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祖母の命によって西武新宿線鷺宮–高田馬場-原宿と、東京は人の川に溺れることを覚悟せよと慣らされて、初詣は必ず明治神宮でなければならず、また、参列する夥しい数の人々が犇く悍ましい有様を父の肩の上から眺めては震え、紙幣を細かく折り曲げて、なるべく遠くへ放り投げるように言われていた。

おそらく生まれてから二十歳までは、祖母の命によって西武新宿線鷺宮–高田馬場-原宿と、東京は人の川に溺れることを覚悟せよと慣らされて、初詣は必ず明治神宮でなければならず、また、参列する夥しい(おびただしい)数の人々が犇く(ひしめく)悍ましい(おぞましい)有様を父の肩の上から眺めては震え、紙幣を細かく折り曲げて、なるべく遠くへ放り投げるように言われていた。理由は教わらなかったし聞かなかった。幼少期の正月は不気味な80年代の原宿と結びついていた。かつて2つの西武線の開発が汲み取りを主眼としたものだったと教えられたのは三十歳を過ぎてからだった。

かつて2つの西武線の開発が汲み取りを主眼としたものだったと教えられたのは三十歳を過ぎてからだった。

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糞尿という極めて特殊かつ異質・不潔な運搬物であったことや、大規模に輸送が行われたのが戦中・戦後の混乱期であったこともあり、鉄道による糞尿輸送に関しての記録は極めて少ない。鉄道愛好家が調査したものや鉄道関連・郷土史関連の書籍に散発的に掲載されているもの以外では、西武鉄道の当時の社長・堤康次郎の著書『苦闘三十年』がまとまった記述を行っている程度である。

鉄道による糞尿輸送がいつ始まったのかは、はっきりとはわかっていない。記録に残る限りでは、大阪電気軌道(大軌、現在の近鉄)が大正時代末から昭和初期頃まで輸送を行ったのが最古になる。またのちに合併して西武池袋線となる武蔵野鉄道や東武東上本線も同じく大正末期から昭和初期に輸送を行っていたことがある。 これらは都市の屎尿の下肥利用という、以前からの習慣を受け継いで行われたもので、貨車や電動貨車に肥桶を積み込んで輸送する程度のものであった。中身が汚物であるだけで、通常の貨物と扱い自体はそう変わるものではなかった。

このようにささやかに行われていた糞尿輸送であったが、太平洋戦争が勃発すると事態が急変した。徴兵で労働力が不足し、さらに戦況の悪化により日本の物資がじり貧になり始めると、東京都区部などの大都市で屎尿汲み取りや運搬、投棄のためのトラックや船の運行が難しくなり、屎尿の処理が滞った。当時の東京都区部では、庭に穴を掘って埋めるという不衛生極まりない処置をとるところまで追い込まれていた。

この事態を打開するために苦肉の策として考案されたのが、郊外へ向かう鉄道への糞尿輸送の委託であった。1944年4月、東京都は運輸通信省(のちの国鉄)と各民営鉄道会社に要請を行った。これに応じたのが合併前の旧西武鉄道・武蔵野鉄道で、専用設備と専用貨車[2]を用意し、東京都の委託を受ける形で大規模な糞尿輸送を開始した。戦後には東武鉄道もこの委託による輸送に参加し、合併した西武鉄道とともに2社で輸送を続けていた。人々はこの糞尿輸送列車をからかい半分に「汚穢電車」[3]、「黄金列車」と称していたが、一方沿線住民からは「汚い」「臭い」などと言われ、顰蹙を買っていた[4]。

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また1944年には、東京都からの委託によって糞尿輸送が開始された。当時都内の糞尿処理は、トラックで東京湾岸へ運び船で海中に捨てていたが、人手不足とガソリン統制により、処理が追いつかなくなっていた。そこで東京都長官の大達茂雄からの要請で、武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が一体となり、専用貨車と積込所・貯溜施設を造って大規模な糞尿処理にあたることとなったのである。同年9月10日夜から普通貨車による糞尿運搬の臨時運転を開始し、11月21日には専用貨車を用いた本運転に入った。この糞尿輸送列車は、「汚穢電車」[28]「黄金電車」「黄金列車」などと呼ばれた。

この時の輸送力はあまり高いものではなく、積込所も2か所、貯溜槽も7か所しかなかった。社長の堤康次郎はさらに輸送規模を拡大させ、当時都内から排泄されていた1日約38,000石の糞尿全てを処理できるように構想を立てた。専用貨車を115両新造して輸送能力を1日20,000石に上げるとともに、両鉄道沿線の数十箇所に糞尿貯溜槽を置き、約271,000石の糞尿をためられるようにする。そして輸送は主に深夜に行い、その帰りは貨車の上に特設台を設置し、都内向けの野菜を運搬しようというものであった。

しかし衛生面などで問題が続出し、糞尿輸送は次第にその輸送量を減らして行った。書類上は1953年(昭和28年)3月30日までの契約であったが、実際には1951年に輸送が休止して以降、再開されないままの廃止で、堤の輸送拡大構想は結局実行されないまま終わった。

なおこの糞尿輸送が行われている最中に武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が合併しているが、社名に「農業」を付して「西武農業鉄道」とした由来はこのようなことにある。

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