copy and destroy

catch and eat

三年日記、昨年の日記の欄が隣にあるんだけど、2020年、そろそろ日常が COVID-19 に侵食されつつあってちょっとキツイ感じ。そろそろ開幕した Jリーグは第2節のホーム開幕戦を迎えることなく中断期間に入ることになる。

ガンバレ、2020年のオレ。ガンバレ、2020年のみんな。

自分と相手の半分ずつ

三年日記 2020/02/12 より

対話は完全にはコントロールできない。自分と相手の半分ずつ。自分の分の50%だけコントロールできる。

「好きにすればイイじゃん」と当事者意識のバランス

今週末の良かったこと

キンドルを立てる

Kindel をスタンドに立てて読んでいる。会社では調べ物をするのに Kindle for PC を使っていてなぜか読みやすい気がしていた。ひょっとして手に持たないほうが読みやすいのでは? ということで試している。Kindle 電源ボタンが縦に持ったとき下側についているのでスタンドに立てると勝手に電源オフしたりオンしたりする。そんなわけでスタンドに横置きしてみた。

こうなってくると Kindle を二枚立てたくなってくるし、物理的な本もスタンドに立てたくなってくる。

プラグマティズム入門 伊藤邦武


宇野重規「民主主義のつくり方」に続いて伊藤邦武「プラグマティズム入門」を読んでいる。一転して今度は「哲学」という切り口で真正面から書かれているのでちょっととっつきにくかった。プラトンもデカルトもロックも知らないので。まあ哲学全体を知るのは気が向いたときに追々ということで、くらいのスタンスでザーっと読んでいる。

「プラグマティズム入門」は全体が3章構成で、その第1章が「源流のプラグマティズム」でパース、ジェイムズ、デューイについて書かれている。ここについては「民主主義のつくり方」でだいたい掴んでるのでへこたれないで読みつないだ。

プラグマティズム入門 (ちくま新書)

プラグマティズム入門 (ちくま新書)

  • 作者:伊藤邦武
  • 発売日: 2016/01/22
  • メディア: Kindle版

「プラグマティズム入門」、巻末にある「プラグマティズム入門のための文献」だけでも価値があると思う。

「ソーシャル」とは「社会」を意味するものではないし「共同体」とも異質なものである

知らないことについては同じことが書かれている別々の本を何冊か読むこと、というのがインターネットの彼方にて初学者の掟として記されているけども、まさにそのとおりで、「プラグマティズム入門」を読んだおかげで「民主主義のつくり方」、というか宇野重規サンのスタンスがよく見えるようになった。

宇野サンは政治、政治哲学、政治思想史の人で「民主主義」(広義における)に焦点を当てていて、それを理解する道具としてプラグマティズムを捉えている。プラグマティズムには「民主主義」「習慣」そして「ソーシャル」という考え方が含まれている。

この「ソーシャル」が含まれているところが凄くって、「民主主義のつくり方」は2013年の本なんだけど全然古びてなくって、ソーシャルネットワークの核心に迫るところがある。


第3章 「習慣の力」民主主義の習慣 より

この場合の「ソーシャル」とは、漠然と「社会」を意味するものではない。まして「共同体」とは完全に異質な社会的関係性を示している。前提にあるのは個人化のベクトルであり、いったん完全に原子化した個人を組み合わせ、モジュール化することが目指される

知識、信念、そして習慣は社会的なものである。ブラグマティストたちはそのことを繰り返し説いたが、このような意味での「社会的なもの」こそが、現代における「ソーシャル転回」にいう「ソーシャル」にもっとも近いのではないか

このようなテクノロジーによって生み出される人と人との関係性が、どのようなものになっていくかはまだ見通せない。行き着く先はユートピアかもしれないし、ディストピアかもしれない。

民主主義のつくり方 (筑摩選書)

民主主義のつくり方 (筑摩選書)

  • 作者:宇野重規
  • 発売日: 2018/09/21
  • メディア: Kindle版

行き着く先はユートピアかもしれないし、ディストピアかもしれない。

そして、今週末のプレイリスト

一曲目はホセ・フェリシアーノ "golden lady" 。ホセ・フェリシアーノかスティービー・ワンダーか迷ったけど、心のベストテン第一位はこっちだった。

強いメッセージは強い反動を呼び、互いに打ち消しあって遠くまで届かない

https://taizooo.tumblr.com/post/34409348
taizooo.tumblr.com

2008年

ありとあらゆる主張が飛びかっているWebの中では、強いメッセージは強い反動を呼び、互いに打ち消しあって遠くまで届かない。

残るのは、非暴力のような弱いメッセージだ。弱いメッセージは打ち消しようがない。打ち消しようがないがないから、ゆっくり広まっても結局は世界中に広まる。

近代ヨーロッパの形成

「近代世界システム」と商人のネットワーク : 近世ヨーロッパの特徴 (山田昌孝名誉教授記念号)
ksu.repo.nii.ac.jp

年齢を重ねるというのは、

オッサンになること、つまり年齢を重ねることの良さがあって、それはなにかというと、自分の年月のスケールが伸びるので世界史とか日本史といった歴史上の出来事の時間スケールと、サイズが合ってくることだったりする。例えば、


「サマージャム95」が1995年で、今年が2021年なので、26年。
ショルダーホンが発売されたのが1985年で、 iPhone 3G が発売されたのが2008年なので、23年。
第二次世界大戦が終わったのが1945年で、東京オリンピックが1964年なので、19年。
第一次世界大戦が始まったのが1914年で、第二次世界大戦が終わったのが1945年なので、31年。
第一次世界大戦が終わったのが1918年で、第二次世界大戦が始まったのが1939年なので、21年。
南北戦争が終わったのが1865年で、第一次世界大戦が始まったのが1914年なので、49年。
VHS が誕生したのが1975年で、VHS ビデオ・デッキが生産を終了したのが2016年なので、41年。
ベンジャミン・フランクリンが雷が電気だと発見したのが1752年で、ボルタが電池を発明したのが1800年なので、48年。
ボルタが電池を発明したのが1800年で、電信が大西洋を渡ったのが1850年なので、50年。


そして、自分のインターネット世紀(2007年~)は14年目になっている。ビックリ。

カロリーの高いところを読む

本は厚いほうがイイ、積むのなら高いほうがイイ、カロリーが高いほうがイイ

昔々、インターネットの彼方で、あるひとに「キミはわたしの文章のカロリーの高いところばかり引用していくね」といわれたことがあります。彼(彼女)がいうところのカロリーの高いところばかり引用し続けた結果、その「弱いつながり」(弱い紐帯の強さ)はあっという間に消えてなくなってしまいました。



via https://twitter.com/taizooo/status/1344481349562892288


さて、2021年も1ヶ月が過ぎて、インターネット世紀(2007年~現在)で何回目かの読書期がやってきました。本は厚いほうがイイ、積むのなら高いほうがイイ、という積読主義者ではありますが、買ってきてそのまま積読山脈に積み増すのも芸がないのでカロリーが高いところを選って読み捨てたりします。

プラグマティズム古典集成


via https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/02/08/183206

  • 宇野重規「西洋政治思想史」は、最初の「はじめに 政治思想史とは何か」と最後の「結章 20世紀の政治思想」と参考文献リスト
  • 伊藤邦彦「哲学の歴史 第8巻(18ー20世紀) 社会の哲学」は、最初の「総論 進歩・進化・プラグマティズム 」
  • 植木豊 (編)(訳)「プラグマティズム古典集成」は、編者自身による最初の「本書の構成」と最後の「解題:プラグマティズムの百年後」と「掲載論文の出典および先行翻訳一覧」と参考文献リスト

もうこのまま積読山脈の地層と化しても後悔しない程度にはガーっと読んでから積みます。

パース「探求の方法」

ところで、「プラグマティズム古典集成」に先行する形で、上山春平(編)「世界の名著〈第48〉パース・ジェイムズ・デューイ」が同じ中央公論社から1968年に出版されています。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/02/01/182222 に書いたように、プラグマティズムに一番最初に近づいたのは、筑波大学 陸上競技研究室 の記事 でした。(2020/3月)。ここにパース「探求の方法」についての言及がありました。


https://twitter.com/taizooo/status/1358249506941247491

「プラグマティズム古典集成」には、「世界の名著〈第48〉パース・ジェイムズ・デューイ」の再録、新訳が掲載されてる。パース「信念の確定の仕方 (旧訳 探求の方法)」が載ってた。ラッキー。まぐれ当たり



via 「プラグマティズム古典集成」


インターネットを探してもなんの文献が載っているのかわからなかったりする。本当にラッキーだった。ラッキーだったけどいつ読み終わるかはわからない。

(つづく)

今週末の良かったこと

積読山脈飽和攻撃

https://twitter.com/taizooo/status/1358013885333217281

それではここで、本日積み増した積読の三冊をご覧いただきます。プラグマティズム飽和攻撃!

積読山脈を積み増した。順調に標高を高めている。伊藤邦彦「哲学の歴史 第8巻(18ー20世紀) 社会の哲学」、宇野重規「西洋政治思想史」、パース、ジェイムズ、デューイ、植木豊(訳)「プラグマティズム古典集成」。ぜんぶ1月の終わりに買った宇野重規「民主主義のつくり方」がきっかけになっている。

https://twitter.com/taizooo/status/1357989865166499840

ワイヤレス・イヤフォーンを買うのは結構躊躇するのに、積読を積むのは全然なんともないのはどういうことなのか

今回、積み増す積読から泣く泣く落とした本は、白土三平「シートン動物記」、ルイ・メナンド「メタフィジカル・クラブ」、欲しかったウィリアム・ジェイムズ「宗教的経験の諸相」は無かった。

二つの理由から泣く泣く落とした。一つめはプラグマティズムに関わることにだけ集中したかった(「シートン動物記」を落とした理由)。二つめはプラグマティズム成立の瞬間にピントを合わせるか、大きな流れの中でのプラグマティズムの位置を把握するかの選択の結果だった(「メタフィジカル・クラブ」を落とした理由、大きな流れの方を選んだ)。

まあ、実際の話、「メタフィジカル・クラブ」は1ページ2段組で500ページを超える大作でお値段もビックリする感じだったので、躊躇した、というのはある。

古典、人文主義

宇野重規は「西洋政治思想史」の序文で、「古典」とは「古い」という意味ではなく、時代を超えて読み継がれ常に参照され続けた書物のことである、と述べている。歴史というのはこの古典と、古典を読む人、そこから新たなる古典を編む人の繋がりを意味する(意訳)、そしてこの伝統のことを「人文主義」(ヒューマニズム)と呼ぶのだと言う(誤読かも)。人文主義というのは古代ギリシャやローマといったホコリをかぶったような古臭いなにかではないようだ

www.yuhikaku.co.jp


身体、経験、習慣、理念

民主主義のつくり方 | 宇野重規

生まれたばかりの赤ん坊にとって、世界とは混沌であろう。しかしながら、やがて赤ん坊は身体を動かすことで世界に触れていく。身の回りの出来事のうちにパターンを読みとり、その意味を知るようにもなる。さらに赤ん坊は言葉を学習する以前から、相互行為を始めている。言語なしでも、人間は経験を重ねていくのである。

多様な経験を繰り返すことで、人々は習慣を形成し、そのような習慣は最終的には一つの規範の周辺に集まってくる。多くの人が納得し、意味があると思う習慣のみが生き残っていくからである。

理念は、あくまで行為においてのみ具現化されるものである。何も理念がそれ自体として存在して、世界を動かすわけではない。

偶然のなかから多様な習慣が生まれ、それらが定着していくことを通じて、次第に世界が安定化していく

プラグマティズムがなんなのかまだ全然理解出来ていないけども「最初に行動(行為)がある」ということだと思う。そこがとても心に響いた。それから民主主義とかちょっと自分からは遠いなあ、とか思っていたけどもこの本を読んで、そんなことはないな、と思った。

リプリーズ しとくと、

民主主義とは、自分たちの(社会の)問題を、自分たちで考え、自分たちの力で解決していくこと

インターネットはその最初からそういうものだったはずだ。


そして、今週末のプレイリスト

プレイリストに30分を超える曲を突っ込むことを躊躇しなくなったことと、とにかく分厚い本を躊躇なく積み増すようになったことは一体のような気がしなくもない。

powered by hatena blog.
the nikki system for lifelogging junkies.

all posts © their original owners.
writing is reusable solely under the by creative commons license.