copy and destroy

catch and eat

使いものにならなくなった哲学なんてないさ、

神様の出現は、文化のどこの領域に於ても、科学的には有害な性質を持っている。







違う、違う、違う、違う、ひとつもない、そうだ、使いものにならなくなった哲学なんてないさ、違う、違う、絶対違う、あいつにはそれがわかっているんだ、ありがとう、そんなことありえないよ、ブラボー

広告はなくなりました、という未来

良いプラットフォームに良い広告が集まり、悪いプラットフォームに悪い広告が集まる

「迷惑かもしれないけど名前は覚えていってね!」とばかりに広告を配信して、ユーザの不満はさておき、それは概ね成功しているのである。

広告はなくなりました、ステマばかりになりました、というのは笑えないが十分に有り得る未来である。

ユーザが本当に広告を利用しないのであれば広告主もプラットフォームも今すぐ破綻するわけで、逆にこれだけ広告業界が巨大なのは、好むと好まざるとに関わらず、人が広告の影響を受けていることの証拠とも言えるだろう。

イデオロギーによる対立ではなく、動画広告の強制視聴から戦争が始まる。

世界の果て

http://dlwr.tumblr.com/post/145304309192/リブログしてれば世界の果てに辿り着けるんじゃないか
dlwr.tumblr.com

この引用、その元は、下の tweet で、

ただ末尾の何文字かを切り離しただけだけなんだけど、そこに見える印象はほとんど違うものになっていて。それがどれくらい違うのかって上手く言えないんだけども、この文字列は明らかに重力から自由になっていてそこには希望みたいなものさえ垣間見える。なんてことも言えなくもないんじゃないかっていう。

引用っていうのは、必ずしも元の文章の方が素晴らしいとか元あった場所の方が、つまりオリジナルのあった場所、コピー元、の方が良い、優れている、健全、健康、衛生ってことはなくて、ペースト先の方が優れていることがよくあると思う。だからってわけではないけども引用元のことって正直どうでもよいと思っている。最低限の敬意は持っているつもりだけど。

http://taizooo.tumblr.com/post/145305188975
taizooo.tumblr.com

「ヒップホップへの愛情だ。そして、アフリカ・バンバータやグランドマスター・フラッシュから学んだヒップホップの教訓もいまの俺にとって大切なんだ。常にオープンな耳とマインドを持ち続けること。自分が普段聴かないような音楽からも学ぶことはある、ということを彼らは教えてくれた。俺はあるスタイルの音楽にハマると、半年間はその世界の中で没頭することができるんだ。そういうときはまったく最新の音楽を聴かないかもしれない。逆に、最新の音楽だけを聴いてる時期もある。俺はあらゆるスタイルの音楽を常に採集してるんだ」

言葉で切り刻む、この素晴らしき世界

http://taizooo.tumblr.com/post/57037861
taizooo.tumblr.com

オレが言ったみたいになっているけど、違ってて、もともとの post は下のこれで、

http://taizooo.tumblr.com/post/25234876
taizooo.tumblr.com

で、コレ自体も下の何かの書き換えで、

http://taizooo.tumblr.com/post/25234696
taizooo.tumblr.com

http://taizooo.tumblr.com/day/2008/02/01

で、これを拾った先で書き換えというか追記というか連歌というか、

http://tsupo.tumblr.com/post/25479473/そのポストの海から日の当たらなかった思想を探し出す廃棄物回収作業者の名をダッシュボードダイバーま
tsupo.tumblr.com

http://tsupo.tumblr.com/day/2008/02/04

で、ここから再度、美味しそうなところを引用した結果が一番上の quote ということでした。
書き換え、書き換えの嵐なので reblog graphs スゴイことになっています。

f:id:taizooo:20160525091616p:plain

大抵のものは、みんな誰かのコピーだ。

作者自身が被試験物質ないしは動物となって、試験管なり坩堝なり檻なりの中に飛び込んで焼かれいじめられてその経験を歌い叫び記録するのである。

実験としての文学と科学(詩歌について)

最も抒情的なものと考えられる詩歌の類で、普通の言い方で言えば作者の全主観をそのままに打ち出したといったようなものでも、冷静な傍観者から見れば、やはり立派な実験である。

ただ他の場合と少しちがうことは、この場合においては作者自身が被試験物質ないしは動物となって、試験管なり坩堝なり檻なりの中に飛び込んで焼かれいじめられてその経験を歌い叫び記録するのである。

あるいはその被試験者の友人なり、また場合によっては百年も千年も後世に生まれた同情者が、当人に代わって、あるいは当人に取り憑かれるか取り憑くかして、歌い悲しみ、また歌い喜ぶのである。たとえば、われわれは自分の失恋を詩にすることもできると同時に、真間の手児奈やウェルテルの歌を作ることもできるのである。

人生で最も大切なことは生き延びることだ

変な話ですがルー・リードを何より好きな(信用できる)理由は、死なないことです。最も薬物のODやH.I.V.に近いところに居そうなのに何事もないように、ベンダースの映画に出てきて淡々と愚にもつかないことを喋り続け、相変わらず歌も上手くない。人生で最も大切なことは生き延びることだと身を以って教えてくれた大切な先生です。

自分の意思とかわりとどうでもいいと思う。

どういう理屈かと説明すると、基本的にお勧めメニューには儲かるものが書かれている。儲かるものは原価が安い。なぜ原価が安いのかというと、食材が旬で豊作だからである。豊作で旬のものは美味い。だからお勧めメニューに書かれているものは、全部美味いといった理屈です。こちらの方法も、ああお勧めって書いてあるんだから、それから選んだらいいのかという納得感がすごかった。

で、実際にこれをやってみると美味いものが食べられるというより、すごい楽というメリットがデカい。なぜ楽なのか、選択を他人に委ねてしまっているからです。

なんとなくこれ食べたいくらいの気持はムシってしまいます。

細々したことなら、自分の意思とかわりとどうでもいいと思う。

「何でもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」

一日も早く「世界空中写真帳」といったようなものが完成されるといいと思う。それが完成するとわれわれの世界観は一変し、それはまたわれわれの人生観社会観にもかなりな影響を及ぼすであろう。そうして在来の哲学などでは間に合わない新しい天地が開けるであろうと夢想される。

物理学圏外の物理現象に関する実験的研究には、多くの場合に必ずしも高価な器械や豊富な設備を要しない。従って中等学校の物理室でも、また素人の家庭でもできうるものがたくさんにあると思われる。しかしいかなる場合にでも、その研究者が物理学現在の全系統について、正しい要約的な理解を持っていることだけは必須な条件である。

ビーグル号航海記 #randomreading









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