copy and destroy

catch and eat

今週末の良かったこと


via https://note.mu/jgs/n/nc3734111b8d0

歩くことの話(もしくは、そぞろ神の物につきて心くるわせる話)

jigsaw クンの高専カンファレンスの発表に「歩くこと」についての引用が載っていて、その中で june29 サンとの tweet が、レベッカ・ソルニットの「ウォークス」と一緒に並べられていた。ちょっと恐れ多い。

「ウォークス」はまだ読んでいないんだけど nbqx サンが読んでて、「2017年を探す」の内容はそこからとても影響されている。

「ウォークス」、原題は "wanderlust" で、ドナルド・キーンの英訳の「おくのほそ道」の序文だったりする。

そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。

I seemed to be possessed by the spirits of wanderlust, and they all but deprived me of my senses. The guardian spirits of the road beckoned, and I could not settle down to work.

"the spirits of wanderlust"

「おくのほそ道」は2017年、沖縄に行った時に読んだ

芭蕉、「おくのほそ道」でリンクをたどるように旅をしている

芭蕉の旅が古典(歌枕)のリンクをたどる旅だったように、インターネットでリンクをたどることは歩くことに似ていると思う。

人は一度に一つの道しか歩くことが出来ないのと同じように、人は一度に一つのリンクしかたどることが出来ない。

文章は言葉から言葉へのリンクをつないだもので、文章は最初から最後まで一つなぎにしか書くことが出来ない。

そういう意味では、こういう文章を書くのも歩くことに似ていると思う。

"Finding Flow" の話(もしくは、熟慮は難しいという話)

スティーヴン・ コトラーの「超人の秘密」が良かったので、ミハイ・チクセントミハイの「フロー体験入門」を読んでいる。どちらも邦題が良くない。「フロー体験入門」、タイトルは "Finding Flow" でサブタイトルが "The Psychology of Engagement with Everyday Life"

序文にある次の文章でガッツリ持っていかれた。

ほとんどの人にとって、自分自身がどのようにあるべきか、何をすべきかについて考えることから得るものはない。熟慮は難しい技術であり、訓練されていない人々は、すぐに落ち込んだり、絶望してしまうことさえある。

フローとかゾーンとかいうと胡散臭い感じがするけど、書かれているのはすごくまともだし、断片的に知っているいろいろなことがここで一つに束ねられている雰囲気もある。そしてそういう雰囲気はマクニールにもあった(つまり、これは当たりに違いない)。

走る話(もしくは、逆向きにやって来た台風の話)

この週末、いつもとは逆向きにやってきた台風の前後を縫って裏山を走った。以下、教訓。

  • 濡れた落ち葉は滑る
  • 濡れた倒木も滑る
  • 濡れた木の根っこも滑る
  • 苔むした石も滑る
  • 落ち葉を踏むよりは石を踏む
  • 浮石は踏まない
  • 落ちている枝は避ける
  • たとえクモの巣があっても上半身を左右に避けるような動きは避ける。かがむ。無理なら突っ込む
  • フォールラインと平行につま先を向けない。必ずフォールラインとクロスするようにラインをとる
  • 難しい危ないと思った場所は歩く
  • ハンドボトルの水を飲む、周囲を確認する、スマートフォンを見る、そういう時は少なくとも歩く、できれば一旦止まる
  • 山の方が若干涼しい
  • お寺や神社の境内を通るときには脱帽する
  • ハートレートモニターとかつけないほうが集中できる
  • 苦しい単調な上りではステップを数える(ちなみに自分は1から9ずつ数える)


via https://tenki.jp/forecaster/yosh_ika/2018/07/27/1482.html

サッカーの話

今週末の良かったこと

山の形の話(もしくは、甲府盆地と秩父盆地の話)。

via https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B2%E5%B1%B1

甲府盆地はグルっと山に囲まれているので、視界の中で大きなコントラストを描くのは空と山の境界線になる。写真の中にある山のシルエットからその風景が地元なんじゃないかと気がつくことがある。

ちょっとした用件で秩父へ行くことになった。甲府盆地から雁坂峠を越えて秩父へ。同じ山なのに山の形が全然違う。甲府盆地側がなだらかで女性的だとすると秩父側は険しく谷も深くてとても男性的だった。その理由はどうもその山の岩質が違うかららしい。おそらく秩父側のほうが山が硬いのだ。そこを流れる水は深く谷間を掘り下げていく。

秩父といえばセメント。セメントといえば武甲山。武甲山は石灰岩質。その由来は南の海のサンゴ礁。南の海の底が秩父のそこにあらわれている。プレートテクトニクス。

運転の話(もしくは、フローの話)。

チクセントミハイの「フロー体験入門」で、日常は次の3つの活動に分けられるそうだ。1) 仕事、2) 生活を維持する活動、3) レジャー。人が最も「喜び」を感じる活動は"食事"で、だけど、人はその"食事"で「フロー」を体験することはまず無い。そして最も「モチベーション」が低いのは"仕事"なんだけど、でも、人はその仕事の中で「フロー」を体験することがある。でいくつかピックアップされていた活動の中でちょっと異質なのが"運転(自動車)"で、実はこの"運転"で人は「フロー」を体験することがある。

フローというのは「チャレンジ」と「スキル」のバランスの中で発現する。

クルマの運転には「チャレンジ」と「スキル」を発揮する場面がある。おそらくこれはクルマだけではなくてモーターサイクルにも自転車にもある。おそらくロードバイクでなくてママチャリでさえもそれがある。そして残念ながらランニングにはない。歩くことにもない。

バットを振ることにもゴルフの打ちっぱなしにもそれはあって、自分の身体ではないもの、なにか異質なもの、物理的なものを振り回す喜びにはそういったものがあると思う。

インターフェースの話(もしくはエンジンと変速機の話)。

ちょっとした用件で向かった秩父へは、運転手として行った。運転したのはいつもの自分のクルマではなくて、国産車のフラッグシップといわれるモノだった。V型6気筒3.5リットルのエンジンに大きなモーターがぶら下がっている。ハイブリッドシステム。踏むと背中越しに思った以上にイイ音をならして進んで行く。

環境にやさしいのかやさしくないのか全然わからない。

以前のモデルはV型8気筒5.0リットルのエンジンに大きなモーターがぶら下がっていたそうだ。「前のヤツはなあ、踏んでもスーっと行ったのよ」。いわゆるショーファードリブンに準ずるようなモデルなのだけども、世界的なダウンサイジングの流れはそういうモデルにも波及しているらしい。「今どきはな、とにかく"エコ"なのよ」。

環境にやさしいのかやさしくないのか全然わからない。

ハイブリッドシステム、以前はその滑らかな走りを実現する電気式の無段変速機(CVT)が売りだった。踏めばスーっと行くわけだ。それが今回のモデルではその電気式の無段変速機(CVT)に擬似的な10段変速をさせている。偽物のシフトアップ、偽物のシフトダウン。

回転数によって変化する排気音だったりスピード感とシンクロするシフトショックだったり、機械の効率性に対して人間の感性というのはあまりに矛盾しているところがあるらしい。

サッカーの話。

3連戦。残り2戦。 未来を掴み取る。

今週末の良かったこと


東北とブロンクスの話(もしくは、遠野物語とヒップホップの話)。

金曜日の深夜の再放送を観た。

東北(遠野物語)とブロンクス(ヒップホップ)

宇多丸サンが「無時間性」って言っててそれは、ヒップホップで過去の音楽が歴史の文脈から切り離されてブレイクビーツとしてイマに蘇ることであったり、遠野物語にみられるこの世とあの世、日常と異界が隣り合って存在することだったり

ポップミュージックが過去から直線的に進化?してきたことに対して、ヒップホップは過去の楽曲のビートを切り刻んで音そのものを楽曲から切り離すだけじゃなくて、その歴史での文脈も切り離して今に位置づけることだったり、今現在の音楽と過去の音楽が同列に並んで置かれていることだったり。そういう意味での「無時間性」。

遠野物語に見られるなんともいえない感じ、この世とあの世とか、現在と過去とか、現世と異界が、なんというか無秩序に螺旋状に繋がっている感じとかそういう直線的な流れではないこと(進歩とか進化とかそういう意味での直線)。

遠野物語のなんともいえないあの感触、違和感についてその感じを、現在、2011年から7年経った今、になぞらえて見せたこと

遠野物語にはなんともいえない腑に落ちないような不条理のような話というか断片がたくさんならんでいるんだけども、そういうのは人智の及ばないなにがしかの出来事(災害とか)にたいしてそれを受け入れていくためのやり方みたいなものが含まれているという話と、2011年のあのあとすぐに表現出来たことと2014年に表現出来たことは全然違ってて、さらには2018年であるとまた違った表現になるっていうことで、なにがしかの出来事が起きたときにそのことに対する姿勢みたいなものは時間の経過によって変わってくるという話(これについては無時間性についてと対の話になっている)。

アースダイバーの話(もしくは、場所の話)。

畑中サンが先の番組の中で、遠野のある集落について「あの山から向こうはあの世、ここは人里、反対のあの山は姥捨て山」と言っていた。風景の中にその社会の形とか歴史とかが刻まれているという話だった。積読の中からアースダイバーを取り出した。

英語、アメリカに渡ってイギリスで使われていた形から変化するんだけど、それはもともとそこにいたインディアンの言葉の影響を受けたという。

江戸はもともとは東北の入り口として存在していて東の文化を色濃く持っていて、その文化の上に江戸城が築かれた。明治維新以降は江戸城の上に皇居が移された。天皇制は中国を手本に形式的に整えられたものとして日本に持ち込まれ整えられたが京都から江戸に移ったことでもともと持っていた土着的な部分が、目に見える形として色濃く現れるようになった。

NHKで北海道と松浦武四郎の番組があった。北海道の地名にはアイヌ語がたくさん残されている。アイヌは文字を持たなかったので歴史や知恵がその風景や地形に名前として残された。

マクニールはその著作の中で、国というのはイデオロギーが変わっても政治が変わっても、その国の根本的な部分は変わらないと言っていて、ロシアはソビエトの時代も帝政ロシアの時代もなにも変わっていなくて、中国も孔子の時代からも全然変わっていないと言っていた。つまりそこに住んでいる人たちは変わらないということ。

大航海時代にも、電信が発展した時代(ビクトリア朝のインターネット)にも、航空機が発展した時代(ジェットセット)にも、そしてインターネットが発展した現代でも、世界共和国が夢見られたけども、そんなものは実現されなかった。人間というのはその在る場所(風景、地形)、在った場所(風景、地形)によって大きく規定されているらしい。

インターネットにも場所(風景、地形)というものがあるなら、自分はやっぱり tumblr, もしくは reblog に大きく規定されているに違いないと思う。

走って帰る話(もしくは、薄い月の話)。


薄い月が出てた。鳴り止まないチャントを背中越しに聴きながら

恒例になりつつあって、スタジアムには走って行った。甲府はこの夏最高の暑さを記録していた。走って行くということは走って帰ることを意味する。勝ち試合以外は、速攻でスタジアムを脱出する気軽なバックスタンド住人なんだけど、今回は重い足取りになった。サッカーについては省略したい。

今週末の良かったこと

歩く話(もしくは、川の話)。


via https://maps.gsi.go.jp/#15/35.695609/138.587594/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

武田神社から積翠寺まで、相川に沿って上った。積翠寺橋のたもとから御所堰の取水口になっていて竜ヶ池に繋がっている。川がどこを流れているのか追いかけて歩くと地形の凹凸や傾斜に意識が向かう。竜ヶ池からの流れは円光院の方向から流れてくる藤川と合流する。相川扇状地、西側を相川が流れていて、東側を藤川が流れている。藤川は住宅地の隙間を流れていてただのドブ川に見えるけども、いまでも場所によってはかつての風景を想像させるような場所がある。このあたり。


via https://goo.gl/maps/hEoZiighoUo

そのフェンスの向こう側を覗き込むと、藤川が地形を削って流れているのがわかる。

本当は走るつもりだったんだけど、腰をちょっとばかしやらかしたのでトボトボと歩いた。

歩くのは走るのと違っていろいろなものが見える。先の川の流れの話もそう。それからいつも走っている裏山はコースもわかっているし地図の上ではなんとなくわかっているけども、実際にはその本物の山のどのあたりなのかは全然わかっていなかった。下から山を見ていつも走っているあたりを想像した。山は見る方角で形が全然違って見える。


読書の話(もしくは、自由の話)。

「超人の秘密」読了した。





読書の話(もしくは、探検の話)。

次は「日常を探検に変える」を読む。

「超人の秘密」ではシェーン・マッコンキーをマゼランになぞらえていた。それから「ビーグル号航海記」もそうなんだけど、探検記はだいたい日記みたいなもんだったりする。この「今週末の良かったこと」も日記みたいなもんだったりする。「ファンク探訪」は音楽を探検する話だったりするし、相川や藤川に沿って歩くのも探検だったりする。いろいろな事柄が微妙にクロスしている。


サッカーの話(もしくは、右肩上がりの話)。

甲府、リンスが FC 東京へレンタルされることになった。バホスと小塚はケガで2ヶ月の離脱となった。金園とジネイは未だ復帰せず。リーグ戦、第3クルー7試合(第15節~第21節)は3勝1分3敗となった。過密日程やらなんやらでナーバスな雰囲気になりつつあった今節はアウェイ大分戦。しかしその結果は希望を繋ぐものとなった。

メンバー的にはスクランブルな総力戦。ワントップに掘米、シャドーに曽根田と佐藤だった。そして得点を決めたのはその3人だった。


via https://www.jleague.jp/standings/j2/

首位との勝点差は9。


今週末の良かったこと




気が早く梅雨が明けて、甲府盆地に夏がやって来た。
この時期のスタジアムは恐ろしいほどの暑さだけども、
この時期のスタジアムの風景が一番好きだ。



前回の縁起を担いで、走っていったけども、残念ながら引き分けだった。
引き分けだったので、とぼとぼと、夜道を走って帰った。

四年に一度のワールドカップが祝祭ならば、二週間に一度やってくるホームゲームは日常だろうか。

勝っても負けても引き分けても、日は沈みまた昇り、一週間はいつもと同じ顔でやってくる。

「探検するには最高の場所」だったから

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via ファイル:Apollo 15 commander Dave Scott geology training.jpg - Wikipedia

これにより15号の訓練も、いくつかの点で変更が加えられることになった。その中の1つが地質学的探査の訓練であった。地質学の探査はそれ以前にも行われていたが、15号は初めてこの点に最も高い優先度を置く飛行となった。スコットとアーウィンは、カリフォルニア工科大学の地質学者で特に先カンブリア時代の専門家であるレオン・シルバー(Leon Silver)と共に訓練をすることになった。

当初シルバーは、本搭乗員と予備搭乗員たちをアリゾナやニューメキシコの様々な学問的研究用地に連れて行き、普通の地質学の授業のような訓練をするつもりだったが、発射が近づくにつれてその訓練はより現実に近いものになっていった。飛行士たちは船外活動で使用する生命維持装置の模型を背負い、テントにいるCAPCOM(宇宙船連絡員)たちとウォーキートーキーで会話した(CAPCOMは宇宙船との交信を担当する管制官で、同僚の宇宙飛行士が務める。また通常は、飛行士たちとの会話は彼らしかすることができない)。さらにCAPCOMには、飛行士たちの発言を地質学という彼らにとって不案内な分野での表現に翻訳するための補助として、地質学者のグループが伴っていた。

ハドリー山への着陸は1970年9月に決定した。着陸地点の選考委員会は、候補地をハドリー裂溝とマリウス(Marius)クレーターの2つに絞っていた。マリウスの近くには、おそらくは溶岩ドームと思われる低い小丘が数多くあった。スコット船長は最終的な決定権こそなかったものの、候補地の選定には大きな発言権を持っていた。彼にとってはハドリー山を選択した理由は明確で、「探検するには最高の場所」だったからであった。

今週末の良かったこと


本を買った話(または、シェーン・マッコンキーの話)。

金曜日の夜、寄り道した本屋で買った。邦題は全然イカしてない。原題はもうちょっとましで "The Rise of Superman : Decoding the Science of Ultimate Human Performance" 邦題だとちょっと避ける。しかも帯の推薦にデカデカと甲野善紀とあるともうたぶん絶対手に取らない。本当に気まぐれに手にとった。偶然。

最初の章が「シェーン・マッコンキー」についてだった。

マッコンキーは頑として聞き入れなかった。ずんずん歩いて崖に登っていってしまった。ウインターは崖の下にとどまった。嫌な予感がして仕方がない。ヘッドセットを通してカウントダウンが聞こえた。そして、そのときだった。マッコンキーは崖から飛び出してきた。スキーブーツ以外、何も身につけずに。ダブル・バックフリップはやらなかった。マッコンキーがやってみせたのは、その後すぐに彼の代名詞的な技(シグネチャー・トリック)となる、飛距離の大きな、裸でのスプレッド・イーグルだった。

1993年。まさにスキーが甦ったときの話。そしてシェーン・マッコンキーはオレのアイドルになった。

探検の話(または、地形の話)。

マッコンキーは、バスケットコートプレーヤーなどよりも、大航海時代のスペインの探検家にむしろ近いのです。マッコンキーのようなアスリートを誰かと比較したければ、まずはマゼランあたりから始めなければなりません

裏山を走っている。

甲府駅北口方面から成田山不動へ。脱帽、一礼のあと境内を横切って愛宕山こどもの国への遊歩道入り口へ。アスレチック遊具を横目に坂道を上ってオリエンテーリングコースから大笠山山頂へ。一息つかずにそのまま回り込んで大笠山の裏山をまっすぐ茶道峠まで下ってそのまま岩窪林道へ。岩窪林道から樹木見本園を通り抜けて躑躅ヶ崎園地(ツツジガサキエンチ)へ。山の中腹を縫うように武田の杜遊歩道を深草園地へ。深草園地の脇道から要害山登山道へ。

躑躅ヶ崎園地から深草園地までは杉の林を抜けるんだけど、ちょっと面白くて、途中、石がゴロゴロしているところがある。よく見ると石のかどが落ちている、丸い石。お、これは河原で見る石じゃん、と。そして最後の深草園地に下りる手前で植生が変わって広葉樹林になるところがあるんだけど、そこでは赤土に白い砂が浮いている、と。

これって、ひょっとして扇状地じゃん、と。

県中部、甲府盆地の北端、南流する相川扇状地上に位置する。東西を藤川と相川に囲まれ、背に詰城である要害山城を配置した構造になっている。

図の数字1は相川の扇状地です。武田家の時代の甲府はこの相川の扇状地上に形成された町です。武田家時代の甲府は北、東、南の3方向を山に囲まれた町でした。西側に相川が存在します。つまり、相川は城下の外堀の役目を果たしていることになります。

gyazo.com

相川扇状地。相川の上流は要害温泉のあたりで西沢川、仲川、東沢川と三つに分かれる。


https://maps.gsi.go.jp/index_3d.html?z=15&lat=35.69564348494764&lon=138.58986854553223&pxsize=1024&ls=std#&cpx=-91.055&cpy=-21.625&cpz=33.906&cux=-0.417&cuy=-0.080&cuz=0.905&ctx=0.000&cty=0.000&ctz=0.000&a=1&b=0&dd=0
( via
https://maps.gsi.go.jp/#15/35.695643/138.589869/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0 )

足がつった話(または、新日本プロレスのオープニングテーマ)の話

完全にオーバーペースで、よせばいいのに要害山の登山道に取り付いて上ったものの途中で脚が終わってしまった。完全に終わってしまったのでそこから引き返すんだけど、どうしても舗装路を走りたくなくて来た道を戻ろうとした。結局、下り道のほうが脚には厳しくて両足のふくらはぎが完全につった。しばらく動けなかった。イイ歳したオッサンが一人ぼっち山の中でうずくまってふくらはぎを伸ばしているとは。

なんとか動けるようになって、ノロノロと走って下っていくんだけど、そのときに頭の中で延々と流れていたのは新日本プロレスのオープニングテーマだった。

たくさん、カッコイイ音楽を聴きまくっているのに、そういう音楽はこういうときには役に立たないらしい。これからも危機に陥ったら新日本プロレスのオープニングテーマが流れるだろう。

サッカーの話(または、最後、片っ端からブッ飛ばす話)。

5レーン

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via https://spielverlagerung.com/2015/09/15/team-analysis-tuchels-borussia-dortmund

www.footballista.jp
spielverlagerung.com
russia2018.yahoo.co.jp
5レーン理論にインナーラップ… “吉田ヴァンフォーレ” 新機軸の発想と完成度 | サッカーダイジェストWeb

日本国内でもちょうど「5レーン理論」という言葉や、CBとSBの間の中間スペースを活用するアタックがある種の流行になっている。加えて「大外にポイントを作った時の右中間、左中間のスペース」にSBを走りこませるアタックは、吉田監督が以前から好む形だ。吉田監督に「5レーン」の発想について尋ねると、少し苦笑しながらこう返してきた。
「今日の3、4本目で言ったらシマ(島川俊郎)だけど、十何年前に彼はレーンの理論をやってきているから」

今週末の良かったこと

別の空の下にいた話。

訳あって、小瀬ではなく、別の空の下にいた。

関東高校陸上競技会、前橋、正田醤油スタジアム群馬。

思いの外、気温が低く、ソックスを履かないで来たことを後悔した。

陸上競技、山梨は強くない。その日の終わりの方のレース、400mH男子決勝に、山梨の選手が残った。陸上競技では独特の応援スタイルがある。選手コールのときに声援がかかる。決勝を前にスタンドにはそれぞれの高校が集結してそれぞれのチームカラーに染めていく。バックススタンド、第3コーナーあたりにユニフォームがバラバラの一群が目についた。いよいよ決勝、選手コールが始まる。山梨の選手が呼ばれたときとりわけ大きな声援がかかった。第3コーナーからだった。オール山梨だった。みんな違う高校。違うユニフォーム。一人の選手のためにそれぞれが声を張り上げていた。

これが映画だったら、最悪でも入賞してインターハイへの出場権を獲得するんだろうけど、現実はそんなに甘くない。エンドロールもなくエンディングテーマもなく、彼らの人生はこれからも続いていく。



高速道路、または 5レーン の話。

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via https://spielverlagerung.com/2015/09/15/team-analysis-tuchels-borussia-dortmund

山梨から前橋まで、中央道、圏央道、関越道とつないで行った。遠かった。3車線の高速道路で5レーンについての見識を高めた。

3車線を左から、低速車線(登坂車線)、走行車線、追越車線を、左ウイング、セントラル、右ウイングとみなすことが出来る。左レーン、中央レーン、右レーン。そしてそれぞれの間の車線境界線、ラインを挟んだ両側をハーフスペースとみなす。するといろいろと違う視点が開けてくる。

高速道路に限らず、クルマの世界では「キープレフト」という概念があって、基底状態(一番エネルギーが低い状態。一番低速)は左端にある(左側通行の場合)。サッカーとは違って左と右のレーンでは明確に特性が異なっていて、それぞれのレーンは速度によって拘束されている。

さて、理論上はどのクルマも、どのレーンでも好きなように走れるはずなのだけども、実際には一番速く走るクルマは右側のレーンしか選択肢がない。では一番自由度の高いクルマは何なのかというと、実は一番遅く走るクルマになる。正確に言うと、遅く走ることを自ずから選んだクルマ、ということ(前提として日本の高速道路では、追越車線でも、実効速度はせいぜい140km/H以下)。

ここで話を一気に端折る。クルマの運転では、一定速度で走ることが最適である、という常識がある。でもそれは他に走行しているクルマがいない場合の話。現実は一緒に走っているクルマとの関係性の中にある。ここでは、左端を原点に(左端のレーンが安楽なのはいうまでもない)、状況に応じてゆるやかに加減速を繰り返しながらレーンを自由に移動するほうが非常にスムースだしイージーである、という発見。

取りうる速度の広さ。多様性。


ワールドカップの話。

開幕した。なんだかんだ言って、結局、観ちゃう。スペインvsポルトガルの派手な感じ。アルゼンチンvsアイスランドのアイスランドの男っぷり。ドイツvsメキシコのメヒコのルチャリブレっぷり。やっぱりサッカーは面白い。




走ることの話。

運動日記、一週間を一区切りにしてるんだけど、月曜始まりを土曜始まりにした。土日にたくさん走ったら週間はちょっと控えるようにした。いままではどんどん積み上げていって、結局一週間に16時間くらいになっていた。さすがに多すぎる。ということであわせて時間を決めた。12時間まで。人生は短い。ほかにもやることはたくさんある。

それからハートレートモニターを外した。長くダラダラと続く山道で、左手についているハートレートモニターの数字に目をやるのか、それともその先に続いていくシングルトラックをグッと睨みつけるのか、ということ。

実際のところ山を走る時、マフェトンがいうところの MAF ハートレート(=180ー[年齢])の範囲に収まらないのだ。能力と強度がミスマッチ。じゃあ、収まる範囲のところをトロトロと走るのか、それとも痺れるようなラインの上で踊るのか、ということ。

そんなわけで、人生の選択。後者。

今週末の良かったこと

走って行く話。

甲府駅から10分くらい、成田山不動堂がある。そこの境内を横切って愛宕山に上がっていく。いちおう県庁所在地だけど、ものの10分でトレイルへの入り口に立つことが出来る。愛宕山は奥秩父山塊へ連なる南の最果てにある。甲府盆地の中に突き出た半島みたいになっている。街から離れていないのに木々が深くて、まるで異界への入り口みたい。

つい最近まで走るというのは「走る」ために走っている感じだったんだけど、スタジアムまで走って行くようになってから「移動する」ということを考えるようになった。地図の上のある地点からある地点まで移動するということ。その違いは、刹那に生きるのかそれともラインを長く長く繋ぐのか、という生き方にも繋がる(おおげさ)。


プレートテクトニクスの話。

愛宕山に入っていく前は、舞鶴城をグルグルと走っていた。

舞鶴城はもともとは一条小山という小さな山で、この小山は愛宕山の飛び地になっている。愛宕山と小山はそばを流れる藤川という川によって断ち切られている。藤川は、地面を彫刻刀で削ったような深く低い底を、細々と流れる川で、この流れがこの地形を形作ったのかと思うと本当に気が遠くなる。そしてこの気が遠くなるような細々とした、しかしダイナミックな出来事は、伊豆半島が日本列島に衝突したのと同じ地球規模の地殻変動によって生まれている。


via https://www.pref.yamanashi.jp/chisui/documents/huehukikaryuu3.pdf

ごくごくローカルな地形が、地球規模のプレートテクトニクスの話に繋がっている、っていう面白さ。


サッカーワールドカップの話。

スポーツニュースに川崎フロンターレの中村憲剛が出ていて、ワールドカップの見どころについて話していた。中村憲剛今回のワールドカップに出場していても全然おかしくない選手で、そうなんだけど本当にワールドカップを楽しみにしている感じだった。まるで小学生みたい。

で、中村憲剛は、前回優勝したドイツが、今や世界標準になっているアスリート性の高さであったり組織をどう表現するか(実際には、前回優勝国として同じテンションでやってこれるか?という話だった)ということと、でも、やっぱり好きなサッカーはスペインのパスサッカーだ、って言っていた。

川崎はパスサッカーだ。パスサッカーと言ってしまうといろいろと語弊がありそう。えーと、サッカーボールとプレーヤーを見ていると、思いもよらなかった場所にボールが通ってなぜかそこにプレーヤーがいて、と思ったらまた思いもよらなかった場所にボールが通ってなぜかそこにプレーヤーがいて、そして想像を絶する流れの中でゴールにボールがインする、というサッカーです。で、ああ、サッカーっていうのは世界と繋がっているんだな、という気づき。

ごくごくローカルなサッカーが、世界規模のサッカーの話に繋がっている、っていう面白さ。


ルヴァンカップ プレーオフ 第2戦の話。

先週末から話しは続く。

2018 ルヴァンカップ プレーオフステージ 第2戦 2018/06/08
甲府 1-2 浦和
埼玉スタジアム2002

19' 興梠 慎三(浦和)
24' 興梠 慎三(浦和)
27' 小塚 和季(甲府)

結果は第1戦、第2戦の合計で、

甲府 3-2 浦和

となって、プレーオフステージを突破した。浦和は2017年の AFC チャンピオンズリーグのチャンピオンだった。

ごくごくローカルなサッカーが、アジアチャンピオンを倒すこともある、っていう面白さ。







走って帰る話し。



今週末の良かったこと


走って行く話。

"Road of Heavenly Peace" (平和通り)と呼ばれるこの道路の先に、地元のサッカークラブのホームスタジアムがある。

勝ち試合だったので、元気に戻って来られたけども、手痛い敗戦だったときにいったいどうなるのだろう? と思わなくもない。勝負事なので験を担ぐとすると、次の試合は、また走っていかないとならない。





サッカーの話。

甲府、今年は J2 なのになぜかルヴァンカップがある。シーズン始めにリーグ戦で苦戦していた頃、なぜかルヴァンカップでは勝ち続けていた。リーグ戦とあわせて戦うカップ戦は、若手(ヤングガン)どもが中心になる。彼らが見せるサッカーはリーグ戦で停滞するチーム状況にあっても、それでも未来を感じさせるものだった。そうこうしているうちに、 J2 なのに、リーグ戦で苦戦しているのに、予選を2位で通過してプレーオフに進出した(監督が交代した話は省略する)。

プレーオフはホーム・アンド・アウェーで対戦して2試合の合計で勝負が決まる。あろうことか、甲府は浦和と対戦することになった。経営規模17億円(甲府) vs80億円(浦和)の戦い。


2016年の話。

さて、話は2年前に遡る。甲府は J1 にしがみついていた。愚直なまでの守備的なスタイルで。そんななかで戦ったアウェー浦和戦は忘れたくても忘れられない試合となった。

2016 J2 1st ステージ 第5節 2016/04/01
浦和 2-1 甲府
埼玉スタジアム2002

68' 興梠 慎三(浦和)
81' 森脇 良太(浦和)
90+2' 稲垣 祥(甲府)

代表活動中に甲府の試合をチェックしたという柏木や西川は、「ビックリするほど引いてくる」と

前半30分そこそこで、守備の要でもあり、チームの要でもある山本英臣がイエローカード2枚で退場となる。10人対11人。そこからの残り時間ひたすら守り続けるというゲームになった。しかしチームはゴールを守り続けることが出来ずに2失点で敗戦する。その悔しさの記憶も強烈だったのだけれど、それだけじゃなくて、その試合のロスタイム、力づくでむしり取った1点は大きく胸を打つものとなった。




結局、2016年、ホーム戦でも浦和には勝つことが出来なかった。2016年、命からがら J1 に残留した。2017年、甲府は守備から攻撃への舵を切る。しかし J1 に勝点1差で残留することが出来なかった。


2018年の話。

そして2018年、1年での J1 復帰を狙うはずのチームは序盤から低迷し、監督交代という考えられる上で最悪の状況に陥った。

そこからのV字回復。7戦負け無し。4連勝。2017年に、いや2016年の浦和戦の後半ロスタイムに巻かれた種は、いまここで猛烈なスピードで花を開きつつある。そういう状況で迎える浦和戦。その試合はたぶん一生忘れられないものとなった。


ルヴァンカップ プレーオフ 第1戦の話。


2018 ルヴァンカップ プレーオフステージ 第1戦 2018/06/02
甲府 2-0 浦和
山梨中銀スタジアム

37' 今津 佑太(甲府)
51' 小塚 和季(甲府)

第2戦は来週、アウェイ、埼玉スタジアム2002で行われる。


走って帰ってくる話。

Aerobics with smile

先生は海外でAerobics with smile(笑顔で有酸素運動)のDr. Tanakaと称されています。これまで有酸素運動と言えど、70%最大酸素摂取量レベルの「きつい」運動が推奨されてきましたが、それが50%最大酸素摂取量レベルの「楽に感じる」運動でも十分に体力も上がるし、健康効果が高いことを証明されてきました




最初、全然、本質を理解していなかった(本当はシックスステップ・アンド・スリーステップターンだった)。






だいたいにおいて、最初は全然意味がわからなかったりする。適当にやっているうちにだんだん意味がわかってくる。身をもって理解する。










"Aerobics with smile" 石に刻みたい。


頭は全く関係ない。パッション(情熱)だよ、

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