copy and destroy

catch and eat

表面上の良い人

いまの世の中は良い人であふれている。表面上は。でも世の中の裏をめくると、悪い人であふれ返っている。  ときどきそれが、事件となって、新聞やメディアに報道される。報道という形で世の中の表面ににじみでてくる。

新聞やメディアは良い人の集まりである。もちろん裏をめくると悪い人がたくさんいるのだろうが、でも表面は良い人に見えるように努力している。メディアというのは世の中の表面だから、とりわけいい人に見えるように努力しているわけである。

菊地成孔のアンチ SNS の話、思い出した。

 「現状が特別窒息的に見えるとしたら、その理由はSNSにある。日々人がエッセイスト、あるいは批評家、文学者として、疑似的なものとして、聞きかじりの情報をいろいろとコメントしている。あれは大変な自己表現。あんなものは昔はなかったわけで、『こいつこうだよね』と思ったら、友達と飲んでしゃべるとか、腹に一物もって映画館に行って帰ってくるとか、昔はそうして人のバランスが保たれていた」

 「物事に打ち込むには、沈黙が必要で、ため込む時間がいる。なのにSNSで毎晩、毎分のようにコメントしていたら、時間なんか作れない。好きでやっていると思っていたら、いつのまにかドラッグのようにコメントを強要されている。そのうえ素人なのに『こんなこと書いたら嫌われる、たたかれる』とか、まるで玄人のように自己規制をしている。『キジも鳴かずば撃たれまい』ということわざがあるが、『鳴きたい(書きたい)けど、撃たれ(たたかれ)たくない』という感じになっていて、結局いらいらして鳴いて(書いて)しまって、撃たれる。つまり、ネット上でたたかれて炎上する。こんな繰り返しの中でクリエーティビティーなんて生まれるわけがない。SNSにもいいところはあるが、若者は発信することに疲れ果て、発信して批判されることにも疲れている」

いまはますます良い人が増殖している。つまり表面が強固になってきている。あまりにも表面が充実しているので、それがすべてだと思う人も増殖している。

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