンがインターネット・アーカイブで見つけた商用サンプルCD一式に端を発している。将来のプロジェクトで使おうと漠然とした意図でページをブックマークしたが、DMCA削除通知の犠牲になったとみられるCDは消え、彼は次のステップへと進んだ。ファイルが予期せず再び現れたことで、アーカイブの無常性そのものが新たな魅力となった。「消えては再び現れることさえも、捉えたいと思ったんです」と彼は語る。「あらゆるものがアーカイブされながらも、絶えず失われていく時代の感情の響きを捉えたかったんです」

https://uphillathlete.com/skiing/why-skiing-builds-better-mountain-athletes/

新しいアスリートとトレーニングを始めるとき、私はまず週の走行距離やFTPについて尋ねるのではなく、動きについて尋ねます。片足でバランスを取れますか?空間内で自分の体がどのように動くかを理解していますか?負荷がかかった状態で、腰と足首の位置をどれだけうまくコントロールできますか?

https://www.ele-king.net/news/012025/

なんにしても、ジョージ・クリントン的にいえば、いま地球はファンクが欠乏しすぎている。さあ、はやくファンクを取り戻さなければ!

https://yuta25.on.bolg.in/p/2ZVZusnqee6SMCOVjRtHuH

服屋とか古着屋とか特有のお香の匂い

https://scrapbox.io/taizooo/2025%2F12

gyazo.com

そして今回、ドロップされたニュー・シットです。古着。エディバウアー。ウインドブレーカー。黄色。3千円。

https://worksight.substack.com/p/172

アーカイブの構築には常に権力が介在する。「誰が」「何を」残すのかという選別のプロセスで、「公式の記録」と「忘れられる記録」が生まれる。保存された記録へのアクセス権が誰に開かれているのか、公開と非公開の線引きは常に争点となる。さらに、政治的な意図による検閲や改ざんのリスクも存在する。

すべてを保存することが善とも限らない。「忘れられる権利」やプライバシーとのバランスも考慮されねばならず、人間の「記憶」と、常に編集的で不完全な「アーカイブ」(外部記録)は本質的に異なる。保存された資料の意味も、後世の文脈で読み直されることで変容していく。

https://www.irunfar.com/training-is-a-hopeful-act

アリストテレスは、「人は建物を建てることで建築家となり、竪琴を弾くことで竪琴奏者となる。同様に、私たちは正しい行いをすることで正義の人となり、節制をすることで節制の人となり、勇敢な行いをすることで勇敢な人となる(7)」と記している。私たちは、ある意味では、それを実践することによって美徳を育むことができる。ありがたいことに、ランニングは私たちの希望を実践する絶好の機会を与えてくれる。トレーニングは希望に満ちた行為なのだ。

https://econ101.jp/noah-smith_will-this-be-the-chinese-century/

中国がありとあらゆるものを自国のためにつくる一方で外国の製造業を必要としていない世界は,他の途上国が成長する機会の減った世界だ.中国が地域紛争を許容して自国とその裏庭にだけ平和を維持する世界は,いまより危険で暴力的な世界だ.そして,この世界の中心となる国が自国文化を外から隠す世界は,いまより味気なく,創造性に欠けた世界だ.

https://amass.jp/186351/

でもボン・ジョヴィは成功しなかっただろう。(商業的にブレイクする3作目)『Slippery When Wet』にたどり着くまでに時間がかかりすぎた。今じゃ、アルバム3枚の契約なんてない。シングル1曲の契約だ。Spotifyには毎日187, 000曲が登録されている。狂ってる! しかも来年か再来年には1日30万曲を超えるだろうって言われてるんだ。

https://www.irunfar.com/sounding-off

私はなんと日本を旅していました。滞在中、私はあちこちの音に気を配るようにしていました。音は至る所にありました。街中の電子音、トンネルを走る電車の音、人の声、足音、タイヤの音、麺をすする音、水が流れる音。挙げればきりがありません。

ランニングに出かけ、音楽を聴きました。街、森、早朝、夕方。それぞれの場所、それぞれの時間に、それぞれの曲がありました。プレイリストなんて必要ありませんでした。日本には、日本独自の音楽があったのです。

gyazo.com

ザック・ミラー、来日の記録。

https://blog.jxck.io/entries/2025-11-19/web.html

見落とされがちだが、「Web とは何か」という仕様はない。 Web を定義した W3C のドキュメントもなければ、IETF の RFC もない。 Web は仕様ではないのだ。 これだけしっかりと標準化された技術の粋を集めた総体が、なぜそんなにもフワっとしているのだろうか? 我々は、何を "Web" と呼んでいるのだろうか?

https://uphillathlete.com/voiceofthemountains/the-geography-of-risk-essay/

彼は1986年のK2へのアメリカ人遠征隊に参加した。そのシーズンは登山史上最も死者の多いシーズンの一つとなった。カイルはその場にいた。チーム全員が生きて帰還するまでの議論と決定を最前列で見ていたのだ。そして、それは彼の人生のあらゆる場面でリスクに対するアプローチを変えた。彼は結果を目的地と考えるのをやめ、全員を家に帰すことを考えるようになった。帰還の旅は結果、彼らが定義する成功の地点を通過する。

https://ekrits.jp/2025/12/8789/

その都市はかつてドイツを覆っていた深い森から切り離されたところに成立している。森と泉こそドイツの中世の象徴であったが、それはもはや都市には見られない。そのような嘆きが音楽にも哲学にも反映しているのである。いわば呪術的なものを多く抱え込んだ国が近代化に直面し、特異な能力を発揮して近代化路線でも勝利を収めたかに見えたが、かえってその生活を支えた呪術的なものに対する憧憬は抑え難く、あらゆる機会にあらゆるところで吹き出してくるとでもいえようか。私はナチスの動向にもそのようなものが否定できないようにも思うのである。

https://ekrits.jp/2024/05/8206/

ポール・ショーとピーター・ベインによる「ブラックレターとローマン体:イデオロギーの代用としての活字」という論稿では、この2つを明解な言葉で対照的に述べている。それによればブラックレターは、「中世的、新教主義(プロテスタンティズム)、ロマン主義、神秘主義、国家権威的」であり、「暗く、窮屈、尖っている、凝っている」という負の印象を与えている。それに対してローマン体は、「近代主義、旧教主義(カトリシズム)、啓蒙主義、合理主義、民衆主権」につながり、「単純、合理、良好なバランス、優美」という好印象を得ているという。それは同時に「ドイツ対イタリア」「ドイツ対フランス」という対応関係にも通じる。

https://hysysk.blogspot.com/2025/12/2025.html

近代科学社のナチュラルコンピューティング・シリーズの第0巻『自然計算へのいざない』を読んだりしていたのだが、

まさに今の自分の興味のど真ん中で、おもしれー!と感極まって教科書を閉じる(閉じるなよ)という状態。読んでいて分かったこととしては、ナチュラルコンピューティング・シリーズでまず読むべきは第7巻の『自然計算の基礎』だということ。これも面白すぎてすぐに閉じてしまう。

https://ekrits.jp/2024/06/8229/

可逆計算(Reversible Computation)とは、過去に遡ることができる計算のことである。

https://worksight.substack.com/p/174

あるいは昔の人にはこうして送られて去るものの姿が、ありありと目に見えたのかも知れぬ。それにしたところで仏道の新しい教えがほんとうの魂祭(たままつり)の解説を一変してしまった後まで、新野のように古くからの方式を保存していた例も珍しい。(柳田国男「新野の盆踊り」)

https://wellwellwell.hatenablog.com/entry/2025/12/02/140816

ここで「コロナ禍」について語られていることが既に遠い昔のことのように感じる。その一方で、二十年以上も前のことがつい昨日のことのように感じられる。時間感覚というのは面白いものだ。

ベルグソンによれば(たぶん嘘)過去の想起の強度は時間的間隔よりも心理的間隔によって決まるようだが、人生を振り返るとき、ここ十年くらいの出来事はいわば淡い水彩画のように感じられ、過去に遡るにしたがって色彩が濃くなっていき、油彩画のようなリアリティをもって感じられるようになり、さらに遡ると鮮明な映像として、時には明確な体感と共に浮かび上がる場面もある。

https://www.irunfar.com/the-swerve

「オリンピックチャンピオンの記録は、数時間、数秒、そして何分の一秒単位で進歩してきた」「しかし、シフトが進むにつれて、スピード狂は限界に近づいていきます」「パフォーマンスが良くなればなるほど(スピードが増すほど)、得られる進歩は悲惨なものになり、ついには電子的にしか気づかれなくなりました。」

https://note.com/happano/n/n4a9d3c198b6c

しかし実際には、雑誌やSNSその他のメディアで、自社の新刊の書影がいっさい使われないことになるとどうなのか。そのような考え(心配)もあるのでは。表紙ビジュアルが自社サイト、販売サイト、広告以外まったく世に出ていかない、知らされない、拡散されない状況。それが本当にいいことなのか、望むことなのか。多くの出版社はそこをあいまいにしたままにしていると思います。

https://worksight.substack.com/p/171

文化はグレーな領域があるからこそ発展してきたという歴史を忘れてはいけません。著作権法もまた保護と利用のバランスをとりながら運用されてきました。

だからこそ、社会全体が「寛容さをもつ知性」を育てていくことが重要です。すぐに白黒をつけようとするのではなく、「どこまでが許され、どこからが侵害か」を考え続ける態度そのものが、文化の成熟を支えます。フェアユースの精神とは、創作が息づくための空気のようなもの。作品は作者のものであると同時に、いずれはみんなのものにもなっていく。そのあいだに広がる余白を恐れず、そこに創造と対話の可能性を見いだしていくことが、これからの文化を支える基盤になるはずです。

https://mactkg.hateblo.jp/entry/2025/12/03/183207

そういや、そもそもブログ書いてみたのは、遅くに風呂に入ったらシャワーのお湯がぬるくて、多分娘が温度のボタンを勝手に押したからなんだけれど、家族全員がすやすや寝ている深夜に時空を超えてイタズラされるのが面白いなと思ったのだった。(娘は風呂に入るとよく給湯器のボタンを押す。)で、なぜ遅くに帰ってきたかというと、会社の一階でスキーヤーの上映会があったからなんですね。

https://wellwellwell.hatenablog.com/entry/2025/12/03/141055

「運転手さん。すまんけどラジオとめてえな、わし以外のしゃべくりは面白うない。現在わしが一番面白いのや、そやろキクさん! こんなシンキくさいもん聞いとれるか!それにやな、運転手さん?何で客が乗ったのにポリュームいっぱいでラジオつけとるのや、ラジオ聞きたいのはおのれやろ!そのおのれの趣味何で客におしつけるのや。客が乗ったとたんにラジオけさんかい、金とんなら気い違うもんや」

https://scrapbox.io/yuta25/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%81%92%E3%81%A7%E3%80%81%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%A4%8F%E3%82%92%E8%AB%A6%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F

プログラミングによるランダムっていうのは、いいんだよなー、平等だから。平等だと感じられる。自分の選択から、権威みたいなものの影響をかなり薄めることができる気がする。それに、自分なら一生選ばない(選べない)ようなものを、ランダムは選んでくれる。俺は平等になりたい。

"endless summer" の話

https://allreviews.jp/review/7585/

「ひとつの村と もうひとつの遠くの村とが/ぱったり出会う/その意味も知らずに/その深さをも知らずに/満足な会話すら交せずに/もどかしさをただ酸漿(ほおずき)のように鳴らして/一ツの村の魂と もう一ツの村の魂とが/ぱったり出会う/名もない川べりで」

https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1694.html

かといってディレッタントなどではなく、ただ知識を集積するのみではなくそれを怜悧に用いる。膨大な先行研究を渉猟するが、権威に追従するのではない。護教論的であったり保守的である神学者、聖書学者などは当然強く批判するが、その中で見るべきものがあればそれはきちんと拾い上げる。また田川と政治的には近い立場であろうと、願望をイエスに投影するような見方、例えばイエスを階級闘争の闘士に仕立てるような手法も批判する。

https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1695.html

田川はそのようなイエスの「声」を再現しようとしている。
「もしも「神の国にはいる」なんぞと言えるとしたら、俺たち貧しさをかかえてすったもんだやっている者達をおいて、どうして言えるのか。いや、「神の国にはいる」なんぞとは言うまい。神の国は貧乏人のものなのだ。きっとそうしてやる」。

https://allreviews.jp/review/7594/

ぼくがグッときたのは、父の両親が父の誕生日に贈った本について。見返しに「オウリへ。母さんと父さんより」と日付とともに書かれた十数冊の本は、どれも新刊ではなかったという。ふさわしい本を探して古書にたどり着いたのだろう。

https://criticalcycling.com/2025/12/exterioriser/

ルロワ=グーランは、人類の技術を「外化(Extériorisation)」の歴史として捉えた。人間は歴史の過程で、身体の機能を次々と身体の外側へと放出して道具化してきた。「打撃する」という拳の機能は「ハンマー」へと外化される、といった具合である。そして「記憶する」という機能が外化すると、それは「言葉」や「文字」へとつながっていく。

https://realsound.jp/movie/2025/12/post-2242638.html

「幽霊に神に魂、目には見えないものの時代はもう終わりだけんね」

https://wirelesswire.jp/2025/12/92024/

少々古いが、福澤諭吉による科学書の日本語訳『訓蒙窮理図解』(1866)から例を紹介しよう。

起点テキスト(英語):Heat being applied beneath, the lower particles become expanded and rarefied. They therefore ascend, carrying up their heat, while cooler and heavier particles from above take their place … The process of convection is exhibited when water is set over a fire to boil. The particles soon begin to move, as may be shown by throwing in some powdered amber, which is seen to rise and descend…(Quackenbos 1866, 202-203 no.501)

目標テキスト(訳文):さて,熱に由りて容(かさ)を増ませば,軽(かろ)くなるべきの理りなり.故に風ふ呂を沸わかすとき,下より火を焚きて,湯は上の方より先に暖まる理合も,これにて合点すべし.風呂の底にて熱を受くれば,其の水脹れて軽くなるゆへ上に浮かび,上より冷たき水の交代して,始終上下に入り替るなり硝子(びいどろ)の急須にて湯を沸かせば,其の昇降(のぼりくだり) の様子を明かに見るべし.(福澤 1868, 第一巻 第一章「温気の事」12)

https://criticalcycling.com/2025/12/hometown/

小学生の頃は家の前の県道を真っ直ぐ進めばどこへ辿り着くのか想像するだけでとにかくワクワクした。未知の道の先に未知の世界があると信じていた。

ある日、自転車に乗って真っ直ぐ真っ直ぐペダルを漕ぎ続けたことを覚えている。小学校を越えて、学区の境界にあった同級生の家の前を通り過ぎ、知らない街へ踏み入れる。家に帰ることができるのだろうかという不安を感じながらも前へ前へ進む。17時の鐘が鳴り、暗くなった辺りに覚えてべそをかきながら来た道を引き返す。

https://wirelesswire.jp/2025/12/92078/

「書籍は長い『ゼルダの伝説』のゲームのセーブポイントのようなものだ。記事は個々のクエストに相当するが、書籍こそがそのポイントまでのすべてを結晶化する場なんだ」

https://yamdas.hatenablog.com/entry/20251212/resonantcomputing

クリストファー・アレグザンダーと「無名の質」を引き合いに出しているところにおっとなるが、この文章の著者たちはこの質を「共鳴(resonance)」と呼んでいる。テクノロジーは人間の最良の部分を引き出すべきものという信念のもと、もっと個人やコミュニティの特性を生かしたテクノロジーのあり方、つまりは共鳴的な環境を構築できるはずだと訴えている。

https://allreviews.jp/review/7604/

ギリガンによれば「ケアの倫理」は、理論とエビデンスで正当化された「正義の倫理」とは異質だ。自立した人間が「正しさ」を追求する後者に対して、前者は人と人とが互いに依存し合うことを評価する。著者はバージニア・ウルフに依拠しつつ、ケアの実践において「多孔的自己」や「両性具有性」を重視する。流動的で他者に開かれた存在であること。こうした価値観を支えるのは文学的な想像力だ。本書では至るところでボルヘスからハン・ガンに至る多彩な文学作品が引用されるが、いずれもケアのための想像力を大いに補強してくれる。

*1:Enjoy feeds! - rururu https://rururu.app/

*2:rururu.app の pawprint から linklog を思い出す - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/03/25/174818

孤独な宇宙

book.asahi.com

好き嫌いの多い私と違い、夫は主菜も副菜のサラダもカットフルーツも添えられたクラッカーやチーズも次々と平らげてトレイを容器だけにしてしまった。きれいになくなったなあ、これで飛行機の積み荷も減るだろうと眺め、違うのではと思う。確かに積載物としての食糧は減った。しかし、食べ物はトレイから夫の胃へ移動しただけで、この飛行機全体の重量は変わらないのではないか。

考えている私に客室乗務員が食後のアイスクリームを手渡してくれる。軽食にお茶漬けや担々麺、お菓子のご用意もありますと微笑(ほほえ)まれる。フライトの間は飲み物も食べ物もどんどん与えられる。どんどん乗客である私たちの重量が増えていく。

いや、トイレに行くので排出もしている。となると、また飛行機の積載物が増える。しかし、全体の重量はやはり変わらないのではないか。食べても、出しても、変わらない。そう思うと、奇妙な孤独感に襲われた。

アストリッド・リンドグレーン『長くつ下のピッピ』

tanemaki.iwanami.co.jp

はじめに ピッピは時間なんてないことに気づきました

久しぶりに『長くつ下のピッピ』を読んだ。娘が小学校低学年の時に、一緒に読んで以来だから、十数年ぶりだろうか。そして、マクタガートの『時間の非実在性』を感じた。こんなシーンを想像してみてほしい。

「ねえ、時間って本当にあるの?」

長くつ下のピッピ/アストリッド・リンドグレーン, イングリッド・ヴァン・ニイマン, 菱木 晃子|リンドグレーン・コレクション - 岩波書店
gyazo.com

納富信留「日本語による哲学の試み」哲学の10冊

gyazo.com

和辻哲郎『風土』、田中美知太郎『ロゴスとイデア』、 丸山眞男『日本政治思想史研究』、手塚治虫『火の鳥』、大森荘蔵『物と心』、坂部恵『仮面の解釈学』、井筒俊彦『意識と本質』、上野千鶴子『家父長制と資本制』、柄谷行人『トランスクリティーク』、飯田隆『日本語と論理』

www.yomiuri.co.jp

inner monologue

アラブ系以外も外国行くと皆常に電話で話していますね。これに関しては説があり: 人間には自己会話internal monologueできる人とそうじゃない人がいる。日本人は漫画とかアニメでもそうだが常に脳内で自分と会話している。しかしない人は常にそれを他者との会話で補填せねばならない。

https://x.com/whatsreallife/status/1988496030208279001

この引用は文脈がズレているので危うい。ここで述べられていることは「アラブ人は "inner monologue" を持たない。だから電話でしょっちゅう誰かと話している」。ということではない。そして「 "inner monologue" は日本人に特有の現象だ」という事実はない。ダウト。

それぞれはまったく別の文脈に属する事柄だ。だからリプライ、会話としては不成立。ただこの話者は自分の知識をひけらかしたいだけだったのだろう。ただただ誤解を招くだけなので不誠実。


だがしかし、

"inner monologue" を持たない人、 "inner monologue" が他者の声である人、というのは確かにいるらしい。興味深い。

gigazine.net

レーベンブリュック氏の研究では、モノローグが持つ3つの側面に沿って多様性を分析する神経認知モデルとして「ConDialInt(凝縮-対話性-志向性)モデル」を提案しています。このモデルに基づき、思考をして言葉を発する際の口や喉の動きなどを観察することで、モノローグの種類を正確に分類してより包括的な神経認知モデルが検討されています。この神経認知モデルが構築された際には、実際にモノローグを頭の中で発しているかどうか判断することができます。

https://gigazine.net/news/20230802-inner-monologue/

The ConDialInt neurocognitive model of multidimensional inner speech.... | Download Scientific Diagram
gyazo.com


www.livescience.com

www.france24.com

www.theguardian.com

fr.wikipedia.org

www.researchgate.net

linklog 2025-11-17

linklog を復活。
( rururu.app *1 の pawprints からの転記)*2*3*4

https://nhkbook-hiraku.com/n/ncd7a18f2b780

徐々に私なりにつかまえたことがある。それは、詩を感じさせるきっかけが、思ったよりずっと運動にもとづいていたことだ。「身長が止まったのです。」がまさにそうで、表現するために選んだ言葉を、文末の「です。」にむりやり押し込んだ、その手つきによって、もしかして、詩のようにはならなかったかもしれない文言に、偶然に詩情がすっと滑り込んだ。

https://yuta25.on.bolg.in/p/3mLJDXQ7q16bJZPcEqdoLp

Tumblrで日記を書く界隈というかクラスタがあって、それはクラスタとかではなくてそれぞれが個人で書いてたりもしそうなんだけど、これはけっこう、良いなと思っていて、

https://wirelesswire.jp/2025/11/91765/

内容の要点は、日本では古代から近世にかけて、木材需要の高まりによる森林の過剰伐採で2度の危機に直面したが、政治的・自主的な規制と創意工夫により、持続可能な林業を確立したというもの。書名のとおり、日本の森林は各時代における日本人の叡智によって「つくられて」きたのだ、というのが米国人学者タットマン教授のメッセージ。彼は、欧米や中国では少数の例外を除いて、人間活動で失われた森林は回復できていないと指摘する。

https://www.audio-technica.co.jp/always-listening/articles/musicians-journey-01/

しばらく経ったある日、そのお坊さんの部屋の前を通りかかったら、めっちゃかっこいい音楽が聞こえてきたんです。「これなんですか!?」と訊いたら、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)の『The Complete Live At The Plugged Nickel 1965』っていうボックスセットだったんですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Complete_Live_at_the_Plugged_Nickel_1965

プラグド・ニッケルのセットリストは、 ESPの「Agitation」を除いて、ほとんどがスタンダード曲で構成されていた。ハンコックはこう記している。「マイルスが1曲目のカウントを切った瞬間から、いかに期待を裏切る演奏をするかに集中し始めた。曲が盛り上がり、自然なピークに達すると、ついついそれを押し上げてしまいたくなるものだ。しかし私は、静かな一音で急激に盛り下げた。トニーも同様に、音量と激しさを増していくと、ベースドラムを叩く代わりに、シンバルを軽く叩いた。私たちもその逆をやって、曲が終わりに近づいた瞬間に、急激に激しさを増していった。」ショーターは回想している。「彼らが私の足元からどん底まで突き落とす音を聞いた時、私は「頑張れ!」と思った。... バンドに加入して1年ちょっと経った頃だったが、次に気づいた時には私たちは遥か彼方へと旅立っていた。まるで... これが自由の意味かと。この領域に伴う大きな責任とは、限界に挑戦することだという意識があった。責任が表現へと変換され、それはまるで素晴らしい冒険のように聞こえた。」これらのセットの間、テンポは変化し、曲は認識できないほどに引き伸ばされた。

https://www.ele-king.net/news/012022/

そしてダブの時代は続く

https://thebugvsghostdubs.bandcamp.com/album/implosion

パブリック・エネミーのアンセミックな「Bring the Noise」でチャックDが「ベース、どこまで低くできるんだ?」と宣言したとき、彼はおそらく「Implosion」の10,000ファゾムの深さ、背骨を曲げるようなベースラインと地震のような揺れを先取り、または煽動していたのでしょう。

『Implosion』は、The Bug自身のレーベルPRESSUREからリリースされた、衝撃的なスプリットアルバムだ。スペクトラル・ダブの新たな形を描き出すこのサウンドは、意図的に没入感があり、内向的で、そして紛れもなく内破的なサウンドとなっている。重厚なリッド、ぼやけた視界、そして容赦ない低音ビンの責め苦を追い求めたこの作品は、瞑想と低音理論の融合であり、本質的にはサウンドシステムへの傾倒を告白するものと言えるだろう。

https://note.com/happano/n/nbb3eb0a567e3

この日はたとえ天気が晴天であっても、空気に何かいつもと違うものが漂っています。愛する者たちが帰ってくる日、それが死者の日。彼らが好きな食べものを用意し、祀り祝い、祭壇を街を飾ります。国中でそれが行なわれます。

https://note.com/mmmmm_mmmmm/n/nbe4e8bbd4707

日記を書き忘れた。日記のことをすっかりと忘れていた。日記のことだけでなく、大学で授業を終えて、お昼を食べた後にしたことをきれいさっぱり忘れている。私は何をした?

https://nhkbook-hiraku.com/n/nd61a4ecb8d63

しかし、1つのアイデアが降りてきた。これまで、音楽家についての本、時代を絞った本を書いてきた。だとしたら、その2つの切り口を組み合わせればいいのではないか。つまりは、
・(縦軸)その音楽家が、いちばんすごかった時代
・(横軸)その時代の中で、いちばんすごかった音楽家
この2軸の交わり、質的に量的に図抜けていた=いちばんすごかった「あの時代のあの音楽家」をつなぎ合わせて書けば、新しい形の「通史」になるのではないか

https://diff.wikimedia.org/ja/2025/11/14/%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%82%ad%e3%83%9a%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e5%88%a9%e7%94%a8%e8%80%85%e3%81%ab%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%84%e3%83%88%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%83%89/

人々が知識を得る新しい方法を私たちは歓迎します。しかしながらLLMやAIチャットボット、検索エンジンやソーシャルプラットフォームには、もっと多くの人にウィキペディアを訪問するように勧めてもらわなければならないし、それはウィキメディアのコンテンツ利用と、多くの人々やプラットフォームが依存する無償の知識の流通と、どちらも持続させるために必須なのです。ウィキペディアへのアクセスが減った場合、コンテンツの充実を保つボランティアの数も減るだろうし、この活動を支援する個人寄付者も減ってしまう恐れがあります。

https://allreviews.jp/review/7431/

しかし著者によるとオデュッセウスは高潔な勇士どころか、寄港ごとにあっちの魔女へフラリ、こっちの仙女へヨロリとする好色浮気なやつ。敵を倒すためにはどんな汚い手も辞さないリアル・ポリティシャンだそうだ。
セイレンたちをたとえるに「シンディ・クロフォードやシャロン・ストーン級の裸の美女たちからベッドに誘われたら、さて、あなたならどうする?」

https://ave-cornerprinting.com/ryo-taguchi-bose-11142025/

めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど、制作の途中で“恥ずかしくてやめる”のはなしにしようって決めて。普段考えていることなら作品にできると思って10作品を描いたので、次にもし第2回の個展があっても、これ以上出てこない(笑)

https://nhkbook-hiraku.com/n/nf0a8c7089702

なかには「キスの練習をしておきたかった」と、なかなかマニアックな回答も。どうやら回答者の男性(30代)は高校時代キスが下手だとガールフレンドに吹聴された過去を、練習不足のためだと後悔しているらしい。そもそも事実だったとしても、それを言いふらすガールフレンドもどうかしている。だから彼には「よくぞ告白してくれた」と、せめてもの賛同と賞賛の念を送りたい。お陰でアンケートが良い意味でざわついただろう。

https://nhkbook-hiraku.com/n/n52b1aba93a73

褒められてうれしいのは、年下の親族だけではない。大事な人は全員そうだ。夫を褒められるのも、好きなタカラジェンヌや大切な友人や自分のファンを褒められるのもうれしい。
褒められると自分のことよりもうれしくなるような大事な人がたくさんいるということは、私の人生における幸福の総量を著しく増やしていると思う。

https://blog.sushi.money/entry/2025/11/11/235900

袋の本来の姿って小物を詰め込むものだと思うので(拾ったどんぐりとか、弓で殺したリスとか)、

https://worksight.substack.com/p/171

文化はグレーな領域があるからこそ発展してきたという歴史を忘れてはいけません。著作権法もまた保護と利用のバランスをとりながら運用されてきました。

だからこそ、社会全体が「寛容さをもつ知性」を育てていくことが重要です。すぐに白黒をつけようとするのではなく、「どこまでが許され、どこからが侵害か」を考え続ける態度そのものが、文化の成熟を支えます。フェアユースの精神とは、創作が息づくための空気のようなもの。作品は作者のものであると同時に、いずれはみんなのものにもなっていく。そのあいだに広がる余白を恐れず、そこに創造と対話の可能性を見いだしていくことが、これからの文化を支える基盤になるはずです。

https://www.ele-king.net/news/012015/

数年前のある日、ダニエルはインターネット・アーカイブから膨大なサンプル・ライブラリが消え去っていることを発見する。数え切れない作品に陰影を与えてきた音源たちが、一瞬にして闇に呑み込まれたという出来事。それは文化の断絶、時代の記憶を繋ぐ回線が無慈悲に断ち切られるような体験だった。しかしそのことが彼に創造的なエネルギーを与えた。

https://criticalcycling.com/2025/11/children-wheelgraphy-reloaded/

自転車という乗り物は、技術の上手さや走りの強さというものが、競技的に取り組む人と日常用途に乗る人との間で、極端な振れ幅になることが多い。数キロの移動にだけ使う人と、200キロ以上を乗り込む人。電動アシストを必要とする人と、斜度12%の坂を笑顔で踏んでいく人。そして年齢も子供から大人まで、バラバラである。移動手段そのものが多様性であるから、日々同じ道を走っていても、それは同じ風景とは限らない。ましてや子供の目に映る、自転車で走る風景というものは、変化に富んでいるのかもしれない。

https://econ101.jp/noah-smith_buffett/

それよりも実態に近そうな説明は,こういうものだ.1960年代,1970年代,1980年代に,アメリカの株式市場がいくぶん非効率だったにすぎない――投資家たちが,たんに愚かな賭けをしていただけだ.そして,冷静な合理性と株式指標に頼らず割安株を探り当てる独自の手法を手にしたバフェットは,平均的な投資家たちがいかに多くのあやまちをおかしているかを見抜いてそこに莫大な資金をかけた最初期の投資家たちの一人だった.

バフェットは,ひとつの時代を定義した.そして,役者は去って幕は閉じられた

https://wirelesswire.jp/2025/11/91751/

例えば「(あなたは私のことが)好きなの?嫌いなの?」という問いかけは今や有名な不良設定問題として認識されるようになりました(「好き/嫌い」は「強い関心がある」という意味では同じ意味ですから「好き/嫌い」の反対語は「無関心」が正解になります)。同様に「役に立つ」の反対語は「役に立たない」ではなく「何の役に立つのかわからない」が正解です。森羅万象世の中に役に立たないものは存在しません。私たちにはニホニウム(Nh113)が何の役に立つのかがわからない程度の想像力しかないことを恥じるべきなのです

https://econ101.jp/noah-smith_an-interesting-idea-about-passive-investing/

でも,もしも市場のみんながこぞってこれをやりだしたらどうなる? もしも,誰も株を自分で選ばなかったら――「ETF購入」ボタンをただクリックする人たちしかいなくなったら――どの株が実際に買う値打ちがあるか探り当てるのに必要な調査を誰がやる? それに,みんなが同じ時に同じ株を買ったり売ったりしていたら,それってなんか危なくないの? 企業統治は? もしもヴァンガードやブラックロックみたいな一握りの資産運用会社がすべての企業を所有するようになったら,競争が減ってしまうんじゃない?

https://www.ele-king.net/columns/012011/

気づけば、どんな話題にも「美学」という言葉が入り込んでいる。K-POPのファンダムでは「〇〇コア」という呼び方が定着し、ファッションでも、写真でも、何かしらの“感じ”に名前がついていく。いま、誰もが美学の話をしている。「Aesthetics Wiki」には既に千以上のページが生まれ、今やリミナルスペースは人気のフォト・スポットである。美学は孤独を説明するのだ、とぼくは思う。

https://pitchfork.com/reviews/albums/patti-smith-horses

冒頭の8語で始まる激しい歌声は、その肉体と血と恵みと根性に聖なる真実を吹き込んでいた。「イエスは誰かの罪のために死んだが、私の罪ではない」と、煙のようにゆっくりと歌い、語りかける。私たちの物語は、ベルトルト・ブレヒトの誕生日、ルー・リードが席に座り、満月が輝く教会から始まる。

https://econ101.jp/noah-smith_the-obvious-solution-for-overtourism-problem/

京都市の混雑問題は外部性だ.そして,外部性があるときには,それに課税する必要がある.ホテル宿泊料〔にかける税〕を調整すれば,「観光客過剰をこれくらい減らしたい」という要望と「これくらい税収をあげたい」という要望のバランスをとることができる.

https://econ101.jp/are-cooperatives-more-virtuous-than-corporations/

協同組合は、その所有者にとっては良い組織形態だ。だがそれは、株式会社がその所有者にとって良いのと全く同じことである。そのため、一方が他方よりも必然的に優れているということはない。協同組合が株式会社よりも優れて有徳に見えるのは、大抵、私たちが企業のステークホルダーのそれぞれに寄せる共感の度合いが異なる(特に、投資家への共感が非常に乏しい)からだ。

https://toshimasa-kobayashi.tumblr.com/post/799559837520478208

カラスたちは都市を領土化し、生ゴミ収集の機を狙っては、住宅地にやってくる。彼らの表情が読み取れない。その目が何を見ているのか、こちらからは識別できない。濃淡のない黒。悪意を誘発するその筐体。たぶん彼らは悪意を持ち合わせていない。周囲を威嚇し、収奪し、飛び立つときも、彼らは部外者の意を介したり、あるいは反したりはしない。用が済んだら、飛び立つだけ。交渉の余地はない

https://yuta25.on.bolg.in/p/2cFGXuheQOBLnP7vuuISL0

フォヌカポウとか亜qw瀬drftgyふじことかなんでもいいけど、世界や感情のほとんどのことは人間にとって意味のある言葉にならない

https://nhkbook-hiraku.com/n/n3634f40b1058

そして何より重要な視点として、この本は地理上の発見から植民地支配に至る歴史を、これまでとは逆側から描こうとしている。支配する側・される側という上下関係ではなく、闖入者を迎え入れる側を含めた登場人物たちがそれぞれの思惑を持って動く。迎える者とやってくる者との関係のダイナミズムが描かれていて、

https://econ101.jp/%e3%83%8e%e3%82%a2%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%9f%e3%82%b9%e3%80%8c%e8%a1%a8%e7%8f%be%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%8c%e3%81%aa%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%89%e3%82%a2%e3%83%a1%e3%83%aa%e3%82%ab/

言論の自由も報道の自由も,アメリカ人がもつ自由のなかでも一番の基底だ――権威主義国家からアメリカをわかつ中核の価値ってだけじゃなくて,イギリスやカナダみたいに言論・報道の自由をそこまで絶対視していない他の民主主義国ともこの点でアメリカはちがっている.修正第1条が他でもなく第1条なのは偶然じゃない.

*1:Enjoy feeds! - rururu https://rururu.app/

*2:rururu.app の pawprint から linklog を思い出す - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/03/25/174818

*3:そんなわけで(どんなわけで)長らくご無沙汰していた rururu.app に復帰してみました。僕の使い方だとそこには、絶対に引用しなければならない、みたいな強制力があります。たぶんそのように感じるのは僕の勘違い、誤解であり、そういう使い方は誤用だと思います。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/11/08/094956

*4:フィードリーダーというか、一行メモ付きアンテナ https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/04/20/122028#f-edb14fab

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