copy and destroy

catch and eat

ここからさらに考えを進めていくと、いま僕がここで書いているような問題への回答が、明確に見えてくる地点に立つことが出来る。日本語で書かれた小説を開くと、そこにあるのは見慣れた日本語だ。男も女も外国人も、すべてその日本語を喋っていて、見分けはつかない。これは確かに現実だが、この現実は簡単に変えることが出来る。

見た目には見慣れたいつもの日本語の会話であっても、そこに語られている内容がまるで日本語世界のものでなければ、読者は最初からそのような世界を受けとめざるを得ず、したがって否応なしにそのなかへ入っていくことになるから、最終的には地の文もふくめてぜんたいが、見慣れた日本語によってはいるものの、じつはまるで日本ではない別の世界のものとなる。

そのへんにいくらでもいるありきたりの日本の人が、日本になじみきった証拠であるような日本語で小説を書くことに、もはや意味はほとんどない。

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