これは日記の練習です
日記の練習、なんの作戦もなく始めたけど、続けているうちになんとなく形式みたいなものが立ち上がってきた。使うメディア(ツール)によって思考の方法が決まるっていうのはあると思う
ここに書いている文章は、最後に句点を打ったり打たなかったりしている。文章の最後の「。」を省略するのは ;
を省略するのと一緒
Parser としての読者
書かれている文章から、書かれている以上の価値を作り出す読者。これ、価値は読み手が作る、っていう話と繋げたい *1 *2
パンチラインは読み手によって見出される
いとうせいこうによる探究I - I am Electrical machine
ここで話は『読んでいない本について堂々と語る方法』に戻ってくる。対話の話。対話とは相手が放つ記号を自分のルールにしたがってパースしてそれを投げ返すという生きるか死ぬかの戦い
『読んでいない本について堂々と語る方法』にある対話の形式は「読者 vs 作者」と「読者 vs 読者」の2つが混ざっている。そして読者には読んでいない人も含まれる(読んでいる人は読んでいないし、読んでいない人は読んでいる)
対話、点と点をつなぐ話だった
本は読者と作者をつなぐ。「時間を超えて点と点をつないでいくテクノロジー」。死者とも語り合える
昔は「新しいプラットフォーム(たとえばウェブ)が古いプラットフォーム(たとえば Windows)を駆逐する」という歴史観があった。が、モバイルの時代にウェブは生き残った。新しきが古きを殺すパターンは繰り返されなかった。
https://records.dodgson.org/2023/08/03/still-barely-exists/
ウェブは生き残った
ウェブはプラットフォームとは異質なものかもしれない。なにかを見誤っているかもしれない。オレたちは