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日記の本番 2025/02

épinette, km3, saint-nazaire | Mériol Lehmann
gyazo.com

これは2025年2月の日記の本番です。

1月の日記の本番が書けなかったところから始まります。

1

イマヌエル・カント『判断力批判』*1を放り出してしまった話です。こんな話でした。

最後にこんな引用を貼って、すべて放り出しています。

『日記の本番』が書けなかった話(希望としての「本番」と、それを繋ぎ止めるための「練習」) - copy and destroy

誰もが勝手に観たいものを観て、感じたいように感じるのだ。まあ気にするな。

今週末の良かったこと(カントをめぐるアレコレ、「判断力批判の積読山脈」の終焉) - copy and destroy

2

さて、カントは1724年に生誕しました。日本は江戸時代、享保年間、徳川吉宗の時代でした。ちょうどその頃、本居宣長が生誕しています(1730)。

カントの書籍と世界史と日本史をマッピングをしてみました。こんな感じです。

デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ヒューム、カントの生誕と江戸時代の元号をマッピングする - taizooo

  • 明和 1764 - 1772
    • 1772 明和の大火
  • 安永 1772 - 1781
    • 1774 杉田玄白『解体新書』
    • 1775 ~ 1783 アメリカ独立戦争
  • 天明 1781 - 1789
    • 1781 カント『純粋理性批判』第一版
    • 1783 蔦屋重三郎 日本橋進出
    • 1783 カント『プロレゴメナ』
    • 1785 カント『道徳形而上学の基礎づけ』
    • 1786 田沼意次 失脚
    • 1787 ~ 1793 松平定信 寛政の改革
    • 1787 カント『純粋理性批判』第二版
    • 1788 アメリカ合衆国憲法 発効
    • 1788 カント『実践理性批判』
  • 寛政 1789 - 1801
    • 1789 ~ 1795 フランス革命
    • 1790 カント『判断力批判』
    • 1794 東洲斎写楽 登場
    • 1797 カント『人倫の形而上学』
    • 1800 伊能忠敬 蝦夷地測量
  • 享和 1801 - 1804
  • 文化 1804 - 1818
    • 1804 カント 死没

ちょうどいまやっている NHK の大河ドラマは明和九年(めいわくねん)「明和の大火」から始まりました*2。ほぼ同時期です。

イアン・ハッキングは『言語はなぜ哲学の問題になるのか』の「観念の全盛期」*3の中で、ジョン・ロック(17世紀)とゴットロープ・フレーゲ(19世紀)という歴史の間には何人もの哲学者が介在しているので(その中にはイマヌエル・カントも名を連ねています)、たとえ同じ言葉であっても(この場合には「観念」という語)、まったく違う意味を帯びている、と考える方が適切であろう、と言っています。

カントを読むというのは、カントの生きた18世紀と、僕らが生きる21世紀の間に横たわる200年という隔たりを、透かし見ることでもあります。

3

日本では明治維新*4で、文化、社会、政治の大きな変化、断絶があったと考えられています*5

そのため、江戸時代に書かれた文章が地続きに現在と直接繋がっているという感覚はあまり無いのではないかと思います*6

例えば平賀源内や本居宣長の書いた文章や、蔦屋重三郎の出版した本が、21世紀の現在に、つまりいまインターネットにあふれているテキストや出版されている書籍とダイレクトに繋がっている、まったく同質、同等である、というのは考えづらいことです。

不思議なことにカントの書籍は、哲学や思想の世界では、まるでそういう地続きなものとして扱われているように見えます。自分たちと肩を並べるものとして対等、またはそれ以上のものとして批判、批評が行われています。そうやって新しい価値を導き出そうとする、現在進行形のなにかに見えるのです。

まるで僕らがサブスクリプションをグルグル回して、21世紀のポップソングと、バロックのクラシカルミュージックと、20世紀の現代音楽と、60年代のファンクやジャズを、全部混ぜ合わせて隣り合わせに聴いているようにです。

そのことに僕は気がついてしまったのです。そしてこのように書き残して放り出してしまいました。

巨人の肩に乗る。それぞれの人たちが自分の考えを乗っけているとも言える。どんなルートを辿っても、少なからずそれぞれの人たちにとってのカントを読むことになると思う。

今週末の良かったこと(カントをめぐるアレコレ、「判断力批判の積読山脈」の終焉) - copy and destroy

ジョン・ロールズが、ミシェル・フーコーが、小田部胤久が、ハンナ・アーレントが、まったく同じカントという人物の残した文章から、それぞれの見たいものを見たいように読み取っている。

であるならば、僕はどの視点を選ぶのか。

4

さて、ヨーロッパの文化の奥底には復古から革新へという一見、不思議な流れがあります。ルネサンスがまさにそれでした。もともとは復古を意味していたその活動が、変革や革新、そして破壊的な革命に繋がったという歴史の流れです。それはここにあるように「アメリカ独立戦争」「アメリカ合衆国憲法 発効」「フランス革命」という出来事に繋がっていきます。カントは「歴史の底が抜けた混沌」を生きていました*7

5

下村寅太郎は、『世界の名著 25』で『スピノザとライプニッツ、「天才の世紀」の哲学と社会』という概説を書いています。

この二人の哲学者の生きた十七世紀は、「天才の世紀」である。フランスではデカルト、マルブランシュ、イギリスではロック、ホッブズのごとく、いずれも個性の豊かな体系的思想家の輩出した近世哲学史中、もっとも絢爛たる時代である。 十五、 十六世紀が「学芸復興の世紀」 十八世紀が「理性の世紀」と呼ばれ、それぞれの世紀の性格を示す名称があったが、 十七世紀は長くこのような名称を欠いていた。 ホワイトヘッドがはじめて 「天才の世紀」と命名した。

スピノザとライプニッツ、「天才の世紀」の哲学と社会 - taizooo

「学芸復興の世紀」(ルネサンスの時代)、「天才の世紀」(バロックの時代)、そして「理性の世紀」(啓蒙の時代)です。

全ヨーロッパが「一人の教皇と一人の皇帝」によって宗教的ならびに政治的に組織され支配されて、一つの統一的なヨーロッパ的世界を形成したことが、中世ヨーロッパの特色であった。これが全面的に解体、崩壊したのは十七世紀である。

スピノザとライプニッツ、「天才の世紀」の哲学と社会 - taizooo

宗教革命によって「神聖ローマ帝国」はバラバラに砕け散りました。それから長い長い時間を掛けて本当の変革が起きたのが18世紀でした。

まるで2025年の僕らが、

19世紀末から世界大戦を経て形づくられた世界の構造(冷戦構造)が、資本主義が生み出した巨大企業コングロマリットが世界中に張り巡らせたサプライチェーンが、そして無邪気なテクノロジーが世界中を繋ぎ合わせたインターネットが、

長い長い時間を掛けて少しずつ、本当にバラバラに砕け散りつつあることに直面しているのと同じようにです。

6

なんてわかったようなふりをしつつ、僕が選んだのはジョン・ロールズの視点でした。

カントと同じように「歴史の底が抜けた混沌」を生きる僕(僕ら)が、

ロールズが見出そうとした『正義論』の目線を通して、

カントが信じた(信じようとした)ように、特別ではない誰もが(僕らが)ごく普通に、当たり前に「正義」や「善」を実現する能力を備えているのだ、ということを、再び(三度)発見する、

というのは、なんか運命みたいなものがあるんじゃないか、なんて大胆なことを考えていたりなんかします。

7

カントは、まるでその先にいくつもの稜線や谷筋を抱えている裏山に見えます。玄関からトレイルヘッドまでは歩いてたどり着けるような場所にありますが*8、気まぐれにルートを選ぶと命懸けになるくらいスリリングな山脈が連なっています。そう、これがあの「積読山脈」なのです。

*1:今週末の良かったこと(積み増された積読山脈、判断力批判の積読山脈の始まり) - copy and destroy https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/12/30/121200

*2:明和の大火 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%81%AB

*3:言語はなぜ哲学の問題になるのか パート A 読解 - taizooo https://scrapbox.io/taizooo/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B_%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88_A_%E8%AA%AD%E8%A7%A3

*4:1868 大政奉還、王政復古から、1889 大日本帝国憲法発布までと考えられています

*5:さらには、 1945 ポツダム宣言受諾による敗戦という、もう一つの大きな断絶を経ていると考えられます

*6:実際にはもっと、さらに昔から地続きであったのだ、という話が、西田知己『「新しさ」の日本思想史 — 進歩志向の系譜を探る』にありますが、その話はまたいつか

*7:カントは存在の根拠が喪失しつつある時代というか、旧来の秩序の「底が抜けた」時代に思考していた人物だったので、今のように再び底が抜けつつある時代に読むのは、良くも悪くもやはり合っているのかもしれません。 https://x.com/adamtakahashi/status/1863957942430748971

*8:書店の文庫コーナーに、まるでなんでもないような顔をして並んでいますが、

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