( rururu.app *1 の pawprints からの転記)*2
時系列は上から下の順
https://www.engakuji.or.jp/blog/39759/
「アメリカ合衆国から自分第一(ファースト)という個人主義が輸入されて恐ろしい勢いで跋扈しはじめた。この思想の勢いは防止することができない。ナニモ個人主義カニモ個人主義といちいち自己を中心にして割り出す。これが高じてくると危険思想にもなるのです。」(釈宗演『禅に学ぶ明るい人生』国書刊行会)
https://scrapbox.io/yuta25/%E6%89%8B%E8%A9%B1%E3%81%8C%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F2025
手話だって言語だから、手話を話すことだって言語化には違いないんだが、ポップミュージックよりも自由度はあって、ジャズとか、そんな感じかも。
https://scrapbox.io/yuta25/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%80%81%E3%81%8A%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%B9%E3%82%8A%EF%BC%81
伝えること、伝わること、その複雑さとプリミティブさ。
https://www.engakuji.or.jp/blog/39768/
「中国禅宗の初祖としてのダルマの史実は、ほとんど確かなことがわからない。
一般には、宋初にまとめられた『伝灯録』(真理の火を伝える書)や、『碧岩録』(碧い岩の寺での集錄)などの公案により、かれが南インドより海路はるばる中国に来て、南海広州の地に上陸したことや、梁の武帝との会見のものがたり、さては、武帝の学間仏教を嫌って華北に去り、嵩山少林寺にひとり坐禅をつづけていたとき、のちに二祖となる惠可が、かれに参じ、片一方の腕をきってその誠意を示したので、ついに無上の心法をつたえたなどという話が知られているが、いずれも中国禅の理想を人格化したもので、他の歷史的な人物の伝記とは、かなり性質を異にする。
まして、かれの語錄とよばれるものは、一個の歴史的人物としてのダルマが自から書いたものでもなければ、かれの説法の言葉を伝えるものでもない。
それらはすべて、かれを祖とする初期禅宗のひとびとの多くの主張をまとめたものであり、ふつうに禅の語錄とよばれるものの中でも、いっそう特殊なものである。」
https://note.com/happano/n/n6748ad5779a0
ロバート・ハミル・ナッソー(Robert Hamill Nassau, 1835 - 1921)は、ギニア、ガボンなど西アフリカの国々で40年間暮らし、訪れた村で、村の語り部が話すエカノ(伝説)を収集した。ムポングウェ語(バントゥ語系)など土地の言葉で語られた話を、ナッソーが英語で語り直し、『Where Animals Talk』と題した民話集にまとめた(1912年)。
採集した民話の多くは、動物と人間が同じ共同体の中で社会的な関係を保ちながら共存していたとされる先史時代を舞台としている。ナッソーは民話集の冒頭でそのように説明している。何百年、何千年と口伝えによって受け継がれてきた物語は、語り手(とその場にいた聞き手によって)様々にアレンジされて伝えられた。
エカノは1日の仕事の終わりや来客のあった夜などにしつらえられる。舞台は村の開けた道、あるいは森の野営地など。キャンプファイヤーを囲んで人々が集い、森の影や月や星を背景に、そしてときに太鼓や歌の伴奏とともに語られた。
https://note.com/happano/n/n62f66e9b3b89
インゲンダ(小猿)は木に登っていく間に、二つの木の実を食べ、木のてっぺん近くまで来た。そしてそこからゴリラに声をかけた。「ほら、こっちを見てみろ、顔を上に向けて」 そう言われて、ゴリラは顔を上に向けた。安全な場所にいると思ったインゲンダがこう認めた。「ほんとにそうだ、間違いない、壊れてる」
https://note.com/happano/n/na0a3fa581888
子どもたちが出かけてしまうと、父親のゾウのところに死神がやって来てこう言った。「到着!」
https://allreviews.jp/review/7600/
このような日本におけるシンデレラ受容史は定説となっているが、話はそれほど単純ではない。逆説的な言い方であるけれども、日本文化と外国文化の融合は明治時代以降だけに限定されるわけではなく、第3章で検証するが、シンデレラのケースでも、その文化融合は遠く縄文時代や古代の奈良時代からすでに始まっていた。たしかに平安時代には、外国の影響を自家薬籠中のモノに変えて国風化した時代もあったが、その後、安土桃山時代にはシンデレラはヨーロッパからも流入している。
https://wirelesswire.jp/2025/12/92033/
「近代の登場とは、前近代の切り捨てである。それがなければ近代は達成されない――近代とは、そういう矛盾を含んだ時代である。前近代を切り捨てる形で近代というものは登場し、そしてその近代は、ある達成を見る。近代の先にある “現代” は、その達成を踏まえなければならない。切り捨てることによって達成されたもののその先は、切り捨てずに「踏まえる」という逆の方法を必要とする。そしてこの「踏まえる」という方法は、近代が切り捨ててしまった「前近代」の方法だった」(「出版を論ず」)
https://himaginary.hatenablog.com/entry/20251215/AI_as_an_Innovation_in_the_Method_of_Innovation
「These people are saying it is there too. Though I am not quite sure what they (or anyone, for that matter) mean by AI(この人たちは生産性統計にもAIが現れている、と言っている。ただ、彼らが(その点では誰しもが)AIで何を意味しているかが私には良く分からない)」
https://www.irunfar.com/for-our-mountains-john-kelly-film-review
「For Our Mountains」は、ジョン・ケリーが米国ジョージア州からメイン州まで伸びる2,197マイルのアパラチアトレイル(AT)で最速記録(FKT)に挑戦するだけのストーリーではありません。バークレーマラソンを3回完走しているケリーにとって記録更新は目標でしたが、彼の主な動機は、2024年にハリケーン・ヘレンによって壊滅的な被害を受けた愛するアパラチアのコミュニティのために資金を集めることでした。
https://www.engakuji.or.jp/blog/39773/
禅宗では南方の仏教とは大きく異なり、作務という労働をするようになりました。 畑を耕して自給自足に近い暮らしをするようになったのでした。 それで野菜などは自分たちで作っていただいているのです。 それにお米を貯えてもいいという考えになりましたので、朝お粥を炊くことができるのです。 もともとは一切たくわえてはいけなかったのでした。 たくわえると執着になるからです。 そんな次第で全て托鉢でいただいたものを食べて暮らす南方の仏教と、お米を貯えたり畑で野菜を作っている禅宗では異なるようになっています。
https://blog.sushi.money/entry/2025/12/17/062813
この本とはあまり関係ない話で、Human in the Loopという言葉があるけど、人間が入ってればOK、というのも乱暴な議論なのではないか?と思って調べてたら、攻殻機動隊の引用から始まる、癖のある資料が総務省のドメインにアップロードされていた。FAT(Fairness, Accountability, Transparency)の3つが必要とのこと。一発オッケーを志さないというか、ポン出しをしないというか、AIの出力を最終アウトプットにはしない、という前提はしばらくは変わらないと思う。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000899843.pdf
バトー: 「人形使い」の一件以来、変なんだって総合評価のレポートに書いといたでしょうが?読んでねぇのかよ。部長、自分の脳をいじくらせてる電脳医師の人格を疑ったことは?
荒巻: 電脳医師は定期的な精神鑑定を義務付けられとるし、公安関係の医師には身辺調査も入れとるわ。[尤も] それを実行するのも同じ人間だ [がな . . . ]。
バトー: 疑い出せばキリがないか [ . . . ]。
https://www.koubundou.co.jp/book/b10080988.html
ロボット法 <増補第2版>
AIとヒトの共生にむけて
本書は、「制御不可能性」と「不透明性」を軸に、優れたSF作品の教訓にも触れつつ、「ロボット法」を構想していくことの重要性を伝えます。
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1708.html
アンドレイ・クルコフ著 『灰色のミツバチ』
マーラヤ・スタログラドフカという村にはもうセルゲーイチとパージャしか残っていなかった。なぜ人が消えたのかというと、ドンバス地方は戦場となっており、この村はウクライナ軍も親ロシア分離主義者もどちらもが支配していない「グレーゾーン」となったからだ。村には砲弾や銃弾が飛び交うことがあれば、静かな日もある。パージャとは子どもの頃からの友だちというか、できればあまり付き合いたくないと思いつつも、腐れ縁のように憎まれ口を叩きあうという日が続いていたが、セルゲーイチはミツバチたちのため、巣箱ごとクリミア半島に住む旧友の養蜂家を訪ねることを決意する。
https://www.irunfar.com/a-carb-load-but-with-books
24時間一人でいるのは、本当に長い時間です。この経験を最も的確に表現するなら、知的カタボリック(異化作用)と言えるでしょう。あらゆることを考える時間があります。アイデアを消化し、統合し、吟味し、紐解く。考えることが十分になければ、女の子は生きながらにして自分を食い尽くしてしまうかもしれません。
https://note.com/happano/n/n101c6a7ca0fc
キュラソーというカリブ海の小さな島国の作家の書いたもので、タイトルは『The House of Six Doors』。自伝的小説と説明にありました。
この作家は当初、回想録を書こうとしていたそうですが、すぐにこの方法では自分が感じたことの真実を書ききれないと気づいた、と本の冒頭(Insroduction)で綴っていました。小説という形式を選んだのはそのためであると。また自分の人生を取り巻く人々の視野、視点も作品に取り入れたいと思った、つまり自分の視点のみから書くのではなく。小説であればそれが可能だからと。
起きたことを率直に書くにしても、ほぼ内容は事実に即していたとしても、回想録や自伝にしないで小説として書く。なるほどと思いました。おそらく自伝と小説の間の境界線とは、それが実際に起きたことかどうか否かではない、文学としての違うレベルの境界線があるのかもしれません。
https://wirelesswire.jp/2025/12/92051/
「科学論争は決着がつくまでに、長い時間がかかる」
「自然科学の論争は、データが整ってくればおのずと決着することが多い」
「データが揃わないうちは、答えがわからないのが科学」
「厳しく論争しながら結論に迫るのが科学研究の本質」
「エビデンスは遅れてやってくる」
https://yuta25.on.bolg.in/p/1wSIfpuG4RBuBTDSETeNih
音がすごい。野生の音楽だろうあれ、15分あっという間に過ぎた。エキサイティング。インダストリアル、ノイズ、ドローン
https://www.irunfar.com/putting-the-pieces-together
トレーニングの途中で、ジェスが私に尋ねました。良いランニングパフォーマンスは、「レース当日の魔法」のような体験によるものか、それともトレーニングで積み重ねてきた成果を結集させるか、どちらが重要だと思いますか? 私は後者だと思うと答えました。
スポーツには魔法のような要素があるという考えは今でも好きですが、それは何もないところから何かを生み出すという意味での魔法ではありません。むしろ、魔法はピースを揃えることにあります。トレーニングとは、閾値、持久力、筋力、ケイデンス、燃料補給、休息といったあらゆる要素を集め、洗練させることです。
https://nhkbook-hiraku.com/n/n0068764ada37
最近の若い人たちは優しくて繊細だ。
東日本大震災が起きたとき、インタビューでマイクを向けられた内陸の避難所の人が、「沿岸部はもっと過酷だから、自分は生きていて屋根があり毛布があってありがたい」と答えていた。その人だって、どうしようもなく日常が損なわれているのに。あるいは、SNSでさまざまな人の境遇が発信され目に見えるようになると、自分の抱えている傷も相対化されるから、「みんな大変なんだしこのくらい頑張らないと」と抱えこんでしまう側面もきっとある。自分だって傷を負っているはずなのに。
https://dragonboss.hatenadiary.com/entry/2025/12/19/230622
そうこうしているうちに、「××(姉)と龍(私)に遺したモノ」というタイトルのWORDデータが出てきた。ははぁ、これが遺言状代わりか、「残した」でなく「遺した」にするあたりが父らしいとクリックして開けたら、何にも書かれていない白紙だった。
https://pitchfork.com/reviews/albums/max-jaffe-you-want-that-too/
ピアノのピリンピリンという音、ギターの脈打つ音、ブリーピーなシンセが、まるでビスマス結晶の多色層のように、ゆっくりと柔らかく盛り上がっていく。丸1分間、静かな連結がゴボゴボと音を立てながら進み、余分な音符や装飾音を積み重ね、やがてコズミッシェの高まりを暗示する。しかし、実際には、各楽器は消え、テンポは半分の速さに落ち、不安なコード構造と無気力なドラムパターンだけが残る。突然、ジェフ・パーカーがため息をつくような6音のギター・ランを弾き出し、肩を落としてソロ・セクションに入り、曲はうっとりするような結末を迎える。
https://shimobayashi.hatenablog.com/entry/2025/12/20/120000
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』
「収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。」
https://wheelwhirlpool.com/archives/nr-trek-checkpoint.html
およそ世にある上下優劣松竹梅は全て生命の強弱に依る、と読むならば中々シビアな話でもある。強くならなきゃなあ。
https://nomolk.hatenablog.com/entry/2025/12/21/231907
人々がChatGPTの優しい応答に依存しバージョンアップに伴う性格変更に暴動を起こすようになるはるか以前から、僕はよりクラシックなAIであるところの機械学習によるレコメンドエンジンに支配されているわけです。何ならサブスク音楽配信が始まる前から、Amazonの「これを買った人はこれも買っています」でCD買ってましたからね、俺。AI操られの先駆者なので。
https://wirelesswire.jp/2025/12/92070/
電子複写ならば photocopy だ。冒頭の(本タイトルの)コピペ(コピー・アンド・ペースト)は画面操作の一つであり、手書きの手間のないところは、寧ろフォトコピーに近い。
https://www.engakuji.or.jp/blog/39790/
「仏眼清遠禅師が、五祖法演禅師の下にいた時のこと。圜悟克勤が臨済禅師のことばを取り上げた。
「一句めで悟れば仏祖の師となれる。二句めで悟れば人天の師となれる。三句めで悟るのでは、我が身ひとつも救い得ない」。
「くだんの三句をおぬしに示そう」。言いながら、指を折り、「これが二句め。三句めは、とうに言うた」。
「第一句は機縁の一句だ。第二句は声前の一句である。第三句は応機接物である。
小川先生は「難解だが、第一句は存在以前、第二句は言語以前、第三句はすでに言語化された段階、とひとまず解しておきたい」と解説されました。
言葉にならない世界と言葉になった世界と二つに分けるのでしたらまだ分かりやすいのですが、三つになるとわかりにくいのです。
https://allreviews.jp/column/7619/
正気とは狂気の一つである。
https://www.udiscovermusic.jp/stories/back-to-the-future-the-story-behind-the-classic-movie-soundtrack
「ほかのどの場面よりも、あのシーンに一番力を注いだ。撮影しているとき以外の自由時間は、ほとんどギターを弾いて過ごした」
https://www.ele-king.net/interviews/012073/
アシッド・ジャズね、すごく聴いてましたよ。United Future Organizationとか、Kyoto Jazz Massiveも大好きだったし。若く多感な頃に聴いたので、とても素敵だなと思いました。
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