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今週末の良かったこと

洞窟の比喩


via https://en.wikipedia.org/wiki/Plato#The_Cave

グリック「タイムトラベル」読んでいる。第4章「古の光」(いにしえのひかり)にプラトンの「洞窟の比喩」が出てくる。

「私は、空間と時間に対する新たな見方を、皆の前に提示したいと思っている。その見方は実験物理学の土壌から生まれたものであり、実験物理学ならではの強みが背景にある」。ミンコフスキーはまずそう話を切り出した。「それは過激な見方ではある。空間も時間もそれ単独では価値を失い、影へと隠れてしまうことになるからだ」。

「影へと隠れる」というのは、たんなる詩的表現ではないとミンコフスキーは言った。彼が言ったのは文字通りのことだ。私たちが知覚している現実は一種の投影である。プラトンが「洞窟の比喩」で使った、火に照らされた物体の影のようなものだ。

一方でソンタグが序にかえて書いた「In Plato’s Cave」の冒頭で示された洞察は現代にも完全に通じていると感じる。 ソンタグが Plato's Cave と記したのは、プラトンが著書の「国家」の中で示した「洞窟の隠喩」が前提となっている。Sontagがこの批評集を書き始めるにあたって In Plato's Cave と題した意味はまずこの概念を知らなければ理解できないだろう。

(514A-515A) ……地下の洞窟に住んでいる人々を想像してみよう。明かりに向かって洞窟の幅いっぱいの通路が入口まで達している。人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。火と人々のあいだに道があり、道に沿って低い壁が作られている。……壁に沿って、いろんな種類の道具、木や石などで作られた人間や動物の像が、壁の上に差し上げられながら運ばれていく。運んでいく人々のなかには、声を出すものもいれば、黙っているものもいる。……

つまり、僕たちが日常的に見聞きしているさまざまな現実は、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える、と言うことなのです。

面白いもんで、こういう時期というのはなにを探してても必ずなにかがつながったりする。もう何年もそういう現象を目の当たりにし続けている。ここでいう「こういう時期」とは 2019AC2019 のことを指す。

2019AC2019

完走した。

これがはたしてアドベント・カレンダーなのかどうかというのはなんとも言えないんだけども、唯一、アドベントであると謳っているのであれば25日間、一日も欠かさずに繋がったということがそれに値するだろう。

インターネット上の匿名アカウントとして存在する自分の場合、確固たる自分の場所みたいなものを持たない。場所を持たないということは誰かとの関係において確固たる繋がりを持たないことを意味する。

そのような自分が毎年このような活動(もし活動と呼んでもいいならそう呼ぼう)で25個の枠を埋めて、それが25日間途切れることなく継続して、インターネットに(もしそう言っても許されるなら「世界に」)、なにがしかの痕跡を残す、というのを奇跡といわないとしたら、いったいなんと呼べばよいだろうか。

PBN100 のポッドキャスト冒頭で 2019AC2019 のことを言葉に発するときに、これをなんと呼んでいいのか、言いあぐねたところで、これはオレにとっての成功だな、と思った。

それぞれの人たちが経験した2019というのは本物なんだろうけど、実際のところその確実さ確かさというその足場は実はグラグラであったり、縁もゆかりもない25個の post をちょっと視界の端っこにかすめる程度に眺めただけであっても、それを視界に入れたということは経験したことになるのだということだったり、そしてこの2019という区切りさえもあやふやになって、それは結局のところ、洞窟の壁で揺れる影だったのではないか、みたいな謎掛けを残して2019年は暮れて行きます。

では reblog の精神に則って、他人様の言葉をもって2019年最後の言葉といたします。

すべての企てがヒトがよりよく生きることのために行われますように。

われわれの残すすべての URL の繋がりや絡まりが、世界を豊かにしますように。ハレルヤ。

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