「然り」「否」の話
「あなたがたは『然り、然り、』『否、否、』と言いなさい。それ以上のことは悪い者から出るのである」( via マタイによる福音書 5章37節)
過去の tweet を "マタイ" という語で漁ると、この tweet が一番最初だった。2016年1月、グリックの分厚い「インフォーメーション」を読んでいた。おそらく「然り」と「否」は bit の "0" と "1" を暗喩している。
マタイ受難曲の話
そんなこととは全然関係なく、バッハのマタイ受難曲、聴いている。
聴いているといっても全部通すと3時間くらいかかる。そう簡単には聴けない。さらにマタイ受難曲は、いろんなオーケストラが演奏している。ということで、マタイ受難曲、1曲目の合唱だけ片っ端からいろんな演奏をとっかえひっかえ聴いてる。
一曲目だけでも、オーケストラによって時間が全然違う。長くて11分、短くて6分。同じ曲がそんなに違う。オットー・クレンペラーとかウィレム・メンゲルベルクのマタイ受難曲はまさに自分が思うオーケストラって感じで凄く壮大で緩やか。で、ジョン・エリオット・ガーディナーとかポール・マクリーシュのマタイ受難曲はスピーディーで軽やか。メンゲルベルクとクレンペラーのあとに聴くとダンス・ミュージックといえなくもないくらい違う。
「忘却」と「再生」の話
ここで話を一気に端折る。バロック時代の演奏法はそれ以降の音楽の進化(古典主義、モダン主義、20世紀の音楽へ)の中でロスト・テクノロジーになっていた。20世紀の最後の30年、そのロスト・テクノロジーの探求がなされた。そして、この軽やかでスピーディーな演奏が再発見されたと。それは「古楽奏法」「ピリオド奏法」と呼ばれた。ということらしい。
この「忘却」と「再生」というループは、歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。
サッカーの話
2018年 J2 リーグ 最終戦 小瀬 甲府 vs 横浜FC 0対1 敗戦。
訳あって、行けなそうな感じだったけど、訳あって、行けた。勝敗はともかく、ちゃんと現地で今シーズンを終わらせることが出来た。
甲府、まだ天皇杯、準々決勝が残っている。11/21 小瀬 甲府 vs 鹿島。J2 9位のクラブがアジア王者を倒したっていいんだ。訳あって、行けなそうなので、鹿島ぶっ倒して、浦和ぶっ飛ばして、決勝まで行ってほしい。