オデッセイの話(もしくは、「火星の人」の話)。
読書、滞ってきたので気分転換に火星の人買って来て、明日からやっと始まる休みにでも読もうと思ってそれで寝る前にカバーを外したその勢いで読み始めてしまって気がついたら150ページ先にたどり着いていた深夜一時半。パスファインダーまであと少し
金曜の夜、テレビでオデッセイをやっていた。火星に置き去りにされた彼が地球との繋がりを取り戻すために、前世紀に火星に送り込まれた今は動かない探査機を見つけ出すのは大きな山場の一つ。
小説は読んでいたが映画は初めて観た。2016年のゴールデンウィークに読んでいた。キンドルだと思っていたら本だったらしく本棚やら積読やらを漁ったが見つけられなかった。残念。
小説の方は「ログエントリー: ソル97」というふうに火星での日付を記した日記になっている。映画ではちょっとドラマチックな感じになっていたけども、小説の方は主人公が置かれている環境、状況は非常に特殊なんだけども、そこで営まれている日常は至極、淡々と進んでいく。
ということで、今度のお盆休み、何を読もうか。
グルグル回っている話(もしくは、悪魔的スイングバイの話)。
オデッセイでは主人公を置き去りにした仲間は、主人公を迎えにいくためにせっかく戻った地球の周りを回って、ふたたび火星に向かう。
NASAのスイングバイ魔術ないしは悪魔的スイングバイ技術といわれた5回に及ぶ月スイングバイ
サブスクリプションは片っ端から終わったり始まったりしながらヴァイナルの周りを衛星みたいにぐるぐるしている
グルグル回っているというのはそこから全然動かないことになるんだけども、加速に備えておなじところをグルグル回ることはあるわけだ。遠心力。
流れを読む話(もしくは、お盆休みに備える話)。
自分のペースが保てないときには、流れに逆らうんじゃなくて、流れに上手いこと乗るようにするべき。
なぜか? それは自分がやりたいことがあったから。何かしたいことがあるという、ちょっとした気持ち、「我」が、それを邪魔した。「我」を出したり引いたり、自在に操れるようにならないとダメ。
したたかさとか邪気のなさとかそういう強さ。
悪いときは悪いなりに、良いときは良いなりに、そこになにかの流れを見出していくことが surfing の意味するところだと思う。みんな大好き dashboarding や tumblelogging にもそれと同じ意味が含まれている。
あれをしたい、これをしたいという「我」を張らないようにした。正月は神様のためのものなので。ここで簡単に「神様」と言っているけども、ようは「自分ではない何か」全般を指して「神様」と言っている。
出来ることなら年末年始という特別な時だけではなくて毎日をそういうふうに過ごしたい。
お盆休みが近いので、自戒の念を込めて引用しておく。お盆さんは自分のためのものではない。そういうもんだ。
違う空の下にいた話(もしくは、サッカーの話)。
違う空の下にいる
なかなかスタジアムにたどり着けない。念を送るのも忘れてしまった。チームの成績が振るわないことよりも、チームの勝ち負けに関与できていないことが心苦しい。もうちょっと待っとけ。じきに行くから。