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今週末の良かったこと(オワンクラゲ、 観念とは、たくさん走ると本なんて読めない)

一日遅れ。

緑色に蛍光します

この週末、 LINE に、クラゲの写真が送られてきた。青色に光る水槽とその下にはこんな説明があった。

オワンクラゲ
Aequorea coerulescens
ノーベル賞で有名になりました。
緑色に蛍光します。

下村脩の「緑色発光タンパク質」だった*1

まず、細胞を見よう。光学顕微鏡には分解能の限界があり、細胞内の営みを直接観察することは不可能とされてきたのだが、今や超高分解能顕微鏡が開発され、「ナノ規模の人体解剖学」と呼べる分野が生まれている。そのきっかけは日本人なら誰もが知っている(と思う)下村脩のクラゲの発光タンパク質の発見である。青色を吸収して緑色に光るこのタンパク質(GFP)を細胞内の成分に結合させて可視化するのだ。細胞内を観(み)る顕微鏡づくりを夢見て、ガレージで自費研究をしていた元ベル研究所での仲間でもあったヘスとベツィグがGFPを知ってそれを利用した顕微鏡を製作した。実はドイツのマックス・プランク生物物理化学研究所のヘルはGFPに二本のレーザービームを当てて小さな範囲の分子を浮かび上がらせる顕微鏡を開発していたのだが、権威ある科学誌からは無視されていた。

『人体の全貌を知れ──私たちの生き方を左右する新しい人体科学』(亜紀書房) - 著者:ダニエル・M・デイヴィス 翻訳:久保 尚子 - 中村 桂子による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

2008年に下村修は緑色発光タンパク質の発見でノーベル化学賞を受賞、2014年にベツィグとヘルは超高解像度蛍光顕微鏡の開発でノーベル化学賞を受賞した。

ということで、積読山脈に積んであったダニエル・M・デイヴィス『人体の全貌を知れ』をキンドルで購入した*2。一瞬で空から降ってくる。便利。

オワンクラゲ

オワンクラゲ | えのすいトリーター日誌 | 新江ノ島水族館
gyazo.com

むかしむかし、私がまだ、時間なんてたっぷりあるさと思っていた頃、たいそう大きなオワンクラゲが 4つか 5つ、江の島の沖で採れました。光るクラゲだということは聞いておりましたので、夜、水族館の電気が消えるのを待って、そおっと、そのクラゲに触ってみました。すると、最初のクラゲでは、傘の上に、うっすらといくつかの光る点がほわっと現れて消えました。 もうひとつやってみようと、別のクラゲに触ってみると、今度は傘の縁と、傘にある何本かの筋がぼやっと光りました。 結構弱い光なんだな・・・ と思いました。

クラゲモリノヒトリゴト 弐拾弐 | えのすいトリーター日誌 | 新江ノ島水族館

「観念の全盛期」とは

イアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』を読んでいる。まず第1章「戦略」でどのように「ことにあたる」のかについて書いていて、その戦略とは「観念の全盛期」「意味の全盛期」そして「意味の全盛期」という三つの時代区分についてそれぞれケーススタディーを上げて、最後にそれぞれについてハッキング自身の見解を述べるというものである。

僕が今、ちょっとでも理解しているのはここでいう「意味の全盛期」でその前後はまったく見当がつかない手探りな領域になっている。

ということで「観念の全盛期」を読んでいる。ハッキングは、ここでは、

トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』(1651) からジョージ・バークリー『人知原理論』(1710) までを扱う

と言っている。たかだか10ページかそこらのところに10日くらいをかけていて、読んでいるというより、写経しているという感じになっている*3。こういうふうにこじらせて、わざわざ遠回りしていくというのは僕のスタイルの真骨頂なわけだけど、ちょっと難しい。手に余っている。

で、積読山脈を漁ると、以前、やっぱり適当に買って見当違いでそのまま捨て置いていた伊藤邦武『物語 哲学の歴史』があった*4。伊藤サンは、古代からトマス・アクィナスまでを「魂の哲学」、デカルトからカントまでを「意識の哲学」と呼んでいる。この「意識の哲学」が「観念の全盛期」に相当するっぽい。

あんちょことして愛用している、ドミニク・フォルシェー『年表で読む哲学・思想小事典』*5 では、デカルト、ホッブズをルネサンス期に続く「古典期の哲学」、ロック、バークリーからカントまでを「啓蒙の時代」、ライプニッツとニュートンはどっちだか曖昧だ、と言っていて、ハッキングがひとくくりにしているホッブズとバークリーは、フォルシェーの時代区分だと別々に分断されている。このあたりはどうもいろいろと曖昧らしい。

ということで、「観念」について知ろうとすると、デカルトとかいう超巨大な影が落ちていて、見なかったことにしようか、どうしようか、という感じになっている。

たくさん走ると本なんて読めない

5月、すべての週末が「公」に侵食されていて、今週末やっと日常が戻って来た。ということで土曜日、日曜日、両方とも走った。あまり身体が動かせていなかったのと、先週は少しだけ腰痛が出ていたので、すこし様子見ながらなんて思っていたけども、結果からいうと、「全部盛り」だった。

川沿いのフラットをぐるっと回っていつもの公園まで行くとまあまあ調子が良かったのでそのまま公園を素通りして裏山へ、成田山不動堂からゆるゆると愛宕山を上って、いつものオリエンテーリング入口、そして大笠山の山頂まで。土曜日はここで引き返して、日曜日はそのまま裏斜面を駆け下りて茶道峠から林道を抜けて樹木見本園のふもとまで。それからまた公園まで戻って広場の芝生の上を裸足で走って歩いて終了。フラットと裏山とベアフットの「全部盛り」。土曜日は2時間、日曜日は3時間の合計5時間。

これくらい思う存分走ると、もう本なんてこれっぽっちも読みたくない。

サッカーはあった

土曜日、走り終わって、大急ぎで支度して小瀬へ向かった。青色のママチャリは前輪がパンクしていた。別のママチャリを借りて甲府盆地を爆走した。

ということでサッカーはあった。記すべきことなし。つぎ頑張りましょう。

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