copy and destroy

catch and eat

さように限りなき宇宙を一人の力で支配する神様はないはずだ

所説のごとくにして造られた世界には、同じようなものがたくさん共存するという考えから、われわれのと同じ世界が、他にもいくつも存在するであろうという考えが述べてある。これも一つの卓見であると言われよう。さように限りなき宇宙を一人の力で支配する神様はないはずだというところへ鋒先を向け、そして例の宗教の否定が繰り返される。

ルクレチウスは、かようにして、彼のいわゆる元子の何物であるかを説明した後に、エピキュリアンに対立した他の学説に対して峻烈な攻撃を加えているのである。万物が火より成るとか、地水火風から成るとか、また金は金、骨は骨と、いわゆるホメオメリアより成るとか、そういう考えから来る困難を列挙し、また一方では自説に対するこれら他学派の持ち出すべき論難に対して勇敢に応戦している。

ベグリッフ

数学も実はやはり一種の語学のようなものである、いろいろなベグリッフがいろいろな記号符号で表わされ、それが一種の文法に従って配列されると、それが数理の国の人々の話す文句となり、つづる文章となる。もちろん、その言語の内容は、われわれ日常の言語のそれとはだいぶ毛色のちがったものである。しかし幾十百億年後の人間の言語が全部数学式の連続に似たものになりはしないかという空想をほんの少しばかりデヴェロープして考えてみると、この譬喩が必ずしも不当でない事がわかるかと思う

ベグリッフのままでは出てこないのが不思議だったが、概念という意味のドイツ語らしい。

〔哲〕(concept フランス・ イギリス・Begriff ドイツ)

寺田寅彦、大陸と海洋の起源、読んでるのがわかるんだけど http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2345_13811.html この文章を書いたのが1928年で、大陸と海洋の起源の初版(ドイツ語)が出版されたのが1915年で、これの英訳が出たのが1922年とのことで、 https://en.wikipedia.org/wiki/Continental_drift#Wegener_and_his_predecessors 独版をそのまま読んだのか、英訳版を読んだのか、ちょっとわかならないけども、

少し唐突ではあるが地球上における蚯蚓の分布を調べた学者の研究の結果によると、ある種の蚯蚓は、東は日本から海を越えて大陸に、欧亜大陸を横断して西はスペインの果てまで広がり、さらに驚くべき事には大西洋を渡って北米合衆国の東部にまでも分布されているのである。大陸移動説を唱えたウェーゲナーは、この事実をもってヨーロッパと北米大陸とが往昔連結していたという自説の証拠の一つとしてこれを引用しているくらいである。

たぶんドイツ語版を読んでたんだろう。

当時、科学技術の最先端は、ドイツにあったのだと思われる。

こういう皮相的科学教育が普及した結果として、あらゆる化け物どもは箱根はもちろん日本の国境から追放された。 あらゆる化け物に関する貴重な「事実」をすべて迷信という言葉で抹殺する事がすなわち科学の目的であり手がらででもあるかのような誤解を生ずるようになった。 これこそ「科学に対する迷信」でなくて何であろう。 科学の目的は実に化け物を捜し出す事なのである。 この世界がいかに多くの化け物によって満たされているかを教える事である。

積読日記 #randomreading 2016年3月

2016年3月、買い散らかした本。積み散らかしたい本。(読書ノートより)

買い散らかした本

  1. ハックルベリ・フィンの冒険 マーク・トウェイン 角川文庫
  2. 管理会計基礎編 同文館出版
  3. 管理会計入門 日経文庫
  4. 見えない都市 イタロ・カルヴィーノ
  5. 超芸術トマソン 赤瀬川原平
  6. 生命とは何か E.シュレディンガー
  7. フィンチの嘴 ジョナサン・ワイヤー
  8. 補給戦 マーチン・ファン・クレフェルト

8冊、うち2冊はアマゾンで中古、3冊はジュンク堂、2冊は春光堂。

積み散らかしたい本

  1. 世界大地図帳 七訂版
  2. 日本語大辞典
  3. パタゴニア
  4. ソングライン
  5. マレー諸島
  6. 熱帯の自然
  7. カタロニア讃歌
  8. 一九八四年
  9. アップダイク自選短編集
  10. キャッチ=22
  11. 南の海からきた丹沢―プレートテクトニクスの不思議
  12. 日本海の拡大と伊豆弧の衝突 ―神奈川の大地の生い立ち
  13. 日本の沖積層

乱読日記 #randomreading 2016年3月

2016年3月、読み散らかした本。(読書ノートより)

  1. 大陸と海洋の起源(上)
  2. 大陸と海洋の起源(下)
  3. ルネサンス文化史
  4. ビーグル号航海記(中)
  5. ビーグル号航海記(下)
  6. ハックルベリ・フィンの冒険
  7. コーヒーハウス
  8. 管理会計入門
  9. 遠野物語
  10. 見えない都市
  11. 超芸術トマソン
  12. フィンチの嘴
  13. 補給戦

13冊読み散らかして(内、3冊は前月より継続)、読了3冊。

ミミズ(蚯蚓)

地球上における蚯蚓の分布を調べた学者の研究の結果によると、ある種の蚯蚓は、東は日本から海を越えて大陸に、欧亜大陸を横断して西はスペインの果てまで広がり、さらに驚くべき事には大西洋を渡って北米合衆国の東部にまでも分布されているのである。大陸移動説を唱えたウェーゲナーは、この事実をもってヨーロッパと北米大陸とが往昔連結していたという自説の証拠の一つとしてこれを引用しているくらいである。それはとにかく、あの運動遅鈍なみみずでさえ、同じ種族と考えられるものが、「現時の大洋」を越えてまでも広がっているという事実を一方に置いて考えてみる。もちろんこの蚯蚓の先祖と人間の先祖とどちらが古いかというような問題はあってもそれは別として、この事実はともかくも、過去の世界じゅうの人間の間の相互の交渉は、普通想像されているよりも、想像されうるであろうよりも、もう少し自由なものではなかったかという疑いを喚起させるには充分であろうと思う

ミミズ(蚯蚓)は、環形動物門貧毛綱(学名: Oligochaeta)に属する動物の総称。目がなく、手足もない紐状の動物である。名称は「目見えず」からメメズになり、転じてミミズになったとも言われ、西日本にはメメズと呼ぶ地域がある。多くは陸上の土壌中に住む。

地球物理学上の近年の問題となっている陸塊の水平移動に関する学説、俗に大陸漂移論と称するものから見た日本陸地の成立、変化、ならびにこれに連関して問題となるべき陸地の昇降、地震、火山現象等を追究するに当たって、しばしば古い過去における水陸分布の状態と現在のそれとの異同が問題となり、その一つの参考資料としていろいろな土地の地名の意義が引き合いに出る場合がある。そこで本邦地名の問題に触れるとなれば、自然の勢いで、アイヌ語や朝鮮語による地名起原説を参照しなければならぬ事になる。そうなると問題は自然自然に推移して結局は日本語の成立問題にまでも多少は触れないわけには行かなくなるのである。

孕の海にジャンと唱うる稀有のものありけり、

その怪異の第一は、自分の郷里高知付近で知られている「孕のジャン」と称するものである。孕は地名で、高知の海岸に並行する山脈が浦戸湾に中断されたその両側の突端の地とその海峡とを込めた名前である。

孕の地形を見ると、この海峡は、五万分の一の地形図を見れば、何人も疑う余地のないほど明瞭な地殻の割れ目である。すなわち東西に走る連山が南北に走る断層線で中断されたものである。さらにまたこの海峡の西側に比べると東側の山脈の脊梁は明らかに百メートルほどを沈下し、その上に、南のほうに数百メートルもずれ動いたものである事がわかる。

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対岸の孕町から望む東孕の大畑山

「交代で入る際に、自分の名前がアナウンスされるじゃないですか。スタンドから“ウォーッ”という声が聞こえてきて、鳥肌を超えて、なんか自分の血が逆流していく感じがありました。アドレナリンがこう、全身に走る感覚というか。ミスでもして負けたらどうしようとか、そんなマイナスの考えなんて一切なかった」

自然の森羅万象がただ四個の座標の幾何学にせんじつめられるという事はあまりに堪え難いさびしさであると嘆じる詩人があるかもしれない。しかしこれは明らかに誤解である。相対性理論がどこまで徹底しても、やっぱり花は笑い、鳥は歌う事をやめない。

私は科学の進歩に究極があり、学説に絶対唯一のものが有限な将来に設定されようとは信じ得ないものの一人である。それで無終無限の道程をたどり行く旅人として見た時にプトレミーもコペルニクスもガリレーもニュートンも今のアインシュタインも結局はただ同じ旅人の異なる時の姿として目に映る。この果てなく見える旅路が偶然にもわれわれの現代に終結して、これでいよいよ彼岸に到達したのだと信じうるだけの根拠を見いだすのは私には困難である。

今のところでは生物界の現象に関しては物理学はたいてい無能である。レーブのごとき一派の学者が熱心に努力しているにもかかわらず今のところ到底目鼻もつかぬようである。生物現象がすべて現在の物理学で説明できようとは思われぬが、しかしプランクが無生物質界の方則の統一を理想とするならば、もう一歩を進めて物理生理あるいは心理学までも包括して渾然たる一つの「理学」という系統がいつかは設立されるという理想をいだく事もできない事ではない。それがもしも可能であるとすればそうなるまでには今の物理学はまだまだよほど根本的な改革を受けなければなるまいと思う。

むしろ書くことによってしか何も残せないし、そこから次へ進むことも出来ないのだ

この『先見日記』は、日記という最も古い形式のひとつである文章表現が少しも古くないばかりか、書き手という個人が自分の目でものを見、そして考えたり感じたりしたことを文字に定着させて残しておく手段として、きわめて基本的で有効であるということを、証明してみせてくれたと思う。たとえインターネットという媒体であってもその有効性は変わらず、むしろ書くことによってしか何も残せないし、そこから次へ進むことも出来ないのだということを、参加者のひとりとして痛感している。おそらく他の方々も、同様のことを感じられているのではないだろうか。

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