日記の練習です。
以下は、久しぶりに自分の tweet を流し読みしてみて感じたことです。それなりに長いことインターネットのこの辺りに居ますが、もし「今」はじめてこの場所にログインしたとしたら、いったいどうやって自分の居場所を確立することができるのだろう?と、途方に暮れた様子です。
久しぶりに自分の tweet を流して見たけど、 Spotify (今週末のプレイリスト) とサッカーとマンガと洗濯物しかなかった(まあだいたいそんな生活)
— twwp™ (@taizooo) 2025年8月20日
もうちょっと社会契約論とか、道徳哲学とか、コンピュータの構成と設計とか、タンネバウム(タネンバウム)とか、つぶやくか
— twwp™ (@taizooo) 2025年8月20日
インターネットでどうやって他者とコミュニケーションとってたのかもう忘れてしまった。サイコキネシス?
— twwp™ (@taizooo) 2025年8月20日
リブログだった
— twwp™ (@taizooo) 2025年8月20日
説明が必要そうです。
僕自身はこの場所に降り立ったときからほとんどスタイルが変わっていないと自負しているわけですが(それは実体としての繋がりをほとんど持たない無名で匿名の辺境に住むアカウントとしてのスタイルです)、
たとえば2025年のいま、はじめてこの場所に降り立ったとしてゼロからスタートして、まったく同じスタイルで、つまり洗濯物とプレイリストとサッカーとマンガについて思い出したように呟くだけ、というやり方で、いったいどうやってこの場所を確立することができるのだろうか?という、そういう途方も無さについてです(つまり、僕がこのアカウント(僕自身のアカウント)に遭遇したら、はたしていったい、フォローしたり興味持ったりするだろうか、いや、しないだろう、という意味です)。
ラッキーなことに2007年当時はまだ十分世界は小さかった。そして僕らには Reblog があった。それはそれは粗雑で猥雑で美しく、寡黙でノンバーバルでやかましく、そして濃密で濃厚なコミュニケーション手段であるリブログが。
2025年に突然、この場所に放り出されたならば、そりゃ、パクツイだってするだろうし、注目を集めるためにちょっとくらいはヤンチャなことだってするだろうよ、だって孤独に耐えられないんじゃん。自分の居場所が全然ないじゃん。
みたいな理解が、バーーーっと空から降ってきた、という、そういう話でした。