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自由 (自主任意:英語に之を「フリードム」 又は「リベルチ」と云う。未だ的当の訳字あらず)

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、幸福は自由時間にこそ存在すると主張しました。この考えを後世の経済学者たちが批判しながら継承し、すべての経済活動や科学の発展は、労働時間を減らし、自由時間を増やすためにある、という真理に行き着いたのです。

自由時間はギリシア語で「スコレー」といい、これは「スクール」の語源です。

西洋古代における自由は、古くはギリシャ語のeleutheria(エレウテリアー)、およびラテン語のlibertas(リーベルタース)を挙げることができます。

古代ギリシャ語のeleutheriaは民主制と結びついており、プラトン(BC427頃~BC347)やアリストテレス(BC384~BC322)が論じています。また、他者を奴隷として所有することが許されている人は、自由人と呼ばれていました。自由な人とは、奴隷ないしは隷属状態にある人々と対比される概念です。

ラテン語のlibertasも、ギリシア語におけるeleutheriaと同じく、民主制における国民の特徴や奴隷と比したときの自由人の身分として論じられています。この古代ローマの自由については、キケロ(BC106~BC43)が論じています。

アリストテレスは、〈民主制的国制の根本原理は自由である〉と言い、自由の徴(しるし)として二つのことを述べています。

〈自由の一つは順番に支配されたり支配したりすることである。というのは民主制的「正」は人の値打に応じてではなくて、人の数に応じて等しきものをもつことであるが、これが「正」だとすれば、大衆は必然に主権者であり、また何ごとによらず、より多数の者の決定することが最終的なものであり、またそれが正しいことであるということにならなければならないからである、何故なら彼らは国民のそれぞれの者が等しきものを持たなければならぬと主張しているからである〉とあります。

次に、〈他の一つは人が好むままに生きるということである。というのはいやしくも好むままに生きることの出来ないことが奴隷たる者の定めなら、好むままに生きることは自由の働きだと人々は言うからである〉とあります。これらから、〈支配されないこと――出来れば何人によってもそうされないこと、しかしそれがかなわなければ、順番で支配され支配すること、に対する要求が起ってきたのである〉と語られています。

ベルクソンは以上の推論を前提に、生命が進化という大きな時間をへるにしたがって、意識をもつ人間存在というものになったという構図をもったのである。そしてその大いなる進化のなかで、一個ずつの生命がそれぞれの意識をもち(言葉ももち)、それぞれの記憶を貯め、そこに過去と現在と未来の区分を感じ、さらにその先の自由に向かっていくというふうに考えるようになった。ベルクソンの時間は進化とも重なっていったのだ。

この構想はすこぶる生気に満ちたものではあるが、特段にめずらしいものではない。すでにエルンスト・ヘッケルが19世紀末に「個体発生は系統発生をくりかえす」と言って、大胆ではあるが、しかしたいそう暗示力に富んだテーゼを発表していた。ただしそれは、まだたんなるシェーマにすぎず、そのシェーマを生命や意識が持続させている「あいだ」が説明されたわけではなかった。しかしベルクソンはその「あいだ」をこそ哲学し、そこについに「創造的進化」という、ダーウィンの進化論だけでは導き出せない構想をくっつけたのである。これが『創造的進化』という著作になった。

1.「数学的な諸技術がエジプトにおいて最初に成立した。なぜなら,そこでは,神官階層は閑暇な生活を営むこと(スコラゼイン)を許容されたからである。」
⑵『形而上学』におけるこの有名な文章によって,アリストテレスの唱えるスコレーは,労働の強制から解放された階層が学問研究を行うことができるようになった時間として理解されている。労働の強制から自由になるということがスコレーの生まれる条件であるが,それはいわば,それがなくてはスコレーが成立しない必須の条件であって,労働から自由であれば直ちにスコレーを持つことになると言えるわけではない。もちろん,これはアリストテレスの理想とするスコレーのことであって,労働から自由であれば,時間が空いたという意味で,ぶらぶらすること(スコラゼイン)は奴隷についてさえ言えることではある。しかし,アリストテレスが問題にしているスコレーとは,このような単なる物理的に空いた時間のことではなく,そこにおいて何をなすべきかが問題となる時間である。

日本では往生楽土、楽市楽座の語に見られるように、「楽」を「自由」という意味で使う用法があった。 中国では本来、「自由」は、好き勝手や自由気ままという意味で用いられた。日本も当初は、二条河原の落書の「自由出家」や「自由狼藉」のように、中国と同じ用法で用いられていた。 福沢諭吉がリバティを訳するに際して、仏教用語より「自由」を選んだ。初めは、「御免」と訳す予定であったが、上意の意味が濃すぎると考え、あらためた。朝鮮語や中国語でも「自由」という単語が使われているが両言語ともに日本語と同様、近代以降元の漢文由来の意味より、日本語から流入した日本人による訳語としての意味が確立した。

学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。譬えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽り放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然らず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。

自由独立のことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。わが日本はアジヤ州の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交わりを結ばず、ひとり自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易のこと始まり、今日の有様に及びしことにて、開港の後もいろいろと議論多く、鎖国攘夷などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところはなはだ狭く、諺に言う「井の底の蛙」にて、その議論とるに足らず。日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

今の学者何を目的として学問に従事するや。不覊独立の大義を求むると言い、自主自由の権義を恢復すると言うにあらずや。すでに自由独立と言うときは、その字義の中におのずからまた義務の考えなかるべからず。独立とは一軒の家に住居して他人へ衣食を仰がずとの義のみにあらず。こはただ内の義務なり。なお一歩を進めて外の義務を論ずれば、日本国に居て日本人たる名を恥ずかしめず、国中の人とともに力を尽くし、この日本国をして自由独立の地位を得せしめ、はじめて内外の義務を終わりたりと言うべし。ゆえに一軒の家に居てわずかに衣食する者は、これを一家独立の主人と言うべし、いまだ独立の日本人と言うべからず。

第一条 自主任意」国法寛にして人を束縛せず、
人々自(みず)からその所好を(このむところ)為し、士を好むものは士と
なり、農を好むものは農となり、士農工商の間に
少しも区別を立てず、固(もと)より門閥を論ずることな
く、朝廷の位を以(もつ)て人を軽蔑せず、上下貴賤各々その
所を得て、毫(ごう)も他人の自由を妨げずして、天稟(てんぴん)の
才力を伸べしむるを趣旨とす。但(ただ)し貴賤の別は、
公務に当(あたり)て朝廷の位を尊ぶのみ。その他は四民の
別なく、字を知り理を弁じ心を労するものを君
子として之(これ)を重んじ、文字を知らずして力役(りきえき)す
るものを小人とするのみ。本文、自主任意、自由の
字は、我儘放盪にて国
法をも恐れずとの義に非らず。総てその国に居り
人と交て気兼ね遠慮なく自力丈け存分のことを
なすべしとの趣意なり。英語に之を「フリードム」
又は「リベルチ」と云う。未だ的当の訳字あらず。

日記について(「おくのほそ道」と「曾良随行日記」から)

日記を読むこと。それは、ライフワークだ。

インターネットで「先見日記」を再発見したことから始まって、その後、「オン・ザ・ロード」「ボリビアンダイアリー」「イワン・デニーソヴィッチの一日」「ビーグル号航海記」「仰臥漫録」「修善寺大患日記」「火星の人」そして「百代の過客<続>」と続いていて小説もフィクションもその他いろいろも日記とみなしてたりしている。

角川文庫「新版 おくのほそ道 現代語訳/曾良随行日記付き」、ゴールデンウィーク(なんと、沖縄旅行!!!)に「本文」を読んで(実際には文庫本で50ページくらいしかない)、それから「本文評釈」「解説」「発句評釈」の順で読んだ。そしていま「曾良随行日記」を読んでいる。

「おくのほそ道」を読み出したのは、深夜ドラマ「サイタマノラッパー」に感化されたから。サブタイトルが「マイクの細道」で、完全にロードムービーな感じで、あれ、ひょっとして「おくのほそ道」ってロードムービーな感じに読めるかも、と思ったのがその発端。

「曾良随行日記」、味も素っ気もなくて、まるで自分が書いている三年日記を読んでいるみたい。何月何日、何時に出発した、何処から何里進んで、何処其処から何丁進んで、どこそこに寄って、とある家に宿をとった、みたいなことが書かれている。それと比べると「おくのほそ道」は本当に文学的。

日記、普通に書くと、箇条書き的に起こった事柄を書くことになる。あまり心情的なことって書けない。

よほど詩的な素養か訓練がある人じゃないと、あまり唐突に心情だけを吐露することが出来ない。それはたぶん「書く」というのは「読む」というのを前提にしているからで、なにか思ったことを書こうとすると、その理由や因果を説明しなければならなくなる。そういうのはとても面倒。理由や因果を説明しないで文章として成立するような詩的な文章を書ける人はなかなかいない。

じゃあ、そういう説明とか因果をすっ飛ばしてバラバラに断片を書こうとすると、それもまたごく普通の才能の人間にはなかなか難しい。そういうのはまたそのための特別な才能や訓練が必要だと思う。

「おくのほそ道」はおそらく一生かけて書き直してて、何回も何回も推敲を重ねてて、どうも虚実ないまぜに作られてる。なぜそうなのか。それはそっちの方が文学的だから。

産業革命は、その頃の人たちが名付けた名称ではなくて、未来の人が過去を振り返って、その変化を革命と読んだ、という経緯がある。産業革命の中で生きた人たちは、それが革命だとは思っていなかった。そういうふうに、変化は小さく小さく、徐々に徐々に日々の中に起こる。その最中にいる私たちは、それを関知することが出来ない。

毎日のことを真面目に日記に書こうとすると「曾良随行日記」みたいに、ただひたすら愚直に起きた事柄を並べ立てるしか出来ない。そうでなければ、ちょっとした小さな引っかかりを増幅して、さも大きなドラマとして書くかしかない。前者は全然面白くないし、後者は疲れるし、だいたいにおいて間違った認識だったりする。

ドナルド・キーンは「百代の過客」で、たいていの日記は退屈で全然面白くない、と言っていた。面白い日記はだいたい、後から書き直されている。脚色されている、と言っている。

「おくのほそ道」 - 松尾芭蕉

「百代の過客」

「おくのほそ道」


サイタマノラッパーのサブタイトルがマイクの細道で、完全にロードムービーな感じで、今週から遠野が舞台だったりして、あれ、ひょっとして「おくのほそ道」ってロードムービーな感じに読めるかも、とか思ったりして、ここ最近、読書、全然ダメな感じだったけども、本屋で購入したのが「おくのほそ道」「遠野物語 REMIX 」「遠野物語拾遺 RETOLD 」(いずれも角川文庫)と完全にベタな雰囲気に。

旅のお供は「おくのほそ道」だった。ほとんど読み進めなかったけども、南の島で読む東北を巡る旅の話というのもまたオツか、みたいな。

読んでいるのは角川文庫「新版 おくのほそ道 現代語訳/曾良随行日記付き」で、これは「本文」「本文評釈」「発句評釈」「曾良随行日記」そして「解説」という並び。「おくのほそ道」本文は実際にはそんなに長くない。ページ数でいうと文庫本で50ページくらい。じゃあ、スっと読めるか、というと残念ながらそんなことはなくて、その理由の一つはやっぱり古典なので言葉遣いが全然違うから。でも実際にはもっと大きな原因があってそれは、芭蕉のこの旅の目的が「歌枕」の巡礼だったこと。まず歌枕というものを知らなかったから。それで古典の引用がとても多い。李白、杜甫、西行、和歌集とか、あと論語も。それから本文に注釈がたくさん付いていて、いちいち注釈を確認するから全然先へ進まないこと。などなど。

なんとか「本文」読み終えて「本文評釈」、「解説」、「発句評釈」と来てなんとなくわかるようになってきた。ここからもう一回「本文」読み返そうか、どうしようか、という感じ。

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