copy and destroy

catch and eat

「ヒップホップへの愛情だ。そして、アフリカ・バンバータやグランドマスター・フラッシュから学んだヒップホップの教訓もいまの俺にとって大切なんだ。常にオープンな耳とマインドを持ち続けること。自分が普段聴かないような音楽からも学ぶことはある、ということを彼らは教えてくれた。俺はあるスタイルの音楽にハマると、半年間はその世界の中で没頭することができるんだ。そういうときはまったく最新の音楽を聴かないかもしれない。逆に、最新の音楽だけを聴いてる時期もある。俺はあらゆるスタイルの音楽を常に採集してるんだ」

言葉で切り刻む、この素晴らしき世界

http://taizooo.tumblr.com/post/57037861
taizooo.tumblr.com

オレが言ったみたいになっているけど、違ってて、もともとの post は下のこれで、

http://taizooo.tumblr.com/post/25234876
taizooo.tumblr.com

で、コレ自体も下の何かの書き換えで、

http://taizooo.tumblr.com/post/25234696
taizooo.tumblr.com

http://taizooo.tumblr.com/day/2008/02/01

で、これを拾った先で書き換えというか追記というか連歌というか、

http://tsupo.tumblr.com/post/25479473/そのポストの海から日の当たらなかった思想を探し出す廃棄物回収作業者の名をダッシュボードダイバーま
tsupo.tumblr.com

http://tsupo.tumblr.com/day/2008/02/04

で、ここから再度、美味しそうなところを引用した結果が一番上の quote ということでした。
書き換え、書き換えの嵐なので reblog graphs スゴイことになっています。

f:id:taizooo:20160525091616p:plain

大抵のものは、みんな誰かのコピーだ。

作者自身が被試験物質ないしは動物となって、試験管なり坩堝なり檻なりの中に飛び込んで焼かれいじめられてその経験を歌い叫び記録するのである。

実験としての文学と科学(詩歌について)

最も抒情的なものと考えられる詩歌の類で、普通の言い方で言えば作者の全主観をそのままに打ち出したといったようなものでも、冷静な傍観者から見れば、やはり立派な実験である。

ただ他の場合と少しちがうことは、この場合においては作者自身が被試験物質ないしは動物となって、試験管なり坩堝なり檻なりの中に飛び込んで焼かれいじめられてその経験を歌い叫び記録するのである。

あるいはその被試験者の友人なり、また場合によっては百年も千年も後世に生まれた同情者が、当人に代わって、あるいは当人に取り憑かれるか取り憑くかして、歌い悲しみ、また歌い喜ぶのである。たとえば、われわれは自分の失恋を詩にすることもできると同時に、真間の手児奈やウェルテルの歌を作ることもできるのである。

人生で最も大切なことは生き延びることだ

変な話ですがルー・リードを何より好きな(信用できる)理由は、死なないことです。最も薬物のODやH.I.V.に近いところに居そうなのに何事もないように、ベンダースの映画に出てきて淡々と愚にもつかないことを喋り続け、相変わらず歌も上手くない。人生で最も大切なことは生き延びることだと身を以って教えてくれた大切な先生です。

自分の意思とかわりとどうでもいいと思う。

どういう理屈かと説明すると、基本的にお勧めメニューには儲かるものが書かれている。儲かるものは原価が安い。なぜ原価が安いのかというと、食材が旬で豊作だからである。豊作で旬のものは美味い。だからお勧めメニューに書かれているものは、全部美味いといった理屈です。こちらの方法も、ああお勧めって書いてあるんだから、それから選んだらいいのかという納得感がすごかった。

で、実際にこれをやってみると美味いものが食べられるというより、すごい楽というメリットがデカい。なぜ楽なのか、選択を他人に委ねてしまっているからです。

なんとなくこれ食べたいくらいの気持はムシってしまいます。

細々したことなら、自分の意思とかわりとどうでもいいと思う。

「何でもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」

一日も早く「世界空中写真帳」といったようなものが完成されるといいと思う。それが完成するとわれわれの世界観は一変し、それはまたわれわれの人生観社会観にもかなりな影響を及ぼすであろう。そうして在来の哲学などでは間に合わない新しい天地が開けるであろうと夢想される。

物理学圏外の物理現象に関する実験的研究には、多くの場合に必ずしも高価な器械や豊富な設備を要しない。従って中等学校の物理室でも、また素人の家庭でもできうるものがたくさんにあると思われる。しかしいかなる場合にでも、その研究者が物理学現在の全系統について、正しい要約的な理解を持っていることだけは必須な条件である。

ビーグル号航海記 #randomreading









さように限りなき宇宙を一人の力で支配する神様はないはずだ

所説のごとくにして造られた世界には、同じようなものがたくさん共存するという考えから、われわれのと同じ世界が、他にもいくつも存在するであろうという考えが述べてある。これも一つの卓見であると言われよう。さように限りなき宇宙を一人の力で支配する神様はないはずだというところへ鋒先を向け、そして例の宗教の否定が繰り返される。

ルクレチウスは、かようにして、彼のいわゆる元子の何物であるかを説明した後に、エピキュリアンに対立した他の学説に対して峻烈な攻撃を加えているのである。万物が火より成るとか、地水火風から成るとか、また金は金、骨は骨と、いわゆるホメオメリアより成るとか、そういう考えから来る困難を列挙し、また一方では自説に対するこれら他学派の持ち出すべき論難に対して勇敢に応戦している。

ベグリッフ

数学も実はやはり一種の語学のようなものである、いろいろなベグリッフがいろいろな記号符号で表わされ、それが一種の文法に従って配列されると、それが数理の国の人々の話す文句となり、つづる文章となる。もちろん、その言語の内容は、われわれ日常の言語のそれとはだいぶ毛色のちがったものである。しかし幾十百億年後の人間の言語が全部数学式の連続に似たものになりはしないかという空想をほんの少しばかりデヴェロープして考えてみると、この譬喩が必ずしも不当でない事がわかるかと思う

ベグリッフのままでは出てこないのが不思議だったが、概念という意味のドイツ語らしい。

〔哲〕(concept フランス・ イギリス・Begriff ドイツ)

寺田寅彦、大陸と海洋の起源、読んでるのがわかるんだけど http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2345_13811.html この文章を書いたのが1928年で、大陸と海洋の起源の初版(ドイツ語)が出版されたのが1915年で、これの英訳が出たのが1922年とのことで、 https://en.wikipedia.org/wiki/Continental_drift#Wegener_and_his_predecessors 独版をそのまま読んだのか、英訳版を読んだのか、ちょっとわかならないけども、

少し唐突ではあるが地球上における蚯蚓の分布を調べた学者の研究の結果によると、ある種の蚯蚓は、東は日本から海を越えて大陸に、欧亜大陸を横断して西はスペインの果てまで広がり、さらに驚くべき事には大西洋を渡って北米合衆国の東部にまでも分布されているのである。大陸移動説を唱えたウェーゲナーは、この事実をもってヨーロッパと北米大陸とが往昔連結していたという自説の証拠の一つとしてこれを引用しているくらいである。

たぶんドイツ語版を読んでたんだろう。

当時、科学技術の最先端は、ドイツにあったのだと思われる。

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