イタロ・カルヴィーノは『なぜ古典を読むのか』で、このように言っていた。
古典を読むときは、できるだけその本について書かれた文献目録や脚注、解釈を読まないで、原典だけを直接読むべきである。これはいくら書いても書きたりないほど重要なことだ。
これにたいして、ピエール・バイヤールは『読んでいない本について堂々と語る方法』でこのように言っていた。
『読んでいない本について堂々と語る方法』読解 - taizooo
一冊の本は、われわれの視界に入ってきた瞬間から未知の本ではなくなる。その本に関して何も知らなくても、それについて夢想することも、議論することもできる
それを受けて自分はこう言っていた。
同様に、積読山脈においても物理的に存在する以外に概念的に積まれているものが存在する。未入手であることと積読であることの違いは、実はほとんどない
ということで、それではここで電子的な意味で積読山脈に積まれたソレをご覧いただきます。アリストテレス『詩学』(岩波文庫版)
ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』 『若い読者のための文学史』(イェール大学出版局リトル・ヒストリー) の2冊から、ウィッシュリストの積読山脈に積まれた本ということで 悲劇と模倣(ミメーシス) 買おうかなー、積もうかなー、読むかなー、読まないかなー、どうしょうかなー