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希望としての「本番」と、それを繋ぎ止めるための「練習」(『日記の本番 2025/01』が書けなかった話)

日記の練習です。

1月の『日記の本番』を書きたいと思ってからひと月ほどたってしまいまいました。忘れたわけではないけれど、書けなかったのです。

そうやってタイトルを書き入れたアーカイブを眺めて思ったのは「あー、1月の『日記の本番』、書いておきたい」でした。1月の積読山脈は「判断力批判の積読山脈」でした。2月になるとこれが「道徳哲学史講義の積読山脈」に移り変わりました。「判断力批判」の話はすでに忘れつつあります。忘却の彼方に去ってしまう前に、これを書き残しておきたい。そんな感じです。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/02/18/094919

年末から年始にかけての積読山脈はイマヌエル・カント『判断力批判』でした。ここにかなりのパワーで突っ込んでいったんですが、結局すべてを放り出してしまいました。記録を(記憶を)残しておきたい、という気持ちがあったのですがまったく手がつきませんでした。(かなりのパワーで突っ込んでいたので)このままなかったことにするのはもったいない、という気持ちがあったのだと思います。が、しょせん放り出してしまったことなので、書くための意欲と結びつきませんでした。最後にこんな引用を貼って、すべて放り出しています。

誰もが勝手に観たいものを観て、感じたいように感じるのだ。まあ気にするな。

今週末の良かったこと(カントをめぐるアレコレ、「判断力批判の積読山脈」の終焉) - copy and destroy

そうやって違う積読山脈に上っているのが、いまの状況です。こちらは、まさに上っている真っ最中、なので、なにかが書ける感じでは全然ありません。そんなふうにして『日記の本番』は捨て置かれることになるのでした。


まあ『日記の練習』『日記の本番』の意義とは、

このやり方には大きな可能性がある。「本番」が抜けてもいい。「本番」を書く可能性があるということ。そういう希望としての「本番」と、その希望に向けて毎日を繋ぎ止めるための「練習」。

「日記の練習」「日記の本番」 - copy and destroy

ということですから。などと言い訳して、今日も練習に励みます。練習だけが人生だ。

練習ってやつは、祈りを捧げるようなものだ。一週間に一回とか一か月に一回というわけにはいかない。

https://taizooo.tumblr.com/post/721293612

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