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しかし、この日の一座ときたら、どうだろう。あたかも農民達の楽団が、貴族の音楽を演奏しているかのよう。

バート・バカラックの音楽というのは、本来、ゴージャスなものだ。若き日にはマレーネ・ディートリッヒのオーケストラ・コンダクターを務めていたバカラックは、エンターテインメントの世界の掟をよく知る業界人でもある。作曲家としてはとても繊細な作品を生み出してきたが、ステージ上ではぎらぎらした野心家ぶりも覗かせる。1960年代の後半、ビートルズをはじめとするロックの波が乱暴に世界を覆い尽くそうとする中で、バカラックの音楽は、贅を尽くした極上のエンターテインメントの伝統を守り通そうとする側の、最大の抵抗勢力でもあった。

しかし、この日の一座ときたら、どうだろう。あたかも農民達の楽団が、貴族の音楽を演奏しているかのよう。いや、よく見ると、鍛冶屋も混じっていたり、得体の知れない流浪の民も混じっていたり。おじいさんの学者もいたかな。ともあれ、エンターテイメントの世界の掟には統率されない、てんでばらばらな人々が、バカラックの音楽を演奏する。リーダーは毛玉の浮いたカーディガンを着た小柄なアメリカ人。おどおどしたような様子すら窺えて、どのくらいのリーダー・シップがあるのか、見ていてもよく分からない。ただ、ステージが進むうちに、彼が選んだてんでばらばらの人々が、かけがえのない個性を持ったミュージシャン達であるのが分かってくる。無駄な音は一つもない。無駄のないアレンジということ以上に、優れた即興音楽家の演奏には無駄な音が一つもないのと同じ意味において、一群のミュージシャン達の演奏には何一つ無駄がなかった。

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