カント
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カントの話である。
イマヌエル・カント(Immanuel Kant ドイツ語: [ɪˈmaːnu̯eːl ˈkant, -nu̯ɛl -]、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。
イマヌエル・カント - Wikipedia
理性を「理論理性」と「実践理性」に分け、更に「判断力」で補足するその独特な認識論的枠組みを以て、認識論における理性主義(合理論)と経験主義(経験論)の関係を調停したのみならず、(ニュートン的) 古典力学 (機械論) 及び (アリストテレス的) 古典論理学と、(プラトン的) 古典形而上学 (イデア論・神学)・倫理学や近代的自然権 (人権) 思想・自由主義・平等主義・個人主義、更に美学や生物学などを、総合し、秩序づける (住み分け・共存・両立させる) ことに成功した。
イマヌエル・カント - Wikipedia
ジョン・ロールズ
まず最初はジョン・ロールズだった。
『正義論』を読み始めたとき、ちょうど図書館に行くようになったタイミングだったので、とりあえず蔵書検索で "ジョン・ロールズ" 串刺しにして、手当たり次第に借りてきた中にあった『哲学史講義』(道徳哲学史講義)が、事の発端だった。
これはロールズが大学で学生たちに指導していたその講義録である。ロールズは「政治哲学」と「道徳哲学」について講義を受け持っていた。
書庫から出してもらってほとんど中身を見ないで借りてきた『哲学史講義』(道徳哲学史講義)は、ほぼ全部イマヌエル・カントについてだった。
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/10/23/220912
『哲学史講義』(道徳哲学史講義)、全く歯が立たなかったので、目次と序文と巻末だけ読んだ。道徳哲学というものがあって、カントが大きな位置を占めているということだけわかった。
カントは10年ほど続いた沈黙のあと、1781年からの10年間で決定的な三冊を出版する。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』。ロールズの「道徳哲学」は『実践理性批判』に関わるということが巻末の参考書籍からわかった。
ミシェル・フーコー
次は、ミシェル・フーコーである。
『正義論』は社会契約論という分野に関わっていて、まさしくそのままの題名の新書を重田園江サンが書いている。こちらも同じように蔵書検索で串刺しにして、こんな本を発見する。
重田サンが岩波講座の政治哲学5で「カントを読むフーコー」というテーマで書いていた。
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/11/14/220320
そこからフーコーが亡くなってから出版された、フーコーが一番最初に書いた論稿である『カントの人間学』に繋がった
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/11/14/220320
フーコーは、その研究人生の始まりに、ハイデガーの影響を受けているらしい。その流れでのカントだったようだけども、重田サンは転々と変化し続けるフーコーの研究の奥底にはずっとカントの、その人生で一番最後に出版された『人間学』があった。と言っている。
小田部胤久
そして、小田部胤久である。
カントの『判断力批判』、ロールズとフーコーでは「政治哲学」「道徳哲学」という視点で語られているこの本が、 hysysk サンだったり、ちょっと場違いに接近してる /lookdev 方面だったり、そこでは「美学」という視点で捉えられていて、うーん、これはいったいどういうことだ?
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/12/30/121200
『判断力批判』は美学史、美術史の中で大きな位置を占めている。18世紀、「趣味」は思想・哲学の上で重要な概念だった。『判断力批判』で「趣味」という概念に最後のとどめを刺したのがカントだった。
小田部胤久は『判断力批判』第一部を、昨年、翻訳した。
ハンナ・アーレント
最後に、ハンナ・アーレントである。
ハンナ・アーレント『カント政治哲学講義録』。ハンナ・アーレントは最後の著書『精神の生活』は本来は三巻となるはずだった。「思考」「意志」の二巻の執筆を終えて最後の三巻は「判断」となるはずだった。この第三巻は題字以外、書かれることはなかった。この本は、アーレントが大学で受け持っていた政治哲学についての講義録である。この講義録から書かれたかもしれない第三巻「判断」の内容を類推する、というものである。
小田部胤久が美学を読み取った『判断力批判』の中に、アーレントはカントの政治的な意志を読み取っている。
アーレントはハイデガーの弟子であり、かつ愛人だった時期がある。第二次世界大戦時、ナチスへの態度を巡って、二人は離れることになった。アーレントはアメリカに渡った。
まあ気にするな(巨人の肩に乗る)
誰もが勝手に観たいものを観て、感じたいように感じるのだ。まあ気にするな。
https://x.com/taizooo/status/797828937757753344
- 1781年 - 『純粋理性批判』第一版 1. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
- 1787年 - 『純粋理性批判』第二版 2. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
- 1788年 - 『実践理性批判』 Kritik der praktischen Vernunft
- 1790年 - 『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft
(著作・論文・講義 | イマヌエル・カント - Wikipedia)
- 1775年~1783年 アメリカ独立戦争
- 1788年 アメリカ合衆国憲法 発効
- 1789年~1795年 フランス革命
カントの書籍と世界の歴史の関係である。こういう時代にカントはいた。たとえ同じ言葉、単語であっても現代とは同じ意味を持つとは限らない。
巨人の肩に乗る。それぞれの人たちが自分の考えを乗っけているとも言える。カントのことを知りたいとして、概説書や入門書を読むこともできるけど、少なからずそれぞれの人たちにとってのカントを読むことになると思う。
ということを感じている。自分はどの位置を取るか、なんてことを図書館の貸出期限に追いかけられながら考えている。
まとまりなし。終わり。