via https://note.mu/jgs/n/nc3734111b8d0
歩くことの話(もしくは、そぞろ神の物につきて心くるわせる話)
jigsaw クンの高専カンファレンスの発表に「歩くこと」についての引用が載っていて、その中で june29 サンとの tweet が、レベッカ・ソルニットの「ウォークス」と一緒に並べられていた。ちょっと恐れ多い。
「ウォークス」はまだ読んでいないんだけど nbqx サンが読んでて、「2017年を探す」の内容はそこからとても影響されている。
「ウォークス」、原題は "wanderlust" で、ドナルド・キーンの英訳の「おくのほそ道」の序文だったりする。
そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。
I seemed to be possessed by the spirits of wanderlust, and they all but deprived me of my senses. The guardian spirits of the road beckoned, and I could not settle down to work.
"the spirits of wanderlust"
「おくのほそ道」は2017年、沖縄に行った時に読んだ。
芭蕉、「おくのほそ道」でリンクをたどるように旅をしている。
芭蕉の旅が古典(歌枕)のリンクをたどる旅だったように、インターネットでリンクをたどることは歩くことに似ていると思う。
人は一度に一つの道しか歩くことが出来ないのと同じように、人は一度に一つのリンクしかたどることが出来ない。
文章は言葉から言葉へのリンクをつないだもので、文章は最初から最後まで一つなぎにしか書くことが出来ない。
そういう意味では、こういう文章を書くのも歩くことに似ていると思う。
"Finding Flow" の話(もしくは、熟慮は難しいという話)
スティーヴン・ コトラーの「超人の秘密」が良かったので、ミハイ・チクセントミハイの「フロー体験入門」を読んでいる。どちらも邦題が良くない。「フロー体験入門」、タイトルは "Finding Flow" でサブタイトルが "The Psychology of Engagement with Everyday Life"
序文にある次の文章でガッツリ持っていかれた。
ほとんどの人にとって、自分自身がどのようにあるべきか、何をすべきかについて考えることから得るものはない。熟慮は難しい技術であり、訓練されていない人々は、すぐに落ち込んだり、絶望してしまうことさえある。
フローとかゾーンとかいうと胡散臭い感じがするけど、書かれているのはすごくまともだし、断片的に知っているいろいろなことがここで一つに束ねられている雰囲気もある。そしてそういう雰囲気はマクニールにもあった(つまり、これは当たりに違いない)。
走る話(もしくは、逆向きにやって来た台風の話)
この週末、いつもとは逆向きにやってきた台風の前後を縫って裏山を走った。以下、教訓。
- 濡れた落ち葉は滑る
- 濡れた倒木も滑る
- 濡れた木の根っこも滑る
- 苔むした石も滑る
- 落ち葉を踏むよりは石を踏む
- 浮石は踏まない
- 落ちている枝は避ける
- たとえクモの巣があっても上半身を左右に避けるような動きは避ける。かがむ。無理なら突っ込む
- フォールラインと平行につま先を向けない。必ずフォールラインとクロスするようにラインをとる
- 難しい危ないと思った場所は歩く
- ハンドボトルの水を飲む、周囲を確認する、スマートフォンを見る、そういう時は少なくとも歩く、できれば一旦止まる
- 山の方が若干涼しい
- お寺や神社の境内を通るときには脱帽する
- ハートレートモニターとかつけないほうが集中できる
- 苦しい単調な上りではステップを数える(ちなみに自分は1から9ずつ数える)
via https://tenki.jp/forecaster/yosh_ika/2018/07/27/1482.html
サッカーの話
だがしかし、この程度で絶望するほどヤワじゃないんで
— twwp™ (@taizooo) 2018年7月29日