1915年発表の音源を聴く時、僕はその後100年の音楽史をそれなりに知ってしまっている人間なのだが、どうしたらそれを1915年に生きていた人々と同じ耳で聴けるか、発表されたばかりのフレッシュな作品として聴けるか、ということばかり、この数年考えてきた。
— kentarotakahashi (@kentarotakahash) 2015, 4月 9
先人達の研究を見ると、ジャズの研究家がジャズ史を構成するために必要な史実を拾い上げている、あるいは、ブルーズの研究家がブルーズ史を構成するために必要な史実を拾い上げている、と映るものが多い。つまり、現代から遡り、現代からの視線の中に評価軸を構えている。
— kentarotakahashi (@kentarotakahash) 2015, 4月 9
しかし、それではこぼれ落ちてしまうものが多いのではないか。現代から遡るのではなく、過去のある地点から現代に向けて、実現しなかった可能性も含めながら、歴史を見ることはできないのだろうか?ということを数年前から考えるようになった。ある意味、タイムマシーンに乗ってみるようなこと。
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でも、レコードというのは、タイムマシーンのようなものではある。1915年の人間と2015年の人間が同じ2分間を過ごすことができたりするのだから。
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